8 総合演習・4 決戦
MP、SPが回復したのを確認して、探索を続ける。
ゴブリンの数はぐっと少なくなり、代わりに、森狼、槍鳥、角兎――南部で遭遇した敵と再び出会う。
チーフを倒したことで、ゴブリンがなりをひそめているんだろうか?
あるいは、ゴブリンを倒しまくったため、魔物の生態系が変化した?
これは、現実でも起こりうる現象なんだろうか。後でツカサかエルミナに訊いてみよう。
そして、残り時間が2時間少しとなった頃。俺は、森の最深部に辿り着いた。
どうして最深部と断言出来たかって?
それは、そこの様子から想像しただけだ。
見渡す限りに大地と空とを覆い続け、『森』という世界を形成していた木々が、そこだけはぽっかりと無くなっている。
木々の無くなっている範囲はほぼ完全な円形で、今俺が立っている場所のちょうど反対側の円の縁、祭壇らしき石造りの建造物がある。
祭壇の上に何があるのかは分からない。
なぜなら、その祭壇を護るように、一匹の銀毛の熊が寝そべっていたからだ。
額には十字の白い傷跡。歴戦の強者であることを示しているのか、あるいは聖別された存在なのか。
ただ寝そべっているだけなのに、その強さの格がはっきりと伝わってくる。
――なるほど。これは確かに、死力を尽くしても勝てるかどうか。
【初級鑑定】する。
種族名 :シルバー・ベア
分類 :ガーディアン
LV :25
経験値 :-/-
状態 :健康(不変)
HP :1200/1200
MP :475/475
SP :725/725
ATK :90.5
DEF :62(胴)
………………はは、ははは。
なにこれ。やっぱりボスか。
レベルの割りにHPとか高すぎじゃね? しかもDEF62とか。
単純計算で20回以上攻撃当てないと倒せないの?
――でも、黙ってやられてくれるはずもないよな。
ATK90.5。攻撃食らうとほぼ50のダメージ。つまり4回でアウト。
攻撃は回避に専念して、攻撃喰らったら即ポーション。
状態異常系の魔術は有効か?
……たぶんダメだ、状態が『不変』になってる。
なら攻撃魔術は……いや、先制の1回目はともかく、詠唱に時間がかかりすぎる。
おそらくは魔術1回撃つ間に、2回は攻撃出来る。
しかも、魔術を主体とするならば、詠唱しながら回避する必要がある。
息をするように、自然に魔術を行使できるならともかく、昨日今日実戦で魔術を使い始めた俺にはまず無理だ。
他に手段はないか。
ドロップ品のダガー……ダメだ、牽制程度にしか使えない。
剣技は与ダメージの増加だけど、手数を考えると剣術にSPを使った方が良さそうだ。
スキルは当然として、与ダメージを増加する手段はないのか。
総攻撃回数を減らせれば、それだけ危険度が下がる。
あるいは被ダメージを下げる手段でも良い。
これも同じく危険度を下げられる。
ATK、DEFを下げる魔術が闇系であったはずだけど、それも状態異常に属するからやるだけ無駄。
なら、他に手段は――
――そうだ! これならいけるはず!
「――世界に満ちるマナよ。光の名の下に我が身に宿り、我が力と為せ。――【グロウ・パワー】」
瞬間、俺の身体が光に満ちる。程なく、光は両腕、両足に吸い込まれた。持っている木刀が軽く感じ、身体もまた軽くなる。
「――世界に満ちるマナよ。光の名の下に我が身に宿り、我が身を守れ。――【グロウ・シールド】」
光が溢れ、俺の身体を包み込む。
【グロウ・パワー】は筋力値、敏捷値を一時的に上昇させ、【グロウ・シールド】はDEFを一時的に上昇させる。
俺の知力では効果時間は5分程度だが、やらないよりはよほど良い。
さて、先制の攻撃魔術は――初級では地、水、火、風、無の5属性しか選択肢が無い。
なら、やはりここは――
「――世界に満ちるマナよ。炎の名の下に我が敵を貫け」
眼前に炎が灯り、徐々にその大きさを増していく。
やがて炎は形を変え、俺の腕ほどの大きさまで収束する。
「【ファイア・アロー】!」
起句と共に、炎は凄まじい速度で疾走する。
ボール系の魔術は、各属性に形を変えたマナを圧縮し、標的に当たると同時に爆裂し、拡散する。
故に、爆心地の破壊力は大きいが、離れれば離れるほど効果が小さくなる。
