4-9 アンダンテ・ブレイズ
舞台から袖に移り、入れ替わりに大勢の演者が舞台上にあがっていく。
亮は演者から私と同じ観測者へと戻る。物語は中盤に差し掛かっていた。
照明が落とされ、会合する者達の暗躍ぶりが演出される。衣装係から渡された服を回し、自身も新たなものに袖を通しながら舞台を見守っていく。
大きな長机を囲むのは軍服と白衣を着た者達。次々と席に着き、最後に長机の先端、全員を見渡せる位置に当たる席に総統がゆっくりと腰を落とす。
全員が見えるよう配置されたモニターに映像が映し出される。
監視カメラのように四角く区切られた画面に表示される病室の一つに、ベッドの上で状態を起こして寂しそうに窓外の景色を眺める咲耶の姿があった。
咲耶の病室が拡大され、隣に写真や個人データをまとめたカルテが表示される。
写真の中で姉の明日葉と共に笑う咲耶の髪は美しい亜麻色を見せていた。
白衣の研究者の一人がペンライトを点灯させ、モニターに向ける。
「ご覧の通り新種のウイルスには生物の遺伝子情報を書き換える性質があります。
彼女の場合は若い分、他の被検体よりも表面に色濃く変化が出ています」
咲耶の病室が元の大きさに戻り、代わりに別のモニターが拡大される。ベッドの上では壮年の男性が自らの体をかきむしって爪で皮膚を引き裂き、赤い飛沫を撒き散らす。うぞうぞとま、るで虫が這いまわるように男性の皮膚の内側が盛り上がってうねる。血管が膨らんでいるのか、神経が侵されているのか。
聞くだけで背筋を凍らせる悲痛な絶叫が室内に響き渡る。
演技を重ね生み出された演出だと理解していても耳を塞ぎたくなってしまう。
どうして、こんなにも醜悪なものを作る必要があるのだろう。
「この者は肉体の変異が始まっているようです。何に変化しようとしているのか、
予測はつきません。これまでの実験で得た累積データを見ると変異を終える前に
大抵のものが先に精神に支障を来し、苦痛から逃れるために脳細胞が自壊します」
淡い光が瞬き、魔法による治癒術式が発動する。が、同時に黒い渦が巻き起こって燐光を散らしてしまった。治療されず延々と続く苦痛に男性が泣き叫び、ベッドから落ちて床の上を転げまわる。
赤い軌跡が白い床に刻み込まれていく。
「この通り、魔法による治癒は不可能です。抗魔能力を持っているのか、
あるいは魔力を吸収する機構があるのか……まだまだ推測の域を出ません」
びくん、びくんと痙攣し死に瀕しているのを見過ごし、画面が縮小される。苦痛を与えるだけの治療など酷としか言えない。
また別の画面が拡大された。少年が喉元をかきむしっている。
上半身は裸で、複雑な紋様が皮膚に浮かび上がっている。植物の蔓にも見える模様は添え木を伝ってより多く太陽光を浴びることができる場所を探すように腕に巻き付き、首元まで達していた。
涼しい顔で研究者は解説を続ける。
「こちらはまた別の症状を見せています。先の被検体と同年代ではありますが、
性差で効能が違うようです。あ、貴重な映像をお見せできそうですよ」
嬉々として語る研究者。言葉通りに変化はすぐに現れた。
先程と同じく治癒の燐光が瞬くが、やはり硝子が割れ砕けるような音を立てて散り失せる。
凄絶な断末魔をあげて少年は絶命した。
眼球は見開かれ、だらしなく開かれた口から血泡がこぼれる。同時に口腔内からするすると蕾が伸びて花を咲かせた。鮮やかな血色の花びらを魅せる。
軍人達がどよめき、観客席も騒然となる。死をショーとして見せつける、実に悪趣味な演出だった。研究者達は薄ら笑いすら浮かべている。まだ見ぬものを、知らぬ結果をその目で捉えて記憶することを至上の喜びだとでも言うかのように。
「ご覧のように花を咲かせた例は他に何件もあります。
現在、被検体に与えているものは、かの壁を破壊した
モノから摂取し、咲かせた花の種子から抽出したものです」
「では、あれは人間から栄養を吸い取り育つというのか」
「人間だけを殺傷する能力を持つのか? ならば物体破壊はどうなる」
「いや、そもそもこのような結果では閣下は――」
全員の視線が一点に集まる。名指しされた総統は不満げに、わざとらしく溜息をつき冷徹な目で机を囲む者達を見渡す。
「くだらん。殺傷するだけならば刃だけで事足りる。求めているのは、
