8 誰がための剣・1 小さな依頼
前回以上にお待たせしてしまい、申し訳ありません。
本話より、2章のラストエピソードに突入します。
今回は導入部と言うこともあり、地味目の話です。
半球状の天井に覆われた訓練場の中、俺とヴォルトは向かい合い、互いに木剣を構えている。
ヴォルトの姿は、初対面の時とは異なり、黒く染められたシャツとパンツ。
残された右腕に木剣を持ち、右肩に担ぐようにしている。
対する俺の恰好は、初対面の時と同じ、スチールアーマーにレザーグローブ&ブーツ。
ヴォルトの鏡写しのように、左手で木剣を持ち、左肩に担いでいる。
そして右腕は、掌が右肩に付くように、革のバンドで固定されている。
刀で立ち向かったときにもかなりの強敵だとは思っていたが、こうして同じ武器で対峙していると、ヴォルトの強さがより具体的に感じられる。
双方同じ構えではあるが、どこに打ち込んでも弾かれ、あるいは避けられ、反撃を喰らうイメージしか湧かない。
あの時、贔屓目に見て引き分け――客観的には惜敗に持ち込むことが出来たのは、慣れていた木刀を使い、また、ヴォルト自身にも驕りがあったからだ。
だが、今のヴォルトに驕りは無い。
あの一戦で目が覚めたのか、あるいは双方がヴォルトにとって慣れた武器、剣を使っているからか。
そして、俺自身の技量はと言えば、そもそも剣を習い始めて一週間。
その差は果てしなく広い。
「――どうした? 来ねぇのか?」
にやにやと笑いながら、ヴォルトが挑発する。
頭に血が上りそうになるが、努めて堪える。
「――分かってる。行くぞ」
「おお、来い来い」
あくまでも軽く言い放つヴォルト。
技量の差による諦めも、無数に浮かぶ敗北の未来も思考からシャットアウト。
ただただ、自分に出来る事のみを考える。
――やがて、俺は地面を蹴る。
右腕が使えなくても、慣れない剣であろうとも、その速度までは変わらない。
構えの関係上、最初の一撃は必ず振り下ろしになる。
ヴォルトは難なく躱し、やはり振り下ろしによる反撃を――すると見せかけて、魔法のように下段から切り上げる。
だが、若干のタイムラグは出来た。振り下ろした木剣を地面で食い止め、木剣を中心に、軽くステップ。
俺の身体は木剣の後ろに隠れ、打点を外したヴォルトの剣を易々と食い止める。
同じく切り上げで反撃するが、すでにヴォルトの木剣は頭上にまで引き上げられ、振り下ろしによって迎撃される。
手首を捻って衝撃を殺し、木剣を滑らせ、その勢いさえ利用し、胴体目掛けて突き込む。
受け流され、体勢が崩れているヴォルトには避ける術は無い――と思ったのだが、あっさりと巧みな足捌きによって重心を戻され、俺の突きはヴォルトの脇下を虚しく通り過ぎた。
もちろん、突きに集中していた俺の体勢は大きく崩れ、ヴォルトの反撃を強かに喰らった。
――鎧の上からの一撃だったのは、ヴォルトのせめてもの優しさだろう。
胸を押さえてうずくまる俺に、ヴォルトは満足げな笑みを向ける。
「最初はどうなるもんかと思ったが、そこそこ出来るようになったじゃねぇか」
「そ、そうか? いまいち実感が湧かないんだが……」
「いや、下地があるとは言え、1週間でここまで出来れば上等だろうよ。
難点を上げるとすれば、やっぱり、一撃が軽すぎることだな。
おまえ、未だに『技』で斬ろうとしてるだろう?」
「……そうか? 刀に比べればかなり雑に、力任せに振るってるつもりなんだけど」
「……ああ、利き腕は右だったか。なら、単純にまだ左腕の筋力が付いてねぇんだな。
まあ、へし折った俺が言うのもなんだが、骨折が治って間もないって事もあるかも知れねぇ。
いずれにせよ、まだまだこれから、ってことだな」
そう言って大笑すると、ヴォルトは今日の訓練の終わりを告げた。
訓練場から出ると、視線を感じて振り向く。
そこには心配そうな顔をしているシルファさんがいた――が、俺と目が合うと、つんとそっぽを向く。
……まあ、当然と言えば当然の態度だな。
1週間のギルド出入り禁止を言い渡された俺だが、その翌日にはあっさりと禁を破っていた。
……いや、確かに、その軽率さは、俺もちょっとどうかと思う。
だが、俺にもいちおうの言い分はある。
ヴォルトに師事すると決めたは良いけど、どこに住んでいるのか分からなかったのだ。
俺の定宿には『黒竜の牙』のメンバーも泊まっていたはずだけど、探したときにはすでに宿を立った後だった。
アスタさんはもとより、2、3日に一度しか宿に戻ってこない。
宿の女将も主人もヴォルトの居場所は知らず、こうなれば片っ端から聞き込みするか、あるいは無駄と知りつつ町中を駆け回るか――
半ばそう覚悟しかけていた俺は、はっと思いつく。
――ギルドなら、優秀な冒険者の定宿くらい把握しているのでは?
