1 目覚めたら神界
「――――――っ!」
唐突に耳もとで怒鳴られ、同時に頭頂部に受ける衝撃。
「な、何だ? 何事だ?」
頭をさすりながら跳ね起きると、目の前には一人の女がいた。
目鼻立ちは整い、黒く艶やかな髪が背中に流れている。身を包む薄い青色のワンピースには、大小さまざまな花が刺繍されており、素朴な美しさを際立たせていた。
一瞬、その美貌に見惚れる。だが、到底見覚えのないその容姿と、美しい顔に宿る若干の苛立ちが、俺を正気に返らせた。
「ったく、やっと起きたわね。――やれやれ、この私を前にしてよくもまあ、ぐうすかと寝こけられたものだわ」
はあ、すいません、などともごもご謝りながら、女から視線を引き剥がし、密かに周囲を観察する。
声の反響具合から予想はしていたが、どうやら屋内のようだ。床も壁も、白い大理石に覆われており、壁紙の類は一切ない。床には深紅の絨毯が敷かれ、先ほどまで俺が寝ていたのもそこのようだ。
と――そこで、女の数歩後ろに、一人の青年がいるのが目に入った。彼もまた女に負けず劣らずの美形で、顔の作りはどことなく女に似ているような気がした。
俺の視線に気づいたのか、青年は「ほう」と感心したような声を漏らす。
「僅かな間で衝撃から立ち直り、周囲を見渡す余裕があるか。――なるほど、どうやら資質はあるようだ」
「えー、そう? どっからどう見ても凡人じゃない」
「中々愉快な冗句だな、サクラ。――ふむ、今はそのほうが都合が良いのか」
「そういうこと。いきなり教えて、調子ぶっこいちまったら困るでしょ?」
「まあ、それもそうだな」
放っておけばいつまでも会話を続けそうな二人に、俺は声をかける。
「――あの。それで、ここはどこで、あんたがたはいったい誰なんです? それで、何で俺はここにいるんですか?」
女――サクラ、というらしい――は青年との会話を打ち切ると、一瞬むっとしたような視線を向けてきたが、やがて真顔に戻り、口を開く。
「簡単に言えば、ここは神界。私たちは神様。あんたがここに来たのは――そうね、いちおうの説明のためね」
「…………………………はあ?」
サクラが何を言っているのか理解できず、俺は呆れたような声を上げた。
「神様? あんたたちが?」
疑い十割――発言と正気を疑う心――を向けられ、それでもサクラは気を悪くした風もなく、何度も頷いた。
「まあ、信じられないのも分かるわよ。今の私たちの器は、かつてヒトであった頃を忠実に再現しているからね。――それでも、只人じゃないって雰囲気くらいは伝わってるはずなんだけど」
「雰囲気って……まあ、確かに二人とも浮き世離れした美形ではあるけど」
俺の呟きを世辞と受け取ったか、サクラは華麗にスルーして、背後の青年に振り返る。
「どう思う、兄様?」
「ふむ。ここに只人がいれば良い比較対象となったであろうが――おそらくは、この者の魂の質が、今の我らに近いのであろうよ」
「ヒトは己の理解できないモノを畏れる。転じて、理解できるモノは畏れる必要がないってこと?」
「うむ。ここはすべての可能性の苗床だからな。そうなり得る可能性があるならば、ここでそうならぬ理由はない。たとえ今現在が、ただのヒトに過ぎなくともな」
兄の言葉に、サクラは「面倒臭っ!」と毒づくと、遠い目で何事か考え込み始める。
「――と、なると――ふむふむ。なら、それが最適解か――」
ひとしきりぶつぶつと呟き、満足したのか、サクラは一つ頷くと、再び俺に向き直った。
「じゃあ、これから証拠を見せるわね」
「……大丈夫なのか?」
「問題ないわよ。だって、ここにいるこいつは、今の私らと同格なんでしょ? なら、少なくとも、いきなり壊れることはないわよ。
――それに、おそらくはその経験が、将来こいつを生かすことになるだろうしね」
何やら物騒なことを言い始めるサクラに嫌な予感を覚え、思わず口を挟む。
