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リングリング  作者: 三国司


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28 ガレル来たる

「人の心の警戒を解いて、建前や嘘を取り除く。そんな魔術がある」


 頭に疑問符を浮かべている詩織にシャイルが説明する。


「その術にかかった者は、ものを深く考えられなくなるんだ。嘘をつくためにはある程度頭を働かせなくてはならないが、それが出来なくなり、本音でしか話せなくなる。思った事をそのまま口に出してしまう状態になるというか……」

「その術を私にかける、ということ?」


 シャイルの考えを察して、詩織が聞く。

 術にかかったまま「私は何もしてない」と言えば、冤罪である事を信じてもらえるということだろうか。


「そうだ。それで君の今までの供述が嘘でない事が分かれば、すぐにでもこの部屋から出す事ができるだろう」

「ほんと!?」


 思わず身を乗り出す。


「なら、その術私にかけてほしい!」

「わ、分かった。術の正確性を高めるためにも、国で一番の魔術師を連れてこよう。しかし奴は神出鬼没だからな……今日中に連れて来られるか分からない」

「そんな……」


 またここで一晩過ごす事を考えて詩織は憂鬱になった。この暗い部屋の中では、一秒が過ぎるのさえ長く感じるのに。


「お願い、できるだけ早く連れてきてほしい……」


 胸の前で自分の両手を握り、消え入りそうな声で、真っ直ぐにシャイルの目を見て懇願した。できるだけ早く解放されたい、そんな自分の思いを伝えようと。ここにいると本当に気が滅入るのだ。

 シャイルは惚けたようにしばし固まった後、


「すぐ呼んでくる」


 さっと席を立ち、急ぎ足で部屋を出ていったのだった。



 そして言葉通り、シャイルはすぐに戻ってきた。

 詩織が部屋で一人ぽつんとベッドに座っていると、


「相変わらずここは陰気臭いね!」


 外の廊下からよく通る明るい声が聞こえてきた。男の人のようだが、トーンは高めだ。


「どんよりと暗くて、寒くて湿っていて、もう最悪だね。この灰色の石がいけないと思うよ。いっそ壁を真っ赤に塗ってみてはどうだろう。とても明るくなる」

「気味が悪くなるだけだろう。血に濡れたみたいで」


 歌うような声に、うんざりしたような声が返す。後者はシャイルだ。二人の足音は段々とこちらへ近づいてくる。


「ところで君は誰だったかな? 顔は見た事あるんだけど……いつもクラストに熱い視線を向けていた子だったかな?」

「睨んでいただけだ!」


 拘置部屋の鉄戸が開くと同時に、シャイルがヒステリックに叫びながら入ってきた。眉間にいくつもしわを寄せ、不機嫌に眉をつり上げている。

 一方で詩織は、聞こえてきた『クラスト』という名前にぴくりと反応していた。シャイルはクラストの知り合いなのだろうか? などと考えるが、それが分かったところで何にもならない事を思い出す。

 クラストに助けを求める事はできないし、したくない。門番の彼のように迷惑をかけてしまって終わるだけだろうし、今さら再会したところでもう……。


 シャイルはイライラしながらぐっと奥歯を噛んで、背後にいる人物に入室を促した。


「入ってくれ。この部屋だ」

「嫌だなぁ、すごく狭いじゃないか。息が詰まりそうになるよ」


 邪気のない口調で話すその人物を見た瞬間、詩織は瞳をまん丸にする。

 

「おや、彼女がそうだね? 開心術をかけてほしいという変わり者」


 変わり者。それは彼の方だ。

 毛先が少しはねた長い髪は鮮やかなあか。肩にかけられているだけの長衣も、中に重ね着している服も、スボンもブーツも、微妙に色合いや素材が違うけれど何もかもが赤い。

 服には金糸の刺繍や金のボタンもつけられているが、全体は落ち着いたワインレッドで統一されていた。

 首や手首には幾重にも装飾品がつけられていて先ほどからじゃらじゃらと音を立てているし、男性にしては細い指の上では、大きな宝石のついた指輪がいくつも自己主張をしている。

