5 黒竜の牙・前編
冒頭の2シーンは3人称視点です。
1人称だと表現に限界がありますので、今後もちょくちょく入れていくことになるかと思います。
黒竜の牙。
オルグの街を拠点とする冒険者パーティの中で、最も有名で、最も規模の大きなパーティ名を上げるとすれば、おそらく、誰もがその名を挙げるだろう。
パーティメンバーは現在20人を超え、かつては数々の栄光に彩られていた。
そんな彼らも、始まりはたったの3人。
聖騎士ミディア。
大賢者ナッシュ。
狂戦士ヴォルト。
辺境の小さな村で生を受けた彼らは、窮屈な村の生活に飽き、やがて冒険者として旅立った。
後に、当時は13才の少女でしかなかった獣剣姫アスタがパーティに加わり、彼らは自らを『黒竜の牙』と称した。
そして、この4人こそが、『黒竜の牙』の創始メンバーと呼ばれている。
いずれは竜種の中でも最強と謳われる黒竜を滅ぼさんと欲したのか、あるいはその強さにあやかったのか。
彼らは誰にも――それこそ国王や貴族にも――その真実を語ることは無く、今でも沈黙を続けている。
彼らの冒険は、まさに英雄譚そのものだった。
3つの村を壊滅に追いやった、キマイラ・ロードの討伐。
オルグの北の町、クールーにおける大防衛戦での活躍。
クールー未踏迷宮の発見。
これらの代表的な業績1つをとっても、並の冒険者では、生涯懸けても為し得ないほどの偉業である。
そんな彼らに憧れ、多くの者が『黒竜の牙』への参加を希望した。
創始メンバーである4人は、彼らを優しく、時には厳しく導いていった。
やがて独立する者達もいたが、彼らは快く送りだしたという。
拠点こそオルグのままだったが、次第に彼らの活動はイルス王国全土に及び、王都へと拠点を移すのも時間の問題であると思われていた。
だがある日、彼ら自身が発見した、クールー未踏迷宮において、悲劇が起きる。
当時、クールー未踏遺跡は30階まで探索が完了していたが、それ以降は魔物の強さが跳ね上がり、足踏みが続いていた。
彼らは精鋭中の精鋭、創始メンバーの4人で迷宮に入り、ついに30階の壁を越え、35階にまで到達した、という通信が入った。
だが、その後はなんの音沙汰も無く、帰りを待つ者達の不安が次第に大きくなっていった。
数日後、戻ってきたのは、左腕を失ったヴォルトと、彼を支え、自身も血みどろになったアスタの2人だけだった。
かろうじて意識があったアスタは、ミディアとナッシュの死を告げ、気を失った。
彼らほどの冒険者に不覚を取らせたのは、一体どんな魔物なのか――。
ギルドはもちろん、『黒竜の牙』のサブメンバーを始めとした冒険者達も、ヴォルトらを質問攻めにした。
だが、彼らは沈黙を守り、誰の、どんな問いにも、1つとして答えなかった。
しかし、客観的な事実はいくつか挙げられる。
無邪気で泣き虫だったアスタからは表情が消え、やがて『黒竜の牙』を抜けた。
粗野ではあったが後輩の面倒見が良かったヴォルトは、酒に溺れ、後輩達に暴力さえ振るうようになった。
彼らに憧れ、立派な冒険者を目指していたサブメンバー達は、1人、また1人と『黒竜の牙』を抜け、その穴を埋めるかのように、素行の悪い、チンピラ同然の冒険者達が加わった。
かつて『黒竜の牙』は、オルグのみならず、イルス王国中の冒険者達の憧れだった。
だが現在では、『過去の偉大な冒険者』として名を知られるのみで、未だ拠点で在り続けるオルグでも、鼻つまみ者として扱われている。
**********
オルグの街の裏通りにある、薄汚い酒場。
そのカウンター席に腰かけ、1人グラスを傾けている、隻腕の男の姿があった。
男の名はヴォルト。
『黒竜の牙』の創始メンバーの一人であり、現在ではそのリーダーを務めている。
現在の時刻は午後1時を少々回ったところ。
堅気の職業に就いている者ならば、額に汗して働いている最中であり、彼らと比して実労働時間の短い冒険者でさえ、大半の者は依頼に鍛錬にと汗を流している。
だが、ヴォルトの頬には若干の赤みが差し、その眼差しはどんよりと濁っている。
かなり前から飲み始めているのか、それとも醒めない酔いの中にいるのか――その答えは、ヴォルトに問うても返っては来るまい。
ヴォルトは勝手に空いた杯に酒を注ぎ、ボトルが空けば新たなボトルに手を伸ばす。
店内に、主の姿は無い。不法侵入に、無銭飲食。普通ならば、紛れもない犯罪行為だ。
