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リングリング  作者: 三国司


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29 ようやく

 詩織は夜が嫌いではなかった。

 柔らかな光を放つ月は神秘的で美しいし、ちかちかと瞬く星を眺めるのも楽しい。

 闇は優しく、静かで、全てを包み込んでくれる。時間がゆっくりと流れているような感覚。


 けれど今、この冷然とした獄舎の中では、夜をそんな風には思えない。

 小さな窓からは月も星も見えないし、闇はじりじりと詩織に迫り、不安と恐怖をかき立てるばかり。


 詩織は寝返りを打って、毛布に身を寄せた。

 拘置部屋で過ごす二日目の晩。あと何回ここで夜をやり過ごさなければならないんだろう。昨日からそればかり考えている。

 日が落ちると、ただでさえ寒い石造りの建物はさらに冷えていった。足先が冷たくて眠れない。背中がぞくぞくする。詩織は鼻をすすって、さらに深く毛布にもぐり込んだ。

 せめてあとどの位でここから出られるのか、それだけでも分かっていればいいのに。出口が見えていればこの状況にも耐えられる。


 詩織は暗闇の中で犯人の侍女の事を思った。そもそも彼女はどうしてロッシェの名を出したのだろうと。

 詩織としては、ロッシェが堕胎薬を作って売ったとは信じられなかった。リスクを冒して違法な薬を売るなんて、要領のいい彼はしそうにない。

 それにもし堕胎薬を作っていたとしても、ロッシェならもっと精巧で恐ろしいものを生み出すだろう。苦すぎて側妃が途中で飲むのを止めるなんて、そんな事は起こりえない。

 狙いが胎児なら胎児だけを、側妃にも死んでほしいなら諸共に、ロッシェなら確実に彼女たちの命を奪う薬を作れる。

 やろうと思えば、毒の痕跡を残さないようなものすら製造できるかもしれない。


 しかし本当にロッシェが無関係だとすると、ますます侍女の供述の意味は分からない。たまたま前に店を訪れた事があって、ロッシェの事を知っていたのだろうか。それで適当に彼の名を出した? 本当に薬を作った誰かをかばうために、ロッシェに罪を着せようとした?

 

 考え過ぎて頭が痛くなってきた。思考を止めて休みたいけれど、しかし寒くて眠る事もできない。詩織は小さくくしゃみをして震えた。

 今晩は風が強い。ごうごうと音を立てて獄舎の外壁を撫でていく風は、隙間を見つけて中へと侵入しようとしてくる。詩織は小窓から遠慮なく入ってくる寒風に身をすくめて考えた。窓を木の板や布で塞ぐ事はできないか、明日シャイルに聞いてみなければ、と。

 それから着替えの事と、お風呂の事も。湯船に入りたいなんて贅沢は言わないから、布で体を拭くくらいはしたい。しばらく監禁生活が続くのなら尚更。

 あとは女性の牢番がいれば、詩織としてはとても助かるのだが。トイレへ行きたいと申告する際に、いちいち顔をまっ赤にしなくてすむから。


(寒い……)


 詩織は目を閉じたまま、自分の体を抱きしめた。頭の中ではずっと、「寒い」「いつここから出られるだろう」という二つの話題がループしていて、そこに時折クラストの姿が割り込んでくる。


 迷惑をかけてしまうかもしれないのは申し訳ないが、やはり彼に助けを求めてみようかと詩織は考えた。自分にかけられた容疑を解いてほしいとまでは頼めないが、この寒すぎる拘置部屋の環境を改善してほしい、くらいの願いは聞き入れてもらえるかもしれない。

 クラストと会って、もし彼が自分の婚約の事を話題にしたらと思うと、少し怖くもあるが……。

 クラストが王女様にめろめろだったらどうしよう、と考えて詩織は憂鬱になったが、覚悟を決めて、明日シャイルに話をしてみることにした。魔術師ガレルとの会話から考えて、彼はクラストの事を知っているはずだから。


(クラストが私の事を覚えていてくれますように……)


 祈るような気持ちで、詩織は目をつぶった。





 明け方ふと目を覚ました詩織が感じたのは、心地いいまどろみではなく、全身を支配するだるさだった。寝返りを打つのも面倒なくらい体が重く、胸は気持ち悪さを訴えている。

 喉は少しいがらっぽく、呼吸は浅くて速い。


「はぁ、はぁ……」


 きっと風邪だ。

 ぞくぞくと悪寒がするのに、体は熱い。こんな寒いところで寝ていたから熱が出たのだ。

 やっとのことでまぶたを持ち上げ薄く目を開くと、視界がぐるぐると回り出した。たまらず、すぐに瞳を閉じる。


(気持ち悪い……)


 今のところ喉元までこみ上げてくるものは無いが、吐きそうで吐けないような気分の悪さが続いている。

 頭も痛むし、これは微熱どころの辛さではない。


(こんな時に熱を出すなんて)


 詩織がヤワな自分の体を呪っていると、廊下からふと物音が聞こえてきた。警備の巡回だ。

 牢番が廊下を進む足音が近づいてきたかと思うと、部屋の前で止まる。詩織は壁の方に顔を向けて寝ていたので見えなかったが、扉についている小窓から中を覗いて確認しているようだ。


