3-25 パンドラの空箱
リオンに体を支えられたまま、俺はただ戦場を眺めることしかできない。
修復されたとはいえ失われた血液は戻らない。
脳髄は生命維持を最優先するため、肉体の休息を進言し強制的な眠りを命令してくる。
だが、応じない。今ここで眠ってしまうわけにはいかない。
俺もリオンも自分自身で真実を見極めなくてはならない。
何が正しく、何が間違っているのか。白と黒の間を割り裂く灰色の境界線を引く。
手の中で脈打つ朧月は、蛭のようにゆっくりと吸い取る。
血でも肉でもない人間の根源的な部分から沸きあがる力を欲する。
「霊剣は所有者の潜在的な願いを現実に映し出す鏡……お前は、そう語ったはずだ」
「偽りはない。私の鎖天桜花が持つ能力は〝存在の抹消〟即ち在りしもの全てを滅ぼす。
たとえ、対称がいかなる防御能力を持とうが消滅の結果を覆すことは叶わんよ」
「そんな、はずがっ」
ハルが創造星鉄剣を振るう。
形成されたのは細身の長剣、レイピアに近い形状。
大きく一歩を踏み出し叩き込むように鋭い切っ先を前へ刃を振るう。
千影は動かない。が、素早く影が飛び交った。
ぐしゃり、べしゃり……砂を噛み潰すような咀嚼音が響き渡る。
「いつだって、人間は自らが目の当たりにした現実しか信じない。貴様はどうだ?」
「くっ…………だが、これほどまでの力を持ちながら、何故」
「何故使わなかったか。既に理由はくれてやったはずだが?」
「嘲弄するわけではなく、挑発でもなく本心からの言葉、なのか」
「ハッ、私はいつだって本気だよ。世界から悪を駆逐する、
そんな夢物語が生半可な覚悟で語れるものか。誰もが、
いつ何時であろうと懸命に生きる。自らが欲するもののために、
その存在そのものを賭けて疾駆する。それでこそ〝人間〟だ」
「……私を人間だと捉えていないような口振りだな」
「その体で人間のつもりか?」
「私とて、好きで半機半人になったのではない……」
攻撃は無駄と悟ったのか、ハルが脱力し両腕を下げた。
沈むような静けさの後。何かを察知して千影が鎖天桜花を構える。
ハルの全身から鋼の棘が伸びて一斉に千影へと襲いかかった。
切り上げながら左へ跳躍。遅れて伸びていた棘が床に突き立つ。
突き刺してすぐに鋼の棘は幻のように消えていく。
さらさらと戻り揺らめいて、また元通り鎧を形作る。
「ほう、その鎧は攻撃にも使えるのか。だがいいのか。自らの防御を捨てて」
「要らぬ。私には守るものなどない。元より、無意味なのだろう?」
「玉砕覚悟か。ただ一つきりの宝を無為に使い捨てるもんじゃない」
「それは、ベリアルさんだけが口にしていい言葉だ」
再び突出する鋼の棘。
捩れて絡み合い、一本の槍となって向かう。
千影が鎖天桜花で受けるも、他方向から伸ばされた棘が腕を貫く。
また別から心臓を狙う鋼の槍を、千影が体を捻って回避。床が破砕される。
追いすがる棘を切り払いながら距離を取る千影の唇には笑み。
「やはり、貴様の根源はそこか」
「知っていて、なおウランジェシカ帝国の存在を許容するのか」
「ベリアル・ロスクロフト。ウランジェシカ帝国機関の技術顧問であり、
クローニング技術を生み出した男。ただし、軍事転用はないと明言し、
医療のみの使用を誓言した」
「……どこまで、知っている」
「一般知識だ。こんなものはアルメリアじゃどこの学校でも教えている。
貴様と私が共に敵として駆逐するものを設定した第一候補は、
技術を私利私欲のために使うもの。
いつの時代でも、どこの為政者でも変わらぬ繰り返し……」
「お前の言う通りだよ、千影。私の願いが、負の感情が向けられていることは認めよう。
あのウランジェシカは、ブリズ・アムル・ウランジェシカはベリアルさんの技術を
軍事転用した。お前もよく知るロスシアの技術を逆輸入する形でな」
「ふん、灰化薬か。アレは時間制限つきで、しかも個体差もある。まだ実用的じゃない」
「……見ろ」
創造星鉄剣を手にしたまま、ハルが空いた手で虚空を叩く。
天井の一面が開き、映像機器が顔を出す。
隔壁をスクリーンにして映し出されたのはウランジェシカの女帝ブリズ。
黒を基調としたドレス、桃色の長い髪はよく映えて頭には冠を頂く。表情は凛としながら緊張しているとも、冷然と意識を凍てつかせているとも取れる固さだった。
『我がウランジェシカが諸君に新たな道を示す。自らに秘められた力を解放し、