だが、誰も、何も文句は言わない。
なぜならば、この建物はヴォルトの所有物であり、酒場のオーナーもまた、ヴォルト自身だからだ。
彼はただひたすらに酒を飲む。
頬は赤く染まり、目はどんよりと濁っている。
だが、彼の表情は、決して酒を楽しんでいるようには見えなかった。
唐突に、酒場の扉が勢いよく開けられた。
「アニキ! ヴォルトのアニキ! またあいつです!」
叫びながら、一人の剣士が酒場に入ってくる。
酔ったヴォルトの耳にも入っているだろうに、彼は身じろぎひとつせず、空いた杯に酒を酌む。
「あの新人、また俺たちの仕事を横取りしやがった!」
「――新人?」
ヴォルトは低く、静かな声で呟く。
興味を持ったと思ったのか、剣士は厭らしい笑みを浮かべ、まくし立てる。
「ええ、あのヤーマン野郎ですよ! あの野郎、ちょっとばかし腕が立つからって、手当たり次第に依頼を受けやがって……おかげで、俺たちゃ商売上がったりですよ!」
ヤーマン、の言葉に微かに覚えがあったヴォルトは、淀んだ記憶を遡る。
確か――勧誘しようとして、アスタに邪魔されたのが、ヤーマンの少年だったか。
アスタ。
その名に、輝かしい栄光の記憶と、血を吐くような屈辱の記憶が同時に蘇る。
そして、袂を分かったあの日の、軽蔑するような眼差しも。
「――あの泣き虫、まだ冒険者なんてやってんのか」
ぽつりと呟く。その声には、なんの感情も籠もっていなかった。
「ええ、まったく! アスタの姉御も、なんだってあんなガキを庇いやがったのか……」
「――それで?」
剣士の愚痴を聞き流し、ヴォルトは促す。
「こうなったら、あいつに身の程を教えてやる必要があります! 栄えある『黒竜の牙』の顔に泥を塗った、あのガキに!」
――やりたいならお前らが勝手にやれば良いだろう。
――『黒竜の牙』の顔に泥を塗った? 俺以上に泥を塗ったやつなんていねぇだろ?
ヴォルトの脳裏にさまざまな思いが渦巻いた。
だが結局、彼はただ皮肉の形に口の端を歪め、立ち上がった。
「――そのガキを、ギルドの訓練場まで呼んでこい」
「ア、アニキ! それじゃあ……」
「へっ。新米に稽古を付けてやるのは、先達の義務ってもんだろうよ」
先ほどまで飲み続けていたにもかかわらず、立ち去るその足取りには、僅かな乱れも感じられなかった。
**********
冒険者となって記念すべき1週間目の朝は、嫌なお告げで幕を開けた。
『――えーと、今日の運勢だけど。
10%。……正直、外は出歩かない方がいいわね。
つーかここまで低いと、宿の中でも気をつけた方がいいわよ?』
目覚めと共に告げられたその言葉に、「今日は大人しくしておこう」と決意した。
もちろんストック分で補填しようとはしたが、最近はどういうわけか不運が続き、ストックがほとんど底をついていたらしい。
残りの20%をすべて注ぎ込んだけど、それでも合計30%。
とても依頼を受けるような気分になれず、朝食の後は裏庭で軽く鍛錬し、そのあとは部屋でごろごろすることにした。
考えてみたら、これまで1日も休み無しだったし、丁度良いと言えば丁度良いな。
俺の一週間の成果を、せっかくだからギルドカードで確認してみよう。
なんでギルドカードでって? レベルにも獲得スキルにも変更が無いからだ。
名前 :タクミ・サイジョー
年齢 :15才
出身 :ヤーマン王国
ランク:E
GP :50/400
LV :15
クラス:魔術師 Lv.1、剣術家 Lv.3、初級剣士 Lv.9
信仰 :×××の加護 Lv.1、××の加護 Lv.1、知識神の加護 Lv.2、戦女神の加護 Lv.2、鋼精霊の祝福 Lv.1
称号 :知識神の寵児
HP :269/269
MP :253/254
SP :263/263
ATK:189
DEF:56.5
まあ、こんな感じ。
クラスのレベルは上がってるけど、戦う魔物のレベルが低すぎるからか、経験値の入りが予想以上に悪く、レベルは上がっていない。
もちろん、経験値自体は増えているし、来週中にはレベルも上がるだろう。
冒険者のランクも上がったし、ちょっと遠くの採取依頼とか、ちょっと強い魔物の討伐依頼を受けてみるのも良いかもな。
……そういや、『初級魔術師』が『魔術師』にクラスアップしたから、新しい魔術を取得できるのかな?
