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灰色の境界  作者: 宵時
第四章「……ええ。時を経て、俺は殺人者になった」 「〝英雄(ヒーロー)〟とは言わないのだな」
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4-15 冷たき告解

 加賀見が他の共演者を抑えたとはいえ、また捕まってしまう可能性はゼロではない。劇のために調達した資料を返却する、という嘘の名目で俺とクレス、リオン、刃助に遥姫は一足先に阿藤学園を後にし、緑化地区にある九龍院流格闘道場……もとい坂敷邸へと向かう。

 流石にリオンと二人で向かった時とは違い、今回はバスを使った。

 幸いにも最後尾の席が空いており、俺が一番奥に詰めてリオン、クレスと続き刃助が遥姫との間に割り込む形で陣取った。

 車中で刃助はしきりにイズガルトの魔法について問いただし、解説を聞くも理解できず首を傾げながらも思春期男子が望むような模範的妄想を垂れ流していた。

 クレスが苦笑しながらも補足し、また刃助の暴走をやんわりと止めつつフォローして遥姫が話の受け役となり、時折リオンも会話に加わっていた。

 俺はというと、そんな流れを耳に挟むだけでずっと車窓の外を眺めていた。

 覚悟を決めた時とは違い、楽しく穏やかな時間は自然なのか、それとも意識して作られているのか。どちらにせよ俺にとっては遠い世界だった。

 空にさす蒼がさらに深まった頃、道場前のバス停に降り立つ。

「おぉ、ここがかの有名な九龍院の格闘道場……壮観ですなぁ」

「大きい……」

 俺が先頭に立って歩き、大仰な門を潜っていく。大げさに驚く刃助ほどではないが遥姫も邸宅の大きさに素直な感嘆を漏らしていた。特に答えず進む。

 門から庭石を敷き詰めた道を歩き、中庭を通っていく。道場を素通りしてそのまま診療所の方へ向かう。引き戸に手をかけようとした時、刃助が声をあげる。

「か、勝手に入ってもいいのかね」

「勝手知ったる仲だ。何も問題はないんだが……」

「むむむ、亮さんにそんな大胆さがあったとは」

「お前の方が十分大胆だよ」

 答えながら戸を引いて住居部分へ足を踏み入れる。

「こんばんは、突然すみません」

「亮さんよ、アポなしとは……」

 勝手知ったる仲とは言ったが、確かに連絡は入れていない。

 時間的に晴明はまだ診療中だろう。

 が、千影か紅狼(くろう)のどちらかはいると思ったのだが。

「あぁ……? なんだよ、一体」

 廊下の奥から声。のそのそと男が這ってこちらへ向かってきた。

 逆立てた茶髪に野生動物のそれを思わせる鋭い黒瞳、全身を縦横無尽に走り抜ける傷跡は百戦錬磨の傭兵といった風体であり、初対面の人間を物怖じさせる。

 振り返ると遥姫は外から戸を盾にこちらを眺めており、刃助は額に脂汗を浮かべながらも威風堂々とあろうと精一杯胸を張っていた。

 クレスとリオンは苦笑い。俺も小さく笑う。

 獣のうなり声みたく低い声だったのが余計に恐怖心を煽ったか。

「紅狼さん、師匠は?」

