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灰色の境界  作者: 宵時
第四章「……ええ。時を経て、俺は殺人者になった」 「〝英雄(ヒーロー)〟とは言わないのだな」
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4-2 揺らいで燃える

 東部衛星都市へと繋がるゲートの前に立ち、身体チェックを受ける。

 加賀見が提示した許可証を見て、警備員が苦笑いを浮かべた。

「いやぁ、申し訳ない。先日の一件以来、検査が厳しくなりまして」

「いえいえ。今日もお勤めご苦労様ですよぉ」

「そちらこそ、また調査ですか」

「今日はただの息抜き、普通に観光なのです」

「そうでしたか。失礼しました。ごゆっくりどうぞ」

 俺は軽く会釈するだけで済ます。あれこれほじくり返しても意味はない。

 加賀見を先頭にぞろぞろと群れをなす生徒達。のんびりと、穏やかな日常の風景。

 俺やクレス、リオンは溶け込むのではなく守るべきものの価値を知るためにいる。

 何が大切なのか。何を失ってはならないのか。

 払うべき犠牲は本当に必要なのか。何もかもを守らねばならないのか。

 切り捨てるべきものはあるのか。それは、切り離してしまっていいのだろうか。

 正解など、恐らくどこにもない。いつ何時も、対峙した瞬間に二択を迫られる。

 ぐに、と頬を摘まれた。(ねじ)られる。

「まーた難しい顔してる」

「……悪いか」

「あの子とか、亮のファンに心配されちゃうよ?」

 おどけた調子で言ってリオンが手を離す。頬をさすりながら、努めて何でもない普通の顔を思い浮かべて表情筋を動かす。何人かの視線を感じる。

「そういうお前だって、放っとかれないんじゃないのか」

「私は、ね……」

「なんだ、やっぱり男より女の子の方がいいのか」

「どうしてそうなるのよっ!」

「悪い悪い、変な意味じゃなくて――」

 声を荒げるリオンを苦笑しつつなだめる。

 歩きながらもちらちらと様子を伺ってくる女子生徒達。囁かれる話の内容は分からないが、大体察しはつく。余り想像したくないし、触れたくもない部分なのだが。

「どうにも、そういう色恋沙汰に疎いんじゃないのか。女所帯にいたわけだろ」

「あのねぇ……一応ベリアルさんもいたんだし、それに」

「それに?」

 迷うように瞳が揺れる。心臓が高鳴る。よく見た仕草、今でも瞼の裏側で輝く(かお)。失われたものと世界を引きずり、過去の皮を被って現在を彷徨い続ける。

 俺の生き方は成仏するタイミングを失った幽霊のようなものなのかもしれない。

 リオンの、小百合によく似た(つや)のある唇が言葉を吐き出す。

「あの、事件があってからは仕事一辺倒だったから、そんな心の余裕なんかなかった」

「なら、今はどうなんだ。箱を開き、秘匿されたものを暴いた結果、どうなった」

「……聞くまでもないでしょ。誰が悪いって決め付けるだけじゃ済まないの」

