26 孤独
「陛下」
廊下からそう声がかけられたのは、クラストと国王が執務室へ戻った直後だった。
「シャイル・キリングです。今日の報告に参りました」
「入れ」
国王が答えると、クラストが中から開けるより早く、扉のノブが動いた。執務室へと入ってきた人物は、すぐ近くに立っているクラストを軽く一睨みすると、澄ました顔をして国王の前に歩み出る。
彼の失礼な態度はいつもの事なので、クラストも何事もなかったかのように部屋の奥へ戻った。
クラストは知らない。自分がシャイルに一方的にライバル視されている事に。
二人は家柄・年齢が近かった事もあり、小さい頃から何かと比較される事が多かったため、シャイルの方は物心ついた時からずっとクラストを意識してきたのだ。
剣の腕、教養や知識、外見の良さ。自分の能力の高さに自信を持っていたシャイルにとって、それを簡単に超えていくクラストは腹立たしい存在だった。嫉妬心、競争心を抱かずにはいられなかったのである。
一方でクラストの方は、自分は何故かシャイルに嫌われているという自覚はあったのだが、彼の偏屈な性格は昔からだとほとんど気にしてはいなかった。
しかしそれがまた「こっちはこれほど意識しているのに、向こうは全く気にも留めていない!」とシャイルの苛立ちを煽っている事に、残念ながらクラストは気づかないまま。
「侍女は何か新しい供述をしたか?」
窓際の椅子に座ったまま国王が問う。重厚な机を挟んで向かい合っているシャイルは、その質問に「いいえ」と首を振った。
「今までと供述は変わりません」
「犯行の動機もか?」
「はい。王妃様を差し置いて、側妃様が男児に恵まれた事が許せなかったようです。あの侍女と話をすればするほど、彼女がどれだけ王妃様を敬愛していたかが分かります。いや、崇拝と言ってもいいくらいですね。今回の事件はその想いが暴走した結果でしょう」
シャイルの話に、国王は瞳を閉じて小さくため息をつく。
件の侍女は元々は下級貴族の出なのだが、『親が事業で失敗して落ちぶれ、十四の時に王都の大商人に売られる』という、なかなか悲劇的な人生を送っていた。
が、本当の悲劇はそこから。彼女は売られた先で、中年の大商人の慰み者にされていたのだ。
美しいドレスを与えられ、大商人と共に華やかな社交界にも顔を出していたが、その裏では安い娼婦などよりもよっぽど酷い扱いを受けていた。
そして、そんな彼女を救ったのが王妃だったのである。
とある貴族が開いた夜会でその大商人と挨拶を交わした王妃は、彼が連れている少女の瞳が暗く無感情である事に気づいた。
どうしても気になり側近に密かに調べさせると、少女の悲惨な境遇が浮かび上がってきて、王妃は同じ女性として助けずにはいられなかったようだ。
四年前、王妃に召し抱えられて城に入ってきたその少女は、侍女として働きながら傷ついた心と体を癒していったが、同時に自分を救ってくれた王妃に静かに、かつ深く深く傾倒していった。
そしてそんな侍女にとっては、今回の側妃の懐妊は許せない事だったのだろう。たとえ王妃がそれを喜んでいても関係ない。
侍女は『王妃至上主義』という自分の感情に従って、側妃と子どもを殺そうとしたのである。
クラストも国王も、常に王妃の後ろに控えていた彼女を見知ってはいたが、もの静かで有能な侍女というイメージがあるだけで、まさかこんな事件を起こすような人物だとは思ってもみなかった。
一番近くにいた王妃でさえ、侍女の心のうちに潜んでいた苛烈な感情を見抜く事は出来なかったのだ。
「毒の入手方法は?」
国王が端的に聞く。あの危険な堕胎薬は、もはや薬ではない。ただの毒だ。
シャイルは片手に調書を持ちつつも、手元は見ずに、王の方へ顔を向けて話した。
「それについても供述は変わっていません。薬師のロッシェ・グールから買ったと……」
シャイルたち騎士は、侍女の話を全部鵜呑みにしている訳ではない。彼女が嘘をついている可能性も考えて、他の入手ルートを探ってもいる。
しかし最初の尋問から彼女の話は一貫していて真実味があり、騎士たちもロッシェの方を厳しく追及しなければならなかった。
「で、その薬師も相変わらず容疑を認めていないんだな?」
「はい。侍女の名前も出しましたが、『そんな女知らない、堕胎薬も作った事はない』と」
二人のやり取りをクラストは黙って聞いていた。この件にほとんど関わっていないクラストが下手に口を挟むと、シャイルに睨まれる事になるからだ。
王から調査に加われという指令も受けていないし、自分は今まで通り近衛としての仕事に集中して、事件の事はシャイルたちに任せておくしかない。
まさか詩織が容疑者の一人として獄舎に監禁されているとは知らないクラストは、悠長にそんな事を思っていた。
「新しく報告できる事と言えば……」
そこでシャイルは言うのを迷うようにためらった。いつも自信に溢れている彼の珍しい光景に、クラストも注目する。
「あまり大した情報ではなく、陛下のお耳に入れる必要も無いほどなのですが……」
一応報告はしなければならないけれど、あまり言いたくない。というように口ごもるシャイル。
「よい、言え。二度と同じような事件を起こさせないためにも、この件に関しては些細な情報でも私に報告しろ」