 シャイルが投げやりな口調で、「魔術師ガレルだ」と彼を紹介してくれた。


 この人が国で一番の魔術師? 詩織は目の前にいる紅い男をじっと見つめた。そして一瞬考える。彼は異世界——地球の存在を知っているだろうかと。

 確かクラストをトリップさせた魔術師は、クラスト曰く『世界で一番力のある魔術師』らしいけれど、今目の前にいる彼がその人と同一人物なのかは分からない。クラストが彼の事を語る事は少なかったし、名前すら呼ばずに「あいつ」よばわりしていたから。


「何やら珍しい顔立ちだね。若く見えるけど歳はいくつだい?」

 

 ガレルは詩織にずいっと近づき、遠慮なく顔を覗き込んできた。つかの間、彼の中性的で美しい顔立ちに目を奪われる。


「えっと——」

「あ、やっぱりいいよ答えなくて。どうせなら術をかけた後で聞こう」


 ガレルはマイペースに話を終わらせると、ベッドに座っている詩織のすぐ隣に腰掛け、


「じゃあさっそく始めようか。早く終わらせて空気の悪いこの獄舎から出たいんだ」


 と、こちらに手を伸ばす。

 ここから出たいという言葉には詩織も同感だったが、いざとなると術をかけられるのが少し怖くなった。なんてったって本音でしか話せなくなるのだ。

「やっぱりクラストが好き」とか、「諦められない……」とか言ってうじうじと泣き出すかもしれないし、「こっちは三年間忘れられなかったのに、勝手に婚約しちゃうなんて薄情者!」なんて怒りを爆発させて、罪のないクラストを罵り始めるかもしれない。

 しかしガレルは尻込みする詩織の事など気にせずに、伸ばした両手を彼女の頬に添えた。


「僕を見て」


 なめらかな声でささやくように言われて、少し動揺する。顔の距離が近くて照れずにはいられない。


「相手に触れる必要があるのか? ただ目を合わせればいいだけだろう」


 横からシャイルが腹立たしげに言ったので思わず振り返りそうになったが、ガレルの手が添えられているせいで顔が動かない。


「必要だよ。相手が可愛らしい女性の場合に限ってね。——さぁ、集中して」


 前半はシャイルに、後半は詩織に向けられた言葉だ。


「僕の目をじっと見て」


 シャイルがブツブツと文句を言っているが——クソ魔術師め、とかなんとか——、詩織は言われた通り集中し、至近距離でガレルと視線を合わせた。

 彼の瞳はルビーのように深い赤で、薄暗い部屋の中でも妖しい輝きを放っている。詩織がそこに映る自分の姿を見つけた瞬間、その像はゆらりと揺れて、渦を巻くように歪んでいった。

 

 ガレルが唇をほんの少しだけ動かして、小さな声で呪文を唱え始める。流れるように、とめどなく。

 間近で詠唱しているはずなのに、どこか遠くから聞こえてくるような感覚で、耳に心地いい。


 気づくとガレルの目に映る詩織は完全に消えていて、彼の瞳の色も鬱蒼とした森のような緑に変わっていた。かと思うとその緑もとろりと溶けて、今度は深海に似た青に変化する。その次は吸い込まれそうな黒だ。

 呪文は延々と続いていて、詩織の緊張を強制的に解かしていった。瞳の色がまたいつの間にか変わっている。今度は氷のような寒々しい銀色。何だか眠くなってきて全身の力が抜けていく。しかし倒れたりはしない。無駄な緊張だけが抜けていく感じ。瞳ははちみつのような甘い黄色になった。呪文は続いている。ふわふわして気持ちいい。詩織はとろんとまぶたを落とした。けれど完全に閉じてしまったわけじゃない。ガレルの瞳の色が炎のように燃え上がり、元の赤に戻った。

 そうして呪文もやんだ。

 

「……」


 頭がぼーっとしている。

 けれど呪文が聞こえなくなると同時に、ふわふわとした心地よさは消えてしまった。代わりに肌寒さが一層気になり始める。


 自分が精神的にとても無防備な状況である事に詩織は気づいた。ふとした瞬間に一気にネガティブになってしまいそうな危うさを感じる。

 例えば、『毒薬を作った容疑者』だとか『クラストが婚約』だとかいう詩織的にキツい言葉を聞くと、坂道を転がり落ちるかのように気分が落ち込み、泣きわめいてしまいそうだ。

