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灰色の境界  作者: 宵時
第四章「……ええ。時を経て、俺は殺人者になった」 「〝英雄(ヒーロー)〟とは言わないのだな」
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4-18 絶望色の向こう側

 瞑目(めいもく)し、小さく息を吐く。

 ゆっくりと(まぶた)を開いて現在(いま)を見る。

 千影は落ち着き払った態度で静かに茶を(すす)っていた。多分会話に加わる気はないのだろう。隣の紅狼に至ってはうつらうつらと微睡(まどろ)んでいる始末。

 食事の後片付けを終えた晴明が茶を運んでくる。学生には円筒形のコップに冷たい麦茶を、大人には急須と丸みを帯びた茶碗。また晴明が席を立つ。

 続いて持ってきたのはティーポットとティーカップ。さりげなく机に置かれたそれを手にしセラが自身で淹れる。(ほの)かな林檎の香りが鼻腔をくすぐった。

 用意された茶を前にしても場には静寂。

「亮くんは、お母さんも検事さんだったんだね」

 最初に打ち破った人間に視線が集まる。

 とうの遥姫は面食らい、目を丸くしていた。

 注目を集めるように刃助が手を叩く。

「や、やっぱり男ならヒーローを夢見るよな! 正義の味方を……」

「恥ずかしげもなく、な。物語の中には倒すべき絶対的な悪が存在していた。だからこそ、主人公達は悪を駆逐し、平和を守るという大義名分を手に力を振るえた」

「で、警察官の父親。こりゃまさに次世代のホープじゃないか。

やっぱりさっきのは言い間違いだろ? 〈灰絶機関(アッシュ・ゴースト)〉も

要はSATとかと同じで、制圧する正義の味方なわけだ」

「犯人の命を奪ってでも平和を守るのが、絶対的正義だと捉えられれば、な」

 場の空気をとりなそうとする刃助の行動は、今は逆効果だと思う。即していない上に、和らげたところで飲み込めきれるようなものではないだろう。

 暗い感情が渦巻く。日常と非日常の狭間である、この場に混沌が広がる。

「かつての日本と呼ばれていた国では、いわゆる特殊部隊という

存在はあるにはあったが、表立った活動はしていない。

世間的にも、存在を認知されていないだろうな」

「そりゃ、知られたら意味ないだろ? 何のための特殊部隊だよっ」

「そう、ではあるが……」

 どう言語化すればいいのか。

 刃助が放つ追及の剣戟に上手く刃を合わせられない。

 右脇腹を小突かれる。どうやらクレスが代わりに打ち合ってくれるらしい。

「アルメリアの事情は分からないけれど、イズガルトでは

もっと単純だったよ。悪は罰する。死罰をもって魂を浄化し、

全能なる神が抱きかかえ正しく導いてくれる、ってね」

「そりゃまた絵に描いたような宗教的……」

「ニホン、と呼ばれていた頃は余りに個人というものを尊重しすぎて

いたように思えるよ。そもそも考え方の根底が違うからね。

イズガルトの信条、君達が言う宗教的観点で言えば悪しきものは

全て滅する。一度消し去って召し抱え、善きものに作り替える」

「その善悪を見定めるのも、ヒトという不完全なモノの枠組みでしょうに」

「流石、世界を追われた存在は言うことが違うね」

(わたくし)達を狩り立てた当人が仰ると重みが違うというものです」

 刃助の言葉を待たず、間に割り込んできたセラとクレスが視線でぶつかり合い火花を散らす。まさか、この場でやり合うことはないだろうが。

 事情を知らない遥姫や刃助からみれば何事か、と言いたい空気だろう。

 話を聞いた俺とリオンであっても二人の抱える感情は察するまでだ。

 セラにとって人間は自らを狩り立ててきた天敵であり仇敵。根底にある感情は憎悪と憤怒……罪を犯した人間など蟻を踏み潰すのと同程度で感慨すら沸かないだろう。邪魔だから消しただけ、という味気ない感想。

 俺の知らない場所で大きな戦いがあった。

 かつて存在した半分に人間が混じった〈渇血の魔女(ワルクシード)〉の少女オルトニア。立場故に戦うしかなく、ただ滅ぶ道など選べるはずもなく、逃げ道などどこにもなかった。

