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リングリング  作者: 三国司


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10 不毛な恋

「なにを鼻歌なんて歌いながら、かまどで料理なんてしちゃってるの?」


 かまどなんて日本にいた時は見た事もなかったのに、と、詩織は眉間にしわを寄せた。


(この世界で楽しい毎日を送っている場合じゃない。馴染んでる場合じゃないのよ。私は日本に帰るんだから)


 そう考えている自分自身に、しかし詩織はふと疑問を持った。こちらでの生活が楽しく充実しているというのなら、何故帰る必要があるのだろう、と。


「いやいやいや……その考えは何か……駄目な気がする」


 故郷に帰りたいと思うのが、人としての普通の感情なのではないだろうか。別に日本に帰らなくても大丈夫なんて、自分がとても薄情な人間に思えた。

 

 だけどここには仕事がある。楽しくてやりがいがあり、給料もそこそこ良い仕事が。それが詩織の心をこの世界に引き止めているのだ。

 薬を作るこの仕事は、いわゆる『手に職』系の一生ものの仕事。今ロッシェにクビを言い渡されたって、薬草についての知識は他のところでも通用するはず。食いっぱぐれる心配はない。

 だが、はたして日本に戻って、もう一度こんな仕事に就けるだろうか? そんな風に詩織は思うのだ。


 日本の事で気がかりなのは、両親の事くらいだろうか。いくらお互いが一番大事なラブラブ夫婦でも、娘が行方不明となるとさすがに心配するはずだ。彼らに辛い思いをさせるのは嫌だった。日本に帰って、自分は元気でいると知らせてあげたい。


「でも、逆にそれだけなんだよね。日本に帰らなきゃって思う理由……」


 椅子に座り、皿の上の野菜炒めをフォークでいじりながら、詩織はひとり呟く。

 

「それで、こっちの世界に残りたいと思う理由は……」


 まずは仕事。やっと得た仕事を手放したくない。

 

「それにクラスト」


 二週間もまるっと忘れておいてなんだが、こうして思い出してみると、彼の存在感は詩織の心の中でどんどんと膨らんでいくばかりだ。


「会いたいな……」


 ポツリとこぼした。

 今では詩織も仕事を得ているし、助けてほしいとか、頼らせてほしいとかいう訳ではない。

 ただ、どうせ同じ世界にいるのなら、「久しぶりー、元気?」なんて世間話でもしたいではないか。一緒に暮らした三ヶ月の事を、笑いながら思い返したりしたい。


 クラストは詩織が淡い恋心を抱いていた相手でもある。その彼が三年でどう変わっているのかも見てみたかった。同窓会で初恋の人に再開するような心境にも似ている。

 だけど英雄相手に、恋人になりたいなんて望まない。

 が、友達のようにたまに会って話せれば嬉しいなと思う。それだけで、こちらでの生活はきっともっと楽しくなるはずだから。

 

 そして、もしクラストの知り合いの魔術師を紹介してもらえるのなら、日本へ戻れるすべがあるのかどうかを聞くのだ。あると言われたら、そこで改めて日本へ帰るか、この世界に残るかを決めればいい。詩織はそう考え、


「じゃあとりあえず、今の私の一番の望みは『クラストに会う事』ということで決定」


 独りごちた後、食事を始めた。




 そして次の日、詩織はさっそく午後から半日の休みを貰って、クラストに会いに行く事にした。ロッシェも朝から出かけているので、店はお昼で閉店だ。

 

(本当にロッシェって何やってんだろ。店ほったらかし過ぎじゃない?)


 詩織はそんな事を考えつつ、『準備中』の札をドアノブにかけ、鍵を閉めて店を後にした。

 今日で詩織は脅威の十五連勤なのだが、疲れなどはほとんどなかった。日本での仕事と違って、ストレスやプレッシャーが少ないからかもしれない。朝は早いが、夜は日が落ちると同時くらいに店を閉めるから、睡眠もたっぷり取れる。


(いいよなぁ、こういうスローライフ)


