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灰色の境界  作者: 宵時
第四章「……ええ。時を経て、俺は殺人者になった」 「〝英雄(ヒーロー)〟とは言わないのだな」
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4-14 最も長き夜の始まり

 異形たる存在を排除し、表面上は無事に舞台を終えた後、覚悟していた通りに後始末をすることになった。シナリオ変更に異を唱える者、見せ場を奪われたと叫ぶ者など様々ではあったが彼らの文句を聞くこともなく俺は加賀見と共に劇の責任者として教員室に招かれた。

 流石に劇での衣装のままいるのは気恥ずかしかったので制服に着替えるまで待ってもらってから二人して閑散とした教員室に直立する。

「――だからな、絶対に何かやらかすんだよ。

最後だからってたるんでるんじゃないぞ」

「それ、さっきも聞きましたけど」

「何度でも言ってやるさ! 言わんとお前らは分からんのだからなっ!」

 鼻息荒く宣言する教師は説教好きで有名、かつ堂々巡り地獄を持つことで生徒達の間では相手にしたくない教師ナンバーワンの不動王座に座る熱血男性だ。

 俺は愛想笑いの作りすぎで引きつった表情筋をほぐしたい気持ちに駆られながらも、波風立てぬよう根気よく会話を続ける。

「ですが、一つの物事に囚われすぎると別の事案を逃す可能性がですねぇ」

「む……加賀見の言うことも、まぁ一理ある。だが、まさかお前がやらかすとは」

「いやはや、想定外でした。本当に申し訳ありません」

「まぁ、その例の留学生も無事だったことだしな、うん」

「ではこの辺りで?」

「ああ、良いだろう。だが罰は必要だ」

「罰、ですか。穏便になりませんかねぇ」

 加賀見の誘導で何とか地獄からは抜け出せそうだ。俺は黙って様子を見ることにする。加賀見が視線を寄越してきたので、俺も相応の準備はしておく。

「いわゆるサプライズという奴です。演じている皆にも楽しんで欲しくてですね」

「それも怪我がない範囲内でだな……ああ、そうだ。来々(くるるぎ)の演技は素晴らしかったらしいな。鬼気迫る様子で、客の方は拍手喝采で大好評だとな!」

「え、ええ」

 一応表向きはアルメリアにおける最新鋭の生体機械人形を使った演出だとし、本物のような臨場感を魅せる意図だったとされている。

 迫真だと言われても苦笑するしかない。本当に戦闘していたのだから。

 両手のひらを天井へ向け、開く。包帯によってぐるぐる巻きにされた痛々しい姿を世界に晒している。あの後すぐに駆け寄ってきた遥姫が応急処置をしてくれた。

 が、余り意味はない。既に包帯に隠された皮膚は再生し元通り回復しつつある。

 〈死神〉が〈死神〉である所以(ゆえん)で、俺が普通の人間じゃないと再認識させるものだ。

 心を(かげ)らせるモノを意識の端へ追いやり、努めて笑顔を表情に浮かべる。

「有難う御座います。それで、罰とは……」

「うーん、そうだな。明日はお前達は自由に回れ。劇は禁止だ」

「そ、それはっ! 待ってください」

「ただし上映はしていいぞ、うん」

「ということは、編集した映像を父兄に見せるのは問題ない、と?」

「うむ。無論チェックはさせてもらうぞ。父兄に見せるものにあんな過激な――」

 またくどくどと言い始めたが右から左へ聞き流しておく。

 ひとまず出入り禁止にはならないらしい。

 最悪の事態は回避できたと言えるだろう。

 文句を言っていた者達にもある程度の抑止力になる。

 問題は、実際にあの場にいた〈灰絶機関(アッシュ・ゴースト)〉以外の人間……遥姫についてだけ。

 今更何を迷う必要があるのだろう。選べる道は最初から一つしかなく、元より覚悟していたことだ。

 現在(いま)がこの先もずっと変わらず続くなんて誰も保証してくれない。

 そんなことは、ずっと昔に思い知らされている。この世界に都合のよい結果をタイミングよく与えてくれる完璧な存在がいないことも。

 これまで〈灰絶機関〉が影の執行者として動くことができていたのは、偏に裏側で尽力している者達があってこその結実だ。

 加賀見を始めとする裏方の、クラッドチルドレンであった者達。

 俺にも彼らと同じく断罪の時がきたというだけの話。ずっとずっと欺き隠し続けてきたツケを支払う時がやってきただけの話。

「――ともかく、だ。限度を覚えて楽しみなさい。以上!」

「有難う御座いました」

「ありがとうございましたぁ」

 しれっと俺は答え、加賀見は間延びした調子で返していた。




 教師から解放され、多目的ホールの裏側へいくと人だかりができていた。

 中心には困ったように微笑むクレスと、何故か隣で氷像を両手で抱えているリオン。リオンの表情は苦笑いと逃げたい衝動が入り混じったものだった。俺ももらってしまったように同じ苦笑いを浮かべる。

