4-13 抱蝕蛮餐
来々木 亮、クレッシェンド・アーク・レジェンド両名が偽りの戦場という舞台で紫肌の大男と本物の戦闘を繰り広げている頃。
首都中心部のとある建物。元々の持ち主が世界から去った居城は〈灰絶機関〉と同じく世界の裏側で暗躍する者達によって再利用されてた。
七人が会して食卓を囲み、世界に数多散る生命を収集する契りを結んだ場所だ。
同じ建物の別室に四人の影があった。食事が主目的だった空間とは違い、階段状に設えた部屋には革張りの椅子が整然と並んでいる。それぞれの席には飲み物や食べ物を置くための簡易食卓が備え付けられているが、今は全て畳まれていた。
並ぶ席の正面には巨大なモニターが設置されており、まさに映画館そのものだ。
一点だけ違いがあり最前列席があるべき場所は拓けた空間になっていった。ところどころに黒い斑点が見られる真紅の絨毯が敷かれているが食卓はない。だが室内には咀嚼音が響いている。
四人のうち二名は絨毯の敷かれた空間から少し離れた、備え付けの観賞席に深く腰をかけ体を預けている。隣り合う二人のうち、一人は黒スーツを身にまとった炎髪金眼の男。もう一人は漆黒の長髪を三つ編みに結い上げた、男性か女性か正確に判別できない人物。茶色の遮光眼鏡で視線を隠しながら、露わにしている唇が軽薄な笑みを見せている。
会合した食卓で炎髪金眼の男はラスト、三つ編みの人物はメガリカと名乗っていた。二人の視線はモニターに流されている映像に注がれている。
くちくちと何かを貪る音は室内に響く映像の音によってかき消されていた。
モニターの中で紫肌の大男が喚く。全身が氷漬けになり、冷気を立てる暇もなく瞬時に紅蓮の炎に包まれ燃え尽き灰塵となって世界から存在を消失させた。
視線は前に向けたまま、メガリカが口を開く。
「なあ、アレはあんな使い方で良かったのか」
「なんだ、お前でも情がわいたか」
「ハァ? ふざけてンならお前だろォが食い破ってヤるぞ」
「冗談だ。そうカッカすんなよメガリカ」
「わかってるよォ、身内でヤりあっても意味なンかねェからなァ」
「そりゃ暗にヴィドーとミラージュのことを言ってるのか?」
話題に出された者達はこの場にはいない。片方は亮達の傍に控えて、今こうして提供されている映像を撮影している。
もう一人は来るべき日のため別行動中だった。
「諍いの中心、ってェか原因になるってンのはどォなンだ」
「どう、って言われても返答に困るね」
「ハッ、まァどォでもいいンだけど。で、あれは使い捨てでよかったのかよ」
アレ、と言って指さした存在はもう映像の中にもない。記録した映像を見返せば再認識できるだろう紫肌の大男は本来であればかの食卓で共にあり、契りを交わす一員であった。
「いいんだよ。グリム・グリーダスト……奴は十分役割を果たした」
「あンなゴミクズみたいに消し飛ばされるために生み出されたのか、笑えるな」
「泣きはしないんだな」
「ただ物体を取り込むのと、不完全な不死なンざ出来損ないもいいとこだろ。あンな雑魚と同じイリュンゼノンであること自体、ムカついて仕方ないってェのによ」
「そう言ってやんなよ。あれの扱いはミラージュに一任したからな。
今、この時が一番効率よく連中の力を引き出せると考えて利用したんだろ」
会話を交わしながらも二人の視線は映像から離れてはいない。
席次で言えば末席に当たる存在であったが、ラストもメガリカもまるで無関係であるかのように道具みたく言い放っていた。
映像から加賀見の声が響き、半ば強引に舞台が締めくくられる。
欠伸を噛み殺してメガリカが退屈を溜息と共に吐き出した。
「で、暇潰しにっていうから来てやったら随分退屈なモンを見せられたわけだが。何が目的なンだよ。糞人間が賢しくも愚かしいなんて分かり切ってンだよ。だから俺達イリュンゼノンがいるンだろ。餌のお遊戯なンて豚小屋見学と同じだ」
万雷の拍手を浴びてお辞儀をする亮とクレス、他の出演者と観客が映る。
ぶつり、と唐突に打ち切られた。
急に静寂を取り戻した空間で、粗雑な食事の音が響く。
「もっと静かに食えねェのかよ」
「……ふぇ? なんでふか」
「食いながら喋ンじゃねェよ。野良犬か」