 殺し殺され喪失と葛藤の先にあったのは抗えぬ絶望。生き残るために、自分すら殺すことを選ぶしかなかった。それ以外の選択が欲しかった。

 クレスは自ら救い育て、守りたかったはずのアークチルドレンを全て失い、セラは全ての〈渇血の魔女〉と〈死神〉を喰らい最後の一人となってしまった。

 互いが互いの大切なものを奪い合い、だからこそ失ってはならないものを見つけ知っているはず。例え未来永劫それがなくならないと断言されたとしても、誰かが立ち向かい切り伏せなければ災厄は際限なく得物を探し続ける。

 千影も言っていた。事件も災厄もなくなりはしない、と。

 俺もそう思う。敵がなければ味方はなく、正邪併せ持つ根源こそが人間の欲という生命を持続させていく原動力なのだから。

 俺は小さく咳払いをして、セラとクレスの激突を仲裁しておく。

 今度は俺からクレスの左脇腹を小突いて発言の準備をさせる。

「遥姫、それと刃助。マフィアって言葉を聞いたら何を思い浮かべる?」

「いきなりだな。そりゃ、あれだ。なんでしたっけ、姫」

「……言葉だけの意味なら麻薬の取引、武器の密輸、後は――」

「殺人、恐喝、高利貸しなどの犯罪とスレスレのもの、

後は不動産も一つの資金源となっていて、こっちは割と合法な方かな。

多分、日本にあった暴力団って組織も同じような括りでしょ?」

 丸投げした刃助の言葉を受けて、おずおずと説明された遥姫の言葉にクレスが補足する。文面上では正解、至ってごく普通の認識。ならばその一歩先を行く。

「そう、暴力団も一緒で多分ニュースで聞いたことはあると思う。なら、

明らかに犯罪行為を繰り返しているはずの暴力団が、何故なくならないのか」

「何故って言われても……ねぇ、姫」

「昔は、憲法で守られていたから。結社の自由……何人であっても団体を結成する権利を持ち、また団体に加入することや脱退すること、解散することができる」

「自由、とはいえ法を犯せば罪に問われる」

 それがあるべき法の姿であり、法によって守られるべき世界のあり方。

 セラが優雅に紅茶を飲み、ソーサーにカップを置いて俺に視線を向ける。

「貴方が真に問いたいのはそこではないのでしょう?

その暴力団とやらも下手に動けば罪に問われることは理解している

はずでしょうし、ヒトが作る(ことわり)であるからこそ必ず抜け道が

ある。いえ、すり抜ける道をわざわざ残していると言ってもいい」

「そう、だ。枠組みがあっても必ず外側へ向かう者は出てくる。

どれだけ説き伏せても、表向きは理解しあっていても滲み出してしまう」

「自律できず、自制もできないものを止めるには根を引き抜くしかない」

 即ち命というただ一つのものを奪い去るということ。

 かつてリヴェンナという混血の〈渇血の魔女〉を狩る〈渇血の魔女〉がいた。

 人間であってもハル・マリスク・アルメリアという行き違いの末に抱えた感情を爆発させ、ただ女としての恋慕だけに執着した者もいた。

 どちらも等しく死に、この世界から取り除かれた。

「どんな法律も、ルールも人間が作ったものだ。憲法も法律も

人間が人間らしく健全に生きられるように制定された仕組み。

なら、その健全という論理は誰が保証するのか」

「つまるところ、端々のルールというのもそこにただ存在するだけなのです。

あるのだから、絶対遵守しなければならないという理はない。

そもそも〈渇血の魔女〉はヒトの作りし戯言の外側に存在するのですから」

「それでも分を弁えるだろう? 種族としての誇りがあるのならば、な」

「ヒトとて同じです。獣に堕ちた者すら守る脆弱な法則が絶対であるはずもない」

「当たり前だ。お前が言うように、完全なものなんてどこにもないのだから」

 切り合う。俺とセラだけで言葉という剣を打ち合って刃鳴(はな)散らす。

 別段、代理戦争をしようというわけでもない。

 造られたものは、そこに存在し機能を果たす。

 だが、どう活用するかは結局人間による。

 使う側の心がどちら側に傾くかで、あるだけのモノは剣になったり盾になったり、自分自身に絡みつき切り裂く茨棘(けいし)となって襲いかかってくる。

「で、でもっ……」

 途切れた。また注目させる。張り裂けそうな想いを言葉にした遥姫に五人の視線と、三人の意識が向けられる。遥姫は酸素を求め、(あえ)ぐように口を開閉させた後に息を呑む。