 同じ一日でも、日本よりこちらの世界の方がゆっくりと穏やかに時が流れている気がした。

 ただ、やはり不便な事も多い。冷蔵庫や洗濯機が無いとか、主な交通手段が徒歩だとか。

 近場へ行くのなら徒歩でも運動になっていいが、片道二時間となると……。

 詩織は街の向こうに見える城を見つめて、遠い目をした。しかし馬には乗れないし馬車はお金がかかるし、という訳で歩かなければ仕方がないのだ。

 詩織は諦めたようにため息をついて、足を踏み出した。




「よーし、着いた!」


 大きな城を目前にして、詩織は喜びの声を上げた。二回目だからだろうか、前回より早く着いた気がする。おそらく二時間もかかっていない。

 前と同じように正面へ周り、門のある方へと向かう。そこには槍を持った二人の門番が立っていたのだが、そのうちの一人の顔に詩織は見覚えがあった。


「あ、この前と同じ人」


 明るい茶髪の背の高い青年。なんだかバスケ部にいそうな感じだと詩織は思った。


「違う人の方がよかったな。あの人絶対、私の事クラストのファンだと思ってるもの」


 ボソボソとそんな事を呟きつつも、仕方なく手前にいる彼の方へ進む。向こうもこちらの顔を覚えていたようで、詩織を見ると、


「また来たのか?」


 と、少し笑って呆れたように言った。こちらの目的が知られているのなら、話は早いと喜ぶべきか。


「こんにちは」


 詩織はぺこりと頭を下げた。


「今日もクラストさんに会うために?」

「そう。クラスト、会いたい」

「残念ながら今日クラストさんはいないよ。国王陛下についてエディウェラまで行ってる。あと二、三日は戻ってこないんじゃないかな」

「えー……」


 エディウェラというのは、どこかの地名なのだろう。詩織はがっくりと肩を落とした。せっかく仕事を休んだというのに、クラストがいないのなら、完全に無駄足だった。


「じゃあまた、クラスト、戻ってくる頃に——」

「——来たって無駄だよ」


 詩織の言葉を、バスケ部風の門番が勝手に引き継いだ。ちょっと笑って、詩織をおちょくるように。

 ムッと顔をしかめて、詩織は相手を睨む。


「なぜ」

「俺が取り次がないから」

「なぜ」

「君みたいなファンをいちいち取り次いでいたら、クラストさんの迷惑になるから」

「私、ファン違う。知り合い」

「あー、この前も言ってたね、それ。けど熱狂的なファンって、そういう嘘ついてもクラストさんに会おうとするからなぁ。信じられないな」


 詩織はずっとしかめ面をしているのに、相手は終始ニヤニヤ笑っている。完全にこちらを舐めきっていて、あしらうついでにからかわれているのだ。

 詩織は相手に威圧感を与えられるように怖い顔をして言った。


「いじわる」

 

 騎士ってもっと、女性とか子供とかには絶対的に優しくて丁寧で、もちろんこんな意地悪とかしなくって、誠実で真面目で、背後に花しょってるイメージだったのに。少なくともクラストはそう……

 そこまで考えて、いや、と考えを改める。

 そうでもなかったかもしれない。クラストは優しかったけど、何故かたまに変な意地悪スイッチが入ってたし、華はあるけど花はしょってなかった。

 

「別に意地悪で言ってるんじゃないよ」


 門番は肩をすくめて、詩織の”睨み”にビビっているふりをした。


「ただ、英雄に恋をしたって不毛だろ? 最初から望みなんて無いんだからさ。だから俺は、君をその不毛な恋から救ってあげようとしてるんだよ」


 そう言って、冗談ぽく笑う。

 詩織はつんと唇を尖らせて門番を睨みながらも、『不毛な恋』という言葉にほんのちょっぴり心をえぐられていた。


 た、確かに不毛だけどさ。と心の中で呟く。

 現時点ではクラストが私の事覚えてるのかさえ謎な訳だし。

 だけど別に私は、”今も”クラストに恋をしているわけでは……ない、はず。たぶん。


 彼との共同生活を送っている時は毎日ドキドキしていて、恋をしている自覚もあったが、今は違うはずだと詩織は思う。

 あれから三年経って多少気持ちも落ち着いたというか、相手が英雄になってしまっていることもあって、恋心を持つ事さえはばかられるというか。

 日本では、クラストは詩織を頼らざるを得なかったから一緒にいてくれただけで、この世界ではまったく相手にされないだろう。そう冷静に分析する事もできる。


 と、そんな事を考えている詩織の顔に、ぽつりと雨粒が落ちてきた。弱い雨が降り始めてきたのだ。


「雨……」


 詩織は灰色の空を見上げた。街へ戻るまでに本降りにならないといいけど、と心配になる。クラストも城にはいないらしいし、今日はもう帰った方がよさそうだ。

 詩織は門番をキッと睨みあげて、


「じゃ、帰る。けど、また来る。覚悟しておけ」


 ロッシェの口調を真似てそう宣言し、体を反転させた。

 けんか腰で捨て台詞を吐いた以上、ここはさっさと立ち去りたかったのだが、


「ちょっと待って」


 後ろから門番に腕を掴まれ、引き止められた。ちょっと言い過ぎたかと、内心ビクビクしつつ振り返る。

 しかし門番はすぐに詩織の腕を離すと、「ここで待ってな」と言って門の脇にある詰め所に走った。そうして戻ってきた彼の腕には、何やら白っぽい色のコートのがかけられていた。


「雨が降ってきたし、これ貸すよ。雨用の外套。予備のやつだから使って」

「え?」


 思わぬ親切に、詩織は二度まばたきを繰り返した。


「貸す? 私に?」

「ああ、風邪を引くといけないだろ? あんまりどしゃ降りだと中まで水がしみてくるけど、これ位の小雨だったら十分防げるからさ」


 ええー、なんだ、いい人じゃんー! などと思いながら、詩織はその外套を有り難く受け取った。


「ありがと、借ります。とても助かる」


 男性用だからか外套はサイズが大きくて、詩織が着るとブカブカだった。裾は足首の辺りまで届き、フードもついているので本当に合羽のようだ。

 詩織はフードをかぶると、門番に向かってふわりとほほ笑んだ。


「さっき、『いじわる』言ってごめんね」


 全然意地悪な人じゃなかったね、と心の中で付け加えて、「じゃあまた来る」と手を振り、雨の中を街に向かって歩き出す。





「おい」


 詩織のほほ笑みを受けたまま固まってしまっているバスケ部風門番に、相方の門番が声をかけた。彼は喋らなかっただけで、ずっと側で二人のやり取りを見ていたのである。

 そして今、耳まで赤くしている相方を見て悟った。

 あ、惚れたな、と。


「英雄に恋してる女の子に恋するなんて、不毛だぞ」


 ぼそっと呟いて忠告すると、


「ばっ……馬鹿か! 誰が恋なんて……!」


 彼は面白いくらいに顔を真っ赤にして、わたわたと狼狽しつつ必死に恋心を否定したのだった。


 

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