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リングリング  作者: 三国司


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20/36

20 泣きっ面に

 初めてクラストと会った日の事を、詩織は思い返していた。


 強い光とともに部屋に現れた彼は、最初、ただ目を丸くして固まっているだけだった。しかしすぐに腰に携えた剣に手をかけると、視線だけを動かして狭いマンションの部屋を観察しながら、詩織の事も警戒し始めた。

 詩織が喉まで出かかっていた恐怖の悲鳴を呑み込む事ができたのは、その姿から、クラストが詩織と同じ位この状況に戸惑っている事が読み取れたからだ。

 相手も自分と同じで、訳が分かっていない。そう確信すると少しだけ冷静になれた。


「あの……」


 キッチンからおずおずと声をかけると、クラストは警戒を解かぬまま、瞬時に詩織に向き直った。下手に近づくと斬られそうな迫力。

 鋭い瞳でこちらを睨みつけてくるクラストに、詩織は今朝道ばたで見かけた野良猫に言ったのと同じ言葉をかけた。


「大丈夫……何もしないから」


 さすがに「ちょっと撫でるだけだから」までは続けなかったが、言ってから、どうして私の方が侵入者を安心させようとしているんだと自問した。

 クラストはしばらくじっと詩織を注視したが、やがて剣からそっと手を離した。

 ちなみにこの時の事は、後でクラストから律儀に謝られた。本気で斬りつける気などなかったが、何の罪もない——それどころかむしろ被害者の女性に剣を向けようとしたなんて、と。


「あの、あなたは一体……。今のはどういうマジックですか? そしてそれはコスプレ?」


 つまりマジシャンのコスプレーヤー? コスプレーヤーのマジシャン? クラストの正体を推察しながら詩織は聞いた。

 が、返ってきた言葉に眉根を寄せる。


「*****?」


 日本語でもなければ、英語でも中国語でもない。聞き慣れない言語だった。何を言っているのか、まったく、さっぱり分からない。


「***、****?」


 困った……。詩織は途方に暮れた。

 クラストは何かを詩織に尋ねている風だったが、自分の言葉が通じていないと分かると、諦めたように口をつぐんだ。部屋を改めて見回し、テレビやエアコンといった見慣れない電化製品に不審な目を向けた後で、また詩織に視線を戻す。

 そうして相変わらずその場に固まったまま、戸惑うばかりの詩織に、


「*****」


 一言声をかけて軽く頭を下げると、くるりと体を反転させて窓の方へと向かった。カーテンを開けると外は暗かったが、周囲の建物の明かりが景色を賑わせていた。クラストは鍵に多少手こずりながらも窓を開け、狭いベランダへと出ていく。


「ちょ、ちょっと?」


 何をするつもりなのかと混乱する詩織の前で、クラストはベランダの手すりに足をかけた。ちらりと下を確認して「いける」と思ったのか、そのまま飛び降りようと——


「だ、駄目ッ! 無理だから! ここ三階ですッ!」


 詩織は慌てて駆け寄ると、クラストの上衣を引っ張った。


「**、***」


 必死で引き止める詩織に、クラストが困ったような顔を向ける。しかし大人しくベランダへと降りると、引っ張られるまま部屋へと戻った。


「あ、危ないでしょ、あんな所から飛び降りたら……! 大体、出入り口はちゃんと向こうにあるし……っていうかあなた、そんな格好で外に出たら、確実に職務質問されるよ。ほら、ちょっと座って……一旦落ち着こう、あなたも私も……。あ、ブーツは脱いで。日本の家は土足厳禁です」

「*****!?」


 そう言って、可愛らしい水玉のカバーがついた座布団にクラストを座らせながら、詩織は彼のブーツを脱がしにかかったのだった。


 今思い出しても、あの時の自分の行動はおかしかったと詩織は思う。出ていこうとした不審者を、再び家に引っ張り込んでそのまま留まらせたなんて、と。

 ベランダから飛ぼうとするのを止めても、その後クラストをドアから追い出さなかったのは、何だか彼が世間知らずの危なっかしい人間に思えたからだ。

 日本社会というか、現代社会で生きていくルールや常識を知らないように見えた。顔立ちはそれっぽいけれど、『外国人』というには少し奇妙で、そのまま外へ出すと何かトラブルを起こしそうな気配がプンプンしたのだ。


 しかしかくして、詩織がそれまで自分でも気づかなかったほどのお人好しっぷりを発揮することで、二人の共同生活は幕を開けたのだった。

 


 詩織の中では、クラストとの生活は楽しかった思い出しかない。言葉や文化の違いから起こるハプニングすら、面白いと思えた。

 詩織は人見知りをするタイプだったが、あかの他人であるはずのクラストには何故か心開けた。

 フィーリングが合う、という言葉がしっくりとくるような関係。何をやったって馬が合わない人間もいるが、クラストはその反対だ。

 一緒にいて落ち着くし、居心地がいい。詩織はそう思っていた。



 最初のうち、二人の会話はほとんど成立していなかった。言葉が通じないのだから仕方がない。

 

