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灰色の境界  作者: 宵時
第四章「……ええ。時を経て、俺は殺人者になった」 「〝英雄(ヒーロー)〟とは言わないのだな」
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4-3 刀撃奏でて

 手渡された木刀の感触を確かめる。常に得物としている霊剣・朧月よりは軽い。

 とはいえ懐かしい感覚があった。材質は樫、密度も高く優れた逸品。

 その気になれば相手を殺害せしめることができる武具だ。

 板張りの床を歩き、正面で対峙する。自然と俺の唇が(ほころ)んだ。

「九龍院流門下、来々(くるるぎ) 亮と申します。

稀代の傑物たる貴殿の名を尋ねたい」

「む、そうであった。非礼を詫びよう。我が名は

相滝(さがたき) 緊道(けんどう)、相滝一門に連なる」

「……確認ですが、古流剣術を祖とし〝(まこと)の剣〟を尊ぶ、かの相滝で――」

「相違ない。が、古き話。今日では、しがない剣術の真似事を語る枯れ木に過ぎぬ」

 口ぶりとは裏腹に、鋼色の瞳は俺を見定めている。筋肉のつき方、構え、脈の動き。血流から思考の糸まで全てを読み解き、ばらばらにされているような奇妙な悪寒を覚えた。

 離れた位置で座し、こちらを見守る男子生徒が思い出したように口を開く。

「あっ、俺聞いたことある。剣術が殺人術だって

言われている中、守る剣だって説いてたはぐれ者がいた、って」

「そもそも剣術って人を殺すためのもんだろ。詭弁じゃねぇか」

「なんだっけ。剣は凶器、剣術は殺人術だっけ。言われなくても知ってるってーの」

「あの木刀だって宮本武蔵が振り回してたくさん殴り殺したって話じゃねぇか」

「貴様ら、黙って見ていろ」

 好き勝手に話していた生徒達だが、傍に立つ千影の一喝で口を(つぐ)んだ。まるでお座りを申し付けられた犬のように背筋をぴんと張り、両腕は膝において正座している。

 巌のような男、緊道は小さく笑っていた。

(しか)り。確かに凶器であり、人を殺害せしめる

(すべ)である。が、使い手次第とも取れる」

「そもそも、剣術は戦いの中で起こり、消えてまた練られて積み上げられた技です。

相手を倒すために生まれたはずが、距離の戦いに負け、

身を固めた鎧に不要とされ、戦場では意味をなさなかった」

「流石。七年という月日を経ても、変わりなきようだ」

「あなたは……」

 はっ、とする。一言一句違わず同じ(ことわり)を伝えたものがいた。記憶を探る。

 俺が失ったものと、獲得した環境。最初に触れ合い、心の深いところまで踏み込んできた者達。俺が俺をクラッドチルドレンだと知り、様々なことを教えられ吸収していった黄金の時代にいた師であり、朧月を授けてくれた人物。

「剣聖、相滝 緊道殿……」

「ようやく思い出したか、うつけめ」

 感嘆の声をあげると、すぐさま千影から刃のように鋭い突っ込みが飛んできた。

 何故、忘れていたのだろうか。かつてツルギの理を教わった師が目の前にいる。

 あの頃のように俺の手には木刀が握られている。

 何度も立ち向かい、その度に打ち伏せられ、それでも立ち上がって向かっていった。

 何かをなす前に、まず己自身を鍛え上げていく。単純な力の強さではなく心を、貫き通す芯のある意志を掲げ、意思の刃を手に困難へ立ち向かう。

「剣はただの道具にあらず。持つ者の理を示す道しるべなり」

「然り。なればこそ、我の教えた刃は殺すことではなく、砕き帰すこと」

「根幹を殺す。弱き力を振りかざす己自身と敵とする」

「……終わりだ。来々木 亮よ、(おの)が力を示してみよ」

 生徒達からすれば何を言っているのか、という具合なのかもしれない。

 だが、俺とクレスと、そして千影には通じているはずだ。対峙している恩師、緊道にも。

 懐かしい感覚が溢れてくる。俺にはもう周りの風景は見えていなかった。

 俺がいて緊道と向き合い刀を、意思をぶつけ合う。足で板を這い、滑らかに運ばせて円を描いていく。少しずつ距離を詰め、小さく回って木刀を振る。

 右上方から打ち下ろす。迎え撃った緊道が勢いを相殺する軌道で払い上げてきた。真正面からの激突を避けて力を受け流す。横へ一閃。縦に構えた木刀の腹で受け止められる。今度はぶつかり合い、反動で後ろへ跳躍。追いかけてきた刃が烈風を巻き起こした。

