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(仮題)異世界に里帰り  作者: 吉田 修二
3章 王国の闇
27/29

2 王女来訪

前回の続きです。

前話よりもセシリアの内面(とうか思考)を描写していますが……その分、内容の割りには文字数がちょっと多めです。


「……着いた、か……」


 視界に入ったオルグの街を前にして、セシリアは呟いた。

 王都からこの街に辿り着くまで、実に20日ほどが経っている。もっとも、移動のみに要した日数は、実質10日でしかない。

 余分に掛かった10日分は、疲労回復のための休養日、街で食糧などを補給するのに消費した時間も含まれている。

 そして女の一人旅は無謀に過ぎることは自覚していたため、近隣の街に赴く商隊に混じり、移動を重ねてきた。

 そうそう都合の良い商隊はそれほど無く、数日浪費したこともあった。


 だからこそ、余計に感慨は深い。この街からすべてが始まるのだ、そう思えばなおのことだ。


「よお、どうした婆さん?」


 明るく声をかけられ、我に返ったセシリアは、ふと右を向く。

 商隊を護衛する冒険者――確か名前はウィルとかいったか――が、邪気のない笑みを向けていた。

 深く被ったフードの中、小声で起句を呟き、返答する。


「いや、ようやく着いたかと思って、少しばかり感慨深くなってのう」


「ははっ、ようやくも何も、たった3日の旅だろう?」


「そのたった3日でも、老骨には厳しいのじゃよ」


 先ほどセシリアが使ったのは、風の中級魔術【チェンジ・ボイス】だ。その効果で、彼女の声は老婆のそれになっている。

 普段はフードを深く被り、手袋を嵌めているため、疑われることはほとんどないが、念のため、最初の出会いでは光の中級魔術【ミラージュ】を使い、容姿も老婆へと変えている。

 ――ちなみに、【ミラージュ】は王宮と王都を脱出する際にも大いに活用した。

 どちらも効果時間に比例してMPを消費するため、無口で偏屈な老婆を演じることで会話の機会そのものを減らしているが、ウィルはどうやら社交的な性格のようで、どれだけ冷たくあしらっても声をかけてくる。

 おそらく、本物の孤独な老婆にとっては有り難い存在なのだろうが、セシリアにとっては迷惑きわまりなかった。


「オルグに着いたらどうするんだ?」


「孫娘がいるのでの。そちらの世話になろうと思っておる」


「へえ! お孫さんがいるのか! どう? 可愛かったりする?」


「……儂の孫が可愛いかどうかなど、お主には関係なかろう」


「いや、まあ、そうなんだけど……」


 口ごもるウィルを無視し、セシリアは一方的に会話を打ち切った。

 

(……こいつ、面倒臭いのう。どうせ妾が死んだ祖母に似ておるとか、そんな理由なんじゃろうが……。

 はてさて、容姿と声と態度、一体何が似ておるのじゃろうな?)


 敬虔なエルミナの信徒であるセシリアは、与えられたピースから真実を導き出そうと考察しかけたが、導かれる結論がかなりどうでもいい事に気付き、考えるのを止めた。





 問題なくオルグの門をくぐった一行は、その場で解散した。


 大通りを歩きつつ、セシリアは独り呟く。


「――さて、どこを探したものかの」


 この街での探し人は2人いる。

 当初の予定だった1人は有名人のため、居場所を探すのにはそれほど苦労しないだろう。

 だが、もう1人の方は皆目見当が付かない。分かっているのは名前だけで、エルミナと関わりがあるであろうと推測できるだけ。


「ふむ……神殿で聞くのが手っ取り早そうじゃな。というか、それしか思いつかん。

 それよりも、今は確度の高い方から探すべきかの」


 結論づけると、セシリアは周囲を見渡した。

 都合の良いことに、冒険者風の少年がこちらに歩いてきていた。

 鉄の鎧で胴体を覆い、背中には剣の柄が見えている。腰にはやはり剣――いや、優美に反り返ったその形状は、ヤーマンで愛好される独自の剣、『刀』か?――を佩く、黒髪の少年だ。


