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灰色の境界  作者: 宵時
第三章「争いを生むものを廃絶し、恒久和平を実現する」「貴様に世界は救えない」
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3-26 惨撃の空

 鎖天桜花(さてんおうか)によって切り裂かれ、暴かれたハルの願いは実にシンプルなものだった。大切なものの喪失を前にして、人が願い焦がれてしまうもの。

 かつて俺が手の中から零れ落ちていった命を、その重さを知っている。

 知っているから失わせるものを、尊厳を侵食する害悪を打ち払ってきた。

 千影は地面を這い歩く虫を眺めるように、冷たい目でハルを見つめている。

「ベリアル・ロスクロフト……天才の死を覆し、蘇生させて何をするつもりだ」

「知れたことを。お前にも大切なものがあるはずだ。そこの〈死神〉共にもな!」

「大切なもの、だと?」

「そうだ! お前達クラッドチルドレンは生まれながらに呪いを負った

悪しき存在。それでも人並みに生きたい、当たり前の日常を手に入れたい

……だからこそ〈灰絶機関(アッシュ・ゴースト)〉という拠り所を作り出した。

共に罪を背負い、罪という害悪を滅ぼす大義名分を手に入れるために」

「悪しき存在、ね。ならば、それを刃として世界のあり方に抗う貴様も悪か」

「正しさなど、後から歴史を彩る記録者が勝手に決めればよいだけ」

 千影の背には俺とリオン。ハルの背後には檻に守られたベリアルの脳髄を納めた装置。

 〈知核人機(ニアリヒュー)〉は思考機関として人間の脳髄を採用している。

 だが、ベリアルの脳髄を使って作り出された〈知核人機〉は果たしてベリアル・ロスクロフトと呼べる存在なのだろうか。

 千影が鎖天桜花の切っ先を向ける。

 元通りの黒い刀身を晒し、一切揺らぐことなく形状を保っている。

 〝存在の抹消〟というあらゆる防御を無視する力は失われたのか、捨てたのか。

「貴様は自らが法だと吼えたな。ならば、死者を蘇らせる外法を是とするのも、

大多数を犠牲にして兵隊を作るのも、都合の悪い存在を消し去るのも正しいと言うのか」

「お前達が背負わされた死の呪いは生命を欲する。閉ざされた環境の中で愛する人を見つけられず、自らが犯す罪の重さにも耐えられず、集まって傷をなめ合うことしかできぬ弱き者達。活動するための資金を提供し、生きる意味も与えてやった私に何故抗う」

