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灰色の境界  作者: 宵時
第四章「……ええ。時を経て、俺は殺人者になった」 「〝英雄(ヒーロー)〟とは言わないのだな」
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4-28 パープルペイン

 コップが机を叩く。俺と小百合は座し、見つめ合ったまま沈黙。

 町の喧騒は遥か遠く、耳も肌も音や気配を感じられない。

 この空間にはたった二人だけ。

 静かすぎる世界は置き去りにされた錯覚を思い出してしまう。何かを話さねばならない。無意味な言葉の投げ合いでも何もしていないよりはマシに思えた。

 小百合の小さな口角が上がり、何事か言葉を生み出そうとしてはまた引き結ばれる。何を迷っているのか、選んでいるのか。

 語ると、教えると言ったのは小百合の方だ。

 次の言葉を待つ、という待機状態がこれほどまで苦しいとは思いもしなかった。

 様々な思いが脳裏を駆けまわるも、現実は変化しない。収納棚の一角に置かれた古臭い鐘時計が刻み続ける音がやけに耳についた。

未曾有(みぞう)の大地震がこの日の本を襲った……というのは誰でも知っていることだね。君達の住んでいた区画はそこまで被害がなかったようだし」

「うん。一時的に水道や電気などのインフラが止まったくらいで」

「この辺りはさらに酷かった。多くの建物が倒壊し、下敷きになったり火災によって焼失したり、常倉一派が取り仕切る以前から絶望が広がっていたよ」

 訪れた当日や、世界から存在を失わされていた頃に町を歩いてみたが、そこまで損傷しているようには見えなかった。確かに応急処置的な道路や家屋は気にはなっていたが、警察署はしっかりと残り流通も当たり前に行き届いているので元にいた町と同じように軽微な方なのだと思い込んでいた。

 俺は率直に浮かんだ疑問をぶつける。

「常倉一派とは、どんな存在でどれくらいの立場にいる?」

「君の問いはいつも曖昧だね。既に体感したでしょ。

彼らは暴力と恐怖で人々を支配下におく。警察機関とも

提携し、内部を掌握しているため事実上邪魔する者はいない」

「それだよ。どうして、警察が……あんな、ならず者に」

 最も敬愛し、気高く美しいものだと信じ込んでいた像があった。

 法の網を張り、逸脱者を許さず捕えた上で照らし合わせた刑罰を与える。人々が笑顔で過ごせるように、安心して生きられるように環境を整えてくれる。

 黄金に輝く像は崩れていた。

 金メッキが()がれて砕け散り、赤錆()びた瓦礫になった。

「残念ながら、人間は君が思うほど高潔であり続けることはできないんだ」

「おかしいよ。どうして、法を守る警察が法を守らない者に従うのか」

「……話が逸れるから、後にしよう。

君は私と終わりなき議論の輪舞を踊りたいのかい?」

 言葉ではなく俺は首を振って否定する。

 あるべき姿を説きたい気持ちを抑え込む。

 何度も何度もたしなめられたことだ。父親が口にしていた言葉を思い出す。目を閉じると(まぶた)の裏に堀川のメモが浮かんだ。

 警察を信じるな、という警告は小百合の言葉に繋がっている。

 握った拳を振り上げられないまま、肩を震わせる俺の前で小百合がコップを傾けて茶を飲み唇を濡らす。

「話を戻すね。かつて、この町は工業地帯で様々な部品を作るライン工場が

たくさんあった。地震でインフラ設備がダメになり、機械も破損して事実上

操業できなくなってしまった。そんな折に奴らは手を伸ばしてきた」

 俺は頷くだけで続きを促す。今更、奴らが誰かなんて問う気もない。

「君も身をもって知っているだろうけれど、常倉一派は普通の組織じゃない。世間一般でいう暴力団なの。国から指定を受けているわけではないけれど、近年急速に勢力を伸ばしている」

「一体どこからそういう情報を……」

「耳を澄ませれば分かることよ。誰も彼もが〝話している〟のだから」

「……暴力団、って非合法なやり方で利益を得ている反社会集団、だよね」

 小百合の情報源については今は問わないことにする。

 俺はさらに資料や電子の海で拾った情報を合わせた知識を広げていく。

「暴力で物事を解決するから暴力団。資金源は覚醒剤の売買や賭博、

場所代などで非合法なカジノは大抵関係者の施設だって言われている」

「模範解答的な資料情報ね。それに加えて常倉一派は海産物の

密漁もやっているの。元々、漁業関係に強い繋がりがあって、

独自ルートから工場再建のための資材や取引先を引っ張ってきては

ライン工場の人達に新しい就職先を案内していたみたい」

「密漁っていったって、今の状況で高級品を買うような奴はいないんじゃ、」

「お偉いさんには関係ないの。一度染みついた(ぜい)は抜けないから」

 自分で切り出しておきながら、小百合の言葉はどこか遠くへと向けられていた。

 相変わらず表情は笑みを絶やさないが、言葉の端々に感情の揺らぎを感じる。

「他にもトラブルの仲裁……暴力や恐喝による解決だけれど、震災に関するトラブルを収めたり、建設現場の作業員をどこかから引っ張ってきたりと人材派遣業もやってる。この町の人達もパワーのある若い男性は連れていかれたみたいだよ」