「……ちょっと待て。『壊れる』? 何が?」
「あんたの魂」
さらりと答えるサクラ。思わず絶句し、言葉の意味を考えようとする間もなく、サクラは「じゃ、いくわよー」なんて暢気に言いやがった。
「ちょっ……!」
止める間もなく、サクラの身体から光があふれ出した。
いや、『光』なんて生易しいものじゃない。俺の目には光に見えるだけで、実際にはまったく別の現象だ。
「光を含んだナニカ」が、「サクラだったモノ」を中心として、辺り一帯を満たし始めた。
圧倒的な存在感と威圧感。物理的な圧力さえ伴いそうな気配の暴力。我知らず跪き、床に額をこすりつけていた。
少女とも言うべき可憐な姿形など、サクラのほんの一面でしかない。
その気配そのものが、サクラの本質であると、俺の『魂』が理解した。
「はい、ここまでー」
声と共に、威圧感は嘘のように消え去った。
夢かと思うほどの唐突さだが、震えの止まらぬ自身の身体が、先ほどの経験が現実であることを知らしめていた。
「ははっ。やーね、今更そんなに畏まらなくてもいいわよ?」
満足げなその声に、恐る恐る顔を上げる。
にやにやと嫌らしい笑みを浮かべながら、サクラは立ち上がるように命じた。
未だに震え続ける身体に無理矢理に命じ、ゆっくりと立ち上がる。
俺の顔に畏れが残っているのを満足げに眺め、サクラは一つ頷いた。
「さて、これで私が神――少なくとも、あんたを遙かに越えた存在だってことは認識できたわね。
で、あんたの世界にはそんなのはいない。
つまり私は神で、ここは神界――そう私が断言しても、あんたには否定する根拠がないわけよ。分かる?」
だいぶ震えの収まった首を動かし、一つ頷く。
「あら、だいぶ話しやすくなったわね。――じゃあ、あんたをここに呼んだ理由を説明するわ」
満足げに頷くと、サクラは口を開く。
サクラが言うには、俺は本来、別の世界に生まれる予定だったらしい。
だが、一人の狂った神の気紛れで、今の世界に生まれることになった。
世界は、全体の絶妙なバランスによって成り立っている。
何かが死んだとしても、その肉体は土に還り、あるいは他者の飢えを満たし、魂は空きの出来た生物に宿り、生まれ、育ち、何かを食らい、食われ――そうして、一つの循環する系を作り出すことで、世界は運営されている。
もちろん、たった一人がいなくなったところで、すぐさま世界が崩壊するわけではない。
だが、その一人が本来為したはずのことは、当然、為されない。
彼が救う、あるいは彼が救われるはずだった者。彼が食う、あるいは彼が食われるはずだったモノ。
その可能性が、丸々一つ消えてなくなるのだ。
そしてそれは、一人を増やされた世界も同じこと。
本来起こりえないはずのことが起き、失われるべきではなかったものが失われ、救われることのなかった者が救われる。
別世界の人間を、異なる世界に生まれさせる。
言葉にしてみればたったの一言だが、世界にとっては大きな意味を持っている。
「まあ、その神はぶっ殺したんで安心していいわよ」
にこにこと満面の笑みでそう締めくくるサクラ。
……いや、今の言葉のどこに安心する要素があったんだろうか。
俺はしばらくサクラの言葉を頭の中で咀嚼し、やがて頷いた。
「……つまり、俺を本来生まれるはずだった世界に戻す、ってことか?」
「思ったより頭の回転が速いわね。――ま、そういうこと」
「それは、今すぐか?」
「出来ればそうした方がいいわね。あんたを帰すのが早ければ早いほど、二つの世界への影響が少なくなるから。
でも、さすがに十五年も一所に住んで、何のしがらみもないはずもないわね。一週間後にまたここに呼ぶわ」
「……いいのか?」
「まあ、ほんとは良くないわねぇ。
でも、『世界のため』なんてお題目唱えても、ぶっちゃけ、あんたにとっての世界って、あんたの身の回りのヒトとか生活とかでしょ?