 何かを滅ぼせば全てが丸く収まる。そんな単純な世界構造ならどれだけよかったか。

 伸びきった悪の樹木を切り倒したところで、撒き散らされた種から芽吹いたものは存在すら知られず、根付いた場所で静かに時期を待ち続ける。

「まず、そんな気分になれない」

「もうお前が〈灰絶機関〉に要る理由はないんじゃないのか」

「復讐なんて無意味だ、って。辛くなるだけだって言ったのは誰だったっけ?」

「俺だな」

 さらっと言って続いて浴びせられる小言を右耳から左耳に聞き流していく。

 問うこと自体が無意味だと思う。確かに、リオンは自らの望みを叶えた。両親が殺害された真実を知り、指示したハルは千影によって世界から消滅させられた。

 リオンの両親が何を思い描いて〈知核人機(ニアリヒュー)〉の前身となる人機一体構想を打ち立てたのか。今となってはもう誰にも分からない。

 レンガを敷き詰めた歩道を歩いていると、血の跡があった場所が視界に入った。

 死んだと思った人間が生きていた。それは喜ばしいことだ。加賀見に恨みがあるわけではないし、仲間の生還は素直に嬉しい。

「――に、ね。ちょっと亮ってば、聞いてるの?」

「本当に、全部綺麗に片付いたのか」

「気持ちの整理はつけたから。それに、もう一つ大事な用があるし――」

「そうか」

 無味乾燥な返事を投げる。続く言葉も全く知覚できないでいた。

 視線を動かし、町並みを眺めていく。様々な車が道路を行き交い、学生やカップル、サラリーマンが歩道を歩く。どこにも〈知核人機〉の影はない。

 治ったはずの、貫かれた手の甲が(うず)く。

 右手で、治ったばかりの左手の甲をさする。

「……もしかして、まだ完治してないの?」

「まさか。晴明さんの腕と、自前の治癒力の賜物さ」

「私の活躍は忘却の彼方かしら」

「当然、お前が繋いでくれたからだ。有難う、命の恩人だ」

「そ、そんな、別に、当たり前のことをした、だけよっ!」

 赤面するリオンに首を傾げる。怒ったり心配したり、焦ったりと忙しい奴だ。

 ぐい、っと物凄い勢いで腕を引っ張られてリオンから引き()がされる。出迎えてくれたのは刃助を頭目とした男子生徒の一派。全員が半月のような笑みを浮かべている。

「来々(くるるぎ)よぉ、ちょっとリオン様とくっつきすぎじゃね?」

「お前には正妻がいるだろうがよ!」

「はぁ? 遥姫(はるかひめ)は誰のものでもねぇだろうがっ」

「男色疑惑ってマジ?」

「で、結局お前とリオンちゃんってどこまでいってるんだよ」

 市内の往来で男子生徒に取り囲まれ、次々に質問をぶつけられていく。

 どれから答えればいいのか、そもそも答えるべきなのだろうか。幾度となく繰り返されてきたことだが、やはり正答は分からないまま。

 阿藤学園の生徒達が見ているのは日常に溶け込むために造られた〝来々木 亮〟の人格であり、〈紅の死神〉として〈灰絶機関(アッシュ・ゴースト)〉が定める悪を駆逐している事実は知らない。

