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灰色の境界  作者: 宵時
第三章「争いを生むものを廃絶し、恒久和平を実現する」「貴様に世界は救えない」
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3-28 終戦の残り香

 イグサの香りが鼻腔をくすぐる。たてられたばかりの抹茶が放つ芳香と相俟って静かで落ち着いた空間を演出し、休息を促す。

 それでも、手は動いていた。ざらりとした感触。

 上体を起こす。視界に入る白と、制止の声。

「はーい、まだ動いちゃいけないよ。いくら君が〈紅の死神〉でも、ね」

 白衣を着た糸目の優男、坂敷 晴明が起き上がろうとした俺の肩を抑える。

 構わずに立とうと左手を着く。畳に触れた瞬間に静電気でも食らったように痛みが走った。手を引っ込める。これでもか、というくらいに包帯が巻かれていた。

 顔を上げると晴明が糸目のまま困ったように眉間に(しわ)を寄せている。

 片手に持った湯のみを傾け、中身を飲む。茶葉が薫る。

 左右を見渡す。和風に設えた部屋に布団は一つ。いるのは俺と晴明さんだけ。

 テレビと台座、薬箱。洋服箪笥。外套やら帽子をかける木製の多目的衣装掛け。

 必要最低限の調度品しかない洗練された空間。

 誤魔化されていたが、消毒液の匂いもする。

 いくつか確認しておかねばならないことがあった。

「……晴明さん、リオンは?」

「開口一番に仲間の心配かい? 本当に、変わらないね」

「俺は、いいんです。〈紅〉は血を司る。ある程度の無理は利きますから」

「全身の裂傷、神経障害に致死量の出血。中身は肋骨を折って内臓を損傷、オマケに左手は自分で引きちぎって血管断裂。よく生きていたものだと感心するね。頑張りすぎだよ」

「……それでも、俺がやるしかなかった」

「で、朧月の解放もしちゃったわけだ。とはいえ、彼女のお陰か」

 そう。リオンの能力に救われた。だが、リオンも負傷していたはずだ。

 刺す勢いで糸目の晴明を睨む。(とび)色の瞳が見開かれた。

「君達は、クラッドチルドレンで〈死神〉……それでも命は有限だ。

ただ一つ限りの命を、もう少し大切にしてもいいんじゃないかな」

「今更な話ですよ。晴明さんと論議を交わしても意味がない」

「やれやれ、どうして〈紅〉に連なる君達はそう自己犠牲に走るのだろうねぇ」

「俺が〈紅〉を引き継いでいるからじゃないですかね」

 笑顔を浮かべてみる。晴明は驚いたように目を丸くしてから、また元通り平穏な糸目に戻った。ゆっくり、優しく布団に戻される。

「寝ていなさい。君が心配することは何もないから」

「……師匠は?」

「ハーネット嬢は別室で休んでいるよ。千影は事後処理だ」

「結局、どうなったんですか」

「それは君自身で確かめるといい」

 いつものように、糸目で笑顔を浮かべて晴明が立ち上がった。

 ちゃんと寝ていてよ、と言い残してリモコンが放られる。

 被せられた掛け布団を滑ってきたのを右手で受け止めた。

 左手を投げ出す。どこかに触れるだけで痛みが走る。本当に外側だけ繋げた応急修理だったらしい。思考を投げ置く。優先順位で積み上げた事柄を処理しなければならない。

 言われた通りに寝転がったまま、右半身を下にしてテレビを向き合う。

 公共放送は天気予報を流していた。チャンネルを変える。バラエティ。チャンネルを変える。ドラマ。丁度ベッドシーンに突入。チャンネルを変える。

 次々とザッピングしていく。どこにも緊急報道はない。

 そもそも、地下での死戦場から何日経過しているのか。

 枕元を探り、荷物と共に置かれていた携帯を手に取る。

 デジタル表記の時計は土曜日の夕方を示している。あれから二日経過している。

 何かあっても、速報として流れることはない。

「結局、闇の中か」

 テレビの電源を切り、リモコンを投げる。

 誰にも知られなくても俺達は魂に刻み込まなければならない。

 悪だと断定し、未来に生まれる可能性の犠牲を防ぐために潰えさせた事実を。

 数々の戦いで散っていった者の名前と、その生き様を記憶し続けなければならない。

 喪われたものは記録や記憶にしか残らず、また念も祈りも願いも残さないのだから。

「加賀見……」

 加賀見(かがみ) 鏡華(きょうか)