「ちはいまふっ! ほれっちはれっひとひた……んべっ。
世界を喰らい尽くすイリュンゼノンっていう奴ですよぅ」
「それを認めンのが嫌なンだよ、糞が」
四人のうち流される映像には全く関心を示さなかった者が二人。
メガリカに答えたのは、こちらもまた銀髪の長髪を持つ人物。
だが表情と言動の幼さから若い青年だと知れる。
深紅の瞳は上位の存在を前に畏怖を湛えていた。
「そォ構えンなよ。別に取って食ったりはしねェし、奪いもしねェから」
「その、メガリカ様はお食事をとられないんで?」
「……なンでか、こうぞわっとすンな。
俺にそンな感情を抱かせるのはある意味凄いぞ」
「ご、ごめんなさい! すみませんっ、申し訳ないですますっ」
大仰な振る舞いに呆れてメガリカが溜息を吐いた。
食卓はないが、この場は正餐の並ぶ宴席であった。短い悲鳴が響く。
「ひぎっ……」
少女の声だった。
液体が吹き出し、何かが宙を舞って飛沫を散らしながら落下し転がる。
まさしく餌を放り投げられた犬のようにラプトアが鼻息を荒くして駆け寄る。
メガリカと会話していたことすら忘れ、転がるモノを両手で掴みかぶりつく。
新鮮な生肉を躊躇せず口にするさまは蛮勇と通り越して、ただ野性的であった。
「やめて。もう、やめてください。お願いですから……けぶっ」
懇願の後に少女らしからぬ断末魔が響いた。千切られたモノが絨毯の上に転がって、鮮やかな真紅に新たな黒の斑点を足していく。
「はむっ……むぐっ、んぐ。やっぱ食うなら女の肉だよな!
レギオンの旦那もそう思うだろ?」
「私には、特別好みというものがないので、何とも」
「なんだよぉ、面白くないなぁ。こう硬さとかあるだろ。男の肉はどうしたって
硬いんだよね。女の子の方が柔らかいの。んでアレも美味しいしなぁ、へへへ」
「下品ですよ。上位の方々を前にして……」
幼稚な青年に相応しく配慮の欠片もない物言いに応じたのは、物腰柔らかながらも狭い空間で反響しているようなくぐもった声だった。
他の三名と比べ、明らかに装いを違えるのはその外見。武骨な騎士甲冑で全身を覆い隠し、兜の部分に開けられた横三本のスリットから蒼炎の瞳が揺らぐ。が、以前携えてた大剣と盾はない。
思い出したかのように、あるべきモノを失った少女だったものの断面から液体が噴き出す。ゆっくりと自然の摂理に従って絨毯の上に倒れ、また新たな染みを生み出す。かすかに、押し殺された悲鳴が聞こえた。
ラプトアはかじりついていたモノを放り投げ、新たに転がってきたものを手元に引き寄せる。それにほぼ必ず付属している二つの球体をくり抜く。糸と粘液をひいて摘出された玉を宙に放り投げて口でキャッチ。残りには興味がないと部屋の隅に放り投げる。
ごろごろと転がって行きついたところには夥しい量の残骸があった。
「はふっ……へむん、んんんん。うーん、ほらっ女の子の目玉なんか、
ぷるるんっとしてもっちもちでサイッコー、ヒャッホゥゥゥゥッ!」
「荒ぶりすぎです。貴方は、少し状況と言いますか察する能力をですね」
「なんで? 皆仲間なんだから自由にやっていいでしょ」
「親しき仲にも何とやらといいますか」
「あー、いいっていいって。くだらねぇことで喧嘩すんな。
構わないからラプトアもディアスも適当にやっててくれ」
言い合いに発展しかけるのをラストが止めた。銀髪の青年、ラプトアの表情が花咲くように輝く。騎士甲冑姿のディアスの放つ沈黙は溜息に等しかった。
気をよくしたラプトアは喜びに満ちた顔で、自らが食べ終わりを放り投げた空間を見渡す。積み上げられた残骸の前には黒い鎖で拘束された少年少女が寝転がされていた。黒い鎖はそれぞれの手足をきっちり締め上げ、端は床を這ってディアスの体へと続いている。
「お、俺は美味しくないぞっ」
「女の子を食べたんだから、次は男よね」
「いやいや美味しいものは先に食べないと」
「アンタ、自分が助かりたいからって!」
拘束された者達が口々に発するのは誰が最初に選ばれるかの論争。声に恐怖はなく、また虚偽の色合いも見えない。同じ境遇に置かれた者達が純粋に生贄になる順番を言い争っている。
「ひぃっ……」
