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(仮題)異世界に里帰り  作者: 吉田 修二
3章 王国の闇
26/29

1 姉妹

お待たせしてしまいました。大変申し訳ありません。


本話より、3章のスタートです。

例によって、1話目は説明回です。

構成上、時系列が入り乱れてますので、ご注意下さい。

 イリス王国の首都、イリュア。

 同名の『慈愛と癒しの神』イリュアの名を借りて名付けられたその都市は、イリュア信者にとっては聖都とほぼ同義である。

 イリス王国では他の国家と同様、信教の自由を認めているが、王家そのものはイリュアを祭神とし、市井のイリュア神殿にも多額の寄付を行っていた。

 必然的に、王都ではイリュア神殿の影響力が大きくなり、王都限定ではあるが、イリュアの定めた法がかなりの重要度を占めている。


 イリュアは癒しを司る女神だ。彼女を崇めることにより、『治療師(ヒーラー)』のクラスを得ることが出来る。

 『治療師』は、その名の通り、『治療』に特化したクラスだ。

 そのクラスで得られるスキルは、SPを消費して結果を得る。すなわちイリュアの力を借りて起こす奇跡だ。外傷の治療はもちろん、病や毒、麻痺と言った状態異常にも効果がある。

 外傷の治療そのものはエルミナの齎す魔術でも可能だが、いわゆる『回復魔術』の系統は、施術者の技量は元より、被術者自身の体力や回復力にその効果を依存する。

 重症患者に用いた場合、患者の体力が弱まっていれば、逆に患者自身の生命力を削り、最悪の場合、死に至る。

 対して『治療師』の『治療』は、イリュアの力を借りて奇跡を起こすため、被術者の体力はそれほど考慮する必要は無い。

 常人よりも体力が多い冒険者ならばともかく、一般人への治療の場合、『回復魔術』よりも『治療』による効果が高い傾向にある。

 もっとも、確実に、安全に傷を癒す反面、『治療』は『回復魔術』に比べると即時性では劣るため、戦場に立つ者にとっては『回復魔術』が使える魔術師の需要が高い。

 それ故、冒険者にとってはともかく、少なくとも一般人にとっては、『治療師』はなくてはならない存在だった。

 