ギルドによる、冒険者への拘束はさほど強くは無い。
俺自身、現在どこの宿に泊まっているか聞かれたことは無いし、話題にした記憶も無い。
だが、初級冒険者講習で聞いたように、冒険者であれば必ず参加しなければならない、という、『強制依頼』の存在がある。
俺のような駆け出しはともかくとして、ヴォルトのような優秀な――元、かも知れないが――冒険者には、是非とも参加してもらわなければならない。
そうなったとき、相手の居場所を知らなければ、依頼の存在に気づかせることも出来ないのではないか?
――まあ、それは俺の勝手な推測で、もっと効率よく知らせる方法があるのかもしれないけど。
とにかく、その想いに取り憑かれた俺は、躊躇いながらも、ギルドへと足を向けた。
俺の姿を見たシルファさんは、最初は驚き、次に怒りの表情を浮かべた。
何とか宥め、事情を話し、依頼を受けるつもりは無いことを強調して訊ねると、果たして、シルファさんはヴォルトの居場所を知っていた。
……ただ、教えてもらったは良いんだけど、裏通りとか行ったこと無かったからなぁ。
かなり苦労しながら辿り着いた酒場の有様には、正直唖然とした。
……仮にも英雄視されてた冒険者が入り浸るような店か?
戸惑いながらも入った酒場には、本当にヴォルトの姿があり、二度驚いた。
そこで弟子入りを認められ、勢いのままギルドに戻った。
戻ったは良いけれど、さっきの今でシルファさんと顔を合わせるのは、と入口でうろうろしていると、やがてヴォルトが到着し、促されて中に入る。
予想どおり、その中でまた一悶着あったんだが……まあ、それは割愛しよう。
とにかく、ヴォルトと俺の2人がかりでシルファさんを説得し、『午前中の3時間』だけかろうじて訓練場の貸し切りができるようになった。
……なった、のは良いんだけど……それ以来、シルファさんの態度が冷たいような気が……。
いちおう、今日が1週間の出禁明けではあるんだけど、半ば有名無実と化しちゃったし、彼女も覚えてるかどうか。
……まあ、声だけはかけておこう。
そう決意し、彼女の座るカウンターまで歩み寄る。
シルファさんの長い耳がぴくりと動いたが、未だにそっぽを向き続けたままだ。
――めげそうになるが、声をかける。
「……ど、どうも、シルファさん」
そこでようやく、彼女は俺に向き直った。
にっこりと微笑むが、目はまったく笑っていない。
「あらタクミさん。お久しぶりです」
「え、ええと、ここのところほとんど毎日顔を合わせてるし、朝も挨拶したと思ったんですが……」
「あら、そうでした? すみません、あまり印象に残っていなくて」
ぐっ――こ、心が折れそうだ!
……やっぱり、まだ怒ってるのか。
「い、いろいろとすみませんでした。……そ、それでですね。今日で、約束の1週間になったんですけど……」
「――依頼を受けたいと仰るのでしょうか?」
浮かべていた、形ばかりの笑みを消し、シルファさんは真顔で訊ねる。
――こ、怖っ!