「――もし。少し聞きたいのじゃが」


「ん?」


 声をかけられた少年は、視線をセシリアに向けた。


「………………………………」


 瞬間、時が止まったように感じられた。


 少年の容姿が格別に整っていたから、というわけではない。

 いや、前言と矛盾するようだが、確かに整ってはいた。

 のっぺりとした顔立ちの、典型的なヤーマン人の特徴ではあったが、それでも各個のパーツの調和が素晴らしく、イルス人であるセシリアにも、彼の容姿の素晴らしさは理解できた。

 だが、王女であるセシリアにとって、整った顔立ちの者など見慣れている。

 優れた容姿を持つ者の血を掛け合わせて生まれた貴族は、そのほとんどが平民に比べれば美形揃いだった。

 だから、セシリアが息を呑んだのは、彼の容姿そのものではない。


 セシリアが惹き付けられたのは、彼の瞳だ。

 どこまでも黒く、どこまでも深い。それでいて、その芯には強い光が輝いている。

 黒は闇だが、虚無ではない。光は強いが、触れれば焼き尽くされるような苛烈さはない。

 まるでそれは、出来たての宇宙そのものだった。長い長い、気の遠くなるほど長い時を経、ようやく生まれた始まりの光。

 出来たての宇宙を覗き込んでいるような、興奮と背徳感。

 それこそが、セシリアの時間を凍らせていた。

 

「……あの。どうしたんですか?」


 かけられた声に、ようやくセシリアは忘我の縁から舞い戻った。


「あ、ああ……すまぬな。少しぼうっとしていたようじゃ」


「はあ。……それで、何か用ですか?」


「……おお、そうじゃった。

 お主は冒険者じゃな? 獣剣姫アスタが今どこにいるか、知らぬかな?」


「じゅうけんき……? ……まあ、『獣の剣姫』で獣剣姫なんかな。なら、あのアスタさんか。

 んー……それを聞いてどうするつもりなんです?」


「あやつとは古い知り合いでの。少しばかり話があるのじゃよ」


「知り合い、ですか。

 ――何か、それを証明するような物は……って、よく考えたら出された物が証拠かどうか判断できんわな」


「――ふむ、なかなか用心深いの。結構な事じゃ。

 じゃが、考えてもみよ。獣剣姫アスタの存在は、この国――少なくともこのオルグに住む者にとっては有名じゃ。

 仮にお主がアスタの居場所を告げなかったとしても、わら――儂は大して困らぬ。

 お主から聞けなかったのなら、他の誰かから聞けば良いだけのことじゃ」


「……まあ、それもそうですね。

 仮に貴方が刺客だったとしても、アスタさんなら何とかするでしょう」


「ほほう。ずいぶんとあやつを信頼しておるのじゃな」


「信頼……するほど親しくもないんですけどね。

 でも、アスタさんの強さは理解できますよ。なにせ、俺が逃げた魔物をあっさり討伐しちゃうくらいなんですから」


「ふむ。興味深い話じゃが……結局のところ、教えてくれるのか、くれぬのか?」


「あー、はいはい。教えますよ。

 アスタさんは、赤熊亭って宿屋に泊まってます」


 渋った割りにはあっさりと居場所を話し、ご丁寧にそこまで送ってくれると言う。


「有り難いのじゃが……仮に、儂が刺客だったとしたらどうするのじゃ?」


「そんときは、貴方の背中をばっさりやるんで問題ないかなぁ、と」


 事も無げに告げる少年の目を、セシリアは再び覗き込んだ。


 ――目にはいささかの曇りもない。先ほど見た光にも揺らぎはない。


「……ほう。つまり、いざとなればお主は刺客の刺客となると。そう言うのじゃな?」


「まあ、可能なら。無理でも、盾になるくらいは出来るでしょう」


 つまりは、それが少年にとっての責任の取り方であるらしかった。


「貴方がアスタさんの知り合いかどうかなんて、俺には判断できない。

 だから、アスタさんが利用してる宿まで案内はしますし、アスタさんが居るようであれば取り次いでみます。

 でも、顔合わせには俺も立ち会わせて下さい。

 それでアスタさんが問題ないって言うようなら、さっさと帰りますから」


「つまりはアスタ次第、ということかの。

 じゃが、たとえば儂が仇としてアスタを狙っており、それを本人が負い目に思っておったらどうじゃ?

