12 秘密の薬
「これ、ありがと。とても助かった」
シラバスが店に来た次の日、詩織は完璧に乾かした外套を持って城へ来ていた。いつものように門の脇に立っている明るい茶髪の門番に、丁寧に畳んでおいたそれを手渡す。
本当は何かお礼の品も持参すべきかと思ったのだが、生憎と今の詩織にはお金の余裕がなかった。こちらでの生活に必要な物を揃えるのに、貰ったばかりのお給料を全てつぎ込んでいるせいだ。
もう少し生活が安定したら、また改めてお礼に来る。そう詩織が付け加えると、
「い、いや……別に礼なんて」
詩織が現れてから何故か動揺し始めた門番は、どもりながらもそう言って外套を受け取った。
「なんか変。平気?」
詩織は首を傾げて、様子のおかしい彼の顔を覗き込んだ。
が、門番はそれを避けるように思いっきり体をのけぞらせた。背後の壁に背中をぶつけつつ、わたわたと言う。
「だ、大丈夫! 別に何も変なことなんてない」
「……そう」
いやすごく変だけど、と思いつつ、詩織も体を引く。急に近づかれたのが嫌だったのかもしれないが、そんなにあからさまに避けなくてもいいのにとショックを受けながら。
今まで「クラストに会わせろ」としつこくしたから、嫌われてるのかもしれない。そう予想した詩織は、
「じゃあ、さよなら。ごめんね。それ、本当、ありがとう」
もう一度礼を言って、長居はしない方が良いとその場を後にした。クラストの事はシラバスに頼んであるから、もう彼にしつこく追いすがる必要はない。今まで仕事の邪魔して悪かったな。そんな事を考えながら。
「あ、待っ……」
名残惜しげに言う茶髪の門番の声と、その後に続く「ぷふッ……」という相方の門番の堪えるような笑い声は、足早に城から離れた詩織に届く事はなかった。
詩織が店に戻ると、閉めたはずの鍵が開いており、中ではロッシェがカウンターで煙草を吹かしていた。朝出ていったっきり、今日も夕方まで帰ってこないものだと思っていたのだが……。
「あれ? ロッシェ、何でいる?」
「店主が自分の店にいちゃ悪いかよ」
店の売上を確認しながら、気だるげな口調で言う。
「だって、珍しい」
「お前が外へ出るって行ってたから、留守番しに戻ってきてやったんだよ。で、どこへ行ってた?」
ロッシェの口調は荒いが、そこには詩織を責めるようなニュアンスもなければ、探るような感じもなかった。むしろ詩織が一人で出歩く事を心配している様子だ。それを感じたからこそ正直に話したかった詩織だったが、
「ちょっと……大通りの方、まで」
と、ごまかした。「城に行った」と言えば、「何しに?」と返される事は分かりきっていたから。
「ふぅん」
特にこちらを疑うようなそぶりもなく、ロッシェは帳面をめくっている。
自分が異世界から来たこと、クラストと顔見知りであることをロッシェに言うべきか、詩織は大いに悩んでいた。しばらく一緒に生活して、ロッシェの事は見かけによらず信頼できる人物だと思い始めているが、秘密を打ち明けるべきかは迷いどころである。
クラストの話を思い返す限り、魔法のあるこの国でも、異なる世界を行き来するような魔術は一般的ではないらしい。異世界の存在など普通は皆信じていないようだから、ロッシェもきっとそうだろう。
「私、異世界から来たんです。クラストとも知り合いで……」などと彼に言ったところで、「異世界? 英雄と知り合い? 何言ってんだ」と呆れられるだけで、今以上に状況が良くなるとは思えない。
ロッシェの方も詩織の故郷の事などは深く追求してこないし、あまり興味もないようだったので、異世界トリップの事やクラストの事は必要だと感じた時に打ち明ければいいのかもしれない。そう詩織は決めた。
「そういえばオドムの実とカレソン、リッコリー、仕入れといたぞ。昨日、医者から注文受けたってやつ。ザルに広げて、裏庭に干してあるからな」
パタン、と帳面を閉じ、煙草の煙を吐くロッシェ。
「分かった」
大口の注文が入ったことで、昨日からロッシェの機嫌は良いように思えた。対応した詩織のことも褒めてくれ、「ケーキを買ってやる」とも言っていたのだ。
その約束をロッシェが忘れていない事を願いつつ、詩織は仕事に取りかかる。上着を脱いでエプロンをつけると、かまどに置いた鍋に薬草を入れていった。
これはシラバスに注文を受けたものとは違う、また別の薬だ。ロッシェに言われて、前にも一度作ったことがある薬。
水と数種類の薬草に多めの蜂蜜を加えて煮た後、それを濾して薬草のカスなどを取り除く。残った薄黄緑色の透明な液体に色粉を加え、出来上がったのは……。
「いつ見てもアレな色」
日本語で呟く。冷ました薬を美しいガラスの小ビンに入れると、濃いピンク色の液体が妖しく揺れた。
ロッシェにレシピを教えられ、「この通りに作れ」と言われただけなので、一体何の薬を作らされているのかは分からない。