「い、いえ、そうではなくて。
幸い、まだ資金には余裕がありますから、もうしばらくはヴォルトさんとの訓練を続けたいと思ってですね」
俺がそう言うと、シルファさんは真顔を崩し、きょとんとした表情を浮かべる。
「……あら? タクミさんらしくないですわね」
「ええ、まあ。今回の訓練で、自分がまだまだ未熟だって事を思い知りました。
生活費との兼ね合いもあるので、いつまでもというわけには行かないんですけど、とりあえず、剣が様になるまでは、依頼をお休みしようと思いまして」
「あらまあ、そうですか」
シルファさんは笑顔を浮かべかけ、心配そうな顔になり、やがて何かを悔やむような表情になる。
「……その。申し訳ありません」
「……? どうして謝るんです?」
「その、色々と……」
いつも余裕のあるシルファさんには珍しく、消え入るような声で、縮こまりながらそう呟く。
――その姿を見て、おそらく、彼女には彼女の理由があるんだ、と何となく思った。
「いえ、いいんですよ。俺が未熟だってのは間違いないことですし、生国を遠く離れてまで心配してもらえる人がいるって事は、有り難いことだと思います」
シルファさんはやや暗い顔でじっと俺を見つめていたが、やがて、「ありがとうございます」と告げ、にこりと微笑んだ。
ところで、俺が剣をも学び始めたと知り、師である3柱の神々がどんな反応を示したかというと。
ケース1:ツカサの場合
「……というわけで、剣も使えるようになりたいんだけど」
『ふむ……刀を捨てるのでは無く、剣をも使う。すなわち二刀流を目指すか。
……まあ、戦術に幅が広がるのは良いことかも知れぬ。
時間当たりの与ダメージ量も多くなるであろう』
「その言い分だと、消極的賛成ってところか?」
『そうだな。我にとっては無駄で無意味なことに過ぎぬが、主にとっては利があろう。
そこそこの才もある故に、惜しくもあるが』
「……惜しい?」
『こちらの話だ。
――まあ、主が選んだことであれば、我がとやかく言うつもりは無い。
我は刀術を得手とする故に、主には刀術を教えたが、主がその枠に留まる必要は無いからな』
――というわけで、消極的賛成。
ケース2:ルファの場合
『おお……ついに! ついに剣の素晴らしさに目覚めてくれたか!』
「いや、単に不器用な左手で刀を使うよりは、ってだけの話なんだが……」
『師は誰だっ! ……何、ヴォルト? うーむ、確かにあの者は優秀だが、最近の自堕落ぶりは少々目に余るな。
よしっ、今こそ「神界の扉」を使うのだ! 今度は訓練の相手ではなく、私が本当の意味で師となって――』
「い、いやいやいやいや! 勝手に話を進めるなと言うか、勝手に俺の記憶を読むな! っていうかおまえそんなことも出来たのかよ!」
――というわけで、積極的賛成。
ケース3:エルミナの場合
『……ふーん』
「……え、それだけ?」
『魔術師にとっては、敵の武器の種類なんてあまり関係ない。
距離が離れていれば魔術を打ち込むだけだし、近づかれればどうにかして逃げるしか無い。
さもなくば死ぬ。ただそれだけのこと。
1人が2つの武器を使っても、2人が1つずつの武器を使っても、大差は無い』
「い、いや、それはそうかも知れないけど……」
『そんなことより、最近黒鬼に日本食を習い始めた。
タクミがこっちに来る頃には、万全にしておく予定』
「よし任せたっ!」
――というわけで、興味なし。
そんな感じで、取り立てて反対意見は出なかった。
うーん、ツカサは一刀に拘ってるみたいだったけど、俺が二刀流を目指すことについて何も言わないのは意外だったな。
まあ、奥義まで極めたお弟子さんが居るってのは聞いてたから、技の正統はそっちに任せて、俺は俺のやりたいようにやらせるって事かな?
それに、ルファがあそこまで大喜びするとは意外だったな。
彼女は闘争の女神だから、戦闘行為なら何でもいいのかと思ってたけど、その中でも、特に剣に拘りを持ってるって事なのかな。
あるいは、彼女自身の口から聞いたことは無かったけど、どうやら二刀流らしいし、その先達として、俺にあれこれ具体的な戦闘方法を教えられるのが嬉しいのかな?