 真実を知れば、語ってしまえばどんな反応が返ってくるのだろうか。

 羨望はない。誰もが生贄を欲している。言葉と力の矛先を一点に集めたいだけだ。

 ならば浴びせられるのは罵詈雑言か。侮蔑と憐憫と嘲笑をぶつけられるのか。

 勢いよく背中を叩かれた。俺を引っ張ってきた張本人である刃助の声が響く。

「ほらほら皆のもの、先へ進もうぞっ!」

「なんだよ隊長、尋問のために呼んだんじゃないのかよ」

「通行の邪魔をしてはいかんよ。もっと相応しき場面があるだろう」

「ま、まぁな」

 諭されゆるゆると陣が解かれていく。先を歩く加賀見達が呼んでいた。

「我らは遊びに来ているのではないのだ。

高校生活最後の文化祭、最高のものにする。

そのための慰安……ではなく、資料見学なのだよ」

「本音漏れてるよ隊長」

「似たようなもんだけどな」

 笑いが起きる。俺も釣られてか、勝手に表情筋が反応してか微笑む。

 またぞろぞろと列を作っていく生徒達を見送って、俺を見た刃助がにんまりとした。

 突っ立ったまま何も言ってこないので、諦めて背中を叩き返して歩き出す。

「いつも悪いな、刃助」

「なんだかなぁ、昔のお前さんを見ているようでな」

「……本当に助けられてばっかりだな」

「謙遜しなさんな。立派に溶け込んでいるよ。だがな……」

 刃助が顔を近づけてくる。男同士で何をしようというんだ、なんて茶化せる雰囲気でもない。瞳に宿る疑問の意思は真剣そのものだった。

「クレス殿と、何かあったのか」

「何、って何の話だ」

「さっきの練習、凄まじかったがそれ以上に見ていて寒気を感じたぞ」

「間違っても模造刀で死んだりはしないぞ」

「なんというか、その……」

 刃助にしては珍しく躊躇(ちゅうちょ)している。

 (いぶか)しげに思っていると、小さくも芯のある声で言葉が続く。

「いやな、武器の扱いに長けているのも驚いたが、クレス殿の動きは

なんだか、こう本当に殺してしまいそうな勢いがあってだな」

「それだけ迫力があった、ってことだろ。変なことはないと思うが」

「ふぅむ。亮がそう言うのであれば、間違ってはいないのだろう……」

「まぁ、少し頑張りすぎた感はあるがな」

 切られた左頬を指の腹で撫でる。模造刀だったからこそ、浅く切る程度で済んだが真剣なら左目の失明すらあったほどの斬撃だった。

 思うところはある。だが、口にはしないでおく。

「最高の舞台にしよう、って言っただろ。皆が刃助についてきているのさ」

「ふふん。だが鏡華嬢も素晴らしい手腕だ。どこでかのような素晴らしき物語を……」

「多分、それは知らない方がいいぞ」

 男は知ってはいけない領域な気がする。刃助は遥姫を愚直なまでに信奉している分、横道に逸れることはないとは思うが、何しろ対人距離なんて全く気にしない(おとこ)だ。

 間違ってそれっぽい雰囲気でも出してしまえば別の火種が生まれる。

「なんだか引っかかる言い方だな」

「何でもない」

「いや、知っているようだな。さあ吐け、吐くのじゃっ」

 ヘッドロックを仕掛けられる。ここは天下の往来だと言ったのはお前だろうが、と思うもおふざけ程度の力加減だったので軽く腕を叩いてギブアップを示す。

 解放されたものの、俺を見る刃助の目は疑問への返しを期待している。

 再び歩き出してから少し考える。偽らず、だが予測を真実のように語ることもできず。

「イズガルトのお家事情、かな」

「ふむ。それは興味深いな。かの〝魔法〟がある夢の国か」

「アルメリアの技術だって外側から見れば魔法みたいだと言われるさ」

「隣の芝生は青い、というやつか」

「お、刃助からそんな言葉が出るとは……」

「なぁにをぉっ!」

 また首を()められそうになったところで目的地に辿り着いた。

 先に着いた面々は勝手にグループを作って鑑賞している。

「仕方ない。そういうことにしてやろう」

「そういうことにしておいてくれ」

「さてさて、姫をエスコートするかな」

 意気込む刃助の背中を見送る。確証はないが、何となく見当はつく。

 舞台上で俺が演じていたリョウト・サイレンサ。くしくもクレスの演じていた上神 玄明は二刀使い。魔術的素養に恵まれなかったクレスの兄は簡単に手に入る力、兵器に手を染めたと聞く。

 もう一度、切られた傷跡をなぞる。

「秘めたる憎悪、か」

「だから、僕はそんな(よこし)まな気持ちをもってはいないよ?」

「うおっ」

 思わず声をあげてしまった。いつのまにか爽やかな笑顔を浮かべたクレスが目の前に立っている。笑顔ではあるが、蒼眼は凍土に押し付けられるような冷ややかさだった。

「なら、演技に入り込みすぎて思わず、か」

「それで納得してくれるなら助かるけれど」

「どうにも、な。確かに役柄以上の覇気は伝わってきたけれど」

「演出だよ。血糊だけじゃなく、本物が混じった方が興奮すると思ってね」

「剣闘士じゃあるまいし……」

 本心は引き出せそうにもない。そもそも、こんな場所で話すべきことでもないか。

 周りを見る。加賀見は遥姫と共に男女混合グループ、刃助も混じっていた。リオンは女子生徒達と世界の名だたる女戦士の装束を展示した区画に入っていく。

 自然と歩き出して刀剣を展示しているブースに足を踏み入れる。古き時代に使われていた……いや、今も俺や千影が得物としている日本刀が展示されていた。

 童子切安綱、ニッカリ青江、村正など名だたる説を残したもの。長曽祢虎徹(ながそねこてつ)、長船兼光、美濃兼元(みのかねもと)など最上大業物(さいじょうおおわざもの)と称される逸品が荘厳たる姿を晒す。