 儂に殺されるため、あえてお主を遠ざけようとするのではないか?」


「さすがにそこまでは責任持てませんよ。

 それに、本人が死にたいのなら、死なせてやるのが正しいんじゃないですかね」


「……存外冷たい男なのじゃな、お主は」


 思わず呟いたその言葉に、少年は苦笑で応えた。


「目の前で殺されそうになってたら、そりゃ助けますよ。

 助けてくれって言われたら、やっぱり助けようとするでしょうね。

 でも、俺もアスタさんも冒険者です。

 冒険者ってのは、何よりも『自由』な存在だと思ってます。――まあ、実際には色々しがらみはあるわけですけどね。

 好きなところに行って、好きなものを食べ、好きなときに寝て、好きなときに起きる。

 そんな『生きる自由』は、どんな冒険者だって持っている。

 なら、『死ぬ自由』があっても良いんじゃないですかね」


「……ふむ。なかなか興味深い意見じゃが、仮にも英雄と呼ばれた者には、そう簡単に『死ぬ自由』を行使されては困るの」


「そうですかね? ……英雄ってのも、面倒なもんですねぇ」


 心底同情したように呟く少年を、セシリアはしばしまじまじと見つめ――思わず吹き出していた。


「くくく……い、いや、失礼。じゃが、お主は面白いのう!」


「は、はあ。お気に召したのなら何より」


 戸惑いながらも礼を言う少年の様に、ますます笑い転げるセシリア。


 そういえば、裏表なく笑い転げるのは何年ぶりだったろうか――なんて事を考えもしたが、すぐに忘れた。





 しばらくして笑いの発作が治まったセシリアを連れ、少年は街を歩く。

 その足取りには迷いがなく、少年自身、目的地には通い慣れていることを窺わせた。


 そう考えたセシリアは、そこでようやく、少年の名前を聞いていないことに気がついた。


「のう、少年」


「――ん? 何です?」


「少年は――」


 ――何という名前なのか。


 そう聞こうとして、止めた。


 実のところ、少年の名はおおよそ想像が付いている。

 根拠と呼ぶべきものはほとんどない。「そうであって欲しい」というセシリア自身の願望が大半だ。

 だが、小さなヒントはエルミナがいくつか漏らしていた。


 ――エルミナは、『彼』が魔術を使うかどうか不安がっていた。

 『彼』が魔術師ならば、不安に思う要素は無いと言っていいだろう。戦闘に、生活に、魔術を使わないはずがないからだ。

 つまり、『彼』は魔術に頼らずとも生きていける。使えることは使えるが、それは選択肢の1つでしかない。


 ――『彼』の名前は、ラフィール大陸では珍しい響きを持っている。

 まったく同じ例が無いとは言わないが、その響きはヤーマン人の名前に近い。

 おそらく大陸に渡ってきたヤーマン人か、その子孫だろう。つまり、ヤーマン人の特徴である、黒髪黒目を持っている可能性が高い。


 そして何より、あのエルミナが――感情よりも理性と知識を重んじる『女神』が、ただのヒトに心を寄せるはずがない。


 神とヒトとでは、その存在の有り様が違いすぎる。

 神が己を信仰する者に加護を与えるのは、その信仰心が神という存在を支えているからだ。

 神にとっての信仰心とは、言うなれば、ヒトにとっての食事のようなものか。

 だが、ヒトとは違い、神は『食事』が無くとも死ぬことはない。ただ、行使できる力が減るだけだ。

 神にとってのヒトとは、食を提供する料理人であり、食材を作る農夫であり、――そして極論すれば、料理であり、食材そのものだ。

 ヒトは獣の肉を食う。だが、獣に人並みの知性と理性があり、会話まで出来たとしたら、果たしてそれを食材と見なすことが出来るのだろうか。

 それを食わなければ死ぬのならば話は別だが、もしも他に食べるものがあるとすれば、他のものを食べようとするのではないだろうか。

 だが、神はヒトを喰う。喰わなくても死なないのに、己の力を維持し、あるいは高めるために。

 それについての是非やセシリアの感想はともかく、ただ1つ確かなことは、「ヒトと神とは対等ではない」という厳然たる事実だ。


 にもかかわらず、エルミナは『彼』に心を寄せている。