一人の少年が悲鳴をあげた。近くに転がっていた、眼球のない少女に睨まれている錯覚に襲われたのかもしれない。彼女は先刻選ばれてしまった。そして次の食材が決まったらしい。少年を拘束する鎖が〝動き出し〟た。
「やめてっ、やめてくれぇぇぇぇっ!」
鎖が解けていき、少年が放たれる。逃げ出そうとしたか、踏み出した足は先程直視したはずだった少女の頭部を踏み、流れ出た血に囚われ思うように動かせない。
倒れた少年に黒い影が形を変えて圧しかかる。影の獣は緑と赤と青の輝きを宿して、低いうなり声をあげた。百獣の王者が勇ましく前脚を振るうように、また影が形を変えて床でただ縮こまるだけの少年を襲う。
「ぎゃっ……」
鋭い風鳴り音が響いた後に続く短い悲鳴。左腕が肩口から切断された。
次いで食べやすいよう、持ち歩きやすいように肘と手首で両断される。
「やめ…………でえっ!」
同じように右腕が切り分けられた。次に下半身へ影の獣が動く。選ばれなかった少年少女は魂から泣き叫ぶ少年から目を背けた。いずれ自分もああなってしまう。そんな現実は直視できない。そんな気持ちなのかもしれない。
悲鳴も苦鳴も無視して淡々と影が形作る刃による解体作業は続く。
腰辺りで切り分けられる。骨など最初からないかのように綺麗に断たれた。鮮血が染み出す。合わせれば元通りになりそうなほどに見事な切り口だった。
下半身もまた手頃なサイズにカットされていく。足の付け根、膝、足首と切り分けられていき、滞りなく完了した。少年は腕のない上半身だけで痙攣している。
「ああ、忘れていました」
そんな何気ない口調で断末魔をあげることすら許さず、少年の首が切断された。
「最初にやるべきでしたね、申し訳ありません」
「それでいいよ。一番マシなのが脳味噌だけど、やっぱ男はマズいからなぁ」
「好き嫌いはよくないですよ」
「レギオンの旦那は手厳しいなぁ」
「至極真っ当な、人間の常識とやらに沿う思考であるはずですが」
「お堅い、ってコトなんだっ……て!」
軽く言い放って、ラプトアが少年だったモノの頭部を蹴り飛ばす。
無慈悲な蹴撃は息絶えたばかりの少年の頭を残骸の山に叩き込んだ。
生き残っている少年少女が震えあがる。
「あ、そうそう。お前らさぁ、毎回誰が次いくとか言ってたけど」
「ご安心ください。平等に、全員を切り分けて差し上げます」
「そういうこと」
生き残った、と思っていた少年少女がそれぞれの恐怖を叫んだ。
軽い調子のまま残酷さを露わにするラプトアと、黙々と作業を繰り返すように告げるディアス。二人の様子を見ていたメガリカの口元にも笑みがのった。
「ハッ、あの出来損ないに比べりゃ大分ヤるみたいじゃねェか」
「お褒めに与り光栄です」
「いやいやいや、全然そんなことないですよホント」
メガリカの言葉にそれぞれの反応を示すディアスとラプトア。
だが、口にしたメガリカはそれほど興味を持っていないようだった。
残骸の山に散らばる無数の手や足や肋骨などの、人間だったモノ。ゴミのように乱雑に扱われるそれに特別な感情はなく、一瞥するだけ。
浮かぶのは〝何故こんなことをする必要があるのか〟という疑問の表情。
「何のために食ってるんだ、って顔してんな」
「……読心能力でもあンのか」
「ふ。まぁ、長く世界を渡り歩いていると色々分かるってことだ」
「へェ……」
やはり返す言葉に好奇心はない。構わずラストが続ける。
「人間ってのは、そもそも他の動物や植物を食って生きてる存在だ。大別すりゃ自分で考えて動ける雑食動物ってだけで、一見それほど高尚なもんでもない」
「ヤな言い方だな。それを餌にしているイリュンゼノンも下等みたいじゃねェか」
「悪い意味にとれてしまったなら謝ろう。だが、まぁ聞けよ」
どっしりと観賞席に座ったままのラストに倣って、メガリカも改めて座席に深く腰を沈める。
「お前の言いたいことは分かる。何をまどろっこしい真似をしてるのか。さっさと門を刻んで全部作り変えてしまえば早いんじゃないのか。まぁ正論ではある」
「分かっててやらねェのは、当然理由があるンだろォなァ?」
「勿論。まず俺の固有能力がそこまでカバーしきれない。色々と準備が必要だし、何より雑魚をかき集めても意味ないんだよな、これが」