「****、**?」

「ん?」


 会話をする時、クラストが何を伝えたいのか察するため、詩織は彼とよく目を合わせなければならなかった。相手の瞳や表情を見て気持ちを読み取るしか方法がないから。

 しかし相手は、『神が創りたもうた最高芸術作品』みたいな完璧な顔をしているのである。最初は必死だったので何も思わなかったが、生活を初めて四日、五日と経ってくると、詩織はクラストをじっと見つめる事が恥ずかしくなってきたのだ。

 視線を合わせても、大抵いつも三秒でギブアップ——つまり顔を赤くして、目をそらすのだ——せざるを得なかった。


 そして詩織のそんな反応に、クラストは最初戸惑っていたようだった。目をそらされる事で、少し傷ついていたのかもしれない。

 しかし何度かそんな事が続くと、やがてクラストは何かを悟ったようだった。詩織が目をそらす直前、その頬がいつも上気している事に気づいたらしい。


 それからクラストは爽やかな悪魔と化した。

 詩織が顔をそらそうとすると頬に手を添えてさりげなくそれを妨害したり、顔を覗き込むように至近距離で視線を合わせて、詩織を熟したリンゴのように真っ赤にさせたり。

 クラストは詩織の事を、異性に対する免疫がない奴だと思っていたに違いない。


 単にからかわれているだけだと自分にいい聞かせながらも、しかし詩織はクラストの一挙一動に動揺しないではいられなかった。言葉が通じない分、身体的な接触が多かったから尚更。

 冬休みの課題で疲れていた時、「大丈夫か?」と言いたげに何気なく頭を撫でられてそわそわしてしまったり、たまたま料理本に載っていたエッグタルトを作った時、感動したように抱きしめられて——これは言葉が通じるようになってから聞いた事だが、クラストの国にも全く同じお菓子があるらしい——、心臓が爆発しそうになったり。


 それまで平坦な道を歩んできた詩織にとって、クラストとの暮らしは刺激の強いものだった。ある意味、とても心臓に負担のかかる生活だったし、自分の感情の振れ幅に戸惑う事もあったが、しかしそれは決して嫌なものではなかった。

 こんな女の子らしい感覚が自分にあったのかと、嬉しい発見をする事もしばしば。毎日心が弾むような生活。


 クラストと過ごした時間は、宝物のように詩織の心の奥でキラキラと輝いている。


 しかしその輝きが、今では少し眩しくて目に痛い。

 クラストの姿を思い浮かべると同時に辛くなる。燃え尽きた心臓は脆くなっていて、これ以上のダメージを受けると簡単に粉々になってしまいそうだった。


 


 パレードの翌日、詩織はいつものように店に出た。

 ロッシェも店にいたのだが、彼は昨日から変に優しくてちょっと気持ち悪い。詩織を泣かせた事を、一応気にしているらしい。しかし腫れ物に触るように扱われるのは少し不快だったが。

 ロッシェは屋根裏部屋から降りてきた詩織の目元をちらりと観察して、泣きはらした跡が無いと分かると、あからさまにホッとしたようだった。

 そうして確認するように言う。


「大丈夫か?」


「何が?」と返して意地悪しようかと思ったが、そんな元気も無いのでやめておく。


「うん」


 と、それだけ返して仕事に取りかかった。

 実際、泣いたのはパレードのあの時だけ。一晩中泣いて翌日には目を腫らす、というのが失恋のお約束だと思っていたので、思ったより淡白な自分の反応に拍子抜けした気分である。


 けれど失恋の痛みの現れ方は、人それぞれなのだろう。むしろ一晩泣いて気持ちを切り替えられるのなら、そっちの方がいいと思えた。

 詩織の場合、昨日から胸の奥におぼろげな暗い影が存在し始めた。それは騒がしく暴れる事も無いけれど、そこに深く根をはって、簡単には消えてくれそうにない。


(新しい恋をしたら、この影は消えてくれるのかなぁ)


 そんな事をぼんやり思って、ふと、今一番近くにいる異性を見る。金を勘定する姿がとても良く似合う、ロッシェである。

 視線を感じたのか、ロッシェは硬貨を持ったまま動きを止めた。詩織はため息をつく。

 

「ないなぁ……ロッシェだもんなぁ……」

「何か分からんが、腹立つな」


 ロッシェへの感情を言い表す言葉は難しい。「好き」という言葉は少しズレている気がするのだ。もちろん好きか嫌いかで言えば好きなのだが、腹の立つ事も多いし……。

 詩織にとってロッシェは、優しくない保護者であり、ほぼ完璧な上司でもある。薬を作る技術と知識、その頭の良さは尊敬もしている。

 けれど素直に尊敬している事を認めたくないような、そんな複雑な感情。

 とにかく恋愛に発展するような関係ではないのだ。


 新たな恋の相手を見つける事は難しそうだから、クラストの事は自分の中で少しずつ忘れていくしかない。詩織はそう決心した。

 



 その日も次の日も、詩織はひたすら仕事に集中した。

 余計な事——クラストの婚約の事を考えたくないというのもあるが、失恋を理由に仕事をおろそかにしたくはなかったから。

 もし仕事も失ってしまえば、この世界で生きる心の支えを詩織はほとんど全てなくしてしまう事になる。それがとても恐ろしかった。

 

 しかし悪い事というのは続くものだ。


 詩織の失恋が決定したパレードから三日、路地裏の薬屋は突然主を失った。



 ——ロッシェが行方不明になったのである。

 

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