 跳ぶ。さらに後ろへ。緊道は踏み込んで叩きつけるように振り下ろす。刃は床に激突することなく寸前で停止。俺は木刀を正眼に構える。

「来々木が、笑ってる」

「あいつ、あんな顔もできるんだな」

「でもやっぱ動きすげぇな! 九龍院さんとこでやってるんスか?」

「……ああ。道具を使わない柔術を始めとした護身術が中心だが、剣術もやってはいる」

「女の子もいます?」

「その邪まな精神は叩き切ってもらわねばならんな」

「ひぃっ!」

 そんな千影と男子学生達のやり取りが聞こえる。

 心躍る。あの頃に戻ったようだ。八千姉(やちねえ)初姉(ういねえ)(あきら)さん。双子のゼキエル、セイリスと自称していた天海兄弟。数々の喜怒哀楽に溢れていた。

 きりり、と奥歯を噛む。踏み込み、遠心力をかけて横薙ぎを叩き込む。軽々と受け止めた緊道と肉薄する。俺を見る硬質の視線は冷ややかだった。

「そうだ。精神の揺らぎはそのまま太刀筋に出てくる。特に激昂は読みやすい」

「分かって、います」

「装っても無意味である。あるがままを吐き出せ」

 額と額をこすり合わせるほどに近付き、頭突きを見舞われる。視界が歪む。男子生徒達の驚く声が鼓膜を打つ。緊道は木刀を右手だけで刃を逆さに握る。真剣であれば腹を両断される、右から左への逆胴。軽い畏怖を覚えた一撃が二振りの木刀に止められる。

「僕も、参加させて頂いてよろしいでしょうかね、相滝殿」

「クレッシェンド・アーク・レジェンド……そうか、貴殿が」

「ええ。僕も千影さんにはお世話になってます、からっ!」

 止めたのはクレス。いつの間にか剣道着に着替えていた。木刀を構える姿は実戦そのもの。低い態勢から飛び込み、休む間もなく乱舞を繰り出す。生まれた隙に俺は大きく距離を開けた。少しずつ頭も冷えてきている。

 緊道の言葉通りだ。意識しなくても、自然と表ににじみ出てくる。クレスが太鼓を叩くように打ち鳴らし、その全てを受け切り捌く緊道の姿をしっかり捉えておく。

「諦観と慟哭。それが貴殿の原動力か」

「……僕は、もう二度と間違えるわけにはいかない。ただそれだけ、ですっ」

「虚しき響きよ。貴殿の精神はうねり猛ることなく、ただ垂れ流されているだけだ」

「そんな、ことは」

 ない、と言い切る前に再び逆胴が飛んできた。受け止めたクレスの体が浮く。一人を持ち上げるほどの圧倒的な膂力。最早、ただ見せるだけの演舞とは思えぬほどの覇気。

 クレスも精神を暴かれつつある。胸に秘めた、明かすことのない想いと行くあてのない感情の暴走を見抜かれてしまっている。

 浮いたクレスの体を捉えて、両手持ちに切り替えた緊道が木刀を右上段に構えた。

「力とは意思だ。意思とは己の内側にある魂を全て発露させた形。ただただ滂沱(ぼうだ)と溢れさせるだけでは何の力もない。そこいらに散って無意味に失われるだけ」

 右上から左下へと木刀が振られる、寸前に俺は打ち込んだ。超反応で止められた刃が軌道を変えて真正面から俺の刃を受け止める。

 男子生徒達から驚嘆の声が聞こえた。

「来々木 亮。貴殿は真っ直ぐだ。真っ直ぐすぎる故に、一度踏み外せば怖い」

 緊道が手首を捩り、打ち下ろされた剛剣を流していく。すれ違い様に肩口を叩かれていく。クレスの体が落下した。床板を鳴らし、回転運動ですぐに立ち上がる。俺は左肩の痛みを無視して両手で握った木刀を振る。

 唐竹を真横に構えた木刀で受け止められてしまった。

「貴殿は、選んだ。悩み抜いた末に選んだはずだ。だからこそ、生存を知って揺らいでいる。あの時、あの瞬間に別の選択肢があったのではないか、と。もっと上手くやれる方策があったのではないか、と。正解を探し続けている」

「悪い、ですか。選ばねばならないなら、最善がいいに……決まってる!」

「未来が読めれば誰も苦労などせぬっ!」

 怒号が響く。思わず居竦(いすく)まる。何に気圧されてしまったのか。

 俺は間違っていない。何も間違っていない。

 だが、言いようの知れない寒気に襲われ俺は歯をかちかちと打ち鳴らしていた。

 極寒の大地に裸で放り出されたように、壮絶な寒気に(さいな)まれる。

「……貴殿は、責を負っていない。自らが選んだ結果を真っ直ぐ見ていない」

「それ、は違います。俺は選んで、選んでしまったから、前に進むしかなかった」

「ならば振り返るな。正解を探そうとするな。その行為に意味はない」

「そ、れでも」

 いつかは絶対に選ばなければならない。

 俺は殺人者だ。正義という理由を掲げ、悪を滅ぼし根幹を断つと理由付けて多くの命を奪ってきた。血に染まり続ける手を拭い去り、偽りの白をのせて手を取ってきた。それが正しいのだと、必要なことだと割り切って加賀見も犠牲なのだと切り捨てた。