ステータスで確認してみると、取得可能スキルには『中級魔術』がずらり。
取得しようか迷ったが、一つにつきBPが10必要で、しかも、どんな魔術を得られるのかは分からない。
もっとも、エルミナ神殿にある図書館に行けば、かなり詳しく知ることが出来る。
でも、いっそのこと、この機会に『神界の扉』を使って、またエルミナに教えを請うか。
正直、今のところ相手取る魔物も雑魚ばかりだし、ツカサ達に鍛え直して貰うのも良いかもな。
――というか、そろそろ日本食が食べたい! 味噌とか醤油とか使った飯が食べたい!
い、いや、待て待て。今は耐えるべき時だ!
確かにランクは上がり、冒険者としてもそれなりの経験を積みつつあると言えるだろう。
だが、レベルは1つも上がっていない。つまり、BPそのものはそれほど増えてはいない。
ここで妥協し、BPを100も使ってしまったら、次に本当に苦しくなったとき、一体どうすれば――
――今169だから、3つレベル上げるだけで済むな。
――たぶん、そのあいだにクラスのレベルも上がるだろうし。
って、違う違う! 誘惑に負けそうになってどうする!
つーかダメだ! やっぱり部屋に籠もって悶々とするのは性に合わん!
ちょうど昼時だし、散歩でもして気分転換しよう!
ああ? 運勢30%? この運勢で外に出るのは狂気の沙汰?
良い機会だ、サクラの運勢予報がどれだけ正確か、俺自身で試してやる!
……それでも念のためにフル装備に着替え、宿を後にした。
屋台で軽食を買いあさり、食べながら街を散策する。
最近は、この街にも慣れてきた――ように思う。
とは言っても、記憶珠で街の踏破部分を確認すると、未踏破部分は全体の60%を超えている。
それは主に富裕層が住む高級住宅街であったり、逆に貧困層が住むスラム街であったり、またあるいは、エルミナとルファ以外の神々の神殿付近であったりする。
特に用事も無いし、仕方が無いと言えば仕方が無いが。
とりあえず、今日もエルミナ達に礼拝しに行って、後はギルドで依頼書でも眺めて帰ろうか。
……せっかくの休日なのに、あまり普段と行動が変わってない気がする。
礼拝を終え、ギルドに入る。
何気なく辺りを見渡していると、シルファさんが俺を見つけ、にこりと微笑んでくれた。
「こんにちは、タクミさん。今日はずいぶんとゆっくりでしたね?」
「こんにちは。ええ、今日は休みの予定なので」
そう答えると、シルファさんは僅かに目を見開き、やがて頷いた。
「まあ。そう言えば、ここのところ、ずっと依頼を受けられていましたわね。
……あら? もしかして、冒険者登録してから毎日かしら?」
「ええ。あまり疲労は感じないんですけど、良い機会だと思いまして」
「良いことだと思いますわ。一流の冒険者になるためには、自身の健康管理は必要不可欠ですからね」
そう言うと、シルファさんはにっこりと微笑んだ。
……うーん、エルフだけにかなりの美形なんだけど、それを差し引いても魅力的な笑顔だ。
まさに受付嬢の鑑だな。とても営業スマイルとは思えん。
というか、勘違いするやつもいるんだろうなぁ。
幸か不幸か、シルファさんは『新規登録受付所』の担当だから、そうそうお近づきにはなれないだろうけど。
そんな彼女とどうして未だに縁があるのかというと、実は彼女が俺に惚れていて――
――なんてことはまったく無く、ある意味で俺が問題児で、そして彼女が受付嬢の主任、つまり一番偉いヒトだからだ。