「お、戻ってきたぞA級戦犯」

「だぁれが戦犯ですかー、ひどいじゃないですか」

 軽い調子で返した加賀見の言葉を皮切りに劇に出た生徒達の不満が爆発する。

「でも勝手に演出変えてくれちゃったのはお前なんだろ、根暗来々木よぉ」

「あれは明らかにアドリブだったよな。全部台本になかったし」

「ひっでぇよなぁ、俺達の出番を奪っておきながらしっかり目立ってよ!」

「でも主人公って目立つもんだよな。普通じゃね」

「目立たないならモブだよな。そもそもなんで来々木なんかがメインなんだよ」

「脚本の下地作ったのって加賀見と月城だって聞いたけど」

 さて、何から対応すればよいやら。加賀見もどれから抽出して和解案を示す道筋を作ろうか考えているふうだった。遠くで女子生徒が声を張り上げる。

「で、でも来々木君、カッコよかった、かも」

「何言ってんのよ、クレス様が一番に決まってるでしょ!」

「そうそう、魔法って本当にあるんだね。凄かった……」

「ホラ、この氷像もクレス様がお作りになったもので」

 うっとりする女子生徒に続いて黄色い声が次々とあがっていく。

 どうやら魔法の実演でもやっていたらしい。随分と大胆なことだ。

 もっとも現実と空想の境界が、奇術か魔術か見極められているのか。

 実際の演じ手に聞くしかないか。

「ハイハイ、とりあえず聞いてくださいよぉっ!」

 手を叩き、強引に全員を黙らせ注目を集める。なんだかんだ言っても結局まとめてしまう能力は驚嘆に値するものだと思う。

 鎮まったところで加賀見が重大発表をするように、ゆっくりと口を開く。

「明日の劇なんですが、その、あのですね……出演枠なくなっちゃいました」

「はぁ? ふっざけんなよ!」

「オイオイ、俺は何のために練習してきたんだよっ」

「ラストシーンで軍勢と軍勢がぶつかり合って思い切りやれると思ったのに」

「日頃のストレスを晴らす機会だったのに……」

 晴らしては駄目だろう、と思いつつも概ね予想通りの反応であった。

 加賀見も予測済みという表情で続く言葉を生み出す。

「代わりに、といっては何ですが……上映許可はでましたので、希望される方は

別口で演出の続きをして、編集した上で父兄向けに公開することはできます」

「それって今から撮影すんの?」

「リハのを使い回すことはできるんじゃないか」

「じゃあ明日は一日フリーってことか」

「それはそれで楽かも……道具係すげぇ疲れた」

「俺も。ある意味舞台役者の裏方の苦労を知れたよな」

「だから、いっぺんに言わないでくださいよぉ」

 一度に生徒達からの疑問質問をぶつけられて困惑している加賀見をよそに、俺は向き合うべき相手と視線をぶつけ合っていた。

 いつになく強い意志を込めて刃助が俺を睨んでいる。

 かつて初対面で掴みかかってきた時と同じ迫力があった。

「と、とりあえずここじゃあ何ですので移動しましょ、ねっ」

「おっし納得いかない奴らは加賀見と一緒に行こうぜ」

「私達はもういいかな。まだ回りたいし……」

「じゃ、ひとまず解散ってことで」

 感情をぶつける筋道ができたことで、不満を持っていた者も解放感を全身で感じる者達もそれぞれ気持ちの整理はついたようで勝手気ままに別れていく。

 加賀見も生徒達を引き連れながら目で訴えていた。後は任せる、と。

 彼らと向き合うのは俺であって、俺でなくてはならない。リオンもまた同じ。

 女子生徒から解放されたらしいクレスが戻ってきて、場の空気に苦笑いを浮かべる。残っているのは俺とリオンとクレス、そして刃助に遥姫。

 刃助が一気に距離を詰め、俺のシャツの襟首を掴む。

