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灰色の境界  作者: 宵時
第四章「……ええ。時を経て、俺は殺人者になった」 「〝英雄(ヒーロー)〟とは言わないのだな」
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4-17 盲信的絶対正義論

 子供の頃、夢中になって見ていた番組があった。恐らく、それは自宅にテレビがあれば誰でも目にするものであり、性別問わず虜にされるものだと思う。

 いわゆる勧善懲悪ものの、一定クールで入れ替わる戦隊物の特撮番組だった。

 幼児から大きなお友達までも夢中にさせる物語は、世界は守るべき大切なものであり必ず正義の味方である戦隊に敵対する組織があり、多くの悪役は世界征服をもくろむ。

 悪役が卑劣な手を使っても、仲間の力や正義を信じる心が眠れる力を呼び起こして最後には必ず悪を滅ぼす。悪が栄えた試しはなく、例外なく悪の幹部は改心し味方となり、組織は少しずつ切り崩され親玉はかつての部下を含めた正義によって駆逐される。

 因果応報、悪因悪果、天罰覿面(てんばつてきめん)

 絶対に正義は悪に屈服しないし、最後には必ず勝つ。

 だから日頃からいい行いをしなさい、よく言うことを聞きなさい。

 そんなふうに道徳的な小言を言い続けられた……訳ではない。

 代わりに俺の父親は冷たく暗い光を湛えた瞳で俺と、俺がかじりつくように見ているテレビを睨んで、こう告げていた。


――いいか。この世界は正義と悪だけで割り切れるほど、単純じゃないんだ。


 幼い俺に意味が分かるはずもない。まだ与えられる情報が余りに多すぎて、どれが正しく何が間違っているのか分からず指針となるのは両親の教えであった。

 そうあるべきはずだったが、俺に何かを伝え教える存在は家にいなかった。

 父親は警察官として時間の区切りなく勤労に勤しんでおり、検事である母親は職務以外の時間は別宅で過ごすため、両親が家にいることはほぼない。

 すれ違いの生活で両親の間に互いを思い合う心はなく、一家団欒など夢のまた夢であった。当初は家事手伝いを雇っていたが、金品を物色していたことが発覚してから見かけなくなった。

 父親に連れられ、項垂れながら家を後にする姿が最後に見た光景。

 代わりの者が寄越されることもなく、俺は家の中でたった一人だったのだ。

 俺にとっての身近な〝家族〟はテレビであった。

 彼もしくは彼女は常に同じ場所に座している。様々な情報を伝えてくれる。

 楽しく、時に悲しいものも教えてくれる。多くの時間を共有してくれる。

 流れ出す情報を蓄積していっても父親の言葉は理解できずにいた。

 物語の多くが正義と悪に二分され、対立している。事件を起こす犯人がいなければ事件を解決できる探偵という存在は必要ない。魔王が世界の支配を望まないのであれば世界に危機は訪れず勇者は民衆に必要とされない。

 母親もいなくなる前に言っていた。白と黒とはっきりと切り分けるのが仕事なのだと、そのためには自らもばっさりと切り捨てなければならないのだと。

 言われた瞬間は分からなかったが、後に俺達が切り捨てられたのだと気付いた。

 家には母親も父親もいなかったが、どうでもよかった。どちらも正義のために戦っている。己の信念を貫き通すために日々前進しているのだ。ならば相応しい子供にならねばならない。警察官と検事の息子として、恥ずかしくない能力を身につけねばならない。

 勉学に励まなければならない。

 小学校に入学する頃には、そうして自分自身を誤魔化していた。


 小学校に入っても特に家の中には変化がなかった。相変わらず母親は帰宅せず、たまに帰ってきたと思えば俺の成績のことばかりを気にしていた。

 よい結果を残せばお金をもらえたが、少しでも彼女なりの水準を下回ると長々と罵詈雑言の入り混じった説教を叩きつけれた。仕方がない。俺が悪いのだから、反論はできない。まだ俺の中で母親は絶対的に正しかった。

 父親はほとんど寝るためだけに家に帰っているような状態だ。帰ってきて風呂に入り、着替えて寝て起きて食事も摂らずに出ていく。この時は、まだ気付けなかった。単純に母親よりも厳しく、今の俺は会話することすら値しない存在なのだと思い込んでいた。