初日で討伐依頼を受注できるようになった俺は、翌日以降、討伐依頼を受けようとした。
だが、いくら討伐の経験があるとは言え、そこは駆け出しの冒険者。
受付で止められ、仕方なくその近辺の採取依頼を受け、それを達成すると同時に討伐対象の魔物を狩り、討伐の依頼書と一緒に討伐証明のドロップ品を提出する――要するに初日の拡大版をやったわけだな。
初日に討伐が認められたように、採取中に魔物に襲われ、得たドロップ品が討伐依頼と被っていた場合、それも同時に達成したことにする、ということは良くあることだ。
だから、それ自体には問題は無い。
だが間が悪いことに、俺が達成した討伐依頼を後追いで受けた冒険者がおり、それも一度や二度では無かったらしい。
まあ、ゴブリンなんかはほとんど常に討伐依頼が出されてるし、誰かが討伐依頼を受けた後でも、掲示板に貼り戻されるのが常らしいので、バッティングも良くあることと言えば良くあることだ。
それに、初日の遭遇で、後々面倒なことになりそうだと思った俺は、討伐する魔物の数を大幅に抑えた。
たとえばゴブリンの討伐であれば、50匹は狩れるだろうところを20匹くらいにしたわけだ。
他の誰かが依頼を受けても、さほど苦労なく依頼は達成できたはず。
だが、悪いことに、俺と依頼がバッティングしたのは、この街のギルドでも規模の大きなパーティだったらしい。
彼らが受けた依頼は、不文律として、少なくとも数時間の間は、誰も後追いで受注できないことになっているそうな。
いやいや、そんな明文化されてないルールなんて知らんがな。
行動自体はそれほど問題なく、さほど注目を浴びる要因にはなっていない……と思うんだけど。
やっぱり、性急に過ぎたか? 最初のうちは中堅くらいのパーティに混ぜて貰って、冒険者としての常識を学ぶか、あるいは採取依頼や護衛依頼で地道にやるべきだったか。
まあ、今更反省しても遅いわな。
件の大規模パーティは、ギルドにクレームを付け、大きな問題となった――ようだ。
ようだ、というのは、さすがにはっきりとは明言されなかったからだ。
ただ、やがて俺が依頼書を受付に持っていくと、主任、つまりはシルファさんが呼ばれ、依頼を受ける真意――はっきり言えば採取を隠れ蓑にした討伐依頼がなんなのか、言葉巧みに聞き出されるようになった。
その結果、ある程度は討伐依頼が直接受けられるようになったのは、ありがたいと言えばありがたい。
でも、明らかにソロでは無理そうな討伐、たとえばオークの群れの討伐などは、頑として受注を拒否し、その近辺の採取依頼も拒否されるようになった。
今日のように、世間話をする分には優しい受付のお姉さんなのだが、受注時には目つきが変わるからなぁ……。
まあ、俺自身はわりとそんなやりとりも楽しんでいるんだけど、彼女にとっては、いわゆる『嫌な客』と思われても不思議じゃない。
……あれ、何故か涙が出てきた。
「……なんか色々すみません。今後は地道にやっていきますんで」
「どうしたんです、いきなり?」
「いや、改めて考えると、シルファさんには迷惑ばっかり掛けてたなぁ、と思いまして」
そう言って頭を下げると、シルファさんは慌てて手を振った。
「い、いえいえ、タクミさんが頭を下げられるようなことではありません!
陰日向に冒険者のサポートをするのが、私たち職員の仕事ですから!