 〈灰絶機関(アッシュ・ゴースト)〉下部メンバーの一人。

 彼女もまた戦いで犠牲になった。誰にも知られることなく、存在を失った。

 俺やリオンやクレスは、どう接すればいいのか。

 刃助や遥姫にどう説明すればいいのだろうか。

 そう。制服をまとった少女。黒のボブカットに赤黒い瞳、スレンダーな体つき。

 ついに幻影まで見えたのか。瞬きする。

 消えない。目の前に……いや、俺の顔を覗き込むように赤黒い瞳が揺れる。

 よく見れば(かたわ)らに見慣れた仲間もいた。青の長い髪は背中に流され、白いシャツに黒のパンツスーツ。両手に包帯が巻かれていて痛々しい。

 赤褐色の瞳は安心半分、呆れ半分といった感情を含んで俺を見下ろす。

「はぁい、あたしのこと呼んでくれましたか?」

「加賀見……なん、で」

 跳ね起き、手を着いて立ち上がろうとしてまた左手を軸にしてしまった。

 布団に戻り、転がって痛みに(もだ)える。

「おやおや、随分手酷くやられたみたいですねぇ」

「……何やってんのよ、バカ亮」

「いっ……くぅ。だ、って加賀見、お前っ!」

 加賀見は失われたはずだ。刃助や遥姫を助けるために、殿(しんがり)となって。

 あの機械人形の軍勢、〈知核人機(ニアリヒュー)〉とただ一人戦って、そして――

「死んだはずなのに、なんでいるんだよ。そんなお顔ですよ?」

「でも、確かに俺は血痕を……」

「と申されましても、あたしはホラ、こうやって」

 これ見よがしに加賀見がスカートの裾を掴んでたくし上げる。

 すらりと伸びる美しい脚線美、傷一つない綺麗な肌……あれ、何か痛い。

「いっ……てて、ててててッ! リオン、痛い! 痛いってのッ!」

「あらあら、そんなところに怪我した左手が御座いましたか、ごめんあそばせ」

「てんめぇ…………」

「おやおや、お二人ってそういう関係でしたっけ?」

 リオンの足が俺の左手を踏みつけ、ぐりぐりと畳にこすり付けている。

 物珍しそうに俺とリオンを交互に見る加賀見。

 俺はリオンに踏まれた左手を軽く振り、痛みを堪えながらも生存の実感を得る。

 生きていた。死んだと思っていた者が、無事に存在していた。

 思わず笑ってしまう。

「よかった……加賀見、ちゃんと生きてるんだな」

「もう一度、あたしの脚線美見ます?」

「やめてくれ」

 即刻拒否しておく。これ以上傷を増やされても困る。

 リオンが怒る理由がいまいちよく分からないが、今は置いておこう。

 気持ちよく咲き誇る向日葵のように、加賀見が晴れ晴れとした笑顔を見せる。

「あたしだって、クラッドチルドレンなんです。一人と二人、どちらを切り捨てるのか、って言いましたけど死ぬつもりもない、とも言ったはずですよ?」

「……ああ、そうだな。素敵な脚本を完成させて、演技指導してもらわないとな」

「ええ。あ、お二人に月城さんを入れて三角関係にします?」

「そうね、色々と脚色しちゃうのが役得でしょ」

「あたしは表舞台には立ちませんけどね。そうだ、やっぱり男同士の絡みもいれます?」

「……どんだけカオスにしたいんだよ」

 不安だ。だが、安堵していた。

 いや、心の平穏を取り戻していいのだろうか。

 ハルは倒された。千影の霊剣、鎖天桜花によって文字通り〝消滅〟した。

 まだ〈知核人機〉が残っているかもしれないし、攫われた人達が囚われたままかもしれない。起き上がろうとして、晴明のようにリオンに止められた。

「アンタがやろうとしていること、当てようか」

「お前、もう大丈夫なのか?」

「ご覧の通り。で、考える間に抜け出そうという手は通用しない。ね、鏡華」