「そんなこと、堂々とやっていて警察が黙っているわけが――」

「繰り返すけれど、警察官も人間なの。誰もが崇高で純粋な義だけで生きているわけじゃない。私達、人間は食事をしなければ生きられない。食べ物を手に入れるにはお金が必要。つまり、大抵の物事はお金で解決できてしまう」

「そんなことは……ない。極論にすぎる」

 小百合が何を見てきたのかは分からない。だが、俺は知っている。

 少なからず、常倉に支配された世界でも抗おうという人間はいた。悲しい結末にはなったが、堀川は助けてくれたし小百合もまた手を差し伸べてくれている。

 一連の行動を表面だけ見ればあの警察官も悪に見えるが、常倉の圧力を前に屈したふりをしているだけなのかもしれない。

 そう叫びたい。が、小百合には届かないと思い始めていた。小百合の顔を直視できない。視線を下げて机を睨みつける。

 小百合はまるで心を読んでいるかのように俺の発言を見透かした。この町においては多くの人間が外から入ってきた者を快く思う姿勢もなく、また絶対的支配者である常倉の許しなしでは何もできない。意に反した行動は即座に処刑対象になる……そんな溢れ出る恐怖に満ち満ちていた。

 結局俺も予測はできても、最後には小百合に頼るしかなくなっていた。

 堀川家の人間は直接関与していないにも関わらず、子が俺に情報提供し常倉 和久の機嫌を損ねたという理由だけで事故に見せかけられ、殺されてしまった。

 本来ならば助けてくれる人など誰もいなかったのだろう。誰もが見ていながら、知っていながら聞いていながら助けようとはしなかった。

 造られし壊れた世界で、誰もが和久に従い俺の存在を否定し続けた。

 常倉一派が強大な力を持つ組織であり、かつ地元の人間にとっては地域を再興するための資金や労働力、働き口を見つけてくれた。いわば恩人といってもいい存在。恩人ではあるが非合法な組織であることに代わりはない。

 顔をあげると、小百合は寂しげな微笑みで迎えてくれた。

「そう。大体の人はお金で買えてしまう。警察としても法という

縛りがある以上は、その網に引っ掛からない限りは触れることが

できない。それでも人々は願い乞う。網から外れた事案に暴力団が

持ち前の武力を使って解決する。救いを求める人、簡単に手出しが

できない警察、正当な理由が欲しい暴力団と全員の利害が一致している」

「……事実上の、黙認」

 俺自身も痛感していたはずだ。言葉ではいくらでも偽ることができる。

 動いて間違いだったとして謝れば済むほど公権の影響力は小さくない。

 一時的に場を収めることはできても、信用というかけがえのない財産を多少なりとも失ってしまう。その点、代理闘争として暴力団を使えば表向きには警察に対しての損害はない。助けてほしい人は組織など関係ない。窮状から抜け出したいからこそ願っているのだ。救われるために振るわれる力に正邪は関係ない。