 失われていれば、きっとフェードアウトしていた。会わせる顔がない。言い繕える自信がない。だが、全部カバーされてしまった。

 加賀見が俺と刃助や遥姫との仲を取り持った。

「正解など、誰にも分からぬ。貴殿も、我も〝人間〟なのだから」

 体が動かない。舌も動かない。言葉を紡ぎ出すことができない。

「はあああぁぁぁぁぁぁっ」

 声が響く。いつになく感情を曝け出したクレスが裂帛(れっぱく)の気合と共に切り込む。乱打ではなく、二振りの木刀を交差させた一撃。しかし、静かにたおやかに止められてしまった。刃と刃を重ねた一点と緊道が突き出した木刀の切っ先が拮抗している。

「貴殿もだ。クレス殿、正解などない。偶然も必然もない。貴殿が選び取り、他の選択肢を切り捨てた。だから結果が残った。その過程をやり直すというのであれば、貴殿らは関わった者達全てを嘲弄(ちょうろう)しているに等しい」

 景色が暗転した。肉体が吸い込まれていくような感覚に襲われる。

 俺が、見詰めている。心臓を穿(うが)たれた虹彩異色症(ヘテロクロミア)の少女。眠るように死ぬ少女を前に、精神の部屋は後悔一色で埋め尽くされていた。

 何故、最初から殺さなかったのか。融和の道など考えてしまったのか。所詮は異なる種族。交わってはいけない、混じるはずのない血脈が間違ってしまっただけ。

 もっと、力があれば。どんなものでも駆逐できる圧倒的な力があれば。

「そうか。そう、なんだ。これが――」

 宣誓が響く。失われた心の空洞を埋めるように白の記憶がはまっていく。

 一回り大きくなった魂が寄せられた魂を飲み込み、膨らむ。一瞬だけ肥大化し、収縮して(はじ)け飛んだ。限界まで濃縮された負の感情が爆発した。

 弱い自分への怒り、仲間を失った悲しみ。奪ったものへの憎悪、分かり合えぬと知った諦観。ない交ぜになって、結局は原始的な殺し合いしかできなかった。

 この結果に至る過程は、クレッシェンド・アーク・レジェンドという人間がそうあるように自らの魂に刻み込んできたからだ。だから〝そうなるしか〟なかったのだ。

「理解したか。己に潜む、精神の揺らぎを」

 目を(しばた)かせる。目の前にはクレスの姿。驚愕、憤怒、慟哭と様々な感情が混ざり合った複雑な表情を浮かべている。

 恐らく見たのだ。〈聖呪大戦〉における俺の戦いの結末を。

 鈍痛。気付けとでも言わんばかりに頭頂部に一撃を見舞われた。痛みで木刀を取り落とし、床板に転がって硬い音を立てる。クレスも取り落として三振りの木刀が合流した。

「以上で、いかがだったかな。九龍院の申し子に、若き獅子の方々」

 呼びかけた緊道の声は柔らかく、優しく包み込むような響きだった。

 拍手が鳴り渡る。千影の表情を伺うと満足そうに頷いていた。ハメられたのだ。

 千影が作ったような営業スマイルを浮かべる。

「さてさて、貴様らも強くなりたいだろう。何、少しくらい動機が不純だろうが邪まだろうが構わん。そこの二人も我が九龍院の門下だ。貴様らも強く気高く魂を鍛え上げ、刃に宿し魅せよ。ならば、あー……そうだ。色々な願いとか、叶うかも、しれん、ぞ?」

 後半が怪しい。だが思春期真っ盛りの男子生徒諸君は途中までしか耳に入ってなかったようだ。まるで少年のような純粋たる期待の眼差しで千影を見ている。

「先生! 是非とも教えてくださいっ」

「俺もカッコ強くなりたいッス!」

「俺も俺もっ!」

「檄カワ大和撫子と……ムフフフフ」

 もう突っ込む気力すらなかった。どっと疲れが噴き出してくる。

 俺とクレスは座り込み、互いの顔を見て疲労に満ち満ちた笑顔を晒した。

 つまりは九龍院流格闘道場に通わせる新たな生徒を捕まえるための、剣聖さえ巻き込んだ盛大なパフォーマンスであった。

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