それに、むしろ……」
「むしろ?」
「い、いえ、何でもありません」
慌てたせいか、シルファさんの白磁のような頬に、僅かに赤みが差している。
うーん、いつもの笑顔も魅力的だけど、こんなシルファさんも魅力的だなぁ。
そんなことを考えていると、ギルドの入口が音高く開かれた。
反射的に振り向くと、そこには一人の戦士の姿があった。
おそらくは30代から40代。目が真っ赤に充血し、その下には拭いようのない隈ができている。
整った顔だちなのだろうが、鋭く吊り上がった眼差しと、頬に残る大きな傷跡、そして顔中を覆う無精髭がすべてを台無しにしていた。
なによりも印象的なのは、存在しない左腕だ。その異形のためか、あるいは彼が発する殺気のせいか、ギルド内に重い沈黙が満ちる。
所々に傷やへこみがある黒い鎧は、彼が歴戦の戦士であることを雄弁に物語っている。
半ば無意識の内に、【初級鑑定】する。
LV :41
経験値 :232,192/250,310
状態 :部位欠損(左腕)、酔い(軽)
HP :595/595
MP :56/56
SP :130/130
ATK :254.2
DEF :154
……レベル41って……。
ここまで高いと、驚くよりも何故か呆れてしまうな。
アスタさんもかなり高いと思ってたけど、この人はそれ以上か。
推測される年齢、喪われた左腕から察するに、怪我が原因で現役を引退した一流の冒険者、ってところか。
男はギルド内をぐるりと見回し、やがてその視線を俺の前でぴたりと止めた。
にやりと笑うと、そのまま、真っ直ぐに歩み寄ってくる。
「ほう。てめえが新人のヤーマン野郎か」
「は、はい。そうですけど。あなたは?」
「俺の名はヴォルト。『黒竜の牙』のリーダーだ」
黒竜の牙……たしか、この街でも最大の冒険者パーティの名前だったか?
俺に依頼を横取りされたとかで、ギルドにクレームを付けたパーティも、そんな名前だったような気がする。
……あれ。もしかして、実はピンチなのか?
「カシムのヤツに呼びに行かせたんだが、ここにいるとは都合が良い。
――ちょっと面貸せや」
そう言って、ヴォルトは残った右腕で俺の肩を掴む。
力は強く、到底逃れられそうも無い。
攻撃して隙を作ればとりあえずは離れられるかも知れないけど、ヘタなことをして余計に怒らせても面倒だ。
さて困った。困ったが――とりあえずは従うしかなさそうだな。
半ば諦め混じりに覚悟を決めるが、そこにシルファさんの声が割って入った。
「――お待ち下さい、ヴォルト様。ギルド内での冒険者同士の諍いは、禁止されております」
強張った声に驚き、シルファさんに目を向ける。
いつも笑顔を浮かべている印象しか無かったが、ヴォルトを睨む彼女の顔には、はっきりと怒りが浮かんでいた。
だが、もちろんヴォルトには通じない。
うろんな眼差しでシルファさんを睨む。
「ああ? 誰かと思えばシルファじゃねぇか。新人のお守りが役目のてめえが、なんだってこんなところにいるんだ?」
「私のことなどどうでもいいでしょう。今は、あなたがギルドの規約に抵触しようとしていることが問題です。
一部始終を拝見させて頂きましたが、非は明らかにあなたの方にあります。
このままですと、私の権限で、あなたの冒険者としての資格を取り消さざるを得ません」
「へえ、『非』ねぇ。
そもそもカシムに聞いた話だと、このガキが俺らの縄張りに首を突っ込んだのが原因だろう?
それでも俺らが一方的に悪いってのか?」
ヴォルトの眼光が鋭くなるが、シルファさんはまったく退くことなく、反論した。
「そんなものは、ただの慣習に過ぎません。
確かに、あなた方『黒竜の牙』は、かつて偉大なパーティであり、ギルドとしても、有形無形の援助をしてきました。
しかし、今のあなた方は、ただ人数が多いだけのパーティでしかありません。
新人への強引な勧誘、難度の高い依頼の拒否。割の良い依頼の独占。目に余る違反行為が多すぎます。
今までは過去の功績を鑑み、大目に見てきましたが、それこそ冒険者になったばかりの新人に出し抜かれるなど愚の骨頂。
自らを省みるならばともかく、その新人に八つ当たりなど、話にもなりません。
――良い機会です。今後、あなた方『黒竜の牙』の扱いは、一般の冒険者達と同様といたします」
言葉遣いこそ丁寧なままだが、中身はあからさまな侮蔑と罵倒だ。
当然、ヴォルトは怒り狂うだろうと思っていたのだが、予想に反し、皮肉な笑みを浮かべただけだった。
「はっ。過去の栄光に縋るだけのクズってか。そこまではっきり言われたのは初めてだぜ。
――良いぜ。俺の冒険者資格、取り消して貰おうじゃねぇか」
「……なんですって?」
「俺の資格を取り消せ、って言ったんだよ。
――で、だからどうした?」
「……『どうした』って……正気ですか?」
「さてな。何せ俺のクラスは『狂戦士』だからな。とっくの昔に狂ってたのかも知れねぇぜ。
――さて、これで俺も晴れて冒険者じゃ無くなったわけだし、このガキを痛めつけるのに何の問題もねぇよなぁ?」
「バカなことを! 立派な犯罪行為ですよ!」
シルファさんの怒声に、ヴォルトはにやりと笑みを浮かべる。
「はっ。そこらの衛兵が、俺に勝てるとでも思ってんのかよ。
確かに全盛期ほどの力はねぇが、そんくれぇは余裕だぜ。
俺を止めたきゃ、軍隊でも持って来いや」
にやにやと笑うヴォルトの目には、妖しげな光が揺らめいている。
――こいつ、本気だ。
本気で俺を殺し、国を相手に牙を剥くつもりだ。
でも、どうして今になってそんなことを?