そんなものではない。死をもたらす結果はあれの一端に過ぎないのだろうが」
「閣下の仰る通り、破壊は表側の効用に過ぎません。
閣下が女性であらせられるからこそ、被検体一○八
断花 咲耶のもたらす情報は有益であり、
望まれる限りなく永遠に近いものを手中に収めるさきがけとなるのです」
「長々と映像を見せつけるだけならば、わざわざ私が出向くまでもなかったな」
総統が苛立ちと共に言葉を吐き出す。
恐る恐るといった調子で軍人の一人が手をあげる。
総統は顎で発言を促す。
「で、ですが報告は全て閣下を通すよう仰せられたのは……」
「過程ではなく結果を持って来い、と言っているのだ」
「も、申し訳ありませんっ」
机に打ち付けかねない勢いで頭を下げる。
肩をすくめた総統を前にして、列席していた服部が手をあげる。
研究者が何かを思い出したように、忙しなく眼球を動かし続く言葉を探す。
「そ、そうでした。服部殿から、ガナフス側の情報を頂きましょう!」
「では、僭越ながら部下の上神から聴取した情報をお話させて頂きます」
ほぼ丸投げされた形だが、嫌悪感も困惑も悟らせないほど澄ました顔で服部が立つ。報告するというのにモニターに映像を出すよう指示するわけではなく、また作成した資料を配る素振りもない。
ただただ誠実さを示すべく直立した状態で言葉を紡ぐ。
「ガナフス側の協力者である民、優れた狙撃手であるリョウト・サイレンサからは
際立った情報を得ることはできませんでした。申し訳ありません」
「……今、なんといった?」
「ですから、ご報告できるような情報はなく……」
「服部。貴様はのらりくらりと蛮族共と遊んでいたわけか」
場が凍り付く。総統が席に備えた剣に手をかけつつあった。既に巻き込まれるのを恐れた軍人や研究者達が席を蹴飛ばす勢いで立ち上がり、距離を取っていく。
臨戦態勢をとりつつある総統に対しても動じずに服部は胸を張る。
「確かに、閣下の仰られる通り彼らは知らないことが多すぎます。
よく、あれで長らく土地を守り続けられたのか不思議なくらいです」
「だからこそ貴様らを遣わしているのだ。体よく連中を扱い、
持ちうる我々にない手法や技術を搾り取るためにな。
中間報告では魔法を文字通り摩訶不思議な現象として捉え、
喜んでいるというではないか。くれてやれ、とは言ったが
無償とは言っていない。対価を引き出さねば無意味だろうが」
金属音を鳴らし、剣が引き抜かれる。抜き身の刀身が放つ白の輝きには、純潔さよりも穢れを待ち望む危うさが秘められていた。
総統は後ずさりする軍人に目もくれず、ゆるりと歩みを進めて服部の前に立つ。
服部の眼前に刃が突きつけられ、鈍い輝きを見せた。
「本当に何もない、というのであればこの場で切り捨ててやるが?」
「お待ちください。まだ続きがあるのです」
「……言ってみろ」
わずかな執行猶予。それでも服部は柔和な笑みで続く言葉を吐く。
「彼らの操る気功術は我々にとっては特異なものですが、
彼らにとっては呼吸するのと同じく操れて当然のものなのです。
自然と文献に残されることなく、見て聞いて体に叩き込まれて育つ。
言い換えれば、我々が魔力を操るのと同じような理屈……なのです」
「我らが扱う魔には遺伝特性がある。明確に属性分けがなされ、生まれもった
血脈以外の系統を習得するのは容易ではない。その点も気功術とやらは同じか」
「最大の違いは後天的な発現、即ち我々でも気功術を会得できる点です。
リョウト・サイレンサから体得を手助けする伝達者も紹介して頂きました」
「なんだ、あるではないか」
呆れたように告げると総統は刃で虚空を裂いて自らの席へと戻りって剣を鞘に収めてから、どかっと腰を下ろした。馬鹿を見るように蔑んだ瞳で軍人や研究者を見渡す。
「貴様ら、それが栄えあるマギスタスの先駆者たる振る舞いか」
雷に打たれたがごとく尻もちをついていた者達が応じて立ち上がり、次々と席へと戻っていく。
服部は表情を笑みで固めたまま。
「引き続き、上神を通して情報収集させます」
「任せる。時に服部よ、随分と連中に溶け込んでいるようだが」
「……それが、何か」
わずかに服部の表情が曇る。問いを投げるが、聞く前から返される答えを知っているような諦めが混じった複雑な顔色だった。