 詩織は起き上がって、あるいは声を出して体調が悪い事を伝えようとしたが、そんな簡単な動作でさえ今は実行に移すのが辛く、結局軽く身じろぎしただけで終わった。

 牢番も詩織の荒い呼吸に気づくことなく去っていってしまう。


 夜明けは遠くないし、おそらく午前中にはまたシャイルがやってくるはず。高熱を出している事に、このまま誰にも気づいてもらえないというのは有り得ない。

 けれど、ただでさえ精神的に弱っている詩織には、暗い想像しかできなかった。


 日本にいた時は、「風邪くらい薬飲んで一晩寝れば治る」と思っていたのだが、今、そんな風に思うのは無理だ。この凍えそうな獄舎の中にいて一晩で風邪が治るはずがないし、むしろどんどん悪化していきそう。

 それに、風邪に打ち勝とうとする気力も残っていない。

『病は気から』とはよく言うが、今の詩織はその『気』が駄目になっているのだ。


(風邪でも、このまま熱が下がらなかったり肺炎になったりすれば死ぬ事もあるよね……)


 弱気になって、極端な結論に至る。


(私、死ぬのかな……。このまま、ここで、独りぼっちで……)


 クラストにも会えずに——。

 


 胸がぎゅっと締め付けられる。

 閉じたままの目尻に、じんわりと涙が滲んだ。




 +++



 クラストはその日の朝、いつもと同じように仕事を始めた。夜勤の同僚と交代し、王の護衛につく。

 しかし起床した王から側妃の様子を見てくるよう頼まれたので、その指示に従って一人廊下を進む。


 側妃の部屋を訪ね、侍女に様子を聞くと、昨日よりもさらに回復していて顔色も良いという事だった。朝の診察はすでに終わり医師は帰ってしまったらしいので、クラストはその後を追い、一応詳しい診断を聞く事にした。

 その医師はシラバスとはまた別の人物だ。王族お抱え医師で、普段は自分の屋敷から定期的に城に通ってくる。

 だが事件が起きてからは、側妃の容態が急変してもすぐに対応できるよう、王から城の一室を与えられ、そこに常駐していた。

 クラストはその医師から「母体も胎児も順調に回復している。何も問題はない」という旨の報告を聞くと、安心して彼の部屋を辞した。


 そしてそこからまた王のところへと帰る途中で、何やらやつれた集団に出会う。

 その顔ぶれには見覚えがある。側妃の近衛騎士たちだ。

 けれどシャイルの姿はない。もう少し若手の騎士が三人。皆それぞれに分厚い本をいくつも抱え、疲れた様子で廊下を歩いている。


「大丈夫か?」


 思わずクラストが声をかけると、のろのろと歩いていた若い騎士たちがサッと姿勢を正した。彼らにとってもクラストは憧れの存在なのだ。


「その本は? 先の事件に関する調べものでもしていたのか?」


 挨拶もそこそこに、彼らの持つ大量の本へと目を向け、クラストは尋ねた。側妃の近衛たちはここ数日、事件の全容解明に大忙しなのだ。


「ええ、例の侍女に薬を売った容疑をかけられている男なんですが、街で薬屋をやっていまして……その店にあった物を片っ端から調査中なんです。もうほとんど終わって違法なものは見つからなかったんですが、あと一つ、怪しいものがありまして……しかしその解析が手詰まり状態なんです」

「異国の言葉でメモがぎっしり書かれてある不審な帳面なのですが、どこの国の言葉なのかさっぱりで」

「徹夜で調べていたのですが解読できず、これからこの役に立たなかった本たちを城の資料室に戻しにいくところです」


 三人の騎士が、眠そうな声で順番に答えた。皆、目の下にクマができている。


「仕事熱心なのは感心するが、休息も十分取らなければ倒れてしまうぞ」


 クラストが気遣うと、三人は困ったように笑った。


「実はシャイルさんに早く調査を終えるようせっつかれていまして……」

「ですが俺たち、今日はこれから午後まで休みなので大丈夫ですよ。寮に戻って寝ます」

「そうか、それならいいが。……ところで、その怪しい帳面というのは?」


 何となく引っかかって、クラストは質問した。徹夜を終えた彼らを早く返してやりたいという気持ちもあったのだが、異国の言葉で書かれたというそれが、何故かとても気になるのだ。自分の目で確かめたいという欲求に駆られた。


「ここにあります」


 騎士の一人が、自分の抱えていた本の山の一番上を目線で指した。クラストは彼の近くに寄って、白くて薄いその帳面を手に取る。


「薬草の絵なんかも添えられているので、薬の作り方のメモかと思うのですが、もしかしたら違法な薬の製造方法かもしれませんし……」

「店から押収した他の帳面はこの国の言葉で書かれているのに、これだけ違うというのが気にかかるんですよね。他人に読まれても中身が分からないように、わざと異国の言葉で書いた——つまり他人から隠したいような内容が書かれているのではないかと」

「そういえばシャイルさんたちが一昨日拘束したっていう薬屋の従業員、異国の人間らしいとか聞いたような……」


 思い出したように呟く騎士に、他の騎士が目を剥いた。


「は? てことは、このメモはその従業員が自分の国の言葉で書いたものなのか? てか、何でそれを早く言わないんだよ、この馬鹿! そいつの出身国を聞けば、解読できるかもしれないじゃないか!」

「わ、悪い……その報告を受けた時は別の調査に集中してたから、関係ないとすっかり忘れてたんだ」

「忘れてたじゃないだろ! 俺の徹夜を返せ!」


 三人の騎士たちの騒がしい声は、しかし開いた帳面を凝視するクラストの耳には全く入ってこなかった。

 クラストはこの文字に、この筆跡に見覚えがあったのだ——。

 

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