国相手に喧嘩するんなら、もっと早く行動していたはず。
良くも悪くも、『冒険者』って立場が、こいつを縛る枷になっていたのか?
だから、それが外れ、本能のままに行動しようとした?
――推測でしか無いが、当たらずとも遠からず、ってところかも知れない。
なら、何かないか。こいつの暴走を止める落としどころは。
少し考え、俺は口を開いた。
「なあ、ヴォルトさん。あんた、俺をどこに連れて行くつもりだったんだ?」
完全に意識をシルファさんに向けていたヴォルトは、俺の言葉に僅かに目を見開く。
「ああ? ――ふん。先達として、後輩に一つ稽古でも付けてやろうと思ってな。
訓練場に行くつもりだったんだが――」
再び狂気に染まり掛ける瞳を無視し、俺は口を挟む。
「それなら異存は無い。稽古、付けて貰おうじゃないか」
ヴォルトの目からは狂気が消え、やがてにやりと笑みを浮かべる。
「はっ、良い度胸だ。――おい、シルファ。訓練場の使用許可を寄越せ」
「そんなこと、認められるはずが無いでしょう! 訓練にかこつけて、タクミさんを殺すつもりでしょうが!
それに、訓練場は冒険者の資格を持つ方のみが利用できます。今のあなたは――」
「いやいやシルファさん、落ちついて。
確かにこの人は資格の返上を申し出てたけど、まだ受理したわけじゃ無いでしょ?
となれば、まだこの人は冒険者ってわけだ。
つまり、資格上は問題ないってことですね」
「そ、それは確かにそうですが……」
「大丈夫ですって。この人は『稽古を付ける』って言ったんだ。『殺す』って言ったわけじゃない。
先輩として、後輩をむやみやたらと殺すはずが無いでしょう?
――なあ、そうだよな? ヴォルト先輩」
俺の言葉に、ヴォルトは再び笑みを浮かべる。
「ああ、もちろんだ。
――おい、シルファ。そんなに心配なら、てめえも来るか?」
「言われなくともそうします!」
はっきりとした苛立ちを顔にうかべ、シルファさんは席を立った。
……勢いで『稽古』ってことに落とし込んだけど……
こうまでトラブルに巻き込まれるとはなぁ。
やっぱり運勢30%は伊達じゃなかったってことか。
――訓練、死なないように気をつけよう。
終わってみると、『シルファさん頑張った』的なお話になりました。
むしろ頑張った挙げ句状況が悪化したような……?
ちなみに、タクミ君の運勢がここのところ悪いのは、『黒竜の牙』とのトラブル関連のせいです。
運勢を上げて火種を最小にしてきたは良いけれど、その揺り返しがやってきた、という感じですね。
『部位欠損』『酔い』は、どちらもバッドステータス扱いで、能力値にマイナスの補正が掛かります。
特に『部位欠損』は、欠損の度合いにもよりますが、かなり大幅なマイナスです。
それが無ければ、ヴォルトのHPは700オーバー、ATKも450以上。
かつて半ば英雄視されていた彼に相応しい能力ですね。
次回は後編、本話の続きです。
※11/9 一部修正