 石造りの部屋の中、やはり石で出来た床の上に、一人の少女が跪き、ひたむきに祈りを捧げている。

 年の頃は十かそこら。遊びたい盛りの少女にとって、長時間にわたって同じ姿勢で居続けることは、それだけでも苦痛だろう。

 しかも、少女が纏うのは、薄い白の衣一枚だけ。堅く冷たい石に、ほとんど直接触れている。

 今の季節が冬でなかったのは、少女にとってせめてもの慰めだろう。

 少なくとも石に触れた部分は凍傷にかかり、下手をすれば凍死することさえありうる。

 だが、たとえ今が真冬の吹雪の中だったとしても、少女は同じことをしただろう。

 そう思っても不思議ではないほどに、少女は一心不乱に祈りを捧げている。


 少女が祈りを捧げてから、おおよそ一時間が経っただろうか。

 根負けしたかのように、少女の元に大いなる意思が降りてきた。


『――どうしたの、セシリア』


 苦笑交じりのその意思には、それでも慈愛が感じられた。


「エルミナ様! 私の声に、答えて下さったんですね!」


『――ええ、貴方には負けたわ。

 ……それで、何? 私に聞きたいことがあるそうだけど』


「お願いです! 私の妹、アリシアを救う方法を教えて下さい!」


『アリシア――ああ、イリュアのお気に入りね』


「はい。イリュア様のおかげか、今まで風邪一つ引いたことのない子だったんですが……三日前から、ぜんぜん目を覚まさないんです!」


『……三日前』


 呟き、エルミナはそこで思念を滞らせた。何かを考え込んでいるようだ。


「……エルミナ様?」


『……なんでもない。イリュアの姿を見かけなくなったのが、ちょうど三日前だと思っただけ』


「イリュア様が? ……もしかして、それが原因なんですか?」


『……たしかに、「聖女」、「聖人」は、地上での神の代理人に授けられる称号。

 神との間には、余人では想像も出来ないほどの強い絆が生まれ、一方の身が危うくなれば、もう一方にも影響がある。

 けれど、正直、イリュアの身に何かあったとは考えづらい。

 彼女は戦闘能力こそほとんど無いけれど、最高位の治癒が永続的に掛かっているし、状態異常も拘束系の攻撃手段も無効化できる。

 私やあの戦バカでも、彼女に勝利できる見込みはない』


「……エルミナ様だけでなく、オルフェリア様もですか?」


『そう。神々の中でも、私は魔術、あの戦バカは物理、それぞれの方向で最強の攻撃力を持っている。

 その私たちでさえ不可能なのだから、神界も含め、エルガイアに彼女を害する手段を持つ者は存在しない』


「……では、イリュア様の不在とアリシアの不調は関係が無いと?」


『……そうとも言い切れない。

 貴方に指摘されてから探してはいるのだけれど、イリュアの姿は神界にはない。――少なくとも、私の認識出来る範囲では』


「じゃ、じゃあ、やっぱり……」


『結論を急がないで。

 私はこれから再度神界の探索を行い、平行してエルガイアの探索も行う。

 貴方はその間、出来るだけ優秀な「治療師」を数多く集め、アリシアの治療を行わせなさい。

 ――もっとも、「治療師」はすでに貴方の父君が手配しているでしょうけど、姉である貴方が改めて願い出ることに価値がある』


「で、でも、もしもイリュア様がお隠れになっていたら……」


『ええ、「治療師」はその力を発揮できないでしょう。

 だから、あらかじめ話の分かる「治療師」に、症状に有効そうな薬草を準備しておくように伝えておいて。

 知識が必要ならば、王都のエルミナ神殿を頼りなさい。大司祭には話を通しておく』


「……分かりません。最初から薬草による治療に専念してはいけないのでしょうか?」


『アリシアは私の信徒ではないから、詳しい病状までは分からない。

 昏睡状態を回復する薬草にはいくつか心当たりがあるけど、容易に手に入る物ほど副作用が酷い。

 効果の高い薬草は、王家の力を使えば手に入れられるでしょうけど、それがいつになるかは分からない。

 アリシアの病状がわからない以上、初めからそれに頼っていては、治療が間に合わない可能性がある。

 「治療師」による治療が有効かどうか、まずはそちらを試してみるべき』


「わ、分かりました!」


『アリシアの容態が落ちついたらで良い、一度報告に来なさい。

 その頃には、エルガイアの探索も終わっているでしょう』


「……すみません、私たちのために……」


『いいえ。もしも私の予想が当たっていたら、事は貴方たちだけの問題には収まらない。

 取り越し苦労であることを祈っているけれど……』


「……? エルミナ様、それはどういう意味ですか?」


『……今はただの推測でしかない。とにかく、貴方は妹を救うことだけを考えて』


「は、はい! ありがとうございます!」


『……ジルは元より、あの戦バカにも話を聞く必要があるか。ひとまずはそこで情報を止めて――』


 切れ切れの思念を残し、エルミナの意思は遠ざかっていった。





**********



 一般人にとっては、『治療師』はなくてはならない存在だった。

 怪我の治療はもちろん、毒や病にまで効果がある上、納める寄進額はさほどの負担にはならない。

 同様の治療はエルミナ神殿でも行っており、その効果も高いことは誰もが知っていたが、怪我の治療はともかく、毒や病の治療には主に薬草で対処していたため、どうしても必要経費は高くなる。

 民にとってより身近なのは、やはりイリュアの治療院だった。


 だが現在よりおおよそ6年前、突如としてイリュアの影響力は激減した。

 新たに『治療師』のクラスを得る者はいなくなり、既存の『治療師』でさえ、その効果は半減、ヒトによっては10分の1になる者もいた。

 世界中が大混乱に陥ったが、威力が落ちても『治療』の効果そのものは無くならず、また、エルミナ神殿の施療院ではこれまでと変わらず対応できていたため、やがて混乱は落ちついた。