 それは――意識的にか、無意識の内にかは知る由もないが――エルミナは、彼を自身と対等と見なしているということだ。

 そんな存在が、ごく普通の人間であることなど有り得まい。


 もちろん、それらは少年が『彼』であるという推論の根拠としては弱すぎる。

 それを自覚していながらもなお、セシリアは自身の推論が正しいと直感していた。


 ――初めて少年の瞳を覗き込んだ瞬間の衝撃が、そうであると告げていた。



「……いや、何でもない」


「え、そうなの? あからさまに何かありそうなんだけど……まあ、いいか」


 少年は不思議そうな顔をしたが、気にしないことにしたらしく、再び前を向いて歩き始める。


 ――そう、結論を急ぐ必要は無い。


 エルミナの言っていた『彼』とは、いずれ必ず会うことになる。

 セシリアにとって、それはもはや確定した未来だった。

 もちろん、偶然が偶然を呼んで、などという展開は最初から期待しない。

 望む未来を引き寄せるため、最大限の努力を支払う。ただそれだけのことだ。

 6年前、妹が倒れたあの日から、セシリアはそうして生きてきた。

 そして、その生き方をこれからも変えるつもりはない。


 それでも――その結果を期待するくらいのことは、許されるだろう。





 程なくして、赤熊亭に辿り着いた。

 外観は――アスタほどの冒険者が定宿とするには役不足としか言いようがないが、旅の途中で泊まった宿屋とほぼ同ランクだ。

 おそらく、中身やサービスもそれに準じているのだろう。


 少年に続いて宿の扉をくぐる。

 真っ直ぐにカウンターに向かった少年は、中に居た女将にアスタの呼び出しを依頼した。

 女将は露骨に面倒そうな顔をしたが、奥にいた小間使いらしい少女に声をかけ、迎えに行かせた。


「運が良かったですね。今日は居るみたいです」


 待ち時間が暇だったのか、少年が声をかけてくる。


「ほう? 普段は何をしておるのじゃ?」


「さあ……でも、優秀な冒険者ですからねえ。西へ東へ大忙しなんでしょう」


「……ふむ。つまりは、未だあやつは『英雄』なのじゃな」


「んー……その『英雄』ってのがどういう意味なのかは分からないですけど、優秀な冒険者であることは間違いないですね」


 とりとめもない世間話をしていると、やがて小間使いの少女を先頭に、1人の女性が姿を見せた。


 頭部にある、一対の猫科の獣耳。プライベートのためか、黒いジャケットにパンツというラフな恰好だったが、背に背負ったミスリル製の大剣には見覚えがある。

 最後に会ったのは6年以上前だったから、その容姿も大きく変わってはいたが、確かにあの頃の面影はある。


 アスタはセシリアを胡散臭そうに一瞥した後、鋭い視線で少年を射貫く。


「――わざわざ呼び出すとは、一体何の用だ」


「あー、お休み中でしたか。すみません。

 ええと、実は用があるのは俺じゃなくて、この人なんです」


 少年が示した手に促され、セシリアは一歩前に出る。


「――久方ぶりじゃな、アスタ」


「……誰だ、貴様は」


 親しげに声をかけるセシリアに、アスタは露骨に不審そうな目を向けた。

 まあ、それも当然だろう。

 今のセシリアはフードをすっぽり被って顔を隠し、声は老女のそれに変えている。これで正体を察しろという方が無理がある。


 慌てず騒がず、セシリアは左手の手袋を取って見せた。

 やはり魔術により老婆のそれと化した左手の中指には、赤い宝石があしらわれた指輪が嵌められている。

 それを一瞬ちらりと眺めたアスタの目が、みるみるうちに丸くなる。


「……まさか、ご本人なのですか?」


「ふむ、残念ながらその姉じゃ。

 ――まあ、事情があってのう。その辺りも踏まえて、『色々と』話したいところなのじゃが、構わぬか?」


「も、もちろんです。場所は……申し訳ありませんが、私の部屋でよろしいでしょうか?」


「うむ、もちろんじゃ。――なに、ここに来るまでは同じような宿に泊まってきたからのう。それほど気にするようなことではないよ」


「わ、分かりました。ご案内いたします」


 再び自室に戻るため、背を向けるアスタ。