 ぎちり、と奥歯を噛む。

 そうだ。絶対的な証拠が見つからないから、俺は奔走していたのだ。

 どうやっても証拠は掴めず、また和久が物証や傷跡を残さないため精神を削り取る作戦へ切り替えた影響で生きて存在し続けることさえ諦めかけていた。

 誰でもいい、と。どんな存在でもいいから救ってくれと。

 そう願わなかったのか。叫ばなかったのか。

 違う。

 俺は救われたい被害者ではなく、救う英雄(ヒーロー)になりたかったはずだ。裏側がどれだけ汚れていようが、真っ当に職務を担った父親の背中を追ってきたはずだ。

 小百合が俺を見る。黒瞳が憐憫(れんびん)の情に揺れていた。

「誰もが、明確な生贄を欲していた。

それが来々(くるるぎ) 亮、君だったんだよ」

「俺が、生贄……」

「外部から来た知り合いのいない存在。しかも自分達を探りに来た者に近しい。

彼らにとっては警戒しない方がおかしいし、君も早々折れることはないだろうからそれなりに長く遊べるだろう、と思われ狙いをつけられてしまった」

「あそ、べる……?」

「そうよ。直接会ったことはないけれど、常倉一派からすれば

ネズミが一匹入り込んだところで揺るがない。既に警察組織や

流通も抑えているのだから、ボロを出さなければ立場を脅かされることも

ない。その傲岸(ごうがん)さには付け入る隙があるかもしれないね」

 邪悪だ。闇そのものだ。

 いや、分かっていたはずだ。理解しながら立ち向かっていたはずだ。

 どこかに証拠があると、証拠があれば助けてくれると。他人の救済に頼っている時点でダメだと告げたのは誰だったか。俺にある力はなんだったか。

 神託を受けたように、心を読んだように小百合が頷いた。

「君も、もう理解しているはずだよ。暴力団は武力と資金を悪逆に

振りかざす。立ち向かうには個人の意思や戦力などたかが知れている。

でも、君が持つ力は一騎当千の可能性を秘めている。

それこそ、望むヒーローのように単体で悪を殲滅し得るだろうね」

「それは……ダメだ」

「まだ、そんな甘い理想を抱えているの?」

 小百合の黒瞳が侮蔑(ぶべつ)の色合いを見せる。散々に悪辣な意志の波に押し流され、血反吐を()き散らすような暴虐の嵐に巻かれていたのに、まだ祈るのかと告げている。

「力に訴えるのは、最後の手段だ。それ以外に何もないと分かったら――」

「その前に、君が〝死ぬ〟よ」

「大丈夫。俺は、大丈夫」

 目を逸らさず、小百合と向き合って視線をぶつけ合う。

 肉体的な苦難は耐えられた。精神を(えぐ)り刻む激痛からも引き上げられた。同じ痛みは受けない。覚悟があれば耐えられる。

 言葉に出さず、瞳で語るが見つめ返す小百合の瞳は変わらぬ深淵を宿していた。

「具体的に、どうするつもりなのかな」

「外から情報が得られないなら、中から調べる」

「……まさか、常倉一派に入るつもり? そんなことが叶うとでも?」

「やってみなければ分からないよ」

 闇色の瞳に呆れが浮かぶ。心底、馬鹿だと思っているようだ。

 そうだろう。自ら死地に飛び込むのは愚か者の所業だろう。

 だが、他に選択肢はないのだ。恐らく父親も同じような選択を取るだろう。

 これまでの情報をまとめれば、踏み込める現場がある。

「ライン工場の人達は他の働き口を見つけた、と言っていたよね」

「ええ。それが、どうしたの?」

「その、覚醒剤とかも資金源で、独自のルートも持っていて

隔絶された空間もあるならば、ひょっとしなくても覚醒剤を

生成して売ってる、なんてこともあるのかな、ってね」

 小百合が目を丸くした。が、一瞬だけ。面白い、と言いたげに笑った。

「踏み込んで、証拠を得てそれでもしらばっくれるのなら?」

「その時に考えるとするよ」

「……そんな行き当たりばったりでいいのかな」

「いいんだ。考えるより先に動いた方がいいことも、きっとある」

「さて、どうかしらね」

 俺にそんな大それた力があるとして、小百合の言う通り一騎当千の武力があったとして、理由も問わずに振るうような力はない。

 無為に振りかざし、脅すのならば常倉一派と同類だ。

「正義が力を振るうには理由がなければならない、か」

 俺が心で誓った文言を、そっくりそのまま小百合の可憐な唇が(つむ)いだ。

 小百合が瞼を閉じる。どこか懐かしんでいるような、遠くの景色を思い出しているような柔らかな笑みと、かすかな悲しみが唇から零れ落ちていた。

「いいよ。君はそのまま突き進むといい。壊れる結末があっても、ね」

「……どういう、意味で」

「君の推測通り、常倉が薬を製造して売り捌いているという情報もある。

その場に踏み込んで、悪事を暴いてあくまで連中に罪を認めさせることを

求めるのならば、目の当たりにした時にきっと君は崩れ散ることになる」

「……地獄は見た。死の淵にも踏み込んだ、これ以上何があるって、」

 叫びに近かった決意の言葉を、最後まで紡ぐことができなかった。

 小百合が膝で立ち、ワンピースの上部分のレースを両手で掴む。

 荒々しく、獣が欲望のままに引き裂くように破り裂いた。

 視界を(ふさ)ぐ余裕などなく、両目が捉えてしまった。

 未発達の胸板は白く儚く、だからこそ黒く輝きを放つ亀裂を強調していた。縦に稲妻が走ったように刻まれた傷跡はゆるゆると黒血を流している。どういった原理でそこにあるのか分からないが、心臓に当たる部分に赤黒い柄の短剣が突き刺さっていた。

「私のこと、私という存在について問いたかったんだよね? そして、君は自ら見て触れて感じて触れなければ信じることができない。だから、見せてあげる」

「そ、んな……君の、胸にある、のは」

「最初に君が感じたものは正しいよ。一片の間違いもなく正答に辿り着いている。私の体は、とうの昔に死んでいるはずだったのだから死人(しびと)という認識は誤りじゃなかったんだ」

 告げて小百合は少女が隠すべき部分を曝け出したまま無邪気な笑みを浮かべた。

 幼いながらも感じる欲情、性的興奮など有り得ない。思考を塗り潰すのは恐怖を通り越した畏怖だった。

 短剣が突き刺さった場所で脈動するはずの内臓器官は存在しない。流血してはいるが、重力に逆らうように黒血は刻まれた亀裂へ少しずつ吸い込まれていく。

 明らかに生者の姿ではない。言い訳のしようがなく、死者の肢体だった。

「私は、久我(くが) 小百合は〝死ぬはず〟だったけれど、生きている。

君は、そんなどちら側かも分からない私をどう捉えるのかな?」

 そう問うた少女が、俺にはヒトの形をした別の存在に見えてしまっていた。

 空気に晒された短剣の柄に埋め込まれた宝珠が輝いている。

 まるで、かつての宇宙飛行士が口にしたような全てを包み込む蒼だった。

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