加えて、魔力が低い内は、肉体の内部までは大きなダメージを通せない。表層近くを少しばかり焼くのがせいぜいだ。
対してアロー系の魔術は、『貫く』ことを主眼とした魔術だ。
初級では1本の矢を創るのがせいぜいのため、多数を相手取るには向いていない。
だが、狙ったその1体に対しては、少なくともボールよりは肉体内部に潜り込める。
しかも、一定時間は消えず、刺さった場所に留まり、内部を苛み続ける。
つまり、継続ダメージがある。
HPが多い相手に対しては、有効な手段の一つと言えるだろう。
もちろん追尾なんて便利な機能は無いから、外せばそこで終わりだが。
だが、実際に寝ているのか、それとも寝たふりなのかはともかくとして、今の銀熊には避けようがない。
炎矢が銀熊に突き刺さったのを確認すると、響く怒号を意識の外に置き、【チャージ】を発動。
威力もそうだが、中距離の間合いを一気に詰めるには最適の剣技だ。
ただし、ヒット後は僅かな硬直時間がある。
額を狙ったが、銀熊は威嚇のために立ち上がっていた。
差し出した木刀の切っ先は、銀熊の胴体に吸い込まれる。
分厚い脂肪と筋肉に阻まれ、鈍い手応えが伝わってくる。
当たった部位という点でも、HPの最大値という点でも、さしたるダメージではない。
その上、俺は【チャージ】発動後の硬直で、一秒程度は身動き出来ない。
それを見逃すはずもなく、銀熊は丸太のような右腕を振り下ろした。
――【後の先】発動。
迫り来る腕、鋭い爪が、風を引き裂く様をはっきりと知覚出来る。
銀熊の腕が俺に触れる直前、硬直時間が終了。
慌てず騒がず左手側に前転し、回避。
【先の後】を発動し、身を起こすと同時に剣を振り上げ、右腕に攻撃。
硬直をキャンセル、背後に回り込んで【飛燕】。背中に振り下ろし、振り上げる。
怒り狂う熊が振り向くより先に、背中に突きを差し入れる。
もっとも、これは攻撃が主目的じゃなく、反動で距離を取るためのものだ。
これまでのSP消費は50弱か?
ならば、と空中にある間にポーチに手を突っ込み、着地と同時に下級スキルポーションを取り出し、一息に飲む。
連撃に驚いたのか、銀熊はこちらを睨み、警戒の唸り声を上げている。
すかさず【初級鑑定】。HPだけに意識を集中させて確認し、一瞬でウィンドウを閉じる。
現在HPは1000を切っていた。
このままの流れを保てば、勝利も不可能ではない。
勝利を意識し、僅かに集中力が切れたのか。あるいは、相手の行動に集中しすぎたのか。
銀熊は大きく息を吸い――咆吼した。
周囲の空気がビリビリと震え、俺の鼓膜を伝い、心に混乱を、思考に空白を生む。
惚けている俺に構わず、銀熊は四つん這いに戻ると、凄まじい勢いで突進してきた。
避けなければならない。混乱する心が粘つく思考をかき乱す。
【後の先】か【先の後】を――いや、もう間に合わない!
痺れる両腕を決死で動かし、木刀の後ろに隠れるようにして身を守る。
無論、絶対的な質量の差は、そんな悪あがきを嘲笑うかのように、俺の身体を跳ね飛ばした。
不思議と、痛みは感じない。
押し潰されるような苦しさが、宙に舞う今も続くだけだ。
何度か空が見え、地面が見え、徐々に銀熊の姿は遠ざかる。
縦に回転しているらしい、と今や冷静に戻った思考が推測する。
このまま頭から地面に叩き付けられれば、おそらくは死ぬ。
かといって、身体が宙にある以上、もはや運を天に任せるしかない。
幸い、今回はHPが0になっても死ぬことはない。
BPも十分稼いだし、このくらいで良いだろう――
――冒険者に必要なのは、身体能力、そして生への執念だ。技術だの効率だのは、経験を積めば嫌でも鍛えられる。
ツカサの言葉が、脳裏を過ぎる。
あれは、いつのことだったか。
エルガイアで生きていく道を、ツカサは俺に提示した。
安全な神官の道を選ぶか、自由な冒険者の道を選ぶか。
――自由には責任が伴う。
『冒険者の自由』には、『自分の命』が担保となる。
ならば俺は、自分の命に責任が持てるのか。
演習だと思い、死ぬことはないという約束を真に受けて、それで実際に冒険者になったとき、俺はどうする?
この銀熊は、決して例外の存在ではない。
冒険者として生きていく以上、どうあがいても勝てそうにない強敵と、いつか見えることもあるだろう。
そうなったとき、俺はどうする?