しかし王に促されると、シャイルは観念したように口を開いた。調書に視線を落として早口で言う。
「ロッシェ・グールに部下が一人いた事が分かりました。まだ若い女です。今は獄舎の地上階に捕えており、先ほど尋問も行いましたが、残念ながら何も知らないようです。実際彼女は薬師として働き出してまだ二ヶ月のようですし、今回の事件には全く関わりはないと思われます」
あまりこの件に関しては突っ込んでほしくない。間違っても『もっと厳しく追及しろ』などという命令は受けたくない。というような空気をシャイルから感じて、クラストは軽い驚きを覚えた。
女性にキツい尋問をするのは嫌だ、という人間らしい感情が彼にもあったのか、などと失礼な事を考えながら。
シャイルといえば、情に流されず冷徹に仕事をこなすイメージだったのだ。
「それから今日、ロッシェ・グールの店を捜索し、証拠品になりそうな薬や書類を色々と押収してきました。今解析させて、堕胎薬や違法な薬を作った形跡がないか調べているところです」
シャイルは女の話題を早々に終わらせて話題を変えた。
「そうか、では引き続き押収品の解析を続けてくれ。……ところで、侍女が使った堕胎薬が何だったのかは分かったか? 余っていた茶葉の解析は?」
「はい、そちらも続けておりますが、茶葉に使われていた薬草の名前を特定するには至っておりません。少なくともこの近辺では見かけない種類の薬草ですので、異国から取り寄せたものかもしれません。侍女は、ロッシェ・グールから堕胎薬として買っただけだから薬草の種類までは知らない、と」
「ふむ」
ひとつ頷くと、王は「報告ご苦労」と言ってシャイルを下がらせた。クラストはシャイルが部屋を出る寸前に、
「手が足りなければ、我々第一隊もいつでも協力する」
と、声をかけてみたのだが、
「手は足りているので君たちはしゃしゃり出て来なくてもいい」
そう辛辣に返されてしまった。気取るように顎を上げて、廊下へと出ていくシャイル。
「相変わらずだな、お前たちも」
「嫌われるような事をした覚えは無いのですが……」
苦笑する王に返事をしながら、クラストは首を傾げる。
「私は王妃のところへ行って休む。お前もそろそろ警護を交代しろ」
「はい」
そして何も知らないクラストは、その日も平和に仕事を終えたのだった。
一方、詩織はほとんど牢のような拘置部屋の中で一人、固いベッドに横たわっていた。毛布を体に巻き付けて眠ろうとするが、不安と寒さで目は冴えてしまっている。
尋問を終えた後、金髪の騎士シャイルが意外な親切心を発揮して毛布をもう一枚差し入れてくれたのだが、それでも肌寒さは拭いきれない。季節が冬へと移り変わったこの時期、暖房のない石造りの部屋は冷えきっていた。
壁の高い位置につけられた換気用の小窓から外の冷気が侵入し、詩織の頬をひやりと撫でる。
この部屋はもちろん、建物自体もとても静かで、耳が痛くなるくらい。警備の人間がいるはずだが、廊下の外に人の気配を感じられず、それがとても心細い。
世界で独りぼっちのような感覚。
『下手に出る作戦』の効果かシャイルの態度は軟化し、尋問は厳しいものではなかった。それに彼は詩織の言い分を否定する事もしなかったし、ある程度は信じてくれたようだ。
しかし今も自分がここに監禁されているということは、まだ疑いは晴れていないという事。詩織はそう考えてため息をついた。
寝返りを打って、シャイルにされた話を思い返す。自分とロッシェが思ったより大変な事態に巻き込まれていた事に、詩織は頭を抱えたくなった。
日本にいる時は毒を使って誰かを暗殺しようとするなんて、映画や小説の中だけの話だと思っていたのだが……。
王妃の侍女が、王の子どもを身ごもっている臨月間近の側妃に堕胎薬を飲ませ、流産させようとした。
それだけなら詩織には何の関係もない、城の中で起きた事件だ。
けれど捕えられた侍女は堕胎薬を買った相手としてロッシェの名を上げ、結果彼は拘束された。そして彼の店で働く詩織まで共犯を疑われているという、この現状。
泣きたくなる。
侍女の言う「ロッシェ」とは、詩織のよく知る「ロッシェ」で間違いはないらしいし——大体の年齢、髪の色や体格、両腕の刺青まで一致していて、人違いは有り得ないということだ——、これほど重大な事件に関わった容疑者だと思われているのだから、簡単にはここから出られそうにはない。
ロッシェもこの建物の中にいるのかな?
そう思ったら少し心強い気がしたけれど、暗く冷たい部屋の中では、ポジティブな気持ちはあっという間に霧散してしまう。またすぐに心細さが戻ってきた。
「クラスト……」
ぽつり、つぶやく。
夜の闇の中に彼の姿を思い浮かべ、沈んだ気持ちを浮上させようとする。
しかし今ではクラストを想う時、必ずその隣に美しい王女様が姿を現すのだ。完璧な美女である彼女は、詩織の想像の中でいつも親しげにクラストに寄り添っている。
自分がここで独りでいる間にも、二人は一緒に時間を過ごしているのだろうか?
そう思うと、胸がぎゅっとつぶれた。嫉妬ではなく、ただただ寂しい。
クラストが他の誰かのものになってしまったという喪失感に呑み込まれそうになるのだ。