エルミナは……まあ、彼女は武神じゃないし、それについてコメントされないのはある意味当然か。
それよりも勉強中だという日本食の方が気になる。
とりあえず、今日もルファの神殿に寄ってアドバイスをもらい、エルミナ神殿の図書館で調べ物して帰ろうか。
ルファの神殿に行くと、どうもいつもとは雰囲気が違う。
養われている子供達が遊び場にしていることもあり、神殿はいつも明るく賑やかな雰囲気に包まれている。
だが、今日は……いや、確かに賑やかなことは賑やかなんだが、どこか浮き足立っているような気がする。
不思議に思いながらも、いつものように石像の前で跪くと、ルファの思念が伝わってきた。
『おお、タクミ! 待っていたぞ!』
歓迎されるのはいつものことだけど、伝わる思念には、僅かに焦りの気配があった。
『……どうしたんだ?』
『うむ、少々厄介な事になってな』
そう前置きし、ルファは自身の神殿に満ちる『焦り』の気配について説明した。
ルファの話は、要約すればそれほど難しいことではなかった。
神殿で養われている子供の一人が、病に倒れた。
通常の病なら、それほど気にするようなことでは無い。
エルミナ神殿には施療院も併設されており、常備されている薬でほとんどの病は治る。
だが、子供が倒れた病は、タラール帝国のごく一部の地方でのみ発病が確認されており、イルス王国には対応する薬の常備がほとんど無い。
幸い、薬の調合方法だけは分かっているが、ピラル草という薬草が足りず、薬を作ることができない。
ピラル草は日の当たらない洞窟でのみ自生する薬草で、山がちの地形が多い北のクールーの街に採取依頼と輸送依頼を出し、採取には成功したらしいのだが、輸送途中に魔物に襲われ、一人を残して全滅。
クールーとの交易はオルグにとっても生命線の一つ。
直ちに街道の安全を確保するため、魔物を狩る依頼が領主より出され、優秀な冒険者に受けさせることになった。
だが当然、それまでの間、クールーとの交易は制限され、ピラル草を再び手に入れられる目処は立っていない。
『……つまり、どうにかしてピラル草を手に入れるか、早急に魔物を討伐する必要がある?』
『討伐が完了しても、安全が確認されるまで、交易は再開しないだろう。おそらく、2週間以上は掛かるだろうな。
そして……サクラに聞いたところ、キーンが病で死亡するのは、おそらくは1週間以内。
魔物を討伐しても、キーンの命は助からない』
ルファの思念に、子供達の顔が思い浮かぶ。
この神殿にはほぼ日参しているだけあって、子供達ともたまに遊ぶことはある。
まだ、顔と名前が一致するほどでは無いけれど、その中の一人が病気で死ぬなんて言われたら、気分は良くない。
努めて冷静さを心がけ、思念を返す。
『――となると、ピラル草の入手が最優先か。
クールーまではどれくらい掛かるんだ?』
『徒歩で3日。馬なら2日弱にまで短縮できる。馬への負担を考えなければもっと短縮できるだろうが……。
報告によれば、採取場所までは更に2日掛かるそうだ』
『……馬が途中で潰れず、採取場所までの往復で何のトラブルも無く、迷うこと無く辿り着き、なおかつ冒険者を街道で襲った魔物と遭遇しなければ、ギリギリ何とかなる、か?』
つまり、あらゆる幸運が味方して、それでもかろうじて、というレベルだ。
――人、俗にそれを不可能と言う。
『なら、もう一度クールーに採取と輸送の依頼を出したらどうだ?
優秀な冒険者なら襲ってくる魔物も撃退できるだろうし、こっちから行く手間も省ける。
……ああ、でも、依頼を出すためにはやっぱり向こうに行かないとダメなのか』
『いや、冒険者ギルド同士は「伝意の鏡」と呼ばれる魔導具で繋がっているからな。
依頼そのものはほとんど一瞬で向こうのギルドにまで届くだろう。
……だが、クールーには確かに優秀な冒険者が多いが、そのほとんどが迷宮探索を目的としている。
仲間が負傷中で迷宮に潜れず、日銭を稼ぐために仕方なく、という連中が、かろうじてそうした依頼を受けるくらいだ。
確かに、待てばいつかは達成されようが、それでは結局同じことだ』
『……シビアというか、ストイックというか。
それに、仲間が欠けたパーティだと、前回と同じように、輸送途中に襲われて失敗することもある、と。
――発想を変えよう。
要するに、ピラル草さえ入手できれば、それがどこであっても構わないって事だ』
『そのとおりだが……少なくとも、ここやクールーの街では流通していないぞ』
『なら、自生しそうな場所はこの近くに無いか?