 セシリアは脱いでいた手袋をはめ直し、いつの間にか自分の背後に移動していた少年に振り向く。


「――どうじゃ? 言ったとおり、儂はアスタの知り合いじゃったろう?」


「そのようですね。――じゃあ、俺はこれで」


 苦笑しながら肩をすくめ、宿から出ようとする少年。

 その背に、セシリアは声をかけた。


「少年。お主もここに泊まっておるのか?」


「そうですよ。それが何か?」


「ふむ。……ちなみに、帰りはいつごろになる予定かの?」


「まあ、今日は換金だけで、依頼を受けるつもりはないですからね。遅くとも夕方頃には」


「なるほど。……ああ、引き留めて悪かったの。気をつけて行ってくるが良い」


「街の中で気をつけるも何も……ああ、ここはそれほど治安が良くなかったっけ。なら、気をつけるに越したことはないか。

 忠告、ありがとうございます」


 ぺこりと頭を下げ、立ち去る少年の背を見送りながら、セシリアは小首を傾げていた。

 オルグの街が、特に治安が悪いという報告は聞いたことが無い。もちろん、逆に良いという報告も聞いたことは無いが。

 つまりは、イルス王国の中でも平均的な治安の街である、と思っていたのだが……そうでもないのだろうか?

 それとも、彼の故郷である(と思われる)ヤーマンは、この街以上に治安が良いのだろうか。


「……ふむ。気になることは気になるが、今は脇に置いておいた方が良さそうじゃの」


 1人呟き、推測を一端中断すると、セシリアは待たせることになってしまったアスタに慌てて追いついた。



 案内されて入ったアスタの部屋は、こう言ってはなんだが、酷く質素だった。

 もちろん、中にはベッドとクローゼット、机に椅子といった最低限の家具はある。

 だが、それだけだ。おそらくは長くこの宿に逗留し、同じ部屋を使い続けているのだろうが、そこには生活臭など感じられなかった。

 ふと、妹の部屋を思い出す。

 家具の質そのものは比べるべくも無いが、最低限の物だけで構成された部屋は、どこか同じ雰囲気を持っており、同じようにうら寂しく感じられた。

 観察するセシリアの視線に気づいたか、アスタは恐縮した様子で頭を下げた。


「……申し訳ありません。このようなむさ苦しい場所にお連れすることになるとは……」


「いやいや、お構いなく。――ふむ。ではすまぬが、ベッドに座らせて貰っても良いかの?」


「ええ、もちろんです」


 アスタが頷くのを認め、ベッドに腰かけたセシリアは、そこでようやくフードを背中に下ろした。

 ここに来るまでに、【ミラージュ】と【チェンジ・ボイス】は解除してある。自身では確認できないが、アスタの目にはセシリア本来の姿が見えているはずだ。

 半ばその効果を確認する意味も含め、セシリアは深々とため息を吐く。


「やれやれ、やっと解放されたか。あれらは便利な魔術じゃが、常時使い続けるのは骨でのう」


「やはりセシリア様ご本人でしたか。お久しぶりです」


「ふふ、そうじゃよ。久しぶりじゃな。

 ――じゃが果たして、お主こそ本物のアスタかの?」


 からかうようなセシリアの言葉に、アスタは無言のまま、胸元から1つのネックレスを取り出して見せた。

 そのネックレスは、指輪を銀鎖に通しただけの、簡素な物だった。

 その指輪の意匠はセシリアが嵌めている物とまったく同一だ。

 ただ、台座に嵌められている宝石は、赤ではなく青色だった。


「うむ、確かに。――まだ持っていてくれたのじゃな」


「当然です。これは、アリシア様に『友情の証』として賜った物ですから」


 そう言いながら、アスタはぎこちなく笑みを浮かべる。


 セシリアとアスタが初めて会ったのは、今からおよそ7年前。

 『黒竜の牙』がクールー防衛戦で活躍し、その報償のために王都に呼ばれたときだった。

 当時14才でしかなかったアスタは、セシリアとアリシアの姉妹に妙に気に入られ、短い間ではあったが、2人の遊び相手となったこともあった。

 おそらくは、自分とさほど変わらない――とは言っても6つは離れているが――アスタが、すでに一流の冒険者に数えられていることに興味を持ったのだろう、とセシリアは分析している。