「くだらない問いを繰り返すな。貴様が悪だからだ。大多数を犠牲にし、

幼い妄想に現実を引き込もうと暴走している。故に、駆逐されなければならない」

「何故否定する。大切なものを、命を繋ぎ止めようとして何が悪いっ!」

 ハルが咆哮すると同時に、千影が駆け出す。

 一拍遅れて反応したハルが蹴り上げる。

 爪先から伸びる鋭利な刃が千影の体を浅く裂いて血を散らせた。

 硬い音が響く。狙われたのはベリアルの脳髄ではなく、ハル自身。

 頭部を覆い隠す甲鉄に亀裂が入った。縦に割れた兜が床に落下し、鈍い音階を鳴らす。

 晒されたハルの素顔は、異形だった。

 頭髪はなく、火傷の目立つ肌。空洞となっている右目。

 残った左目は地獄の業火に包まれ、焼け焦げた炭のように黒の中に紅を発する。

 恐らくは銅で作られていたであろう鼻梁は黒ずみ、頬には茶黄色の粘土に似たもので盛られている。お世辞にも綺麗とは呼べない素顔。

「その顔……形は、あの時のまま」

「当然だ。人間の肉体は加齢と共に変化する。

当時最先端の人工物も経年劣化は避けられぬ」

「……貴女のその顔。戦争を生み出す武器を、ウランジェシカを憎むのは――」

「戦争だ。自爆テロに巻き込まれ、両親を失い私自身も半身を失った」

 リオンの声に恐怖はない。交わす言葉も淡々とした口調で紡がれていた。

 命を奪い奪われる戦場ですらなく、当たり前の日常を破壊されたハル。

 一方でリオンの両親は研究に取りつかれ、親であることを放棄していた。

 いわば擬似的な親子とでも呼ぶべき関係性。

「失った痛みを知る貴女が、誰かから奪うのですか」

「そっくり問い返そう。お前達が、〈灰絶機関〉そのものが誰かから奪う罪を背負う」

「……私は、殺しません。一時は感情に支配されました。

けれど、もう私は誰も憎みません。恨みもしません」

「憎まず殺さず許しましょう……そんな風潮が、この世界に害悪を散らせる。武器が存在するから争いが起こり、争いに巻き込まれて日常を破壊された者達は悲しみ憎む。溜め込まれた負の感情は、いつか爆発してまた別世界で無関係の人間に襲いかかる!」

「武器があるから、負の連鎖がいつまでも続く。そう、貴女は言いたいのですか」

「そうだ! だから、お前達が駆逐するのだ。戦争を生み出す存在、社会に仇なす

害悪、誰かの権利を害するものを全て……この世界から廃し世界を救済する」

 ハルの言葉が響く。だが、俺の心が動かされることはなかった。

 恐らくはリオンも。抱かれている頭の後ろで鼓動を感じる。

 刻まれた〈紅の死神〉の刻印が疼くが怒りや憎しみ、悲しみから来るものではない。

 強いて感情を挙げるとすれば、諦めだった。

 疲れたように千影が大きく溜息を吐く。

「貴様は、本当に武器を奪えば人間が争うことを止めると思っているのか」

「少なくとも、戦争によって引き起こされる悲劇は防ぐことができるはずだ」

「同時に貴様は反抗の芽も摘み取ろうとしている。独裁政権を筆頭に、現存する

全ての武力による統制を認めるのも同じだ。アルメリア国内だけ平和なら満足か?」

「全て、殲滅すればいいだけだ。人手が足りないというのならば、〈知核人機〉が担う」

「数多の材料となる人間を犠牲にして、か」

「使うのは犯罪者や家族のない者達に限る。いずれは普通の家庭からも

間引くことになるだろうが、恒久平和を維持する兵士になれるのだ。本望だろう」

 集団失踪事件、その首謀者だと宣言しているにも等しい。

 平然と、何でもないのだと言い放っている。

 同じだった。あらゆる犠牲を(いと)わず、自らの理想のために全てを食い潰す。

 人類の絶望を食い集めて自らを高めようとしたデイブレイク・ワーカーの頭目であり、外宇宙からの侵略者でもあったピアスディと同じ邪悪を(はら)んでいる。

 人間の体とセラ・フロストハートを始めとする多種多様な血を利用し、異界の門を開いて〈渇血の魔女(ワルクシード)〉を生み出そうとしたハインリヒと同じ執念に突き動かされている。