勝てるはずはないと諦めるか?
自分の命を天に任せ、黙って結果を受け入れるか?
――否! 断じて、否だ!
天の助けなど知ったことか!
俺は俺の生きたいように生きる。それが俺の自由だ。
そして俺は、俺自身の命に責任を持つ。
命に責任を持つってことは、みっともなくても、最後まであがくってことだ!
だから――こんな程度の絶望で、生きることを諦めるか!
――【後の先】を発動する。
命の危険で上がった知覚速度が、さらに加速する。
次の半回転で、俺の頭は地面に叩き付けられる。
ぐしゃりと潰れて地面に赤い花を咲かせるか、首の骨が折れるだろう。
このままでは、死は免れない。
木刀を手放し、右腕を空ける。
そのまま、空いた右腕を、頭上に持ち上げる。
上がった知覚速度と比べ、その動きはナメクジが這うがごとく遅い。
でも、まだ間に合う。――いや、間に合わせる!
頭が地面に触れるよりも早く、右手が触れる。
触れた右手に体重が移ろうとするその瞬間、右腕を撓め、身体が受ける衝撃を、前方に転がるエネルギーに変える。
一回、二回、三回……十回ほども繰り返し、ようやくエネルギーを使い切る。
荒い呼吸で上下する胸が、全身に血と酸素と、忘れていた激痛を運んでいく。
残りHPは……いや、確認する意味が無い。その隙が惜しい。おそらく、半分以上は減っている。それで十分。
ポーチに手を突っ込み、下級ポーションを三本取りだし、まとめて飲み干す。
全身の苦痛は次第に治まり、やがて消えていった。
次の一手は――とにもかくにも、投げ捨てた木刀を拾うことだ。
あれがなければ、剣術はもちろん剣技も使えない。
転がってきた方向を目線だけで追う。
――あった。おおよそ5メートル離れた地面に、切っ先を下に、斜めに突き刺さっている。
だが、その2メートルほど向こうには、突進の硬直を終えた銀熊が、唸り声を上げて待っている。
知性か、本能かは分からないが、理解しているんだろう。俺に、あの木刀を持たせてはいけない、と。
つまり、ただ走ったところで、迎撃されて終わりだ。ならば、策を練る必要がある。
ポーチに手を入れながら、魔術を詠唱する。
応えるように、銀熊も大きく息を吸い込む。
――咆吼か。俺の詠唱が終わるより、あっちの方が早いな。
三音節言い切った上で詠唱、合計四テンポ必要な俺に対し、向こうは息を吸い込み、吠えるだけで良い。
単純に考えて、二倍も速度が違う。多少は知恵が回るようだ。
だが、熊公よ。――悪知恵で、人間様に勝てると思うなよ。
俺は素早くダガーを取り出し、狙いも定めずに投げつける。
当然ながら、ダガーは見当外れの方向に向かう。
だが、銀熊は一瞬、そのダガーの行く先に視線を奪われた。
さらに、銀熊目掛けて走る。
咆吼するべきか、迎撃するべきか、一瞬悩む様子を見せる。
これで、俺は詠唱完了。残された行程は、互いに一つのみ。
結局咆吼を選んだらしく、銀熊は口を大きく開く。
当然、俺が木刀に辿り着くよりも、咆吼される方が早い。
だが、最初から流れを予測していた俺と、惑い、悩んだ熊公では、ほんの僅かな差があった。
「【サイレント・エアー】!」
「――――――――――!!」
駆け続ける俺の周囲に空気の層が生まれ、層外の音を遮断する。
これはまさしく、ただそれだけの効果を持つ初級風魔術。
範囲は自分を中心に、消費MP次第で広げられる。
主に、盗聴防止に使われる魔術だという。
もちろん戦闘においては、ほとんど使い道がない。
うまく魔術師を沈黙の層に包んでやれば、魔術の発動を防げるが、層から逃げられれば意味がない。
だが、心配性のエルミナは、魔物の特性について良く講義してくれていた。
その中には、『咆吼』についてのものもあった。