 勉学にはより一層打ち込んだが、幼稚園からまして行事やら保護者会に全く参加しないことに周囲から非難の声があがることもあったが、どうでもよかった。

 正義をなすためには何かを切り捨てなければならない。

 母親や父親のようになるためには国家資格もしくは、匹敵する難易度の試験に合格しなければならない。そのために不要なものは全て切り捨てていく。

 いつしか好きだった戦隊物の番組やドラマは見なくなっていった。

 代わりに多くの時間を報道番組に裂くようになった。クラスメイトとの距離感はより開き、話題に加わることもなく反応も示さない。

 当然のように俺は孤立していった。

 自宅に帰る。ただいま、と口にしてもお帰りと言ってくれる者はいない。

 自然と手が動いて〝家族〟に命を吹き込む。画面に映像が浮かび、音が溢れ出す。テレビの中には笑い合い、温かい食事を囲む家族があった。

 買ってきたモノを食卓の上に置き、中身を取り出す。

 俺の家の食卓には眩しすぎる白光の下でコンビニ弁当が照らされている。温かいのは電子レンジで温めたからであり、時間が経てばまた冷えてしまう。

 椅子を引き、座る。手を合わせて頂きます、と告げる。

 黙々と食事を摂る。テレビは様々な声色で色々なことを語っている。

 一人でも寂しくはない。苦しくない。辛くない。悲しくない。胸を締め付けるような痛みを否定し、両目から分泌される液体の理由は考えないようにする。

 正しくあり続けるには必要なことなのだ。

 物語の世界では誰もが笑い合って、仲間と共に困難に立ち向かっていた。時につらく苦しくとも最後には必ず壁をぶち破って仲間と共に勝利を分かち合った。

 現実は違う。俺にはまだ敵が想定されていない。まだ、敵の前に立ちふさがれる資格すら持っていない。知識を身に着け、目標に突き進むために耐える時期だ。

 明確な目標がある。両親に認められ、共に正義をなすために身を粉にして戦う。

 きっと目に見えていないだけで、正義の味方達も陰で努力しているはずだ。

 父親も母親も言っていた。努力は必ず報われる、だが努力すらしない人間には何も与えられず、また勝ち取ることもできない。

 頬に一筋の軌跡が生まれる。雫が食卓の上で弾け散った。

 突如、遠くでけたたましい爆発音が響いた。

 揺れる。世界が歪み、足元から振動が襲いかかってきて体が浮くような感覚。反射的に割り箸を放り出し、食卓の下に体を滑り込ませた。

 食器棚が倒れる。激しい破砕音が鳴り響く。扉の硝子が砕けて、既に割れていた中身が飛び出ていきさらに微細な破片へ変化させられる。

 頭を抱えて(うずくま)る。

 ただただ恐ろしかった。魔王や怪物など空想の産物ではなく、俺にとっては知識でしかなかった巨大地震が俺達の世界に襲いかかったのだった。


 震災後、流石に両親は家に戻ってきた。幸いにも耐震構造的にも十全な備えがあったため、自宅の被害は食器類の破砕程度に留まり、両親にも怪我はなかった。

 地域的にも被害は軽微であったが、一方で深刻な被害を受けた地域もあった。

 母親は地域復興のために団体を起こして自らの事務所周辺を守ることを選んだが、父親はそれまで追い続けてきたモノを追い詰める道を選んだ。

 どちらの道も間違っていない。どちらも正しく誰かのためになる。

 両親は俺に選択を迫った。どちらについていくのか。

 だが、ただの小学生に過ぎない俺に何かができるとは思えなかった。だから、単純に知りたいことで選んだ。かつて父親が口にした言葉が頭から離れずにいた。

 父親に付き従い、それまで住んでいた地域を離れる。

 後悔はない。後ろ髪をひかれるものもない。

 あっさりと全てを投げだせるくらいに何の思い出もない場所だった。

 要らないから捨てる。それだけのはずだったが、俺は選択を誤ったのだろう。

 俺にとっては軽い衝撃も、場所を違えれば重く強いものに変わっていた。

 そして知るべきではなかった。知りたくは、なかったのだ。



 現在のアルメリア王国……かつて日本と呼ばれていた国は、あくまで法治国家であり人々は定められた法と培ってきた知識、そして共有するべき倫理観をもって日々を送ることが美徳とされた。

