15 前哨戦
詩織が使いに出てから数分と経たず、店に客がやって来た。やる気なさげな雰囲気でカウンターに座っていたロッシェは背もたれから体を起こすと、接客用の声で静かに客を迎える。
「いらっしゃい」
客は二人。眼鏡をかけた白髪の紳士と、背の高い銀髪の男。どちらも上品な身なりをしていて、この店にやってくる地元の住民たちとは身分が違うように感じた。
若い男の方は鋭い瞳でこちらを観察している。
(つーか、こいつ……騎士か?)
ロッシェは眉間にしわを寄せた。剣こそ携えていないものの、男の背格好や雰囲気からそれは間違いない。ただ、今は仕事中ではないようだ。
ロッシェは『クラスト・オーフェルト』の名は知っていたものの、今店にいる男がその英雄だとは気づかなかった。興味が無く、凱旋パレードなどは一切観に行っていないため、顔は知らないのだ。
じっと騎士の方を注視していると、彼の前に立っていた白髪の男の方が柔和な笑顔を浮かべてロッシェに話しかけてきた。
「こんにちは。あなたがこの店のご主人ですか? 私はシラバスと申します。先週注文しておいた薬を受け取りにきたのですが……」
「シラバス? あんたが?」
ロッシェはさっと白髪の男に目を移した。彼がシラバスだということは、詩織の『すごく年上のおじいさん』発言は間違いではないという事になる。
「なんだ、嘘じゃなかったのか」
シラバスに惚れたのがバレると恥ずかしいから、ごまかすために嘘を言っているのだと決めつけていた。てっきり、まだ若い青二才の、しかし顔はそこそこの医者のボンボンが来るものだとばかり……。
不本意ながら詩織の保護者的な立場になってしまっているロッシェとしては、そんな男が来たら少し脅しておかねばと思っていたのだ。詩織はよほどのんびりとした国に住んでいたのか、どこか危機管理の甘いところがあって、危なっかしいと感じる時も多々ある。
本人に自覚はないようだが、基本的に隙だらけ、むしろ隙しかないような状態なので、体目当ての男がそこにつけ込んでくるとも限らない。
しかし今見る限りシラバスは悪い男には思えなかったし、詩織の方もまさか本当に彼に惚れていたりはしないだろう。ロッシェはあっさりとシラバスを警戒対象から外した。
しかし若い騎士の方はまだ駄目だ。ロッシェは思う。詩織があれほど浮かれていたのは、シラバスに会えるからではなく、この美形騎士に会えるからでは? と。
先週、薬の注文を受けた時にもこの騎士はシラバスと共に来店していて、その時に一目惚れした可能性もある。
「ええっと、注文されていた薬ですね」
ロッシェは用意していた薬をカウンターに出しながら、さてどうしようかと考えた。
詩織には自分が戻るまで彼らを引き止めておくように頼まれている。この騎士もそれほど不誠実な人間には見えないし、詩織の淡い恋心をニヤニヤと見守りたい気持ちもなきにしもあらずだ。「店を辞めて彼の所へ行く!」などと言われてはたまらないので、決して応援はしないが。
(騎士か……)
ロッシェは頭の中で呟いた。シラバスは医者ということだが、騎士を伴っているということは、騎士団に属する医者なのだろう。
詩織には悪いが、騎士団とはあまり関わりたくないというのがロッシェの本音である。
彼が密かに売っている媚薬や精力剤は、体や精神に悪い影響を及ぼすものではないし、中毒などになる事もない。本当に合法的な薬なので、騎士団に目を付けられて調べられたって構わないのだ——ロッシェ自身は。
しかし客たちは違う。ロッシェの裏の顧客には、名の知れた貴族や商人といった大物も多い。そして彼らは、自分たちに関する噂にとても敏感だ。体裁を気にし、表で繋がりのある人々には、自分たちが媚薬を使う好き者であるとはバレたくないのである。
しかも顧客たちの中には、ロッシェの作る薬では飽き足らず、もっと効果のキツい違法な薬に手を出している者もいる。叩けば埃の出るような人間がちらほらといるのだ。
そういった者たちは皆、騎士団の人間がこの店に出入りするのを喜ばない。探られて、いやらしい薬を使っているという噂が流れたり、捕まったりするのが怖いから。
きっと騎士団の人間が店に出入りしているという事を知ったら、裏の顧客の多くは離れていくに違いない。
ロッシェはシラバスに薬を用意しながら、小さくため息をついた。シオリの奴、大口の客を捕まえたかと思ったら、かなり面倒くせぇ部類の客じゃねぇか、と。
シラバスが店の常連になったとしたら、薬の売り上げが今より大幅にアップするのは間違いない。しかしそれは、『表の健全な薬』の売り上げに限った事だ。