 冷静に心を静めてくれる理性がどこかへ行ってしまったみたい。


 頭の隅で、今の状況も理解している。ああ、術をかけられているんだな、と。

 けれど細かい事を考えるのは面倒臭い。それよりも寒さが気になる。冷たい風の侵入を許している換気用の小窓に苛つきさえした。

 ガレルが少し困惑したような顔でこちらを見ている。


「なんだか心配になるね、君ってば。たとえ自分から望んだ事とはいえ、ちょっと術にかかるのが早すぎるよ。これって僕からしても難易度の高い術なんだけど……。他人に対する警戒心が薄いのか、心を開く事に抵抗がないのか、それとも魔術の恐ろしさを知らないのか。よく今まで五体満足で生きてこれたねぇ」


 本気で驚いているように言う。

 そしてこう続けた。


「でもまぁ、術はバッチリかかっているわけだから、さっそく質問をしよう。まずは名前から聞いておこうかな」

「名前なら私がすでに聞いている」


 シャイルが割って入ったが、


「君には偽名を教えているかもしれないだろう?」


 とガレルは一蹴した。改めて詩織に質問する。


「君の名前を教えてくれるかい?」

「…………」


 詩織はかすかに眉根を寄せて沈黙した。しばらく経っても何も答えない。

 もう一度ガレルが言う。


「君の名前は?」

「…………」


 やはり詩織は何も答えず、その代わりにこてんと首を傾げた。言っている事が分からないというように。


「名前を教えてくれるかな?」

「……ごめんなさい、何言ってるか……分からないです」


 ぼんやりとした声音で返事をした詩織だったが、その答えに今度はガレルとシャイルが眉根を寄せた。

 詩織が喋った言葉は日本語で、彼らには意味が分からなかったのだ。


「彼女、何て言ってるの? どこの言語?」

「……おそらく彼女の故郷の言葉じゃないか? 何を言っているのかは私にも分からない」


 詩織は日本語でゆるゆると話を続ける。


「すいません……あなたの話す言葉……聞き覚えがあるし、確かに知ってるはずなんだけど……」

「どういうことだ? 何故急にこの国の言葉を話さなくなった?」


 シャイルがガレルに問う。

 その質問が聞こえているのかいないのか、ガレルはしばし考えて、独り言のようにつぶやいた。


「ちょっと訛りがあるなぁとは思ったけど、やはり彼女はまだこの国に来て間もないのかな。無意識にこの国の言葉を理解して無意識に話せるほど、馴染んではいない?」

「だったらどうなんだ?」


 シャイルが再度質問した。

 ガレルは詩織の方を向いたまま答える。


「この国の言葉を話す時、聞く時、彼女は頭の中で翻訳してたんじゃないかな。それは時間にすると一秒にも満たないものだったかもしれないけれど、いちいち頭を働かせて考えていた事は確かだ。けれどこの術にかかった者は細かく考える事を止めてしまう。それによって嘘がつけなくなる訳だけど……彼女の場合は嘘がどうこう以前に、こちらの言葉を理解できなくなっちゃった訳だね!」


 困ったねぇと笑うガレルにシャイルは顔をしかめる。そして詩織の側に移動すると、子どもに問い質すようになるべくゆっくりと質問した。

 これに否定の答えを返さなければ、開心術をかけた意味がないのだ。


「君は違法な薬を作って売っていたな? ロッシェ・グールが危険な堕胎薬を作っていたのを知っていたんだな?」


 ちゃんと言葉を理解して「いいえ」と答えてくれ。シャイルは祈るように詩織を見つめたが、返ってきた答えはまたしても日本語だった。


「ごめんなさい……何て言ってるのか分からないです。なんか質問されてるなぁ……っていうのは分かるんですけど……あの、どうでもいいですけど、この部屋寒すぎないですか?」


 詩織のうつろな視線がシャイルからガレルに移った。


「……あなた魔術師さんですよね。魔法で炎とか出してもらえませんか? ちっちゃいやつでいいんです……お願いします。ところで私はいつここから出られるんでしょう。お風呂に入って服を着替えたいんです……あ、なんか喉が渇いてきた。あったかいココアが飲みたい」


