14 クラスト来たる
その日、クラスト・オーフェルトはいつものように国王の側に付き、いつものように近衛の仕事を全うしていた。
国王は今年で五十三歳になるが体を動かす事が好きで、暇ができると狩りに出かけたり、配下の騎士相手に剣を振るったりと元気で活動的だ。
体格はがっちりとしていて性格は快活、一見するとおおざっぱな印象も受けるが、実は勤勉でマメな人物であり、クラストも彼を尊敬している。
このような主に仕えられるのは騎士として最高に幸せな事だと思っているが、しかし毎日を過ごす中で、どこか満たされない気持ちもあった。
三年前、地球からこの世界に戻ってきた瞬間から、それはずっと続いている。
昼食をとるため私室に向かって城の廊下を進む国王。そしてその後ろに、クラストたち近衛騎士も付き従う。途中ですれ違った侍女たちは、一行が通り過ぎるまで廊下の端によって頭を下げていたが、
「クラスト様、いつ見ても素敵よね」
すれ違い終えた後で、ひそひそと話す声が聞こえてきた。驕っている訳ではないがこういう事は日常茶飯事なので、クラストは表情一つ変えずに聞き流した。
「いいなぁー、モテて」
心底羨ましいといった口調で、隣にいる同僚が言う。が、それもいつもの事なので同じように聞き流す。
こういう事を言うとその同僚に「贅沢者め!」と怒られるのだが、多くの女性に好意を持たれたって、本命の女性に振り向いてもらえなければ何も嬉しくはない。
しかもクラストの場合、振り向いてもらおうにも相手は違う世界の住人なのだから尚更むなしい。
「クラストさん」
背後から足音が聞こえたので振り向けば、若手の騎士がこちらに駆けてきたところだった。小声で声をかけられて、歩みを止めないまま「どうした?」と返す。
「シラバス氏がお呼びです」
「先生が?」
思いがけない人物からの呼び出しにクラストは面食らった。騎士団専属の医師であるシラバスの事は、昔からよく知っている。向こう見ずだった若い頃に、よくケガをしては世話になっていたからだ。どちらも貴族の出なので、家の方の繋がりもある。
それにガレルの召移魔術で日本から戻ってきた後は、数日間シラバス監視の元で養生していたりもした。送召移魔術の副作用などがないか調べられたのだ。
クラストが異世界に行っていた事は公には秘密にされているので、シラバスは国王、ガレルなどと並んで、その事実を知る数少ない人物でもある。
しかし今、自分がシラバスに呼ばれる理由は分からなかった。
「あぁ、そういえば……」
困惑しているクラストに、前を歩いていた王が声をかけた。
「シラバスにお前を貸してくれと頼まれていたんだった。昼の休憩ついでに行ってこい」
「……了解しました」
訳が分からないままクラストは頷いた。シラバスが呼んでいて、国王も行ってこいと言うのだから、行かないわけにはいかない。同僚たちに後を任せて、クラストは足早に廊下を進む。
ノックをして医務室の扉を開けると、シラバスはそこでクラストを待ちかまえていた。
「やぁ、オーフェルト君。元気ですか?」
「ええ、元気ですが……。何か私にご用でしたか?」
クラストが問うと、シラバスはいつものように穏やかにほほ笑んで答えた。
「久しぶりに昼食でも一緒にどうかと思いましてね。街の方まで食べに行きませんか? もちろん私がごちそうしますよ」
「……では、お言葉に甘えて」
珍しいなと思いながらも、断る理由もないので素直に誘いを受ける事にした。医務室を出た二人は、シラバスの用意した馬車に乗り込み、王都の街へと向かう。
「しかし何故急に?」
街の大通りに着くと、クラストは先に馬車を降り、後から降りてくるシラバスの手を支えながら聞いた。
「たまにはいいじゃないですか。君が英雄と呼ばれるようになってからは、ゆっくりと話せる機会も減りましたしね」
シラバスは杖をついて背筋を伸ばすと、「私の馴染みの店に行きましょう」とクラストを先導した。
クラストは護身用の短剣を身につけていたが、いつも腰に携えている剣は置いてきていたし、人目をひく騎士服の上衣も脱いで今はベスト姿だ。仕事で街へ出た訳ではないから、なるべく周囲の注目を集めたくないと思っての事だった。
しかしクラストの銀髪や整った容姿は、日本でなくとも目立つ事に変わりはない。彼が通りを歩くと、街の住民たちがざわめいた。
「まぁ、見て! あれって……」
「クラスト様よ」
「英雄だ」
「本当に素敵!」