 だが、それでも大きな影響を受けた者もいた。

 イリス王国の第2王女、アリシア・ルクティア・イリスである。

 彼女は敬虔なイリュアの信者であり、『聖女』の称号を授かるほどにイリュアに近しかった。

 その性格は穏やかで慈悲深く、王族という身分を越え、時には一般人にも慈愛の手を差し伸べることがあった。

 人々は彼女こそイリュアの化身であると信じ、王国の民皆に愛された。

 だが6年前、当時たったの8才であった彼女は、突如として昏睡状態に陥った。

 力の大半を喪っていた治療師達は、彼女の治療に全力を注ぎ、その甲斐あってか昏睡からは回復したが、体力が極端に落ち、一日の大半をベッドの上で過ごすことになった。

 王家も――民の支持を得るという打算はあっただろうが――彼女の治療に手を尽くしたが、完治には至らなかった。





 石造りの部屋の中、やはり石で出来た床の上に、一人の少女が跪き、祈りを捧げている。

 その雰囲気は真摯だが、どこか余裕も感じられる。


『――どうしたの、セシリア』


 掛けられた思念に、セシリアはくすりと笑みを漏らす。

 それに気付き、エルミナは僅かにむっとしたような思念を送る。


『……何がおかしいの?』


「――ふふ。いやなに、少しばかり昔のことを思い出しておりましてな」


『昔……?』


「お忘れですかな。6年前、貴方様が初めて妾の声に応えて下さったときのことです」


 僅かな沈黙の後、納得したような思念が返ってきた。


『ああ……貴方の妹が昏睡したときだったかしら』


「ええ。その節は大変お世話になりました。

 おかげさまでアリシアは昏睡から覚め、――今では婚約者も決まろうかとしております」


 前半の声は心からの感謝に満ちていたが、後半はどこか苦々しさを滲ませていた。


『……おめでたいことだと思うけど。何かあったの?』


「――おめでたい、ですか。……いいえ、妾達小さき者共のことなどで、エルミナ様の御心を乱すわけには参りませぬ。

 どうか、聞かなかったことにして下され」


『………………。そう。

 貴方たちは王族だものね。色々あるのでしょう』


「そうですな。時折、この身体に流れる血が無性に憎らしくなることがありますよ。

 ――それより、まだイリュア様は見つかりませぬか?」


『………………。ええ。私たちも残念に思っているけれど。

 けれど、その効果が半減したとは言え、未だ「治療師」は存在し、治療のスキルも有効。おそらくは滅びてはいないでしょう』


「……なるほど。やはりエルミナ様はお優しい」


『……どういうこと?』


「――ふふふ。妾とて、いつまでも幼子ではありませぬぞ。

 イリュア様は未だ滅びてはおらず、されどいくら神々がお探しになられても、そのお姿は神界にもエルガイアにもない。

 ――ならば、神々でさえも見渡せぬ場所におられることなど、容易に想像できるでしょうに」


『……セシリア。貴方、まさか――』


「ええ、そのまさかです、エルミナ様。

 妾はそこを目指しましょうぞ」