――『咆吼』は、大型の魔物が使う、原初の魔術。大声に魔力を乗せることで、聞いた者の心と思考を凍らせる。
ドラゴンのような桁外れの魔力を持った存在が使うと、それだけで命さえ奪うことがある。
音は目に見えないし、走るよりもはるかに速い。よほどのことがない限り、直接的な危険は持たないのが幸いだけど、動きが止まったら、まず大技が来ると思って良い。
そんな厄介な咆吼への対策は、主に三つある。
――一つは、そもそも咆吼を使わせないこと。発動条件は『大声に魔力を乗せる』ことだから、大きく息を吸うような行動を取ったら、ひるませ、発動を邪魔してやれば良い。
――二つ目、もしも邪魔が間に合わなかったら、死ぬ気で防御を固めること。大技はダメージが大きいけど、棒立ちで受けるよりはよほどマシ。
――そして三つ目。単純だけど効果が高い防御法。
――耳を塞ぐ。『咆吼』は魔力のこもった大声が鼓膜を震わせ、振動で脳を揺らし、心と体を震わせる魔術。
なら、耳に入る音を少なくしてやれば、被害も小さくなる。
『咆吼』は音を媒介にした魔術。音とは、空気を伝わる波だ。
耳を塞ぐことで被害を抑えられるなら、同じ理屈で、完全に音を遮断してやれば、『咆吼』を無効化出来る。
もちろん、詠唱時間の兼ね合いもあるから、狙って無効化するのは難しい。
だが、どのタイミングで来るのか分かっていれば、無効化を狙うことも可能だ。
未だに吠え続けているらしい銀熊を無視し、駆ける。
効果がないことに気づいたか、戸惑ったような様子で俺を見る。
その頃にはすでに、俺は木刀にまで辿り着き、地面から抜き放つ。
駆けた勢いのまま反転し、遠心力たっぷりの一撃をやつの横っ面目掛けて振り抜いた。
突然の痛みに困惑する銀熊を余所に、【旋舞】発動。
一度、二度、三度と、舞うようにして連撃を見舞う。
痛みが困惑を塗り潰したのか、銀熊は怒声と共に、両腕を振り上げる。
【先の後】発動。
硬直をキャンセルした俺は、振り下ろされる両腕を余裕を持って避け、【スラッシュ】を発動させる。
これまでよりも重い一撃に、銀熊は体勢を崩す。
その隙に硬直時間は終わり、再び【旋舞】を見舞う。
今度は、自ら間合いを離すような真似はしない。
容赦のない連撃で、押して押して押しまくる。
合間合間で、三発入れられるところを二発に抑え、下級スキルポーションを飲む。
一度の連撃で50以上は余裕で消費してるから、今のままだとジリ貧だ。
でも、やらないよりはやった方がいい。
少なくとも、飲んだ分だけ手数は増える。
いつしか、銀熊の体毛は真っ赤に染まり、右目が潰れている。
その動きも、徐々に緩慢になってきた。
だが、俺の方もかなりの疲労を覚えている。
おそらく、SPはほとんど底をついているだろう。
――まだか。まだ死なないのか。計算上はとっくにHPは0になっているはず。
焦る心を呼吸一つで押し殺し、冷静に、着実に、一刀一刀を正確に振るい、反撃を避ける。
不意に、パターンが変わった。
動きが鈍くなってから、俺の攻撃にいちいち怯むようになっていた銀熊は、俺の一撃を受けてもよろめかず、反撃の爪を振るう。
十分に警戒していた俺はかろうじてその場を飛び退くが、爪の先がレザーアーマーに当たり、半ばから断ち切られる。
――これから先の攻撃は、防具無しで耐えきらなければならない。
確かにHPは最大値に近いだろうけど、それでも、次の一撃は、銀熊の本気の一撃だ。
おそらく、まともに食らえば、死ぬ。
先ほど覚悟したばかりだって言うのに、俺の身体は、その事実にみっともなく震えていた。
足が震える。歯はがちがちと鳴り、木刀の切っ先が揺らめく。
――死ぬのが恐ろしいか? はっはっは、そんなのは当たり前だっ!
