13 再会チャンス
詩織の住まいである狭い屋根裏部屋にあるのは、ベッドと衣装入れ、それに鏡台だけ。どれも小さめの中古品だが、ただボロいだけではなく、アンティークっぽい雰囲気があって詩織は気に入っている。
「ふふふ」
朝起きて顔を洗い、身支度を整えると、詩織は鏡台の前に座って静かに笑った。一昨日辺りから、ふとした瞬間にこうやって笑みが漏れ出てしまうのだ。別に頭がバカになったわけではない。『今日』が楽しみ過ぎて笑ってしまうだけ。
(やっとクラストに会える……!)
シラバスが店に来てから一週間。今日、彼はクラストを連れて、注文していた薬を受け取りに来る予定なのだ。
詩織は鼻歌を口ずさみながら、髪をとかし始めた。わくわくと弾む心を抑えられない。今にも踊り出してしまいそうな心境だ。もしクラストが自分の事を忘れていたらどうしよう、という不安すら、大きな期待に呑み込まれてしまう。
「クラスト、変わってないかな」
しかし鏡に映る自分の頬が桃色に染まるのを見て、詩織はハッと気を引き締めた。
昔の『知り合い』に会うだけで、何をそんなに浮かれているんだ、と。
クラストが詩織の恋人だった事など一度もない。
今日彼と再会した時に、自分だけが舞い上がってはしゃいでいるなんて恥ずかしいではないか。クラストも迷惑に思うかもしれない。愛想よくしつつも、冷静に、クールにいこう。
そう思いつつも、喜びの感情は後から後から泉のように湧き上がってくる。詩織は鏡台の上に乗せていた香油入りの小ビンを取ると、それを丁寧に髪に塗り込んだ。これで髪はつやつやになるし、毎日十分睡眠をとっているおかげか肌の調子もいい。目の下のクマも無し。
「ふふ……おっと」
また笑い声をこぼしてしまった唇を押さえ、詩織は階下へ向かった。
「浮かれてるな」
店へと降りた瞬間、一足早くそこで開店準備を進めていたロッシェに、開口一番そう言われた。そんなに分かりやすい顔しているだろうかと、詩織は両手で自分の頬を覆う。
「別に、普通。浮かれてない」
「ふーん」
疑うような視線を向けた後で、ロッシェは店の扉の鍵を開けに行った。彼は知らないのだ。今日この店にこの国の英雄がやって来る事も、その英雄と詩織が顔見知りだという事も。
しかし彼は聡い。
「そういや何日か前から浮ついてたよな、お前。落ち着きがないっつーか。……今日、何かあるのか?」
かまどに火をおこしながら、びくっと肩を震わせる詩織。別にクラストが来る事がバレたっていいのだが、あまりにもズバリと言い当てられたので思わず動揺してしまったのだ。
そしてその分かりやすい仕草を目に映すと、ロッシェは少し考えた後でカウンターの上の帳面をとった。ペラペラとめくって、今日の日付を探す。
「今日の予定と言えば、例の医者が薬を取りに来るくらいだけどな。お前が注文を取った……」
そう言ってロッシェがチラリと詩織の方へ視線を向けると、彼女はまたもやビクリと体を揺らしていた。帳面を置いてにやりと笑うロッシェ。
「何だよ、その医者がいい男だったのか?」
「……ち、違う! シラバスさん、すごく年上。おじいさん!」
素敵な紳士だけど、さすがに恋心は持たない。
しかしロッシェは、またもや疑惑の目を詩織に向けた。
「へぇ、おじいさんね」
照れた詩織が、シラバスの年齢をごまかしているとでも思ったのだろうか。ロッシェは、シラバスが初老の紳士だという情報を全く信じていないようだった。
「ほ、本当に違う! シラバスさん、ただのお客さん!」
「ふーん」
気のない返事をして、ロッシェは煙草に火をつけた。
何か変な誤解をされていると思いつつ、まぁ別にいいかと、ため息をつく詩織。必死で否定すればするほど、怪しく思われるのがオチだ。
+++
「今日、ロッシェ、外出ない?」
時刻は正午。詩織は作業台の上で昼食をとりながら、向かい側に座ってスープを飲んでいる男を見た。
昨日ロッシェは珍しくずっと店にいたから、今日はいつものように出かけるんじゃないかと思ったのだが、今、彼にその様子はない。新しい媚薬も昨日作ったし、それを売りに営業に行ってもいいはずだが……。
「俺が今日店にいちゃ、何か不都合でもあるのか?」
こちらをからかうような表情をしながら、しかし不機嫌な声でロッシェが言った。
そしてそんな彼を見て、その思惑をすぐに悟る詩織。
(ロッシェ、今日はずっと店にいるつもりだ。”初老”のシラバスさんが来るの待ってるんだ、絶対)
たぶん興味本位なのだろう。
しかしシラバスがおじいさんなのは本当なので、ロッシェに見られたって別に構わない。むしろ見てくれれば、おかしな誤解も解けるだろう。
詩織は野菜と干し肉の入ったスープを飲み干すと、壁にかかっている時計を見上げた。この前シラバスが来たのは夕方だから、今日もそのくらいの時間に来るのだろうか?
食器を片付け始めた詩織を見て、まだパンをかじっているロッシェが言う。
「食い終わったんなら、ちょっとお使い頼まれろ」
「えぇー」
不満げな顔をして詩織は唇を尖らせた。いつもならお使いくらいいくらでも行くが、今日はなるべく店にいたいのに、と。
しかし雇われている身でわがままも言えない。眉根を寄せて「不服です」という思いをあからさまに顔に出しながらも、詩織は渋々聞いた。
「お使い、何?」
「ププット、五つ」
ロッシェが手のひらを開き、指を五本立てる。ププットというのはこの国でよく出回っている果物の名前だ。普通は皮をむいて食べるのだが、ロッシェはその皮の方が欲しいのだろう。ププットの皮には血流を良くする働きの成分が含まれていて、色々な薬に使えるから。詩織としても、今や馴染みのある果物の一つである。
ロッシェから金を受け取り、マイバックならぬマイ籠を持って出かける準備をする。シラバスたちが来るであろう夕方までにはまだ時間があるし、ププットを扱っている果物屋までは急げば往復で二十分をきれる。さっさと行って、さっさと帰ってくればいい。
けれどクラストに会える千載一遇のチャンスをうっかり逃したくはなかったので、念には念を入れ、詩織はロッシェにこう頼んだ。
「もし、シラバスさんたち来る、ちょっとだけ待ってもらって。私、帰るまで、引き止めるお願い」
えらく熱心だなと呟きながらも、ロッシェは「わかった」と頷いた。それを見た詩織は安心して、
「じゃ、行って来る」
と、足早に店を出ていったのだった。
しかしシラバスが店に現れたのは、まさにその直後だった。——詩織が駆けて行ったのとは反対の方向から、銀髪の騎士を伴って、タイミング悪く。