「……だからよ。来るべき日に備えて創られたのが俺達なンだろ。
ああ、あのゴミは除外してな。もう消えたわけだしよォ」
「ああ。だが、あくまでまだ至られる可能性を創った段階だ。正しく〝かの日〟を迎えるには俺達がこの星、地球に対して認められなきゃならないんだよ」
「ハァ? 星に意志なんかあンのかよ」
「それが、あるんだよな。と、言うよりないなら
俺だってこんな面倒なやり方はしないさ」
「……まァ、そォなる、のか?」
メガリカはいまいち理解していないふうに、珍しく自信なく首を傾げた。
ラストがおどけた調子で首を竦める。
「だから、俺は三十年もかけて準備してきた。種を撒き、星に根付いて成長するまで待って、今が収穫の時だと踏んだわけだ」
「それが連中がヤってるよォに人間食うのとどう繋がるンだよ」
「取り込むことで俺達もこの星の住人、だと思ってもらう……
いや、星を背負う代表として名乗り出る権利を得る、ってところかな」
「その口ぶりだと、まるで自分が異星人みたいな言い方だよなァ」
「ああ。メガリカ、お前の思っている通りだよ」
口にした張本人であるメガリカが目を丸くする。
ラストはうまく悪戯が成功した子供のように無邪気な笑みを見せた。
「かつて、ピアスディっていう馬鹿がいた。アレは人間が持つ中で、最も強大なエネルギーが恐怖、それも希望から絶望に堕ちる瞬間が一番いいとか抜かしていた」
「殺られたンだよな。件の〈死神〉に」
頷いて肯定を示し、ラストが続く言葉を吐き出す。
「俺は俺という存在を認知させ、その上で俺が回収できるようにシステムを構築した。最初はできるかどうか危うかったが、協力者とお前達のお蔭でうまい具合に仕上がったよ。そういう意味ではお前達には感謝している」
「気持ち悪ィなァ、オイ。俺にソッチの気はないぜ?」
「そういう返しができるんだから、もうちょい染まってもいいんじゃないか」
「なンだって?」
再び不快感たっぷりに表情を歪めるメガリカ。
ラストは宥めるように手をあげて振りつつ、さらに続ける。
「お前は餌のことを知ってどうするのか、分からないかもしれないけどな。
連中には俺達にない強さがある。何か、わかるか?」
「…………だから、なンだってンだよ」
「学習すること、そして改変し新たなものを作り出すこと」
「それってお前の――」
続くはずだった言葉はラストに口を塞がれ、世界には生まれなかった。
ラストの手が離れる。メガリカが沈黙し、遮光眼鏡の奥からラストを睨む。
「なになに、何の話ですかね」
「……申し訳ありません。制止したのですが」
座席近くにラプトアとディアスが歩み寄る。ラプトアの口やら銀髪には返り血が大量に付着し、辺境部族の戦装束に似た狂相に仕立て上げていた。
ディアスの周囲に先程まで猛威を奮っていた影の獣はいない。
最初から存在しなかったように、跡形もなかった。
メガリカが肩を竦めて立ち上がる。そのまま無言で部屋の出口へと歩いていく。
「分かった。見てきてやるよォ……お前の目論見通りになァ」
出口付近で立ち止まったメガリカは、そう言い放って出ていった。
ラプトアが不安そうな表情で右に左にと視線を彷徨わせる。
「あ、あの……俺っち、マズかったですかね」
「いや、大丈夫だ。メガリカのアレは決意表明みたいなもんだよ」
「は、はぁ……そう、ですか。何でもないなら、ないで」
「気にすんな。お前達はたらふく食らえばいい。来るべき戦いの日のためにな」
ラプトアの耳が犬がそうするように喜びにひくひくとし始めた。
「ってーと、アレですかね。あの〈死神〉も食っていいんですかね!」
「ああ。他のクラッドチルドレン共もいいぞ。どんどん強くならないとな」
「っしゃあ! まずはあいつらぜーんぶ平らげないと、ですよね!」
数秒前の不安はどこへやら、喜び勇んで恐怖に打ち震える少年少女のところに戻るラプトアと対照的にディアスは沈黙を保ったままだった。
「……我が主よ。それは私達がより強くなるためですか。
それともヒトが乗り越えるべく与えられる試練なのですか」
「さあ、どっちだろうなぁ」
生真面目な響きを持つディアスの問いに、ラストは笑顔で曖昧な答えを返した。