「ええ、リオン。坂敷先生から絶対に部屋から出すな、と厳命されておりますゆえ」

 左肩をリオンに、右肩を加賀見に抑えつけられ、布団へ強制帰還させられる。

 この二人はいつの間にここまで親密になったのだろうか。

「死地を通して生まれる恋愛もあるらしいですよぉ?」

「お前ら女同士だろ」

「あたしは性差別はしないんです。どれも全部大好物ですよぉ」

「……鏡華、言っとくけど私はノーマルだから」

「おやおや、残念です」

 加賀見の言葉は冗談と本気の境目が分からない。小さく溜息を吐く。

「あたしも、リオンも、そして貴方も待機命令が出ています」

「まだ、全部が終わったわけじゃ、ないだろ」

「長が動かれてます。それに紅狼様も。貴方に必要なのは休息です。次の戦いのために」

「そう、だな……ああ、その通りだ」

 戦士の休息、ではない。俺達の戦いは終わらない。

 ヒトが生きて存在する限り、人は何かに突き動かされて暴走してしまう。

 誰かが止めなければならない。野放しにしてはいけない。

 命を終えても魂は〈死神〉の刻印に囚われて引き継がれていく。

 まだ何も知らぬ者を執行者に、正義の名の下に悪と断じた命を刈り取る存在へと造り上げるために能力と戦闘技術を継承する。

「亮、大丈夫?」

「うん? ああ……何でも、ない」

「美女二人に看病されて緊張しているんですかぁ?」

「看病どころか痛めつけられてばかりな気がするが、な」

 肉体的にも精神的にも、休養は必要なのかもしれない。

 必ず明日が来るように、また戦わねばならない時が来る。

 戦って、闘って。殺しに殺して呪いから解放されたとしても、罪悪感は残る。

 淡々と語り継がれ、綿々と続く戦いと死と断罪の輪廻は誰が終わらせるのか。


――もし、境界を切り開くことができれば、可能かもしれんな。


 千影の言葉を思い出す。終わらせる方法は、あるのだろうか。

 根絶できないと断言した、罪の元凶を消し潰す至上目的は果たせるのか。

 左手はまだ痛む。解決しなければならない事象は残っている。

「まずは、刃助や月城にどうやって説明するか、だな」

「上手く誤魔化さないといけないですねぇ」

「いっそ、全部話しちゃったら?」

「それは……」

「なるべく、避けた方がいいかと具申しますが」

 リオンの誘いを間髪入れずに断ち切った加賀見の声には鋭さがあった。

 今は、まだ。まだ、話す時ではないかもしれない。

「加賀見、上手く取り持ってくれるか」

「それがお二人のためになるのであれば」

「……頼む」

「了解しました」

 笑顔で加賀見が答える。リオンは不満そうではあったが。

 隠し事をしたくない気持ちは、分からないでもない。

 だが、俺達は日常と非日常を歩き渡る存在。彼らは日常を生きる存在。

 明確に境界線を引かなければならない。グレーゾーンがあってはいけない。

 間を行き交う俺達は、また日常へ戻っていく。

 平穏無事たる世界の調和を、守り続けるために。

「おっと、長から別件を承っているので、お先に失礼しますね」

「ああ。すまない、加賀見」

「ふふふふ。後は、お若い二人にお任せするとしましょう」

「ちょっと!」

 軽やかに笑い、加賀見が部屋を出て行く。

 後には俺とリオンが残された。

 沈黙。互いに破ることはなく、俺は(まぶた)を閉じて寝たふりをした。

 今の俺には、リオンにかけるべき言葉が見つからなかった。

 リオンも、どことなく察しているようで声をかけてくることはない。

 静かに、ゆっくりと……それでも時は刻まれていく。

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