クールーの山岳地帯に目を付けたのは、そこに洞窟が数多くあるからだろう?』
『そのようだ。……むむっ、ならばこの近くに洞窟があればいいのか!』
『洞窟があるかどうか、あったところでピラル草が都合良く見つかるかどうかは分からない。
だから、結局はその方法も賭けになるだろうけど……少なくとも、幸運の連続を期待するよりは確率が高いと思う』
『ならば、依頼を出すのと並行して進めた方がいいだろうな。
――タクミ、その、済まないが……』
『分かってるよ。良くも悪くも、今の俺には時間の余裕があるからな。
オルグ近辺の調査は、俺が担当する』
『心から感謝する!』
ルファとのやりとりを終え、礼拝堂を出る。
「――兄ちゃん!」
かけられた声に振り向くと、そこには10人ほどの子供達。
しゃがみ込み、子供達と視線を合わせ、笑顔を浮かべる。
「おう、お前らか。どうした?」
訊ねると、代表して、一人の少年が前に進み出た。
「兄ちゃん、冒険者なんだろ? だったら頼む、キーンを助けてくれ!」
「ああ、そのつもりだ。オルフェリア様からも頼まれたしな」
俺が頷くと、少年――確かニグルと言ったか――は、目を丸くする。
「すっげー! 神託をもらったのか!」
「まあ、そんなところだ。――丁度良い。ニグル、この街の近くに洞窟があるかどうか分かるか?」
「洞窟? たしか、北東の方にあるって話を聞いたことがあるけど……」
「なるほど。なら、まずはそこに行ってみるか」
具体的な場所は、記憶珠で探せば良いだろう。
……あ、というか、わざわざ聞き込みしなくても、最初からそうすれば良かったのか。
「ついでだ。ニグル、一つお使いを頼まれてくれるか?」
「お使い?」
戸惑うニグルを余所に、ポーチからメモとペンを取り出し、さらさらと書き付ける。
「このメモを、赤熊亭の女将さんまで渡してくれ。
それと、言付けを頼む。――メモは、『黒竜の牙』のメンバーに渡してくれ、ってな」
内容は、ヴォルトあての伝言だ。数日間街を出るから、その間は訓練を休ませて欲しいという旨を簡単に書いてある。
直接ヴォルトに持っていってもらえば早いんだけど、さすがに、子供に裏路地を行かせるのもどうかと思うし、かといってチンピラ同然の『黒竜の牙』のメンバーに手渡すのは論外だ。
回りくどいけど、どうにか伝言は伝わるだろう。
俺が差し出したメモを、ニグルは真剣な顔でじっと見つめ、受け取った。
「分かった。――兄ちゃん、頼んだぜ!」
「ああ、全力を尽くすよ」
手を振って子供達と別れ、エルミナ神殿で簡単に礼拝、次いで図書館でピラル草の特徴を確認する。
その後は商業区で簡単に旅の支度を済ませ、東門へ向かった。
直接北門に行かなかったのは、商業区で噂を聞いたからだ。
どうやら、魔物騒動で北門の通行は制限されているらしい。当然と言えば当然の処置だな。
まあ、俺にとってはあまり関係ない話だな。
目的地は北東だから、北の街道を途中で東に逸れるのも、東の街道を途中で北に逸れるのも大差は無い。
こうして俺は、約1週間ぶりに街を出た。
**********
冒険者ギルドオルグ支部、3階。
支部の幹部の執務室が並ぶその階の最奥に、その部屋はあった。
オルグ支部、支部長室。
その部屋の主は、当然ながら支部長――ではなく、支部長代理のルシーダである。
ならば支部長は別にいるのかと言えば、存在しない。
実質的なオルグ支部のトップは、支部長代理であるルシーダだ。
そしてルシーダは、イルス王国における冒険者ギルドのギルド長でもある。
オルグ支部は、イルス王国全体から見ても、規模が小さく、所属する冒険者の質も高いとは言えない。
それがなぜ、ギルド長が代理を兼任するほど重視されているのか。
その答えは簡単だ。
――このオルグの街は、かつて英雄と呼ばれた、『黒竜の牙』が拠点としていた街だからだ。
大きな功績を挙げ続けてきた彼らが、どうしてこの小さな街に拘り続けてきたのかは、誰も知らない。