しかしこの薬が他の薬と違う事は分かる。まず第一に、この薬は後でロッシェに回収され、店頭には並ばない。わざわざ色を付けるのも、蜂蜜を加えるのも、凝ったガラスの小ビンに入れるのも他とは違う。蜂蜜はその殺菌効果を狙って保存料代わりに入れているのかとも思ったが、単純に薬に甘味をつけるのに使われているようだ。
(そろそろ聞いてもいいかなぁ。正体の分からない薬を作るのって、怖いんだよね。使われてる薬草からして、毒じゃあないと思うけど)
そんな事を思いながら、カウンターの椅子に座って難しそうな本を読んでいるロッシェに目をやる。相変わらず、健全な薬屋とは思えないガラの悪さだ。
「ロッシェ、質問」
ピンクの液体をスポイトで小ビンに流し入れながら、意を決して詩織は声をかけた。「あ?」と、これまたガラの悪い返事をかえされても怯まない。それが彼の普通の口調なのだと、今では分かっているから。
「これ、何? 何に効く薬?」
ガラスの蓋を閉め、小ビンを手に持って揺らす。
「聞きたいか?」
「聞きたい」
「聞いたら後戻りできねぇぞ」
「……」
やっぱ聞くのやめようかな〜と冷や汗をたらす詩織に、ロッシェは意地悪く笑った。
「そんなにビビるな。それはただの媚薬だ」
「ビヤク?」
「そ。性欲を増幅させて、体の感覚を鋭くさせる薬だ」
「……もっと簡単に」
「夜の行為に使う薬だっつーの。女に飲ませる場合が多いな」
詩織は小ビンの液体を凝視し、沈黙した。いや、色なんかからして、なんとなく予想はしていたけれども。
「蜂蜜使う、わざと?」
詩織は顔を上げてロッシェに聞いた。この薬を作るといつも、頭がくらくらするような甘ったるい香りが店内に漂うのだ。蜂蜜は少し値段のはる良品を多めに使っているから、濃密な花の芳香が広がって思考をとろけさせる。
詩織の目のつけどころに満足したかのように、ロッシェは唇の端をあげた。
「そうだ。わざと甘い味と匂いをつけてある。”いかにも”な色をつけるのにも意味があって、見た目や味から、薬の効果が高そうだと思い込ませるためだ」
プラシーボ効果ってやつね、と詩織は納得した。ただのラムネ菓子でも本人が風邪薬と信じていれば、体調が回復する事があるという。
実はこれの他にも用途の分からないまま作らされていた薬があって、そっちはドロリとした濃い液体を真っ赤に着色し、紫色の唐辛子のようなものを混ぜてピリリとした辛みをつけたものだった。この際だからそっちの薬の詳細も聞いておこうと、詩織は口を開いた。
「じゃあ、もう一つの……ドロドロの赤い薬、効果、何?」
「あっちは精力剤だな。男が元気になる薬」
「あー……あぁ」
としか言えない詩織。私は知らない間にそっち系の薬を作らされていたのね、と軽く落ち込む。
「あのー……一応聞きたい。これ作る、犯罪違う? 私、捕まらない?」
「大丈夫だ。効果が強すぎて、飲んだヤツが狂うような薬だと罰せられるけどな。うちのはわざと効果を抑えてある。犯罪なんてリスクを冒さなくても、金は儲けられんだよ」
ならよかった、と詩織は胸を撫で下ろした。この事に関して、ロッシェの言う事は信頼できると思う。頭のいい彼なら金を稼ぐ方法はいくらでも思いつくはずだから、その中でわざわざヤバい薬を売るという危ない橋は渡らないはず。
そんな事を考えながら、ふと詩織は気づいた。ロッシェがよく外出しているのはこの薬を売りに行っていたからなのかも、と。
それを問うと、ロッシェは本から視線を離さず軽く頷いた。
「馴染みの客のところを回りつつ、その繋がりで新規の客も開拓してる。お前と初めて会ったホテルで俺が一緒に食事をしていた娼館のオーナーも、うちの薬を買ってくれてる客だ」
忘れかけていた記憶が蘇って、詩織は顔をこわばらせた。
しかしロッシェって、そんな外回りの営業みたいな事もしてたのね、と感心もする。だから店の方に来る客が少なくても、あまり焦っていなかったのだろう。
「なんだかんだ言って、金を稼ぐなら性関係が手っ取り早い。おまけに店に来る普通の客と違って、”そっちの薬”を求める客は裕福な奴が多いからな。多少のボッタクリ価格でも売れる売れる」
悪い笑みを浮かべるロッシェを見て、詩織は「本当にこの人の元で働いていていいのか」と不安になった。
いや、踏み外しちゃいけないところは踏み外してないみたいだし、たぶん大丈夫。ただお金が大好きで、金持ちからそれを搾取する事には罪悪感を感じていないというだけで……。と、詩織は自分を勇気づけてみたが、あまり勇気は出なかった。
だけどロッシェが本当にお金のことしか考えていないのなら、最初から”そっちの薬”に絞って商売をし、この店は開いていないはずだ。店に置いてある薬は良心価格だし、前にロッシェがお金の足りない子供に薬の代金をまけていたのも見たことがある。
だから大丈夫。ロッシェは本当はいい人……。
「おい、シオリ。その薬は丁寧に扱えよ。馬鹿な金持ちから金を巻き上げる大切な薬だからな」
たぶん、いい人?