「亮、何故俺が怒っているか……分かるよな」

「ああ。言い訳するつもりもない。好きにしてくれ」

「……分かって言ってるな。亮さんよ、その諦めた眼は全然変わってない」

「なら、どう言えばいい?」

 鈍痛。俺の言葉に対する返事は左頬への一撃だった。刃助は振り切った拳を掲げたまま、闘牛のごとく荒々しい息遣いで俺を睨み続けている。

 短い悲鳴があがった。俺は声の方を見ることなく、刃助と睨み合う。

 口の中に鉄の味が広がっていく。容赦のない憤怒の拳だった。

「何故、姫を危険に晒した」

「演出よりも多少ずれが生じただけだ。無事だっただろ」

「違う! そんな出まかせはもういい。クレス殿もクレス殿だ」

 急に矛先を向けられ、クレスが困ったように笑う。

 演技であるが、それが余計に鼻についたらしい。

「クレス殿の応じ方は、知ったふうに見えた。リオン嬢もだ。事前に

知っていた者は何名いたのだ? そもそもアレは一体なんだというのだっ」

「僕は、ただ最善を尽くしただけだよ。僕が持ちうる手段でね」

「結果を問うてはいない! 質問の答えになっていないっ」

「ちょっと落ち着いて――」

 曖昧な言葉で距離を保ちつつ、クレスが俺に問いかける。

 どうするのか、どうするべきなのか。俺の答えは決まっている。

「待って、計継(はかつぎ)君」

 決まっていたが、刃助とクレスの間に割って入ったのは遥姫だった。

「姫、何故……」

「いいの。だって、事情があるのでしょう?」

「姫。かの東部衛星都市での一件でも彼らはそういって、結局何も話さず……」

「いいの! 言えないのなら、言いたくないなら無理矢理聞いたって」

「無駄ではありませぬ。姫と共に問いただす権利はあるはずです」

「でも……でもね、もし聞いてそれが、私達にも

どうにもできないことだったら、どうする?」

「どう、と言われましても……」

 訝しいと思いつつも遥姫の意志を尊重する、そんな刃助はいつも通りだ。

 積み重ねた秘密はどこかで綻びを生んで崩れていく。

 共有する人間がこれだけ揃っていて、今も言い張ってしまえば表向きは互いの関係が維持されるだろう。いつか訪れる別離の瞬間まで、一定を保ち続けるだろう。

 だが、駄目なのだ。その解決法ではもう許されない。

 予定し心に刻んでいた通りに、俺は小さく息を吸って言葉を(つむ)ぐ。

「……遥姫、刃助。本当に、言っていいんだな」

「なっ……亮さんよ、いつから姫を呼び捨てに、うぐ、むぐぐっ」

 刃助の口が遥姫によって塞がれる。刃助の目が極上の快感を貪るようにとろける、が今はふざけて茶化す状況ではない。遥姫が迷いながら、吐き出す。

「亮、くん。それは……話しても、いいの?」

「二人が望むなら……いや、二人には話さなければならないんだ」

「……そう、なのね」

「ああ、そうなんだ」

 何を指してるのか、無関係の人間には分からないだろう。

 遥姫が頷き、俺も頷く。ゆっくりと遥姫が刃助の口を塞いでいた手を放す。

「……ハッ、一体何をしていた、のだ?」

 夢から()めたように目を瞬かせ、きょろきょろと周囲に視線を飛ばす刃助。

 それはそれで、演技なのかもしれなかった。

「ひとまず、場所を移そうか」

 流石にこの場で明かすわけにもいかない。

 選べる場所は一つしかないだろう。同時に、筋も通さねばならない。

「九龍院流格闘道場……そこで、全てを話すよ」

 クレス、続いてリオンと視線を交わし、頷き合う。

 茜色に染まる空は、静かに夜の青に侵蝕されつつあった。

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