「本分を忘れるな。我らが、何のために技術を取り入れるかを、な」
「心得ております。あまねく全てはマギスタスのために」
「それでいい。研究者共もはき違えるなよ。貴様らの嗜虐心を満たすために
研究させているわけではない。同胞の未来のために尽くすのだ」
厳格な面持ちで告げて、総統が立ち上がる。
続いて軍人達も席を立ち、隊列をなして総統の後に続く。
服部も深く頭を下げると最後尾に続いた。
軍人達が去るのを見届けて、説明をしていた研究者が舌打ちした。
「ふざけるな……誰のお蔭で今のマギスタスがあると思ってるんだ」
「魔法を研究し、周辺諸国の技術を解析して取り込んだから今の軍があるのに」
「とはいえ前線に出るのは連中だからなぁ」
「なぁに、領分の違いだ。軍人なんて人殺し好きの野蛮人だぜ」
「ガナフスの連中を嘲笑ってたけどさ、同じ穴の狢だよな」
口々に軍人、ひいては軍部の悪口を言い合う研究者達。
「ったく、敵をブチ殺すことしか能がない癖に」
「蛮族と話し合っても仕方ないんだから殲滅すればいいんだよ」
「そうさ、俺達の研究で最凶の生体兵器を作ればいい」
「今更倫理観も糞もないからね。見せつけてやろうよ」
「ああ、その通りだ」
研究者達の意志が固まる。酷く歪んだ暗い欲の炎が燃え盛る。
「マギスタスは俺達が引っ張る。今までも、これからもな」
永遠を望む為政者に、我欲にひた走る者達。どこまでも醜悪で、日々報道されながらも記憶されない人間の暗黒面だった。
私は向かい合えない。正面から見据えることはできない。
知りながらも知らずのふりを続けたのは罪なのだろうか。気付いていながらも本質を受け入れることを拒絶することは悪なのだろうか。
ゆっくりと舞台照明が落とされ、黒子が動く。
答えを出せなくとも時間は流れ続ける。
場面の切り替わりを見て演者が交代していく。亮とクレスがそれぞれ演じる衣装と表情をまとって舞台へとあがる。
黒子達が大道具係の誘導しセットを組み上げ運ぶ。長机や椅子が片づけられ、ガナフスの男達にマギスタスの軍人と大勢に囲まれる。
彼、リョウトと向かい合って座るのは上神 玄明だ。
訓練場では実際に扱って魅せる技術交流会が行われていた。
玄明の手には蝋燭がある。
じっ、と見つめると火花が生まれ炎が灯った。
ガナフス側から歓声があがる。
「今度は君の番だ、リョウト」
「って言われてもなぁ」
「やる前から諦めてどうする。何事も挑戦だ」
「はいはい……でも、血縁関係で使える魔法が限られてるんだろ」
「長々しく理論を解くのが嫌で、実際に見せろと言ったのは誰だったかな」
「ちっ……」
リョウトは理論だけ並べられても解することはできないと繰り返していた。
ならば、と実際に現実にあらざる事象を顕現させ、倣わせる。武道や芸術など実際に見て真似れるものならばまだしも、理屈の分からないものをいきなりやれ、と言われても無理があるだろう。
文句を言いながらもリョウトは玄明が差し出した新たな蝋燭を手にする。
玄明がしたように、しばらく相手のいない睨めっこを続けていたが変化はない。
「やる気はあるのか、リョウト」
「これでも、一生懸命やってる」
「一心不乱にやるものは他の戯言など聞こえないはずだ」
「なら全部聞き流させてもらいますわ」
「なんだと?」
「文句あんのかよ」
リョウトが蝋燭を投げ捨てて立ち上がる。
玄明と互いの瞳の奥で自らの眼球を捉えるべく、無音無害の火花を散らす。
ここまではいつもの流れであり、恒例行事のようなものになっていた。
「まぁまぁ、抑えてください上神殿」
「リョウトも熱くなるなって。先に手を出したら馬鹿認定だぞ」
「きっと素養がなかったんですよ」
「激情型だから燃やす、ではなく消し炭にしてしまうんだよな」
両陣営から笑い声が巻き起こる。総統の意志に反して、マギスタスとガナフスの仲は良好だった。どちらも、自らにない新しさを得ているからだろう。
だがリョウトと玄明の関係性はそれほど変わっていない。互いが心の内側に持つ見えない何かを探り合っているのは確かで、だからこそぶつかり合っているのかもしれない。同じ方向性の願いを抱いているからこそ真正面からせめぎ合う。