「ああ、お前ら来るなら来るって言えよ。接客応対なんて面倒くさい――」

「いないみたいですね。とりあえず上がらせてもらいます」

 付き合っていると延々と愚痴に付き合わされそうなので、さっさと靴を脱いで玄関で向きを揃えて置く。視線で促し、俺に倣ってクレス、リオンと室内へあがる。

「お、お邪魔します」

「ちょ、っと姫! まずこの私めから……」

 意を決して、というふうに遥姫も続いて最後に慌てつつ刃助が律儀に戸を閉めてからあがる。

 紅狼は起き上がって胡坐(あぐら)をかき、眠たげに(まぶた)をこすっていた。

「ふあぁぁ…………三人揃ってまぁ。で、後の二人はなんだ?」

「あ、あの……亮くんのクラスメイトで、月城 遥姫と申します」

「お、同じく無二な親友の計継 刃助といいますっ!」

 おずおずと遥姫がお辞儀し、刃助は大仰に床に額をこすりつける勢いで頭を下げた。紅狼は興味なさげに欠伸(あくび)をしかけ、噛み殺してまた瞼をこする。

「あー……あれか。東部衛星都市の時の――」

「紅狼さん、師匠がいないなら帰るまで待たせてもらいます」

「……分かったよ。まぁ、中でも案内してやれ」

「はい、そうします」

 言うだけ言うと、どさりと紅狼は床に突っ伏してしまった。

 程なくいびきが聞こえ始める。どうやら本当に眠たかったらしい。

 俺はまたも視線で示してクレスとリオンを先に行かせる。

「さ、行こうか」

「えっと、その……いいの?」

「無理に起こすのも悪いだろう?」

「そう、かもしれないけど」

「行きましょうぞ、姫。ささ」

 刃助に背中を押され、ようやく遥姫も歩き出す。この場に留まっても意味はないし、紅狼との関係性を語る必然性も感じない。

 筋を通すべき相手は千影であり、刃助と遥姫の今後も踏まえて頼み込まなければならない。知られてはいけない存在を語ってしまうことの許可を取らねばならない。表側の世界から裏側の世界に踏み込むということは、そんなに簡単でもない。

 知った後どうするのか、どうなるのか今の俺には分からない。それでも、巻き込んでしまった以上、そして目の前で〈死神〉の能力を行使した以上は説明せねばならない。

 唇を噛んで、俺は精神に釘を差し込んだ。



 申告した通り、俺は刃助と遥姫に邸内を案内した。もっとも、以前に剣聖・相滝 緊道と共に大量の新規門下生を囲い込んだ折に見て知っていたのですぐ済んだ。

 あの時は元気な男子生徒が打ち合いを繰り広げた庭に、宴会をした大広間。診療所へ繋がる裏口に紅狼や晴明、千影の私室や各種の物品を備えた空間。

 中庭を挟んで視界に入る道場を前に刃助が感慨深そうに頷き、口を開く。

「そうそう、かの宴から本当に入門した者はいたのかね?」

「ああ。アレな動機で入った奴は激しさに耐えかねてすぐいなくなったが……」

「そんなに熱く激しい行いが……ゴクリ」

「刃助の思うような素敵なやり取りはないから安心してくれ」

「なんだ、ないのか……」

 残念そうに項垂れる刃助。昨今晩婚化の影響で様々な形で婚姻活動を促す働きはあるし、その流れで剣道婚活も流行ったらしいが、あくまで出会いのきっかけに過ぎないし主旨が違う。