 ハインリヒの術式を利用し、〈渇血の魔女〉が持つ限りなく不老不死に近い身体特性を手に入れようとしたピアスディと同じ底知れぬ渇望を感じる。

 それでも、俺達は否定しなければならなかった。

 もう矛先を失ってしまった刃を打ち砕かなければならない。

 機械混じりの肉体を晒したハルを、千影が温度のない瞳で見つめていた。

「……愚かな。失われる命の、奪われた者達の嘆きを誰が聞けるものか」

「ベリアルさんの願いは知っている。かのクローニングは軍事利用に

使ってはならない。あくまで再生だ。人間が人間を作ってはいけない」

「そうか。ウランジェシカが生み出すという

キーオブザセルを否定するのも、人間を造るからか」

「愚問だな。あれは肉体の再生治療と偽った戦術兵器だ。必ず戦線に投入してくる。

その前に、殲滅しなければならない。新たな犠牲者が出る前に、私が――」

「過去の全てを怨恨の名の下に葬り去る。そんな私情に突き動かされるのが救世主か」

「…………戦争の、根幹を絶つにはウランジェシカは滅ぼさねばならない」

「違う。仮にウランジェシカを滅ぼそうとしても戦争はなくならない。戦争屋や武器商人はいち早く逃げ出すだけだ。仮に駆逐しても、世界から争いがなくなることはない」

「お前の戯言は、救えるものを救わないと言っているのと同じだ!」

 言葉の刃を打ち鳴らす剣戟の宴は終わらない。

 ハルがこれまで執り行った政策による治世は確かにアルメリア王国を強く育てた。

 かつて一部の富裕層だけが全てを持っていた時代とは違い、利益は正しく還元され豊かで安全な生活を保証されている。

 その裏側で殺人による断罪が行われていても、個々人の世界では関係ない。

 知らないものは知らないし、知られないものは闇に葬られる。

 日露事変にしても、ウルルグゥを巡る戦争も立場によって知りえる情報が変わる。

 〈灰絶機関〉は罪を滅ぼし、湧き出る悪意の根幹を断ち切る。

 その実態は、終わることない永遠の断罪者であり、次代へ引き継がれていく粛清者。

 決して個人の思想によって振るわれていい武力ではない。

 誰の側にも立たない者にだけ許された刃。

「……貴様は、止まれないだけだ。ブレーキの壊れた暴走列車だ」

 告げて、千影は鎖天桜花の切っ先で床を引っかいた。

 反応してハルは再び鎧をまとう。創造星鉄剣の柄を捨てて、全身をざわめかせる。

 まるで今現在突き動かされている負の感情を体にまとうように自在変形の刃が獲物を求めてハルの体を覆い隠す。

 痛ましき顔を隠す仮面は鬼のような意匠。

「救わないのではなく、救えないのだ。私達は人間なんだよ、ハル」

「人間……だと? 悪と断じて人間を殺し、その数で呪いから解き放たれようとするお前達が人間? まさか、お前にもそんな感傷的になる部分が残っているとはな」

「うつけめ。いいか、私達の眼球は二つしかない。手も足も二本しかない。機関全体を

合わせても世界丸ごと抱えられるほど広くはない。神様などではなく、人間だからだ」

「分からぬな。人間でなし得ないからこそ〈知核人機〉がある。手が足りないというならば、やはり怠慢でしかない。届けば、世界を見渡すことができれば全てを守れるのに」

 違う。千影の言葉に対するハルの返しは間違っている。

 俺達は〈灰絶機関〉の一員で、常人よりも優れた能力を持つ。

 〈死神〉の刻印に見初められた者は高い戦闘能力、および反射神経とセンスを併せ持ち、人が持たざる特異な三つの力を使役する。

 それでも、肉体は人間のもので心臓も一つきり。

「貴様は、クラッドチルドレンを弱き者だと称した。命を食らうから、最初から呪いを

受けているからと見下している。自在に、使われるだけの駒だと認識している」

「何を今更。お前もそう看做(みな)しているだろう。まさか、連中が己の意思で

罪と共に生き、殺した者の生命を背負って戦線に立っているとでも言うのか」

「だから、私達は人間だ。他人の心を完全に知ることはできず、世界全てを

見渡すことは叶わず、害悪を取りこぼしのさばらせる。決して、神などではない」

「何を……自らを神だと称する者ほど傲慢なものはいないよ」

「貴様だよ、ハル。ハル・マリスク・アルメリア。

人間を材料だと言い捨て、クラッドチルドレンを

哀れだ惨めだと蔑む。人の本質を理解せず、死者の

念まで都合よく自分の妄想を押し付けて(うそぶ)く。

それが驕りでなく、いったい何だと言うんだ」

「…………お前にこそ、何が分かる。ベリアルさんが、

軍部に殺されることを是とするはずがない。

誰だって、生きていたいに決まってる!

