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灰色の境界  作者: 宵時
第四章「……ええ。時を経て、俺は殺人者になった」 「〝英雄(ヒーロー)〟とは言わないのだな」
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4-5 カーニバルの前に

 静かに、ゆっくりと時は流れていく。

 俺やリオン、クレスはそれぞれの思いを胸に秘めながら文化祭当日を迎えた。

 いつものように刃助や遥姫と合流し、教室へ向かう。既に俺達の隣のクラス、即ちクレスが在籍するクラスからは女子生徒達の声が騒がしく響いていた。

「なんだなんだ、また何か事件か?」

 右へ左へ階下へと視線を飛ばしまくる刃助は無視して教室の扉を開く。飛び出してきた男子生徒の突進を回避、勢いのまま刃助を押し倒して転倒する。気配から読めていた結果だが、足を払って転ばせるか少し悩んでやめていた。

 廊下では押し倒された刃助の上で男子学生が荒く呼吸をしている。

 刃助はやれやれ、といった調子で上体を起こしつつ打ち付けた肘やら腰をさすった。

「ったた、なんだいきなり。徹夜でテンションが突き抜けたか? 栄養剤飲むか?」

「た、隊長! それどころじゃないですよっ! ニュースです、重大発表ですよっ!!」

「少し落ち着きたまえ。紳士たるもの、いかなるときも平常心をだな……」

「だ、だってリオン様が転校なさるって!」

「なんだとっ!」

 刃助が物凄い力で起き上がり、ついでに男子生徒をどけて転がしていった。俺の目の前を旋風のように駆け抜け、教室へ飛び込む。

 俺は苦笑していた遥姫と共に、ゆっくりと歩んで後を追う。予想通り、教室内ではリオンが男子生徒および女子生徒に囲まれ、困ったように笑っていた。

 加賀見も口の端に笑みをのせつつ見守っている。

「ハーネット様、一体どういうことですの?」

「私との会食の約束はっ」

「いいえ、私達の誕生日会が先よ!」

「違います、打ち上げの女子会が先ですっ!」

 大人気だ。やれ自分が先だ、いいや自分がと女子生徒同士が掴み合い、キャットファイトを始めようとしている。刃助が男子生徒の壁をかき分けていく。

 押しのけて目の前に躍り出た刃助がリオンに掴みかかるように問いかける。

「リオン嬢、その話は本当ですかっ」

「その、ってどの?」

「またまた、とぼけないで頂きたい。転校ですよ。何故、いつ、どこへ、どうして!?」

「理由について二つ聞いちゃってるけど……」

 おっかなそうに身を縮こめたリオンが俺を見る。小さく首を振ってやった。

 大体の察しはつく。

 俺達はあの日既に聞いていたが、クラスメイトには話す機会を見失っていたのだろう。

 リハーサルには随分時間をかけた。台詞あわせに立ち居地の修正、照明の位置や音声量の調整。舞台に使う小道具や大掛かりな装置の製作と損傷部分の修理。

 念には念を入れて完璧な準備とコンディションを整えて当日に望んでいる。であるが故に言い出すタイミングがなく、また本人も口にはしないと言っていたはずだが、どこから情報が漏れたのだろうか。