『止めなさい! 確かに貴方は優秀な魔術師だけど、1人では無謀に過ぎる!』


「やはりお優しいですな、エルミナ様。

 ――ご安心下さい。妾とて、1人で挑むほど愚かではありませぬ。

 何、いくつか心当たりはありますのでな。

 1人はどうにもアレですが、もう1人の方はまだ使えましょう」


 もちろんエルミナには、セシリアが示す2人のことは分かっていたのだろう。

 その上で、あからさまに彼らを『利用する』と宣言したセシリアに、エルミナは溜息交じりの思念を送る。


『……変わったわね、セシリア。

 昔の貴方は、妹の身を一心に案じる、優しい姉だったのに』


「――人は変わるモノですよ、エルミナ様。

 されど、どれだけ表層が変わっても、妾の初心は変わっておりませぬ」


『……そう。手助けは出来ないけれど、貴方の望みが叶うことを祈っている』


「ふむ。そう言わずに、称号の1つでも授けて頂いても良いのですぞ?」


 からかい半分、期待半分のセシリアの言葉に、エルミナは戸惑いの思念を送る。


『すでに貴方の加護レベルは3にまで引き上げた。それでもまだ足りないと?』


「伝説によれば、エルミナ様の称号は消費MPを半減させる効果があるとか。

 魔術師にとっては、まさに喉から手が出るほど欲しい称号ではありませぬか?」


『……それは分かってる。でも嫌』


「……嫌、ですか?」


 思わず呆気に取られ、セシリアは芸もなく言葉尻を繰り返す。


『……称号を誰にでもあげていると思われたくない。

 ルファの称号は「弟子」だからまだ良いけど、私のは「寵児」だから』


「……それは……つまり、他の誰かに称号を授けたと言うことですか?」


『授けるつもりだけど……タクミ、ちゃんと魔術を使ってくれるかしら……』


 期待と不安の入り交じった思念に、セシリアは驚愕した。

 エルミナは知識と魔術の神。

 神殿に併設した図書館の一般公開、イリュアとは異なるアプローチによる、施療院の設立など、エルガイアの神の中でも慈悲深く、信者を思いやる神であることは間違いない。

 だが、知識を司る神に相応しく、信者とのコミュニケーションよりも真理の探究に時間を割くが故、「声」を授かることさえ稀とされる。

 すでに幾度もエルミナの声を聞いた――平均的な魔術師に比べれば、それでさえ偉業と呼ぶに相応しい――セシリアでさえ、彼女は感情よりも理性と知識を重んじているとばかり思っていた。

 だが、今の思念はどうだ。

 まるで旅立つ息子の身を案じる母のような、あるいは弟の身を案じる姉のような。

 そしてあるいは――


「……ふふ。妾が変わったのは自覚しておったが、まさか妾が崇める神さえもそうであったとは。

 神は永遠にして不変と思うておったが、そうでもなかったのじゃな」


『……何か言った?』


「いえいえ、ただの独り言に過ぎませぬよ。旅の楽しみが1つ出来たというだけで」


『……言っておくけど、タクミに手を出したら許さない』


「『手を出すな』と。――はてさて、それはどういう意味で、ですかの?