理論優先のエルミナ、実戦重視だが理論もフォローするツカサと比べ、正直、ルファはあまり良い師匠とは言えなかった。
エルミナは、これから行う講義、実践が、どんな意味を持っているのか、事前に詳しく、俺が納得するまで説明する。
講義内容も、分からないところは分からないままにはせず、切り口を変え、根気よく教える。まさに、優秀な家庭教師そのものだ。
ツカサは、何をするかは説明するが、その意味までは教えない。
俺がその意味を悟るまで、何度も何度も、繰り返し同じことを繰り返す。
初めはその意味が分からず、身体の動きもぎこちなくなるが、意味を理解するにつれ、動きが格段に良くなってくる。
考えてみれば、一月足らずで、木刀だけで魔物を倒せるようになったのは、尋常な成長速度ではない。
俺自身の素質と言うよりも、ツカサの教え方が良かったんだろう。
だが、ルファの授業は模擬戦のみ。
しかも、かろうじて対応出来るようになると、楽しそうに笑って、自身の能力値を引き上げる。
油断すれば死にかねない攻撃を、喜々として振るう。
ツカサとの模擬戦が俺の成長を目的としているのに対し、ルファは模擬戦そのものを楽しんでいるように見えた。
何度も何度も殺されかけ、その度に俺は言った。
「死んだらどうする」と。
その度に、ルファはこう答えるのだ。
「死を恐れるのは当然だ。だが、その恐れに飲まれたとき、その者は本当に死ぬ」と。
ルファは言う。誰もが勇者と認める者でも、死は恐ろしいのだと。
死とは終焉。その先には何もない。
勇者と呼ばれ、背負う者が大きくなればなるほど、死への恐怖は大きくなる。
だが、その恐怖を忘れれば、退くべきところで退けなくなる。
恐怖に飲まれれば、動くべきところで動けなくなる。
戦場に立つ以上、死の恐怖は常に傍らにある。
それを撥ね除け、勝利をつかみ取るためには、生への渇望が必要だ、と。
これまで歩んできた道が、人を戦場に立たせ、これから歩もうとする道があるから、人は戦う。
おまえが背負ってきたもの、背負おうとするものが、丸ごとすべて、生への渇望となる。
恐怖で身体が震え、心が凍りついたら、過去を振り返り、未来を見よ。そして、自分自身に告げるのだ。
――おまえの歩んできた道、歩もうとする道は、こんなところで途絶えて良いはずはない、と。
その傲慢さに、話を聞いた当時の俺は呆れていた。
だが、今はどうだ。言われたとおりに過去を思いだし、これからのことに思いを馳せている自分がいた。
「……そうだ。俺の道は、こんなところでは終わらない。――終わって、たまるかよおおおおおおぉぉぉぉっっっ!!」
魂の咆吼。身体を縛る恐怖は、嘘のように消え去っていた。
見ると、銀熊の身体は震え、あからさまな怯えを見せていた。
無理矢理に、口の端を吊り上げる。
「――おまえ、呑まれたな?」
迫り来る死への恐怖に。そして、それを齎すこの俺に。
木刀を左の腰の後ろに下げ、身体の重心を前方に傾ける。
震えながらも、銀熊は腕を掲げる。
気力のほとんどを失っただろうが、それでもその一撃は、容易に人を殺すだろう。
レザーアーマーが用を為さない、今の俺ではなおのこと。
死なない、なんて確信は持ちようがない。
可能性は厳然として其処に在り、変わることはない。
だが、それでも俺はこいつを殺し、生き残ってみせる。
その確信はなくとも、その決意は変わらない!
地面を蹴り、今の俺に出せる全速で熊の懐に飛び込む。
振り下ろされる両の腕。
【後の先】を使いたがる思考をねじ伏せ、身体を地面に沈み込ませる。
頭上を通り過ぎる両腕。切り裂かれ、行き場をなくした風が頬を叩く。
飛び込みの勢いを、身体を撓めることで溜め込み、一気に解き放つ。
「おおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
知らず、雄叫びが漏れていた。
飛び上がり、同時に振り上げた木刀は、銀熊の頭部にぶち当たり――ぐしゃり、と何かを潰した。
中空にある俺は、確かに見た。
俺の木刀の先、銀熊の顔の右半分は、ひしゃげ、潰れていた。
哀れっぽい悲鳴を最期に漏らし、銀熊はゆっくりと地面に倒れ伏す。
一撃にすべての気力を使い果たした俺は、受け身すら取れず、地面に叩き付けられた。
衝撃で肺がつまる。
それでも、地面を這って距離を取る。
よろめきながらも立ち上がり、ふらつく木刀を正眼に構える。
――銀熊は、ぴくりとも動かない。
やがて、その巨体が宙に溶けるのを認め、俺はへなへなとその場に膝を突いた。
ぜいぜいという、自分の呼吸がうるさい。
電子音が鳴ったような気がしたが、構っている余裕もない。
やがて多少は呼吸が戻り、よろめきながらドロップ品の毛皮を回収する。
半ば無意識の内にGMを確認すると、残り時間は10分を切っていた。
結構な長時間、戦っていたらしい。
現在Pは1500丁度。
これで、この演習も終わりなんだろう。
ぼんやりと考え、ふと思い出す。
休息を訴える身体に鞭を打ち、真の最奥と言える石造りの祭壇を目指す。
普段なら1分かからずたどれる距離を、たっぷり5分かけて祭壇に着くと、その中央には、一振りの刀が安置されていた。
【初級鑑定】すらせず、刀を掴む。鞘のひんやりとした感触が手に伝わる。
そこで安心したのか、俺の意識は一気に闇へと落ち込んだ。