女性たちは遠巻きにぼうっと見惚れているが、少年などは遠慮なく近づいてきて握手をせがむ。一通り握手を終えると、飯屋の主人に「お代はいいから、是非うちで食事をしてくれ」と腕を引っ張られた。しかしそれを丁寧に断って、クラストはシラバスを追う。
「相変わらず人気者だ」
シラバスに言われ、クラストは苦笑した。
「嬉しく思うべきなのでしょうが、困る時も、少しだけ面倒だと思う時もあります」
「英雄と言えど人間ですから、それは当然でしょう。君はよく対応している。大通りを歩くと目立って仕方がないですから、裏道を行きましょうか」
二人は周囲の喧噪をまくように、路地へと入っていった。
シラバスの馴染みの店で美味しい食事に舌鼓を打った後、
「少し寄りたいところがあるのですが、付き合ってもらえますか?」
そう持ちかけられ、クラストは「もちろん」と受け入れた。東地区へと移動して、少し怪しい雰囲気の路地を進む。こんな所に何の用があるのだろう。そうクラストが思っていると、
「オーフェルト君は、薬師の若い女性に知り合いはいますか?」
唐突にシラバスから質問された。
「薬師、ですか……?」
「ええ、まだ十代後半らしき女性……というか少女というか。しまった、名前を聞いておけばよかったですね。言葉遣いや容姿から異国の方のようでしたが、周辺各国ではあまり見ない顔立ちでしたので、どこか遠方から来られたんだと思いますよ」
「若い異国人の、女性の薬師ですか? いえ、その条件に当てはまる知り合いはいませんが……その方がどうかしたのですか?」
「実は今向かっている薬屋にその女性がいるのですが、私は彼女から頼まれているのですよ。君に会わせてほしいと」
シラバスは少し申し訳無さそうな顔をして振り向いた。
「そういうことを言ってオーフェルト君に近づこうとする女性は多いでしょうし、君もうんざりしているかもしれません。だけどその薬師の女性は嘘を言っているようには見えなかったのでね。本当に君の知り合いのようなのです。一度会ってあげてくれませんか?」
なるほどシラバスの本当の目的はこちらだったのかと納得しながら、クラストは笑って頷く。
おそらくその女性は愛らしい容姿か性格をした人なのだろう。シラバスはこう見えて、実は可愛らしい女性に甘いのだ。今はもう孫もいるが、若い頃はモテて色々とやんちゃもしたと聞く。
「分かりました。私が忘れているだけで知り合いの可能性もありますし、会ってみます。どのみち、彼女のいる店はもう近いのでしょう?」
「ええ。最初にこれを言うと昼食すら付き合ってもらえない可能性がありましたので。後出しのようで申し訳ないですが」
シラバスも笑い、そして続けた。
「一応言っておきますが、彼女と会ってほしいという私の頼みを断りづらくするために昼食をごちそうしたのではないですよ。君は普段とても忙しそうですので、純粋にねぎらいたかっただけなのです」
「ありがとうございます。おっしゃる通り、近衛の仕事をしていてはなかなかゆっくり食事をとる時間もないので、いい息抜きになりました」
「それはよかった……ああ、ここですよ」
薬屋という看板のついたこじんまりとした店の前で、シラバスがふと足を止めた。
「この店の薬の評判を聞いたので、前に訪れた時、傷薬などを注文しておいたのです。今日受け取る予定なのですが……」
話しながら店の扉を開けるシラバスに続いて、クラストも店の中へ入る。
「いらっしゃい」
カウンターには人相の悪い男が座っていて、温和な声で挨拶はしたものの、どこか探るような視線で素早くこちらを観察してきた。
クラストも同じように、探るような視線をカウンターの男に向ける。第一印象は『そこら辺にいるチンピラ』だが、よく見てみると男らしい整った顔立ちをしていたし、落ち着いた空気をまとっていた。
だからと言って薬師らしいかと聞かれれば、答えは「否」だ。やはり怪しい雰囲気がある。
この店には件の女性しかいないとばかり思っていたが違うらしい。シラバスもこの男と面識はないのか、一瞬戸惑ったようだった。しかしすぐにほほ笑みを浮かべると、穏やかな声音で男に話しかける。
「こんにちは。あなたがこの店のご主人ですか? 私はシラバスと申します。先週注文しておいた薬を受け取りにきたのですが……」
「シラバス? あんたが?」
男は何故か驚いたようで、軽く目を見開いてシラバスを見た後、「なんだ、嘘じゃなかったのか」などと独り言を呟いた。