 精神と共に肉体を鍛えて来るべき事態に備える。俺達の場合は犯罪者を狩る剣であり、盾となる方策で一般人にとっては自らを守る茨の鎧といったところか。

 無論、うまく状況に応じて技を繰り出すのは口で言うほど簡単でもないが。

「お前は習わなくても十分強いだろ」

「いやいや、亮さんやクレス殿には遠く及ばんなぁ」

「謙遜することはないじゃない。なんだっけ、その……ノーキン?」

「リオン嬢、それは褒め言葉じゃないですぞ」

 よよよ、と泣き崩れる演技をする刃助の反応を真に受けてうろたえるリオン。

 クレスが微笑み、遥姫も失礼だと声には出さないが笑っている。

 和やかで、温かく柔らかい普通の空間で行われる何でもない会話の応酬。

 かつて俺よりももっと強く気高く優しい人達がいた頃もこんな具合だった。そんな、過去の映像にいた彼らは既に遠く、最も近い場所で熱く強く脈を打つ。

 左胸を抱くように両手で押さえる。映像の中には自らが喰った少女もいた。

「亮くん……大丈夫?」

 不安げな表情で問う遥姫に対し、反射的に偽りの笑顔を作ってしまう。

「ああ、大丈夫だ」

「その、ね。落ち着いたらまた、あの時みたいに

みんなで文化祭の打ち上げができたらな、って」

「文化祭の打ち上げ、か」

「うん。私と鏡華ちゃんとで根っこを作ったから私にも責任があるし」

「いや、ないよ。遥姫」

 断言する。遥姫にも加賀見にも何ら落ち度はない。

 逆に感謝しているくらいだ。フォローと、聞かずにいてくれたこと。

 恐らくは何度も、何度も問いただしたい衝動を抑えてきたはずだ。

 紫肌の異形が何を目的とし、何者であるか今はもう確かめる術はない。だが、あの場での判断が間違っていたとは思わないし後悔しているわけでもない。

 多分、今俺の胸中に巣食う闇はこれから起こりうることへの不安。精神に絡みつく糸を引き千切り、思考に陰をさす(もや)を払って、また俺は偽る。

「終わったら、後は勉学にまっしぐらだからな」

「そう、だけどまだいくつか残ってる」

「うむ。文化祭が終わっても肉体の祭典があるぞ!」

「後はアルメリアだと修学旅行っていうんだっけ?」

「卒業旅行という手もありますからね」

 俺の言葉に遥姫が応じ、刃助に始まりリオンとクレスが繋げていく。

 文化祭終了を区切りとしてリオンはウランジェシカへ向かい、クレスはイズガルトに戻ってクラッドチルドレンを狩っているとされる男、自らの実兄であるリタルダント・アーク・エイシェンとの戦いを控えている。

 刃助が暑苦しいくらいのいい笑顔で口を開く。

「せめて卒業旅行くらいはクレス殿とリオン嬢も同行して欲しいですな!」

「ん。なるべく、早く戻れるよう頑張る」

「僕も、用事が終われば戻ってくるよ。まだこの国に学ぶことは多いからね」

「ふふふふ、アルメリア国民としてはうれしい言葉ですな」

「まさか刃助に愛国心があったとは……」

「亮くん、それは流石にちょっと失礼かも」

 口々に展望を想い抱き、未来予想図を描きながら居間へと向かう。

 理解しておきながら俺もクレスもリオンも、誰もが偽りを吐き出す。

 きっと思い描いた楽しい未来はやってこない。リオンが内心で抱く目的は分からないが、クレスは自らの血縁を断ち切ることで、また心に(ほの)暗い陰を落とすだろう。

 分かっているからこそ、誰もが真実を告げず……告げられないでいる。

 覚悟したはずなのに揺らぎ続けている。

 闇に染まりすぎた者は、飲まれるしかない。

 歩みを続け、居間に辿り着くと明かりがついていた。

 鼻腔を夕餉の匂いがくすぐる。戸を開け、足を踏み入れていく。

 最初に目にした人物を前に俺は目を見開いた。

「…………何故、お前がここに、いるんだ」

 占い師のような、ゆったりとした黒いフードで顔を隠してはいるが左胸に刻まれた〈死神〉の刻印は如実に隠された素顔が誰なのか認識させる。

 樫の大机を囲むのは黒フードの人物の他に二名。変わらず眠たげな目で手招きしている男、坂敷 紅狼がどっしりと胡坐をかいて構えていた。

 その反対側、もっとも他者と隣り合わない位置に座するのは我らの首魁。

「当然、私が呼んだからだ。大虚(うつ)けめ」

 憮然とした表情から一転して、その赤黒い瞳で千影が俺を睨みつける。

 ちらりと紅狼の方を見ると巨漢には全く似合わないウインクを返された。

 どうやら寝転がったのは演技で直後に連絡を取っていたらしい。

「千影様が招かなければ、このような場所に赴く理由などありません」

「そう言ってやるな、セラ。ほら、室内でずっとローブをまとうのは辛かろう」

「……しかし」

「この場にお前を否定する者などいない。虚けの後ろにいる部外の者も含めてな」

「…………それが千影様の望みであれば、致し方ありません」

 フードが下ろされる。長く煌びやかな金髪が露わになり、神造の美貌が世界に晒される。人に対する永劫変わらぬであろう憎悪と憤怒の碧眼は俺、ではなく後に続くクレスへと向けられているのだろう。

