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リングリング  作者: 三国司


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24/36

24 恋は突然に

 時間はほんの少し巻き戻り、金髪の騎士シャイルが、


「私は隊長のところへ報告に向かう。すぐに戻るから、尋問の用意をしておくように」


 部下にそう言って、詩織のいる拘置部屋を去るところからもう一度。

 シャイルは薄暗い廊下を進み、石段をのぼって二階へと上がった。そこに自分の上司がいると予想して。

 そしてその予想通り、二階の一番奥の拘置部屋からは、上司含む複数人の人の気配がした。


「何度も言わせるな。知らねぇって言ってんだろ」


 苛立を抑えたような低い声が、目当ての部屋から漏れ聞こえてくる。シャイルはノックをしてから、ゆっくりと冷たい鉄の扉を開けた。

 

「隊長、戻りました」

「シャイルか」


 中には男が四人いた。シャイルと同じ騎士が三人と、『容疑者』が一人。

 シャイルの上司である近衛第四隊の隊長・オットーとその容疑者の男は、狭い部屋の中で椅子に座って向かい合っている。


「収穫はあったか?」


 オットーが振り返り、穏やかな声でシャイルに聞いた。彼は感情を荒げる事のない温厚な上司だ。

 シャイルは胸を張って頷く。


「店にあった薬、帳簿などの書類、それから畑に植えてあった薬草まで、怪しいものは一通り回収してきましたので、何か証拠になるような物がないかこれから調べさせます。それから——」

「おい、それまさか俺の店の事言ってんじゃねぇだろうな」


 話している途中で割り込まれ、シャイルは気分を害したように顔をしかめた。割り込んできたのは容疑者の男だ。シャイルは彼を——ロッシェ・グールをきつく睨みつけた。

 彼の風貌はお世辞にも上品だとは言えない。清潔感はあるし服の質もそこそこいいのだが、目つきの悪さと袖口から覗く刺青、それに本人の口調や態度が、ロッシェの印象を大きく引き下げていた。

 シャイルはロッシェを、『悪知恵のはたらくチンピラ』だと判断している。どう見たって、まともな薬師だとは思えない外見だから。

 ロッシェはまだ容疑を認めていないようだが、間違いなく”今回の事件”に関わっているはず。そう確信していた。


「おい、答えろ。俺の店をどうした」


 ロッシェが脅すように言う。その偉そうな口調にシャイルはますます苛立った。お前のような下賤の者は、普通なら私と口をきく機会さえ与えられないんだぞ、と心の中で悪態をつく。

 シャイルは上級貴族の次男であり、その家柄に強い自信と誇りを持っているのだ。


「それから——」


 ロッシェを完全に無視し、オットーの方へ視線を戻してから、シャイルは何事もなかったかのように続きを話し始めた。


「女を一人連行しました。その男の部下のようですので、共犯の可能性が高いかと」

「何だと?」


 答えたのは、オットーではなくロッシェだ。片眉を跳ね上げて、不満そうに目をすがめる。その表情に、シャイルは多少の満足を覚えた。この男にとって、あの女を捕えられた事は『嫌な事』らしい、と。

 ロッシェは眉間にしわを寄せた。


「あいつは関係ない。……つーか、俺も関係ないけどな」

「さっさと認めた方が楽になると思うがな」


 シャイルがフンと鼻を鳴らして返すと、ロッシェも応戦する。


「やってもねぇモンをどうやって認めろっつーんだ? 教えてくれよ、お坊ちゃんよ」

「何だと?」


『お坊ちゃん』呼ばわりされた怒りで、シャイルのこめかみがピクピクと引きつる。これだから礼儀を知らない庶民と話すのは嫌なのだ、と苛立った。

 しかしこのままでは口喧嘩に負けたような気分なので、シャイルは無理矢理口角をあげて余裕の笑みを作ると、こう嫌味を言った。

 

「なるほど。上司がこれなら、従業員があんな暴力女になるのも仕方がないな」


 けれどロッシェの嫌味はさらに上を行く。愉快そうに笑うと、


「何だよ、シオリに何かされたのか? まさか殴られたとか? 騎士サマが? ただの女に?」

 

 と、煽る。


「殴られてなどいない!」


 シャイルはカッとなってどなった。殴られたのではなく股間を蹴られて悶絶しただけだ、とは絶対に言えなかったが。

 ニヤニヤ笑っているロッシェを憎たらしく思いながら、奴のペースに乗せられてはまずいと、シャイルは冷静になろうとした。オットーに向き直って言う。


「……失礼しました。私は共犯の女のところへ戻って、尋問を行ってきます」

「ああ、そっちは頼んだ」


 オットーは部下の短気に苦笑しながら、頷いた。


「また殴られないように気をつけろよ!」


 部屋を出ていく寸前にロッシェが声を上げて挑発してきたが、シャイルはギリリと奥歯を噛んでそれを耐えた。心の中で散々罵りの言葉を放ちながら、だったが。


(全く本当に、部下が部下なら上司も上司だ! 信じられないくらい低能で下品で暴力的で、どうしようもない奴ら。自分たちの立場ってものを全く分かっちゃいない)


 いらいらと靴を踏みならしながら、シャイルは詩織のいる拘置部屋へと向かった。この苛立を全部あの女にぶつけてやる、という気持ちで。

 そうして詩織の事を思い浮かべていると、彼女に受けた仕打ちも最高に腹立たしいものに思えてきた。シャイルは今まで女性から暴力を受けた事などないのだ。まして股間を蹴られたことなど……。


 その時の痛みを思い出して顔を歪める。詩織の印象は、シャイルの中で『粗野な暴力女』として刻みつけられていた。

 貴族として育ち、貴族としての教育を受けてきたシャイルの周りには、彼と同じような常識とマナーを身につけた貴族の女しかいなかったのだ。本性がどうなのかは分からないが、少なくともシャイルの前では、皆しとやかで奥ゆかしい表情しか見せない。


(なのに、あの暴力女ときたら……!)