だから、私は体を与える。既に失われて朽ちた体を

脱ぎ捨てて、私が与えられたように永遠を――」

「永遠などない。死者の念は誰にも分からない。貴様の戯言は

そこら中に転がっている、朽ち果てた幻想に過ぎない。

勝手な思い込みだ。自らの行いを正当化するために

利用しているだけだ。だから、傲慢だと言っているんだよ」

 突きつけられた千影の言葉は重く、肉体を貫いて精神を潰して来る。

 死者は願わない。祈らない。紙に遺言を残しても、想いなど遺さない。

 それは喪失を味わい、奪われた者達が自分だけの世界で構築するロジックに過ぎない。

 千影の言語による攻勢は続く。

「〈知核人機〉は永遠からは程遠い。人の体を脱ぎ捨てたところで、脳の限界が取り払われるわけではない。形あるものが必ず崩れるように、いつかは死という結果が訪れる」

「叶えられる。ベリアルさんならば、あの人ならば

きっと人類が望む永遠を世界に与えることができる!」

「大切なものと永遠にいつまでも、か。貴様も同じだな。妄執を吐き出すストラや、

そこら中に転がっているくだらない金持ちと一緒だ。飽くなき欲望の渦に飲み込まれ、

世界そのものを食い尽くすまでなくならない、ただの怪物に他ならない」

「研究者であれば誰もが先を望む。人間のあるべき形だ。欲のない人間など、

ただ命を啜り彷徨うだけの悪鬼に他ならない。私は、間違ってなどいない」

「そう言われたいのか? 肉体を得て蘇ったベリアルに褒められたいのか。

安い承認欲求が満たされれば満足か。まるで子供だな」

「欲は、生きる原動力……ガソリンのようなものだ。足りないものを補って環境が

構築される。私にとって、なくてはならないものを取り戻す。私だけの願いではない。

誰もが、不慮の事故や奪われる恐怖を乗り越えられる世界を創造するのだよ」

「貴様が、これから奪いに行こうとするウランジェシカの民を貪り生贄にして、か」

 繰り返される。こねくり回される。

 行き着く結果は同じなのに、人は堂々巡りの迷路に誘われてしまう。

 大切な人を欲するのは誰だって同じ。守りたいのも、失いたくないのも同じ。

 押し黙ったハルを前に、千影は右手に握った鎖天桜花の切っ先をあげる。

 視線が導かれる先はベリアルの脳髄が収められた装置。

「貴様はベリアルに肯定されたいだけだ。奴の遺した技術を転用し、築き上げた

地位と世界を見せびらかして褒められたいだけだ。実につまらない、感情の暴走だ」

「……あべこべではないか。他人の心情を読み取れぬと言っておきながら、

どうして断定できる。死者の無念がどこへ行くかも知らぬお前がッ!」

「証明することはできない。死者の無念とやらも、

自らの行為を正当化させる理由付けに過ぎない」

「ならば問おう。お前が私と敵対する理由はなんだ。お前の欲は、なんだというのだ」

 理由は既に告げられている。

 ハルの行いが大多数の犠牲を強いた上で、新たなる戦火を引き起こす。

 千影の言葉通り、仮にウランジェシカを滅ぼしたとしても争いがなくなることはない。

 人が生きて存在し続ける限り、常に闘争はすぐ隣にある。

「変わらんよ。私はこれまで通りに争いを駆逐し、

天秤にかけて少数を切り捨て多数を救う。

貴様の暴走はただ悪戯に戦火を広げるだけだ。

また、死者の蘇生も許すわけにはいかない」

「貴様は失っていないから、そう言い切れるのだ。大切な人を奪われれば、

貴様も同じように奪った者を憎む。負の感情を燃やし、鎖をひきずる!」

「ない。言ったはずだ。全てにはあるべき形がある。

そして、形があれば必ず崩れて失われる。

死を悼み、悲しむことはあるだろう。

だが存在し続ける限り、人は前に進むしかない。

過去から追いすがる鎖に縛られている暇などない」

「……全員が、そうだというのか。それこそ、本当に人間なのかッ!」

「人間だよ。〈死神〉は刻印を受け継いで生き延びるための刃とする。

霊剣は、所有者の力を食って心の奥底に潜む願いを世界に流出させる」

「で、あればお前の願いは〝世界の抹消〟か」

「いや」

 短く否定し、千影が黒刀を真っ直ぐ立てた。

 騎士が主に対して、剣による礼節を立てるように刃先は天井を差している。

「あってはならぬものの存在を失わせる。二度と、誰の目にも触れないように」

「証拠隠滅、か。罪を背負うものには相応しいな。だが、何のつもりだ。

既にお前の霊剣が持つ効力は失われたのではないのか?」

「……刻天咲き乱れろ、鎖天桜花」

 ハルの問いには答えず、千影は凛とした声で己の霊剣の名を呼んだ。

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