 まさか貴方様の敬虔な下僕たる私が、貴方様の『寵児』を傷つけるとでも?」


『……それは疑ってはいないけど』


「それとも、他の意味があるのですかな?」


 からかうようなセシリアの言葉に、返ってきた思念には苛立ちが滲んでいた。


『……まったく。私をここまで愚弄する信者は、貴方くらいのものよ』


「ほほう、3000年にも及ぶヒトの歴史の中で、私がただ1人であると。

 ……ふふ、悪い気分ではありませんな」


『……良くない方向に成長したものね。

 ――まあ、いい。

 リスクは高すぎるほど高いけど、その分リターンも多い。

 いずれ、どうあってもあの場は調査する必要があった。

 私の信者の中でも、特に優秀な貴方が行くというのなら、それはそれで良いことかも知れない』


「そうですな。代わりはいくらでもおりますからな」


 あえて明るく言ってみせたが、その裡に秘める自嘲はエルミナにはお見通しだったらしい。

 僅かに悲しみを含んだ思考が伝わってくる。


『――お願いだから、自分を卑下した物言いは止めて。

 貴方は貴方。他の何者も、その代わりを務めることは出来ないのだから』


 今となっては、実の両親にさえ掛けられることのない、心底からの忠告。

 セシリアは普段被っている仮面を脱ぎ捨て、赤心から感謝を述べる。


「……はい。ありがとうございます、エルミナ様」


『……セシリア、貴方はこれからオルグを目指すつもりね?』


「さすがはエルミナ様、妾の行動などお見通しでしたか」


『からかわないで。貴方の言う2人がいるのはその街でしょうに。

 ――あまり言いたくはなかったのだけれど。

 オルグに着いたら、タクミを探しなさい』


「ほう。貴方様の寵児が、都合良くもその街にいる、と」


『そうなる予定。まあ、偶然だけれど。――いえ、もしかしたら、必然なのかしら。

 サクラを問い詰める必要がありそうね』


「……サクラ、ですか。何者なのですか?」


『貴方が知る必要は無い。――いいえ。貴方に限らず、ヒトは、アレが在るということを知るべきではない。

 ……ともあれ、タクミを探すのは命令ではない。もしも貴方がオルグに着いて、なおも覚えていればそうすればいい』


「分かりました。必ずやそういたしましょう」


『……もちろん、忘れてくれてもいいけど』


「いえ、しっかりと覚えました。――何しろ、妾は貴方が認める、特に優秀な魔術師ですからな」


 愉快そうにそう告げるセシリアに、エルミナは思念でも伝わるほど深い溜息を吐いた。


『……まあ、いい。オルグに行くのなら、道中は重々気をつけて』


「はい。お気遣いありがとうございます」


 素直に礼を述べると、そっと頭を撫でるような感覚がした。

 驚き、思わず目を開けるが、すでに女神の意思は去っていた。


「……ありがとうございます、エルミナ様」


 心からの感謝を告げ、セシリアは立ち上がる。

 すでにエルミナの意思は身近に感じられないが、それでも彼女が自分を見守ってくれていることは確信できた。


「さて――それでは、オルグに向けて立つ……前に、最大の難関を乗り越えてくるかの」


 独り呟く。

 自室には「世界を見てくる」旨が書かれた簡単なメモを残している。

 セシリアの価値を考えれば、メモ1つで家出など洒落にもならないが、自分の代わりがいくらでも居ることくらいは知っている。

 しかも祭神であるイリュアではなく、エルミナを崇め魔術に傾倒した王女など、その血筋はともかく、存在そのものにはさしたる価値はない。

 旅に必要な食料や道具も、怪しまれないよう多くの時を費やし、揃えてある。

 傍らに置いてあったリュックを背負い、セシリアは礼拝堂に背を向けた。





**********



 アリシアは自室のベッドで横たわり、濁りのない水色の瞳で、じっと天井を見上げている。