ここからが私の出番だ。短く息を吐き、吸って気持ちを整えてから二人の世界へと踏み込んでいく。
自らの長い髪をかき上げ、意識的に妖艶さを醸し出す演技を見せつける。
「あれ、上神くんってソッチの気あったんだっけ」
ばっ、リョウトと玄明が同時に飛び退いて距離を作る。
間に割り込むようにして私はリョウトに近付く。額をぶつけるかと思うほどの至近距離、もっと言えば唇と唇が触れ合うくらいの、少なくとも吐息がかかるくらいの近さで。
自分でも怖いくらいに踏み込んでいる。
触れかけた唇で吐息を感じながら、近すぎる距離を保つ。
胸の内側で激しく鼓動を打つ心臓音がうるさかった。
「戯言に付き合っている暇はないんだがな」
「相変わらず手厳しいね。で、この人が?」
「ああ。ガナフスが誇る一流の狙撃手、リョウトだ」
「貴方が、リョウト・サイレンサ……」
玄明の声と、演じている自分を維持していることで気持ちを保てていた。
抱く想いを、ぶつけたい本心を抑え込む。明日葉は咲耶を救うだけでなく、同じ犠牲者を生み出さないために私情を殺し続ける。
興味だけで突き進む人物を演じる。未知のものを知りたい好奇心と、人間性をも受け入れたい愛情をない交ぜにしながら触れていく。
目と鼻の先にあるリョウトの息遣いを感じながら台詞を待ち、紡ぐべき言葉を喉奥に構える。
「だ、誰なんだ……アンタは」
「なるほど。確かに強い気配を感じるね。私が思うに、気功術って
内側を巡る力であって魔力を血脈に刻まれた意志を通して外側に
出力する魔法とは対極の位置にあるんじゃないかな」
「考察の前に挨拶くらいしてくれ、明日葉」
「あ、そうだった」
高鳴る鼓動に鎮まるよう呼びかけつつ距離を取る。
ほぼないに等しいパースナルスペースを人並みのものに移す。
リョウトも私も互いに大きく息を吸って、吐き出し呼吸を整える。
だが、断花 明日葉はここで止まらない。
「やっぱり、もうちょっと調べさせて!」
「おわっ!」
リョウトを押し倒し、腹の上に馬乗りになる。後頭部への衝撃や衣服越しでも触れ合う体温、諸々の情報を遮断して演技を続ける。
身動きが取れないのをいいことにリョウトの頬を撫で、唇を指の腹でなぞり視覚と触覚をフルに使って観察していく。
「ふぅん。初めてガナフスの人を見るけど、余り変わらないね」
「明日葉、まず何かアクションする前にきちんと自己紹介をだな……」
「そういうのは前線にいる上神くんのお仕事。私はまだ見ぬものを見て、
知らなものを取り入れて知識を深めて既存のものを発展させていくのが仕事っ」
会話もそこそこに初めて見る存在の〝調査〟を継続する。肌に触れて質感を確かめ、顔を近付け匂いを拾う。流石に味まで確かめるわけにはいかないが。
かなり恥ずかしいし、役柄でなければ絶対にできないこと。言い換えれば抑え続けていた感情を解放する機会でもあった。
もっと触れ合いたい、体温を感じていたい。深く繋がりたい。
それが叶わないと知っているからこそ、より密接な繋がりを得たいのだと思う。
私はどこまでも普通でしかなく、彼はどこまでも日常にあらざるところを歩き続けてきた。
それは一朝一夕で埋め合わせられる隙間ではない。それでも埋めなければどこかで壊れてしまう。いつか機能しなくなり、あるべきものは朽ち果てて崩れ去る。
彼はきっと、ずっと狭間で彷徨う苦悩を抱き続けていた。
知られぬよう、作り上げられた幻想を壊さぬよう偽りの情景を描き続けてきた。
こうして直に触れ続けていると、そんな焼け爛れそうな情欲の焔が滾る。
間にある一切合財を感情ごと全て燃やし尽くしてしまうように。
断花 明日葉ならば、きっと全てを受け入れる。清濁合わせて全部を飲み込み、一つの目的のために自分の命すら費やし潰えるだろう。
ああ、飲み込まれる。見えない〝何か〟に呑まれそうになる。
私の溢れかけたものを抑え込んだのは、諦観を込めた玄明の溜息だった。
役柄に引き戻され、続く台詞を聞く。
「彼女は断花 明日葉。マギスタス国が派遣した共同研究室の技術主任で、
近年では治癒魔法の簡略化と、新たな魔法文字の開発をしている」
「よろしくねー、リョウト」
「……ああ」
空返事に近いものを吐き出したリョウトの瞳は、目の前の私ではなくどこか遠く、私の知りえない風景を見ていた。