だが、彼らの要望に迅速に応え、同時に迅速な支援を行うためには、大きな決定力を持つ人物の存在が不可欠だ。
ギルド内で最大の権限を持つギルド長が、代理としてオルグに赴任してきたのは、効率を考えれば最適の決定だったろう。
だが、『黒竜の牙』はクールー迷宮でその戦力の大半を失い、残った優秀なメンバーも散り散りとなり、ギルドにおけるオルグの重要性は低下した。
支部長代理であるルシーダも、それまではオルグに半常駐する形だったのだが、今では月に数度も来ればいい方だ。
それならば名前だけの支部長代理など返上し、常駐できる支部長を据えれば良いのだろうが、未だにその決定は為されていない。
それは、影響力が低下したとは言え、『黒竜の牙』自体が未だ存在し続けているからか。
あるいはそれ以外の思惑があるのか。
いずれにせよ、事実は変わらない。
オルグ支部のトップは、かつてと変わらず、ギルド長のルシーダである。
ルシーダは、長命種であるエルフだ。
ギルド長に就任してより50年余、変わらずギルド長で在り続けている。
それほど長いあいだ一組織の長で在り続けると、他の組織との接点も生まれ、そして徐々にそのパイプは太く、強靱になる。
王室はもちろん、各街の領主、各神の神殿。
そして商業ギルド、さらには表には決して出てこない盗賊ギルドにさえ、彼女の手は伸びている。
あらゆる組織に顔が利き、多少の無理を通すだけの権力もある。
身内しか知らないはずの情報をいつのまにか握り、それを小出しにし、思うままに操る。
もはやこの国で、彼女に逆らえる者はいなかった。
そうした意味では、彼女こそがこの国の真の支配者であるとさえ言えた。
その彼女は、自室の椅子に腰かけ、にやにやと愉快そうに微笑んでいた。
常に冷静沈着、指先一つ、口先一つで他者を操る彼女が、もっとも危険なのは、その愉快そうな笑みを浮かべているときだ。
なにせ、その笑みを浮かべる彼女は、計算ではなく、ただひたすらに、己の楽しみを優先させているからだ。
――自重しない権力者ほど、恐ろしい存在はない。
彼女を知る者がいたら、それを遠目で見た瞬間に回れ右するだろう。
しばらくして、重厚なドアが数度ノックされる。
「――来たぞ」
扉の向こうから聞こえる、静かな、低い、しかし、女性らしい艶がある声に、ルシーダは浮かべていた笑みを一層深め、入室を許可する。
現れたのは、一人の歴戦の女剣士――アスタだった。
だが、やや吊り上がった目は常よりも鋭く、瞳には剣呑な光が宿っている。
彼女は間違いなく美女だが、今の彼女を見る者は、美しさよりも、まず危険性を感じるだろう。
――もっとも、気にくわない相手を前にして、機嫌が悪いだけかも知れないが。
「待っていたよ、獣剣姫アスタ」
ルシーダが親愛を込めた声で呼びかけるが、アスタは一層瞳の光を強くした。
「……その二つ名で私を呼ぶな。何度もそう言っているはずだ」
「ああ、これは失礼した。歳を取ると物忘れが酷くなってね」
一瞬、ぴくりと右手を振るわせ、やがてアスタは小さくため息を吐いた。
「……抜かせ。貴様に耄碌するような可愛げがあるか。
――この、怪物め」
「怪物は酷いな。私は一人のエルフに過ぎないよ。
――まあ、たまたま、この国のギルド長を長いことやっているがね」
「たまたま、か。――もういい。貴様と雑談するような趣味はない。
さっさと本題に入れ」
「ふむ、そうだね。正直なところ、私としても君と同じ部屋に長いこといるのは耐えがたい。
何せ、ちょっと油断すれば斬られそうだからね」
アスタは答えず、ただ、ゆっくりと右手を背中に向けることで答えた。
「おお、怖い怖い。さっさと本題に入るとしよう。
――アスタ。君に、一つ依頼がある」
「……貴様が、私に? ……拒否権はあるのか?」
「拒否するのは君の自由だよ。ただ、これは指名依頼だ。それをよく考えた上で返答してくれよ」
アスタは、露骨に舌打ちした。