 イリス王家の第2王女、かつて、そして今なお民の間で聖女と呼ばれている彼女にしては、部屋の内装は質素の一言に尽きた。

 部屋にあるのはベッドと鏡台、1つのクローゼット。

 どれも落ちついた雰囲気の、高級品と呼ばれるに相応しい逸品ぞろいだったが、それがこの部屋のすべての家具だった。

 アリシアが横たわるベッドの上には、癖のない金髪が扇のように広がっている。

 顔だちは未だ幼さが残っており、ベッドの上を滅多に離れられない事情から、身体にはほとんど肉が付いておらず、頬すらもややこけている。

 だが、間違いなく美しい。月光を浴びてひっそりと咲く花のように、侵しがたい神秘性を持った美貌だった。

 その目には何の感情も浮かんでいない。まるで彼女自身が一個の人形、美術品であるかのように、すべてを従容と受け入れているかのようだった。


 ふと、部屋の中でそこだけは立派な扉が、控えめにノックされる。

 何の感情も浮かんでいなかったアリシアの瞳に、ようやく僅かな光が宿り、顔を扉へと向ける。


「――どうぞ」


 囁くような声で答えるが、かろうじて廊下にまで届いたらしい。ゆっくりとドアノブが回り、扉が開かれる。


「やあ。こんばんは、アリス」


「セシル姉様!」


 アリシアの顔に本物の喜色が浮かぶ。

 セシルと呼ばれた少女は、柔らかな笑みを浮かべながら、ゆっくりと部屋の中に入ってきた。


 アリシアが姉と呼ぶ女性は1人しかいない。

 彼女の実姉であり、イルス王国の第1王女、セシリア・ルクティア・イリスだ。

 国内での知名度や人気はアリシアに大きく劣るが、セシリアもまた優れた王女である。

 幼くして魔術の天稟をエルミナに認められ、10代にしてその加護のレベルは3。

 半ば伝説と化している称号、『知識神の寵児』こそ得ていないものの、将来的には国を代表する魔術師になることがほぼ確実視されている。

 彼女もまた、アリシアに勝るとも劣らない美貌の持ち主だった。

 長く艶やかな金の髪、深い青色の瞳。全体的に華奢な体付きではあるが、半病人のアリシアとは比べるべくも無い。


 だが、その彼女は不思議な恰好をしていた。

 薄い黄色のローブに身を包み、右手には身長ほどもある長い杖。背中には大きなリュックを背負っている。

 王女と言うよりは、冒険者といった方が相応しい出で立ちだ。


 喜色を抑え、アリシアは不思議そうな顔で訊ねる。


「……姉様、その恰好は?」


「うむ、実はこの王都を出ようと思ってな」


「………………え?」


 凍りつくアリシアを余所に、セシリアは早口に告げる。


「冒険者として広い世界に旅立ちたいと前々から思っておってのう。妾も16になったことだし丁度良い機会じゃろう」


「……姉様、もしかして、私のために?」


「い、いやいや、何を言うか。妾はあくまでも妾自身のためにじゃな――」


 言い募ろうとするセシリアだが、アリシアが咎めるような眼差しでじっと見つめると、小さく息を吐いた。


「……そうじゃよ。もっとも、世界を見たいというのは嘘ではないがの」


「――姉様。いいのです。姉様が気にされることはありません」


 柔らかな笑みを浮かべてそういうアリシア。だが、セシリアは鋭い目でアリシアを睨む。


「バカを言うな! たった1人の妹が不幸になると分かっていて、何もせずにはいられるか!」


「不幸になる、と決まったわけではないでしょう? 特に私たちのような者は、愛のある結婚など初めから望むべくもありません。

 結婚してから愛を育み、幸せになった夫婦は少なくありませんわ」


「決まっておるわ、戯け! マスケル公爵が望むのは、お主自身ではない! お主の聖女という肩書き、なおかつ王族の縁戚という立場を手に入れ、他の公爵共よりも強い発言権を得たいだけであろう!