 別れの日、特に懐いていたアリシアは、その友情の証として、自身の指輪を下賜していた。

 指輪そのものはそれほど価値のある物ではなかったが、すでに『癒神の聖女』の称号を得ていたアリシアが身に付けていたその指輪には、HP自動回復の効果が備わっていた。

 程度は1秒ごとに0.5%でしかないが、あるとないとでは大違いだ。


「……この指輪には、大いに助けられました」


 遠い眼差しでしみじみと語るアスタに、セシリアは笑顔で頷いた。


「そうか。それを聞けば、アリシアも喜ぶじゃろう。――もちろん、今でもな」


 やや含みのある物言いに、アスタは浮かんでいた笑みを即座に消した。


「……大変お世話になっておきながら、何ひとつご恩を返せず、大変申し訳なく思っています」


「お主が気にするようなことではないよ。幸い、妹も日常生活を送る分にはさして問題はないからの」


「……はい」


 頷くアスタの顔は暗い。それは、単にアリシアの健康を案じているだけとは、とても思えなかった。


「――さて、前置きはここまでにしよう。妾がここに来たのは、お主にいくつか頼みがあるからじゃ」


「何なりとお申し付けください。セシリア様が望むなら、今この場で自刃いたしましょう」


 真剣な表情で、極端なことを言い出したアスタに、セシリアは一瞬息を呑んだが、やがて苦笑した。


「いやいや、そんなことは命ぜぬよ。

 ――しかしその物言い。まさかとは思うたが、やはり、アリシアの不調はお主に関わりのあることであったか」


 アスタは暗い顔で項垂れていたが、やがて絞り出すような声で「はい」と答えた。


「おそらくは――いえ、ほぼ間違いないでしょう。

 アリシア様がお倒れになり、今なお万全とは言い難い状況なのは、私たちが原因です」


「……そうか。やはり、そうじゃったか」


 呟き、セシリアは天を仰いだ。


 6年前、原因不明の昏睡状態に陥ったアリシア。

 それに伴い、イリュア信者である『治療師』は、持てるスキルの効果が大きく減じた。

 両者に共通しているのは、癒神イリュアを崇めていたこと。

 そしてエルミナの証言から、彼女の姿はすでに神界にないことが明らかになっている。

 神々の誰かがイリュアを封印、あるいは秘密裏に滅ぼした可能性がないとは言えないが、どちらの場合もエルミナには『分かる』らしい。そしてそれはない、とも断言していた。


 ならばその原因は地上にあるのかと考えたが、セシリアの知るかぎり、6年前はそれほど大きな事件は起こっていない。

 だが、エルガイア全体、ラフィール大陸においては些細な事件だが、1つだけ、イルス王国にとって大きな事件が起こっていた。

 王国でも英雄と認知されつつあった『黒竜の牙』が迷宮に挑み、壊滅的な打撃を被ったのだ。

 その上、それらが起こった日時は、ほぼ一致している。


 もちろん、推論は推論でしかない。

 たまたま日時が一致しただけで、その2つには何ら関連性が無いということもあり得る。

 あの迷宮で何があったのかが分かれば話は別だが、生き残ったアスタもヴォルトも、そこで何があったのか、黙して語ることはなかった。

 だからセシリアは、一定の疑いを抱きつつも、それを裏付けることは出来なかった。


「――さあ、教えておくれ。あの迷宮で、お主達の身に何があったのか。

 お主にとっては思い出したくもないことじゃろうが、これもすべて、アリシアを救うためじゃ」


 アスタはしばらく俯いていたが――やがてそのまま、静かに語り始めた。




というわけで、気になるところで終わってしまいました。

さすがにタクミがいない場所で描写するような内容でも無いかなぁ、と思いまして……。


次話からは、タクミの1人称に戻ります。

冒頭には別視点が入るかもですが。

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