指名依頼は、一定以上活躍し、知名度が上がった冒険者でしか受けられない。
つまり、これを受けることは、冒険者にとっては名誉であり、一種のステータスなのだ。
それなりに実力があり、日々の暮らしにゆとりが出始めた冒険者達は、指名を受けるためにこそ、懸命に依頼をこなしていく。
だが、実際に多くの指名依頼を受けるようになる上級の冒険者達――具体的にはBランク以上――にとっては、名誉であることは間違いないのだが、煩わしい面があるのも事実だった。
何せ、指名されたが最後、断ることは出来ないのだから。
そして、アスタにとっては、名誉などどうでも良く、指名など煩わしいだけだった。
ゆえにほとんど常に依頼を入れ続け、指名の入る余地を潰していた。
そして、どうしてもタイミングが合わず、指名を断り切れなかった場合は、GPを消費して拒否する。
それはギルド側からすれば単なるペナルティーなのだが、彼女にとってはむしろ逆。
指名依頼を拒否するために、GPを溜めていると言っても過言ではない。
だが、今回ばかりは拒否は出来ない事情があった。
つい先ほど、指名依頼を拒否し、GPを消費したばかりだったのだ。
この上さらに指名を拒否すれば、ランクの低下は避けられない。
しかも、指名の相手はギルド長。
ランクの低下以外にも、さまざまな嫌がらせをされることは目に見えている。
だが、それらの不利益は、あるいはこの怪物が持ち込んだ厄介事と相殺されるのではないか。
予測される不利益と、予測できない厄介事の面倒さ。
その二つを天秤に掛けると、果たしてどちらに傾くのか。
――と、いうような思考を辿っているであろうことを、ルシーダはほぼ正確に予測していた。
どうやって、と問われたならば、「勘」の一言で返すだろう。
僅かに変化する表情、瞳孔の開き具合、尻尾の揺れ具合などから総合的に判断した結果だ。
言うなれば、これこそがルシーダが『怪物』と呼ばれる理由であり、ステータスでも表示出来ない、スキル外スキルとでも言うべき異能だった。
だからこそ、ルシーダは嗤い、アスタの心中の天秤に、『利益』の要素を積み上げた。
「これは君にとっても意義のある依頼だと思うよ?」
「意義、だと?」
「そう。何しろこれは討伐依頼。
君の手に負えるかどうか、というほどの強力な魔物の討伐だ。
しかも、それほどこの街から離れた場所では無い」
ルシーダの言葉は、アスタの天秤を大きく揺らした。
難しげな顔で何かを考え込んでいたアスタだが、しばらくして、再びルシーダを睨む。
「――依頼の詳細と、報酬について話せ」
「それは、依頼を受けると言うことでいいのかな?」
「……ああ」
にこりと笑顔を形作り、ルシーダは依頼の内容を話し始めた。
「なに、依頼の内容は単純さ。
――北の街道に現れたという、キマイラの討伐だよ」
久々に登場したルシーダさん。実はかなり偉い人でした。
本エピソードを通じ、タクミ君の冒険者としての意識が変わっていく……
……と脳内プロットには書いてますが、果たして作者の思惑どおりになってくれるのかどうか。
ちょっと話は外れますが、本来、このエピソードは『初パーティ結成(ただし臨時)』でした。
受付で依頼を受けようとするタクミ、拒否するシルファ。
その流れで、「ならパーティなら良いんだね」と、物好きな冒険者が臨時パーティを結成してくれ……
という話でほぼ完成していたのですが、改めて見直すと前話までとの整合性がとれてなかったり、なにより話自体がつまらないため、完成分はある程度流用しつつ、異なるエピソードに変更となりました。
というわけで、申し訳ないんですが、次回からの投稿はちょっと間が空くことになるかと思います。
幸い、明日は(僕の仕事の)休日なので、次話は明日、もしくは明後日に投稿できるかと思いますが、それ以降は2、3日はかかるかと思います。
拙作をお待ち頂いている方には申し訳ないんですが、何卒ご理解とご協力の程、よろしくお願いいたします。
※(9/26)誤字訂正