 そんなもののどこに愛がある! 育まれる愛など、子供が夢見る御伽噺でしかないわ!」


「……ええ、分かっていますわ」


 セシリアの怒気を受け、それでもアリシアは笑みを崩さなかった。


「ですが、今の私は王家にとって厄介者でしかありません。

 聖女などと呼ばれても、今の私はイリュア様のお声を頂くことさえ出来ません。

 今の私に残された価値あるものは、この身体、そして身体に流れる王家の血。

 ならば、まだ命のある間に、父上や母上、そして姉上へのご恩を少しでも返したい。そう思うのです」


 姉は妹を睨み付け、妹はただ笑顔で受け流す。


 そのまま5分ほどもその構図が続いたが――その勝敗は、そもそもの初めから決まっていた。


 やがて、セシリアは深々とため息を吐く。


「……やれやれ。お主は昔から頑固じゃの」


「ええ。姉様ほどではありませんけどね」


「言うわい、戯けが。――まったく。妹は姉の言うことに従うものじゃぞ?」


「あら。でも姉様が私のお願いを聞いてくれなかったことは無いと思いますけど」


 ぐ、と言葉に詰まるセシリア。だが、やがて再びため息を吐く。


「――お主の覚悟は分かった。故に、お主を言葉で翻意させようとは思わぬことにする」


「ありがとうございます、姉様」


 アリシアはほっと胸を撫で下ろし、柔らかな笑みを浮かべる。

 だが、セシリアは不敵な笑みを浮かべてそれに応えた。


「じゃが、言葉で出来ぬなら力ですれば良いことよ。

 ――予定どおり、妾は旅立つ」


「そんな、姉様!」


「お主が言うたように、妾もまた頑固者じゃからな。

 相手が前途有望な好青年であれば別じゃが、野望に凝り固まったヒヒジジイならば、全力を尽くして邪魔するぞ。

 そのために最善な手段は、お主自身が健康を取り戻し、再び『聖女』の称号に相応しい者となること。

 それに、イリュア様がそのお力を取り戻されることは、国の――否、このエルガイアすべてに利益がある。

 やるべき価値は十分にある」


「だからといって、姉様が自ら動かれなくても……」


「……妾の立場などたかが知れておる。兵権などあるはずもなし、自由に出来る金子も大したことはない。

 貴族の力を借りようにも、妾の未来にメリットを見出す者は少ない。

 いずれは政略の道具として遠くの国に嫁がされるか、あるいは魔術の研究者としてこの国に残るかしかないのじゃからな。

 幸いなことに、妾には秀でた魔術の才がある。ならば、この身こそが唯一の、そして最大の、自由に出来る手駒じゃ」


 アリシアは姉の目をじっと見つめ、そこにいささかの揺らぎもないことを見て取った。

 小さくため息を吐く。

 昔から姉はそうだった。アリシアには甘く、どんな我が儘でも叶えてくれたが、それでも自分が正しいと思ったことは絶対に譲らない。

 そればかりは、アリシアがどれだけ願っても無駄なのだ。


「……約束して下さい、姉様。必ず、生きて戻ってきてくれると」


「もちろんじゃ、約束しよう」


 セシリアは真剣な顔で、しっかりと頷いた。


「――それから、どうぞこれをお持ち下さい」


 アリシアは、自身の左中指に嵌められた指輪を抜き取り、姉に差し出した。

 さほど凝った意匠のない、銀の指輪だ。台座には赤い宝石があしらわれているが、それほど価値がある物でもない。

 『聖女』にして第2王女たるアリシアが身に付けるには、あまりに簡素に過ぎる品だ。


 だが、それを見たセシリアは、思わず目を丸くしていた。

 癒神イリュアの加護を受けたアリシアが、肌身離さず身に付けていた指輪。

 6年前より彼女の力は極端に落ち、むしろ日常生活に支障をきたす程であったが、それでも長い年月をアリシアと共に過ごした指輪には、1秒当たり1%のHP自動回復効果が備わっている。


「これは――バカな、これはお主こそが持っておくべきじゃろう!」


「ふふ、ご心配なさらなくても大丈夫ですわ。これが無くとも、私の称号にはほぼ同等の効果がありますから」


 もっとも、6年前は『1秒当たり10%』という破格の効果だったのだが――今それを言っても仕方が無いだろう。


王宮(ここ)に居る限り、私は安全です。その指輪も、姉様と共に在った方が役立ちましょう」


 しばらくその言葉の真偽を確かめるためか、妹の目をじっと見つめていたセシリアだが、やがて小さくため息を吐き、指輪を受け取った。


「……分かった。有り難く借り受けておこう」


「はい。それをお返しに戻られる日を、心待ちにしております」


 セシリアは真剣な表情で頷き、その指輪を妹と同じ、左手の中指に通そうとした。

 年齢の分か、あるいは健康状態のせいか、指輪の穴はセシリアの指よりも小さかったのだが、指輪が僅かに輝き、丁度良い大きさまで広がる。


 何度か左手を握ったり開いたりして、違和感の無いことを確認すると、セシリアは微かに笑みを浮かべ、アリシアの細い身体を抱きしめた。


 しばらくそのままで抱擁を続けていた2人だが、やがて自然に離れる。


「――ではな、我が最愛の妹。いずれまた会おう」


「――はい、セシル姉様。いつか、きっと」


 セシリアは微笑み、そのままアリシアの部屋を辞した。


 1人残されたアリシアは、しばらくじっと姉が去った扉を見つめていたが、やがて腕を組み、祈りを捧げる。


「――慈悲深き我が神、イリュア様。どうか、我が姉の行く道に幸あらんことを」


 6年間、イリュアがアリシアの声に応えてくれたことはただの一度も無い。

 それでも、祈らずには居られなかった。

 姉の行く道が、困難に満ちていることは、容易に想像できたからだ。


「――姉様。どうぞ、ご無事で……」


 誰にも届いていないとは知りつつも、アリシアはただ一心に、姉の無事を祈っていた。




というわけで、タクミが登場しない本編でした。

次話では登場しますが、視点は3人称セシリア寄り(?)です。


※(10/17)色々と誤字訂正

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