元凶があのクソ溜め野郎だったとしても、私ら神々の都合であんたの人生を台無しにするんだから、最大限の配慮はするわ」
「クソ溜め野郎って……いちおう神様なんだろ?」
「ほんとに、いちおう、肩書きだけは神様だったわね。しかも事実上の最高神。
でも、あんたの例に漏れず、他にもほんとにさんざんやらかしてくれやがったのよねぇ。
しかもその後始末は全部私ら兄妹に回ってくる始末だし。
殺されても、死んだ後にまで軽蔑されても、仕方がないと思わない?」
「いや、そう言われても、よく分からない――いやごめんなさい、サクラ様の言うとおりです」
にこやかな笑みを浮かべたまま、例の光を漏れ出させたサクラを前に、俺はぺこぺこと頭を下げた。
一瞬で機嫌を直し、今度は見た目どおりの笑みを浮かべる。
「あら、中々話が分かるわね。――そうだ、せっかくだから私の『加護』を上げるわ」
「……『加護』?」
「ざっくり言うと、神がヒトに自身の力を分け与えることね」
「はあ。……で、それってデメリットはないのか?」
「自分の崇める神以外は認めない、なんて頭の固い輩に知られれば、絡まれることもあるかもね。まあ、そんなことは滅多にないわ」
そういうことなら、と俺は頷いた。
サクラは頷きで答えると、俺にその場で跪き、頭を垂れるよう命じた。
言われたとおりにすると、再び例の威圧感が増大し始めた。
だが、今度は耐えがたいと言うほどでもない。身体を震わせることなく、俺は黙って成り行きを見守った。
「――我、運命の女神・サクラ。その名の下に、汝、斎城拓巳に我が加護を与える」
さすがは神様、名乗るまでもなく俺の名前を知っていたか。
今となっては疑うこともなく、ただ、そんなことを考えていると、俺の身体が光に包まれた。
威圧感はなく、むしろ優しささえ感じる光。
これが加護なのだと、誰に言われるでもなく直感した。
やがて全身を包んでいた光は胸の中央に収束し、なにか――天秤を意匠化したもの?――の形をとると、俺の中に入り込んだ。
痛みはもちろん、熱さも、違和感も感じない。
「――ん、これで完了よ。立っていいわ」
立ち上がり、シャツの襟元から胸を覗いてみると、中央にうっすらと、天秤が意匠化された痣のようなものが見えた。
「それが私の加護の印よ。
――まあ、今のあんたには、大して効果無いけどね」
「……は? あんたの力を分け与えてくれるんじゃ無かったのか?」
「一口に『力』っつったって、色々あるでしょうが。
私は『運命』を司ってるから、与える加護も当然それに準じたものよ」
「具体的には?」
「あんたも経験無い?
朝起きたとき、妙に体調が良くて、『今日はなんだかうまく行きそうだ』とか。
あるいは逆に、『悪いことが起きるような気がする』とか。
でも実際には、その予感が当たることもあるし、当たらないこともある。
私の加護は、あんたが朝に目を覚ましたとき、『運命の観点から見た、本日の運勢』を知ることが出来る、というものよ」
「……すまん、分かりにくかった。もう少し噛み砕いて話してくれないか?」
「まあざっくりと言えば、『絶対に外れない朝の占い』が聞ける、ってことよ」
「え、聞くだけ? 他に効果は?」
「もちろんあるわよ。
でも、言ったでしょ? 今のあんたには大した効果が無いの。
意味の無いことを聞くほど、余裕があるわけじゃないでしょ?」
……それは、そうだ。
ただでさえ混乱しているところに、多くの情報を詰め込まれても、覚えきることは出来ないだろう。
「……とりあえず、わかったよ」
しぶしぶと頷くと、サクラはにこりと笑う。
「うんうん、納得してもらえて良かったわ。
――どう、兄様? 私もちゃんと説得できたでしょ?」
にこにこしながら振り返るが、彼女の兄は小さくため息を吐く。
「典型的な『神の説得』だな。いや、説得と言うよりは命令か。
そこなヒトが物わかりの良い者だったからこそ上手くいったようなものだ」
「うぐっ……。
い、いいじゃない! 結局は上手くいったんだから!」
「そうだな。結果的にはな。
――さて、他には何か言うべきことはあるか?」
「い、いや、無い……と、思うけど?」
「それならば、今日のところはこれで終わりだ。
――タクミとやら、一週間後にまた会おう」
唐突に話を振られ、俺は「は、はい」なんて間の抜けた返事をするしか無かった。
「うむ。――残された時間、悔いの無いように過ごすが良い」
そう告げると、サクラの兄は軽く手を振った。
すると、突然睡魔が押し寄せ、瞼が重くなる。
抵抗しようなどと思う気さえ起きない程強力な眠気に身を任せ、俺はそのまま、床に倒れ伏す。
毛足の長い絨毯が衝撃を吸い込むのを感じながら、俺は意識を手放した。
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