 黒の魔女、セラ・フロストハートが何故この場にいるのか。

「亮、何を問うのも勝手だが客人を棒立ちにさせたまま続けてもいいのか」

「いえ、そんなことは……ない、のですが」

「まったく。後ろの娘もだ。動かぬ虚けの代わりに役を果たしてこそ、だ」

「私は別に、亮……じゃない、来々木君の代用品じゃないんですけど」

「今更何を取り繕う必要がある? 貴様らは喪う覚悟で連れてきたのだろうに」

 千影の言葉、一つ一つが胸に突き刺さり(えぐ)っていく。

 だが、正しい。このまま飾り案山子(かかし)になっていても何の意味もない。

 無言で歩を進め、席を探す。紅狼に近い場所に詰める形で俺、続いてクレスにリオンと腰を下ろし机を囲む。千影の瞳は戸へ向けられたままだった。

「宴以来か。さ、遠慮せず座れ。もうすぐ夕食の準備もできる」

「そんな、ご馳走になるわけには……話が済んだらすぐに帰りますから」

「刻限が遅くなっても問題ない。そこの愚義弟に送らせよう」

 応じた遥姫にも変わらない口調で千影は畳みかける。刃助が割って入ろうと試みるも、千影の声色と遥姫が答える声は介入を許さない気迫があった。

「ですが、今日は何の名目もありません」

「ふむ。理由なく(あずか)るのが嫌だというのであれば

理由をつけてやろう。いずれ、貴様とそこの脳味噌まで

筋肉で構成されていそうな男は我々と共に在るやもしれぬ」

「それは、どういう……」

 意図を理解できず問いを投げる遥姫。俺は、言葉が持つ意味がすぐに分かった。

 セラが千影に代わって続ける。

「もっとも、夜飯(やはん)の途中で退席されるかもしれませんね。

ヒトとヒトの繋がりは、かくも脆く儚いものですから……」

「馬鹿なっ! 俺と亮との間は絶対不変で――」

「私が、いつ口を挟むことを許可しましたか」

 セラが放つ絶対零度の言葉が刃助の喉元を完全凍結させた。俺にまで冷気の針が届き、貫かれそうな危機感すらあった。空間が、時間が停止している。

「セラ、無暗に部外の者を(なぶ)るな」

「ハッ…………申し訳、ありません。千影様」

「構わん。とにもかくにも、座れ。ゆっくり話もできん」

 促され、リオンの隣に遥姫が座り、その右隣に刃助が腰を下ろす。

 広い大机の片側だけで俺を含めた六人が座っているため、狭さを感じる。刃助が正面のセラが放つ人間離れした美しさの魔に当てられ、表情をとろけさせていたが突っ込む余裕もそれを許される空気でもなかった。

 不機嫌そうに表情を歪め、セラが続ける。

「火付きの悪い男もようやく覚悟を決めましたか。表側を葬るのだと」

「……わざわざ確認されるまでもない。

二人を連れてきた時点で分かっているはずだ」

「千影様を通して聞いてはいます。正体不明の敵を殺したそうですね」

「ああ、倒した」

「いいえ、間違いなく貴方は殺害せしめたのです。

ヒトの現実を守るため、ヒトでないモノを殺した」

 そう、殺した。どう言葉を選び、言い換えても起きた事象は変わらない。

 夢から醒めたように刃助が勢いよく机を叩き、叫ぶ。

「そうだ! 亮さんよ、アレは一体なんだったのだ?」

 何であったと説明すれば納得してくれるのだろうか。

 違う。そうではない。一つ一つを仔細に語ろうとしても、また覆い隠してしまうだけだ。聞こえのいい言葉か理解し辛い専門用語を並べ立てて受け入れることを諦めさせるだけだ。

 それでは何の解決にもならない。何も進まない。

 俺は確認を取るように千影の顔色を伺う。返事は短い首肯。

「俺達は――」

「さあ、晩御飯の準備ができたよ」

 張りつめた空気の詰まる場を叩き壊し、晴明が料理を運んできた。

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