騎士団専属医が店の常連になったと知られれば、裏の顧客たちは離れていき、そちらの売り上げは激減する。
何食わぬ顔をしながら、ロッシェは冷静に計算した。シラバスをとるか、裏の顧客をとるか。
そして決めた。やはり裏の顧客をとった方がいいと。シラバスをとれば、店の総売り上げは今より落ちる。
「注文されていた薬です。量が多いので、少し重いですよ」
ロッシェがカウンターに薬を全て出し終えると、「私が」とクラストが歩み出て、大ビンに入ったそれらを軽々と持ち上げた。
「ここの薬は品質が良いという事なので、使ってみるのが楽しみですね」
シラバスはほほ笑むと、「ところで……」と話題を変えてロッシェを見る。
「この前注文を受けて下さった女性の薬師の方は、今日はいらっしゃらないのですか?」
「ああ、彼女なら今、使いに出てもらっています」
「そうですか。タイミングが悪かったですね」
シラバスは隣にいるクラストをちらりと見上げ、
「君も忙しい身ですし、今日のところは帰りましょうか。これから先、この店を騎士団御用達にさせてもらう可能性もありますし、彼女と面会する機会はまたいくらでもあるでしょう」
「その事ですが……」
シラバスとクラストとの会話に、ロッシェが割って入った。騎士団御用達という言葉に、ぴくりと片眉をあげながら。
「あなた方が騎士団の関係者ならば、申し訳ないですが今後の取引はできかねます。もう店には来ないで頂きたい」
丁寧ながらもはっきりとしたロッシェの物言いに、シラバスは戸惑いの表情を浮かべ、クラストはスッと目をすがめた。そして厳しい口調で言う。
「我々に来られると、何か困る事でもあるのか?」
「いえ、困ると言うか……」
ロッシェはわざとらしく首をすくめ、苦笑した。
が、次にはにやりと不敵に笑って言う。
「個人的に騎士サマが嫌いというだけですよ」
挑発的な言い方に、クラストの瞳も鋭さを増す。
「なるほど。我々は後ろめたい事をしている者にほど嫌われる傾向にあるが、貴方もそうだと考えても?」
「ははは、それはとんだ言いがかりです」
和やかな話し方だが、両者の間には目に見えぬ火花が散っていて、シラバスを困らせた。
ロッシェは「このくそガキ、馬鹿じゃなさそうなだけに面倒くせぇな」などと思いながら、この一瞬の間に考えた適当な嘘をつく。
「昔、騎士サマに女を盗られたんですよ。だから嫌いだという、ただそれだけです」
「本当にそんなささいな理由で薬を売らないのか? 我々は店にとってはいい客だと思うが」
クラストの目は、まだロッシェへの疑惑に満ちていた。本当の理由は他にあるのではないか。裏で何か悪い事でもしているのでは? という目だ。
しかしロッシェはそんな視線くらいでは怯まない。堂々と嘘を続けた。
「ええ、それだけの理由で売らないんですよ。今でも、騎士と名のつく奴は皆憎たらしくてしょうがない。高潔な騎士サマからすれば女を盗られたくらいでと呆れるでしょうが、俺にとっては大事な女だったのでね。本当に愛していたんですよ」
自分で言いながら鳥肌を立てつつ、ロッシェは哀れな男を演じる。クラストの方を見つめて、
「騎士サマにも、そんな女がいるのでは?」
と、話を振った。
「いるのなら、俺の気持ちも分かって頂けるでしょう?」
外見から判断してクラストはおおいにモテそうだったし、一人の女に執着するような性格でもなさそうだった。だから返ってきた反応にロッシェは少し驚き、笑いそうになった。
「……」
無言である。クラストはロッシェの言葉に言い返す事もせずに苦い顔をしていた。胸の痛みに耐えるかのように、眉間に深いしわを寄せていたのだ。
どうやら彼にも想い人がいるらしい。彼女が他の男に盗られる場面を想像して、あんな顔をしているのだろう。ロッシェはそう予想をつけて、ぎゅっと唇を噛んだ。——笑いをこらえて。
「……帰りましょう」
自分の想像に落ち込んだ様子のクラストが、生気のない暗い声でシラバスに言った。もうロッシェの事などどうでもよくなったようだ。
シラバスは困惑しつつ、「え、ええ。そうですね」と頷いた後、ロッシェの方に向き直って、
「それでは我々はこれで。残念ですが、ここへはもう来ないように致しましょう。もう一人の、薬師の女性にもよろしくお伝えください」
そう丁寧に挨拶をして、哀愁漂うクラストと共に店を出ていった。
「……変な騎士」
カウンターで一人ぽつりと呟いたロッシェは、まさかその変な騎士の想い人が自分の部下だとは思いもつかなかったのだった。