 俺は父親に手を引かれながら新たな土地を歩く。道路一帯に亀裂が走り、行きかう車の姿はない。急ごしらえにシートを敷かれただけの歩道を進む人達は、皆どこか疲れたふうに見えた。

 空気が重い。父親の手からじんわりと汗が(にじ)むのを感じた。

 軽く息を吸い、(むせ)る。喉に痛み。

 棘に触れたような、変なものを飲み込んでしまったような違和感を覚えた。

 父親が問う。大丈夫か、と。俺は頷いて返すだけ。弱音を吐けば追い返されるかもしれない。俺は父親の傍にいたかった。ヒーローの傍にいたかった。

 もう見なくはなっていたが、テレビが伝える物語の中において正義をなす主人公には必ずサポートを行う協力者がいた。

 俺が担うべき役割はそれだ。そうならなければならないのだ。そして、ゆくゆくは正義を受け継いで繋いでいく。そんな存在にならなければならない。

 父親は重々しく頷くと先を歩み、手を引いた。歩き続ける。街並みを眺める。

 商店街は多くの店がシャッターで世界との関係を断ち切り、開いている店でも陳列棚に空きが目立っていた。販売を担う壮年の男は奥の椅子に座ったまま。

 一般の店でしつこく行われる呼び込みも、通りかかる客に問答無用でぶつける言葉もなくただ静かだった。本当に商売をする気があるのだろうか。

 精肉店の前を横切る。やはり商品が入るべきケースには空きが多い。売り手の姿は見えなかった。誰が管理しているのだろう。

 鮮魚店を見かける。生簀も店の中もからっぽだった。

 この空間は本当に商店街なのだろうか。

 今まで見てきた風景とは何もかもが違う。

 父親いわく、この辺りは被害が大きく流通が途切れているらしい。ならば何故営業をしているのだろう。売るものがなければシャッターを下ろして店を閉めればいい。俺には分からないことだらけだった。父親は多くを語らなかった。

 ゴーストタウンのような街を抜けて新しい自宅に着く。2DKのアパートだったが、それでも俺には広すぎる。最低限の家具用品は揃えられていた。

 父親が俺に鍵を渡す。ここからは一人で行動するらしい。

 新しい地でも俺はたった一人だった。変わらない。何も変わらない。

 父親が何と立ち向かおうとしているのかは分からない。

 だが、それは正しいことなのだ。正しくあることは間違っていないということ。

 考える。こんな俺でも何か父親の助けになることができるはずだ。

 探せ。考えろ。父親があえてこの地へ向かってきたならば、ここは何らかの要因によって社会的ルールを逸脱している。

 この町は、何かがおかしい。父親は説明してくれなかったが、今まで住んでいた場所にはなかった〝何か〟がある。

 それを言葉にすることは、今はできないがきっと父親はその違和感を消し去り、当たり前の日常を取り戻そうとしているのだ。

 俺にできることは少ない。が、たった今一つ思い浮かんだ。

 明日からは新しい学校に通うことになる。これまではクラスメイトは風景と一緒だったが、今回は積極的にかかわって情報を引き出していこう。

 この地で何が起きているのか。どこに悪が潜んでいるのか。

 生身の家族と過ごす時間がなかった代わりに、多くの知識と触れることはできていた。家の中には両親が知識を蓄えるために得た書物が大量にあった。

 俺は少しでも両親に近付くために必死に読み漁った。

 家族との触れ合いは肌と肌ではなく肌と紙であった。

 全ては両親に認められるため、喜んでもらうため。

 俺が役に立てればきっと父親も母親も一緒にいて笑ってくれる。

 テレビが伝えてくれたような当たり前の家族として日々を送ることができる。

 正義の裏側に必ず悪があるように、両者は互いがなければ存在し得ないもの。

 あらゆる現象には理由があり、問題さえ解決すれば現状は必ず変えられるはず。

 その変化が光と闇に分かれることも知らず、(ある)いは気付かずに。

 自分が勇者だと勘違いした愚者のように、深い闇へと飛び込んでいく。

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