 時代の流れを汲むように、順路に沿って木刀や竹刀が展示されている。

 先に入っていた男子生徒達は電光板で指示された通りに進み、刀剣の成り立ちと衰退を見ていく。展示スペースでは実際の日本刀と同じ重さの模造刀があった。

 盗難防止のために鎖とセンサーがあるものの、手にとって実感することができる。

 男子生徒の一人が手に取る。

「おぉ……やっぱり本物は重いんだな」

「でも時代劇のはバンバン振ってるじゃん」

「だから、模造刀だって。あれって何でできてるんだろうな」

「模造刀でも重いって話だぜ。しかも結構壊れやすいとか何とか」

「やっぱり振るうのも技術がいるんだな」

 次々と感想を口にする生徒達は続いて木刀を手にとっていく。

「結構重いもんだな」

「樫でできてるんだぜ? 硬いし比重もあるから打ち所によっては死人が出るってさ」

「おー、よく知ってるなぁ……」

「だってそこに書いてるし」

 解説が記された箇所を指差す。さらに進んでいく。俺とクレスもその後を追う。

 諸外国の刀剣に関する歴史や、甲冑のあり方。さらには青銅からなる武具の成り立ちまで事細かに説明されている。

 先に進む男子生徒が出口近くの終点にある張り紙に目を留める。

「おい、実際に打ち合える場所があるってよ」

「そんなことやってんの?」

「俺も主役二人みたいに打ち合えるのかな」

「そう簡単じゃないだろ」

「でも実際に集団戦とかあるんだし……」

「時代劇ならな。俺達がやるのってSF要素強いだろ?」

「確か東国は刀と魔法の複合術を操る、って設定だろ。必要だって」

 純粋な好奇心に突き動かされているのかもしれない。どんな動物にだって本能的に攻撃性がある。それを自制するのが理性であり知恵のある生物の証。

「いいんじゃないかな、やってみても」

 後ろから爽やかな笑顔でクレスが生徒達の背中を押す。実際に二刀使いを演じている上、表向き公表することはないが実戦でも二振りの刀剣を扱うクレスが教えてくれる。

 そんな風に受け取ったのか、単純に後押しが欲しかったのか男子生徒が出口の傍にある古風な道場へ向かって歩き出す。

「……いいのか」

「何が? 悪いことなんて何もないと思うけど」

「いや、まぁ」

 一般人の男子生徒相手に本気になることはないだろう。だが、何かの拍子に隠したい部分が露出してしまうのでは、と思ってしまう。クレスだけでなく、自分自身が。

 〈紅の死神〉が取り込んだ魂達が戦いの音色に導かれてしまうかもしれない。

「あれ、貴女は九龍院流格闘道場の先生では?」

「確かに私が師範の坂敷 千影だが……」

 名前と声に反応して視線を動かす。

 藍染の剣道着をまとった千影が男子生徒達に囲まれている。右手には木刀、左手にはタオル。荒く短い呼吸を繰り返しているのは運動直後だからだろう。一体誰と打ち合っていたのだろうか。

 千影の瞳が俺とクレスを捉える。

「行き先を二人に言った覚えはないが」

「いえ、学校の所用です。資料見学に」

「成る程、な」

 男子生徒達を一瞥し、(きびす)を返して道場へ戻っていく千影を追う生徒達。

 目で誘われた気がするので俺とクレスも後に続いて歩く。

 板張りの床は綺麗に手入れがされている。入り口で靴を脱ぎ、さらに靴下も脱ぐ。床につけた足の設置面が少しひやりとしたものの、静かで厳格な雰囲気に包まれて心身共に清められている気がした。

 白塗りの壁には竹刀や木刀が並びかけられている。

 真剣らしきものもあったが、模造刀なのかもしれない。

 道場に立つ人物を視界に捉えた俺は思わず息を呑んだ。

 濃紺の剣道着に身を包み、踏み立つ足は浅黒く大樹のごとき根強さを見せている。引き締まった腕は雄々しく見るだけで相当の鍛錬を積んでいるのだと知れた。

 表情は硬い。何を意識しているのか。鋼色の瞳が俺を見る。

「この国の言葉で言えば、千客万来といった状況か」

 とすん、と心臓に沈み込むような鋭い声。背後から軽く肩を叩かれる。微笑を浮かべた千影と何を期待しているのか陽光を浴びた水面の色を乗せたクレス。

 木刀を手渡してきた千影が愉しそうに紅い舌で唇を舐める。

「丁度いい。亮、貴様が手本を見せてやれ」

 意識しないうちに俺は戦いの舞台へ押し上げられていた。

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