「転校なんて嘘ですよね?」

「あれだ、実家帰省か何かでは?」

「でも向こうから呼ばれてる、って話も聞くぜ」

「流石ハーネット様……」

「ウランジェシカって最近新しいの出してなかったっけ。キーオブザセルっていう……」

「ハーネット様もその研究に?」

「分野が違ったんじゃないかな」

 様々な、憶測も入り混じった会話が飛び交う中、俺は加賀見に視線を向ける。了解、とでも言わんばかりに最敬礼した加賀見が止めに入る。

「まぁまぁ、皆待ってくださいよぉ。一気に詰め寄られても困惑するだけですよん」

 加賀見もまた混迷する教室環境を楽しんでいる節があった気もするが。ホームルームの時間も差し迫っている。問題が起きたと思われるのは避けたいだろう。

 リオンは小さく咳をしてから、アイドルの電撃引退さながら多くの生徒に見守られながら口を開く。

「えっと、その……ね。皆驚かないで欲しいんだけど、ね」

「ハイハイ、皆言いたいこと聞きたいことはあるだろうけど静粛にっ!」

 リオンの言葉に続き先んじて加賀見が生徒達を牽制する。

 目線で促され、リオンが震える唇で続く言葉を生み出す。

「そう、だね。一時帰国が一番近い、かな。ウランジェシカ……ううん、帝国の技術機関に呼ばれたの。私が引継ぎの時に一部抜けがあって、そこの提供だとか委譲だとか……少し時間はかかるかもしれないけど、もう二度と会えないとかじゃないから」

 ごくりと男子生徒が唾を飲み込む音が聞こえる。

 出会いがある以上、別れがあって学校生活においては嫌でも三年後には別れねばならない。もっとも同じ進学先やら可能性は余り高くないが就職先が一緒になれば〝共に〟あり続けることはできる。

 とはいえ一緒の空間に居続けることだけが幸福だとも言い難いが。

 今は現在(いま)だが永遠に続くものではない。関係性も、空間も常に変動し続けている。だからこそ、共にある時間を大切にするのだし最高の舞台にしようとしているのだ。

 リオンが続ける。

「ご、ごめんね。中々言い出すタイミングがなくて……だけど、きっと戻ってくるし文化祭はめいいっぱい楽しむから! だから、皆気にしないで最高の舞台にしようよ、ね?」

 語尾は弱々しく、だが覚悟のようなものは伺えた。リオンなりの表現方法なのだろう。

 坂敷邸で口にしたように、リオンは四人の〈死神〉で唯一分かり合えなかった二人の少女と一緒の空間で過ごし、共に生きた。別離はあったが、再び巡り合うことができた。

 ある意味では辛く苦しく悲しいことしかなくても伝えなければならない責務がある。

 が、それは個人だけが背負うもので、本来はかなぐり捨ててもよかった。恐らくは、伝えずともハルの嫉妬はブリズを焼き焦がすことはなかったし、ブリズの祈りがハルに届くことはなかった。

 技術を利用し他者の生命を奪い刈り取り貪る、そんな私欲だけに満ち満ちたものによって無残にも引き裂かれた関係性だ。リオンの行為は塞がりかけた傷に塩を塗りたくり、焼けたナイフで抉るような非情なる追撃になるかもしれない。

 だが、選んだのであれば。リオン・ハーネット・ブルクがそうするべきなのだと選択し心に抱いたならば俺に止める権利などない。

 隣のクラスから女子生徒の悲鳴があがった。クレスもリオンと同じく自らの覚悟を語ったのだろう。俺にはできない、クレスにしか成し遂げられず達成すべき目標へ突き進む覚悟を。かの優男のことであれば、なるべくオブラートに包んで他者を心配させぬように。あちらも一時帰省で済ませるのかもしれない。

「そうか……」

 刃助が重々しく頷いていた。隊長に続けとばかりに、リオン派の男子学生も遥姫派の男子学生も託宣を受けたように真剣な表情で頷く。

「リオン嬢の覚悟、確かに受け取った。

人にはなさねばならぬことがある。

そうだろう、皆のものっ!」

「おおっ!」「その通りだ!」「男にも貫き通す信念がある!」

「快く送り出そうではないか。一時でも

我らの仲間、旅立ちを祝福しようではないかっ!」

「悲しいけど」「それが定めなら」「仕方ない時もあるよね」

「でもやっぱり悲しいッ!」

 まるで、もう終わってしまったような雰囲気になり始めた。

 ゆるりと引き戸が開かれ、担任の教師が一歩室内に踏み込む。教室内の全員が教師を見た。全生徒の視線を浴びた教師が気恥ずかしそうにはにかむ。

「な、なんだ。その、皆……気合十分だな」

「あったり前じゃないですかぁ」

 生徒一同から、代表して加賀見が楽しさいっぱいの笑顔で教師を出迎えた。

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