 引き結んだ唇には決意、瞳には善性を信じたい願いが溢れている。

「警察の人達は頑張って、日々犯罪を追いかけていて、だから私達の

生活が、安全が守られていて……守られているはずなのに、どうして」

「どうして殺さなければならないのか、か?」

 遥姫が続けようとした言葉を先取りする。

 静かに、断定の口調で告げた。遥姫の(とび)色の瞳が驚愕に揺れる。

「そうだ。親父は遵法意識の高い、理想的な警察官だった。

いや、理想を通り越してただの装置に成り果てていた。

転がる法律を遵守させるための、冷たい機械でしかなかった」

「お父さんのことなのに、なんで……そんな」

「父親だからこそ、だよ。遥姫」

 家族と円滑な関係であればあるこそ、疑問に思うだろう。

 内部で跡目争いを繰り広げたクレス、技術の結実だけに執着し放逐されたリオン、生まれも育ちも常に戦場にあったセラは何も口にしない。

 俺もまた、語った通りに資金的には潤っていても精神は渇いていた。

 幼少の時点で既に必要と不必要という道具的思想に囚われ、有り触れたものを得るには単純に自分自身に努力が足りないのだと断定していた。

 だからこそ、入る必要のない場所へ踏み込んでしまった。

 俺の唇が続くべき言葉を吐き出す。

「全部が全部悪いとは言わない。だが、全て正しいわけでもない」

 外見だけで人を判断してはいけない、とはよく言われる。親にもそう教え説かれるだろう。手段の一つとしては正しいが、決して絶対的な基準としてはいけない

 俺達は、〈灰絶機関〉側の人間は多くが家庭内にも闇を抱えている。

 が、そうでない者達もいるし、存在した。

「だから」

 語るのはあくまで一例に過ぎない。偶然に偶然が重なったもの。いや、悪い時に悪いものが重なり降り積もる。偶然ではなく必然、そう思い込むしかなかった。

 続く言葉を飲み込む。代わりに別のものを吐き出す。

「この世界に〝絶対〟も〝完全〟も存在し得ないんだ」

 絶対的に正しいものも、完全無欠の存在もあり得ない。

 警察という組織も、人間というものが集まる以上一枚岩ではないのだ。

 カップに紅茶が注がれる。変わらず流麗な動きで淹れられた琥珀色の液体は白いカップの中で揺らされ、なお煌びやかな輝きを放つ魔女の口腔内に吸い込まれる。

「それで〝来々(くるるぎ) 亮〟は何をもって破壊されたのでしょうか」

 セラが微笑む。御伽噺(おとぎばなし)の続きをせがむ子供の純朴さと、ヒトの苦悩を楽しむ人外の邪悪さが入り混じった笑顔だった。

 皮膚の内側が(うず)く。自らの言葉で抉る形のないモノが崩れかかる。

 違う。これは否定するための言葉ではない。また、正当化するための言葉でもない。ただあったことを、歩いてきた軌跡を刻むだけの作業。

「……幻想(ユメ)から、醒めただけだ」

 そう、世界は残酷なまでに俺に突きつけた。

 詰まるところ、セカイを世界だと認識するのは観測者は当人だけなのだと。

 物語で示されているように、大衆は分かりやすい〝敵〟を望む。単純な勧善懲悪は絶対的正義の主人公が絶対的悪の敵を駆逐して幕を引く。

 現実は倒すだけで解決する事柄はほぼないに等しい。

 黒という色が全てを塗り潰し、上書きされないように圧倒的な武力はただ刈り取るだけだ。アルメリア王を倒したことの後処理で見せつけられた事実だ。

 俺はセラを睨む。セラが爛々(らんらん)と碧眼を輝かせて見つめ返す。

「お前の好む話さ。よくも悪くもヒトという存在が集約された、な」

 あの頃は愚直に突き進むことができた。胸の奥底に秘めたモノを折られ、信念を砕かれ破片を浴び汚泥を(すす)るまでは、ヒトとしての形を保てていた。

 一人一つ限りである命は切り分けられると知った瞬間でもあった。

 闇を食い破り、さらなる深淵へ潜るには何もかもが早すぎたのだ。

 また俺は過去を見る。絶望色に塗れたセカイへと意識を引きずり堕とした。

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