 シャイルは未知の生物に出会ったような気持ちだった。

「躾の行き届いていない野生の小猿だ、あんな女」と頭の中で呟いて、自分で考えたその例えに一人で笑った。実に的確な比喩だ、と。


 容疑者に対する拷問は基本的には許されていないし、騎士道に則って、シャイルとしても一応女である詩織に暴力を振るうつもりはなかった。

 けれどその分尋問でキツく責めて、”やられた分”をきっちりやり返すつもりではある。自分が受けた痛みと屈辱を、精神的に返してやるのだ。

 シャイルは廊下を進みながら、にやりと唇の端をあげた。

 相手があの暴力女であれば、罪悪感は湧き上がってこない。むしろ追いつめるのが楽しみですらある。


(ここへ来るまでの道中は大人しかったが、あの女は尋問中にも暴れて噛みつこうとしてくるかもしれない。なんせ野生の小猿だ。あまり酷いようなら拘束具もつけなければ)

 

 シャイルはそう考えて、嗜虐的な笑みをさらに深くした。生意気に反抗する容疑者には、応戦しなければならない。

 尋問は、ある種の戦いのようになるかもしれないが、この状況では自分の方が圧倒的に有利であるし、立場も上である。こちらが相手を痛めつけるだけ。

 と、シャイルは余裕の心持ちだった。


「用意は出来たか?」

「はい」


 廊下の先にいた部下に声をかける。負ける事のない戦を前に、シャイルは意気揚々と拘置部屋の扉を開けた。

 そして意地悪く笑うと、


「尋問を始めるぞ」


 と言い放ったのだが、見下ろした先にいる詩織の様子に思わず目を見開く。


「……!」


 シャイルが想像していたのは、黙ってこちらを睨みつけてくる生意気な女——あるいはシャイルを視界に入れた瞬間に罵りの言葉を吐いたり、椅子を投げたり、飛びかかってこようとする粗暴な女の姿だった。

 しかし今、野生の小猿は——


 

 何故か、か弱い兎になっていた。


 泣いていたのだろうか、うるうると濡れた瞳でシャイルを見上げ、怯えたように肩を寄せて椅子に座っているのだ。

 黒めがちな丸い瞳は女性らしい愛らしさをたたえ、眉は同情を誘うかのようにしゅんと垂らされている。許しを請うようにこちらを見つめる眼差しに、シャイルはいじらしささえ感じてしまった。


 一体この変化は何だと動揺する。戦う気で来たのに、その勢いを簡単にそがれてしまった。弱々しい相手の姿に、闘志がしゅるしゅるとしぼんでいく。

 暴れて危険な小猿を檻に入れる事には抵抗がないが、無抵抗で震える兎をさらに縛り上げるのは、さすがのシャイルも良心がとがめた。


「あの……」


 意を決したように立ち上がると、詩織はシャイルにおずおずと話しかけた。声すらも僅かに震えて、はかなげだ。濡れたまつげが、まばたきするたび魅惑的に艶めく。

 シャイルはごくりと唾を呑み込んだ。


「さっき、ごめんなさい。……蹴ったりして。どうか、許してほしい」


 訛りのある詩織の言葉は、シャイルにとっては聞き取りづらいだけだったはずだ。

 しかし今、そのたどたどしさを妙に可愛らしく感じるのは何故なのか。


「何度でも謝る、から。ほんと、ごめんなさい。あの……ま、まだ痛む?」

「いや、もういい」


 ちらりと下半身に視線を向けられて、シャイルはたまらずこう答えた。これほど素直に謝られると逆に恥ずかしい。一生根に持つつもりだったのに、もうその事は忘れてくれとさえ思った。


「許してくれる? 怒ってない?」


 ビクビクと怯えて心配している詩織を見て、シャイルは大声を上げて自分の頭を掻きむしりたい衝動に駆られた。今、自分の中で燃え上がっている感情が何なのかよく分からない。

 

「お、怒ってなど——」


 ——ない。

 シャイルは気づけばそう答えていた。


「よかった……!」


 心底ホッとしたように息を吐いた詩織は、瞳を潤ませて静かにほほ笑む。不安や緊張からか、その笑みはぎこちないものだったけれど、シャイルの心には大きな動揺を与えた。

 ぐらぐらと足下が揺れるような感覚。粗暴な女だと思っていた彼女も、そんな風に笑う事が出来るのだと知ってめまいがした。

 

 つい数分前まで憎らしく思っていた存在が、今ではとても……何と形容していいのか……そう、とても愛らしく思えるのだ。

 彼女に対する侮蔑も、腹立たしさも、すっかり消え失せてしまっている。

 シャイルは自分自身の気持ちの変化に戸惑わずにいられなかった。一体これは何なのだ、と。


 しかしながら、彼の心境の変化を簡潔に言い表す言葉が一つあった。



 つまり、単純に、ギャップにやられたのである。

 

 

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