 その時感じた事、思った事を、詩織はそのまま口に出していた。けれどそれはやはり全て日本語だ。いちいち翻訳してこの国の言葉に変換するのが面倒なのである。

 ガレルはため息をついた。


「駄目だね。どうしようもない。これ以上やっても無駄だよ」


 言うが早いか、彼はぱちんと指を鳴らす。その弾むような軽い音は詩織の耳から脳に入り込み、頭の中をすっきりと澄み渡らせた。

 何度かまばたきを繰り返し、術が完全に解けた事を実感する。深い思考が戻ってきた。

 が、同時に納得できない事実にも直面する。術にかかっていた間の記憶はしっかりと残っていた。訳するのが面倒で、日本語でだらだらと喋っていた事も……。

 

「も、もう一度術かける、お願い」


 私のバカー!! と心の中で叫びながら、おずおずと頼んだ。今度はちゃんとこの国の言葉で。

 しかしガレルにあっさりと断られる。


「残念ながら何度やっても同じだよ。君がこの国の言葉を母語並みに話せるようになるまではね」


 困ったように肩をすくませ、立ち上がる。


「あと、ひとつ忠告しておくけれど、君はもっと他人に警戒心を持った方がいい。あんなにすんなりと術にかかるなんて! とっても危なっかしいよ」

「気をつける……」


 詩織はしょんぼりと背中を丸めて、投げやりに言った。

 これで解放は遠のいてしまった。また元通り、山ほどある店の押収品の調査が終わるのを待つしかない。

 しかしそこでハッとある事を思いつく。


「ちょっと待って!」


 部屋を出ようとしたガレルを慌てて引き止め、頼み込んだ。——ロッシェや犯人の侍女にも同じ術をかけてくれるように、と。

 自分は駄目だったけれど、ロッシェが術にかかった状態で「何もやっていない」と証言すれば……あるいは侍女が、ロッシェから薬を買った事を「間違いだった」と認めれば、自分とロッシェの冤罪は晴れるのでは? そう思ったのだ。

 頼みを聞いたガレルは面倒くさそうに顔を歪めた。


「僕これからお茶の時間なんだけどな」

「そこを何とか! お願い、です」

「しょうがないなぁ。なんだか君、とっても哀れで可哀想だものね。いいよ、その二人にも術をかけるよ」


 しかしそこで喜びかけた詩織にシャイルが忠告する。とても言いづらそうに。


「だが、あまり期待しない方がいい。開心術での尋問は過去にも他の罪人で試みた事があったが、成果は出ていないからな」


 その言葉にガレルも同意する。


「まぁね。人の精神を操るような魔術は色々制約も多くて難しいんだよ、この僕ですらね。開心術ならまず目を合わせなきゃならないという制約があるし……。炎や風を操る方がずっと単純で易しいよ。人の心ほど複雑で繊細なものはないから。ま、一応やってみるけどさ」


 言いながら、ガレルは部屋を出ていってしまった。シャイルにロッシェたちの所へ案内するよう命令しながら。

 シャイルはそれに対して「私はあなたの部下じゃないんだぞ」と憤慨しつつも、詩織の方を振り返ってこう言った。


「これからロッシェ・グールたちのところへ行ってくるから少し待っていてくれ。おそらく上手くはいかないだろうが……」

 

 


 そしてシャイルの言葉通り、二人に術をかけるのは失敗に終わったらしかった。

 後で詩織の拘置部屋に戻ってきた彼の話によると、侍女は固く目をつぶって開心術にかかるのを拒んだ。ロッシェは無実が証明できるのならと術にかかったが、うめくばかりで何も言わなかったという。


「なぜ?」

「やつは君とは正反対の性格をしているということさ。用心深く、他人をあまり信用していない。開心術を受け入れようとはしたものの、本能がそれを拒んだ。人に本心を吐露する事に抵抗があるんだろう。警戒心が強いんだ」


 ロッシェのバカー!!

 シャイルの説明を聞いて、詩織は再度心の中で叫んだ。

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