存分に誇るもよし。足りない部分を補う目的で活用するもよし。新時代へ向かうための鍵』
『かつて我が師であるベリアル・ロスクロフトは語った。人を造るべきではない。
人を生き返らせるべきではない。命は、その場一つ限りで代わりなどありはしない』
『代わりなき一度切りの道であれば最良を選びたいのが願望。
人間は持ちうる力を全て使わずに生涯を終えてしまう。
それは我々の遺伝子に刻み込まれたシステムの檻』
『ならば解き放たれるには、呪縛を打ち破るためには自ら殻を破らねばならない』
『一部では人を造らんとするものがいる。過去の、師が遺したものを
簒奪し自ら生み出した技術だとのたまう愚か者がいる。
だが、否定する。師が遺したかったものとは違うものだ』
『本来の遺志を汲み取り、選んだのが〝キーオブザセル〟による自己解放の道だ――』
映像が途切れる。ウランジェシカ帝国内部向けと思われる、新製品の発表会。
キーオブザセルと呼ばれ、ブリズが手にしていた緑色の球体物質。
見た目はソラマメに近い。
だが、言葉通りの効用を示すならば様々な応用が考えられる。
またハルが空間で指を弾く。
スクリーンに映し出されたのは映像ではなく静止画像、もとい写真。
キーオブザセルの実用による人体実験から知り得た過程が示されていた。
左から右にかけて並ぶ三枚の写真。
一枚目には左腕の肘から先を失った鬱屈した青年の姿。
二枚目は指こそないものの、水かきのような平べったい左手を取り戻した青年。
三枚目には見せびらかすように右手と同じ五指を開いた左手を持つ、笑顔の青年。
「再生技術、か。何の問題がある。まさにブリズの言葉通りだろうが」
「確かに、技術が再生だけに使われるのであれば問題はない。
だが、必ず奴らは軍事目的で力を使ってくる。
肉体の再生を促すのであれば若返りと同様の効果を示せる。
より強靭な肉体を得た上で筋力のリミッターを解除し、
生身にして恐るべき力をはらむ凶悪な兵士が生まれてしまう」
「可能だろうな。だが、それをブリズが主導したと何故断定できる」
「お前が知らぬからだ。私は、奴に裏切られた」
「まだ、私には私怨以上の根深さは見えないが?」
「戯れるなよ。映像の改変を疑うか?
ならばお前とて同じだ。自ら目撃した現実以外に――」
「違う。もっと根のところだ。だから、何だというのだ。
ウランジェシカ帝国が戦争を始めるとでも言い出すのか?」
「……起こってからでは遅い。起こる前に、潰す。
ウランジェシカは多方面に渡って武器を提供している。
武器さえなくなれば、戦争はなくなる。お前達も要らなくなる。
代理は機械で構わぬ。何故分からない。何故理解しようともしないっ!」
ハルが叫ぶ。
くぐもっていても、それが魂から引きずり出した心情だと察することができた。
だからこそ、俺は違和感を覚える。
恐らく、俺を支えてくれているリオンも同じだろう。
「私は……」
リオンの声が響く。
突風に晒されたかのように、壮絶な震えに襲われる。
それほどまでにハルの視線に込められた覇気は凄まじかった。
耳元でリオンが唾を飲み込む音が聞こえる。
「私は憎んでいました。パパとママの……フランツ・ブラッドレイ・ブルクのAI技術の
転用、コッペリア・マタオート・ブルクが提唱した人と機械の融合を奪ったあなたを」
「〈蒼の死神〉よ、ならば放置してより世界に混沌をもたらした方がよかったか」
「確かに、二人は家庭を顧みない人でした。私は預けられたままで、あなたとブリズさん
……ウランジェシカの女帝、そしてベリアルさんを家族のように慕っていました」
「そう、そうだ。お前は生き証人だ。
私が正しいという、確固たる論拠を語れる人間だ!」
熱を帯びたように、ハルの言葉に激しさが乗る。
違う。リオンはハルを肯定したいわけではない。
復讐に囚われ、そして奪うことで終わらせる最悪の結果は回避した。
何も生み出さない不毛の連鎖を続けようという人間が目の前にいる。
否、恐らくは人間以前に盲目に過ぎたのだろう。
「あなたの時間は、止まっているんです。あの、ベリアルさんが失われた時から」
「お前まで言葉で遊ぶか。確かに、目撃したはずだ。
奴に、ブリズに抱かれたお前がその目で!」
「ええ。全部、思い出しました。あの時、確かに軍服を着た
男達が銃を構えていました。ベリアルさんと、あなたを狙って」
「幼いお前は理解せずとも本能的な恐怖に晒され、震えていた。
連中はクローニング技術の軍事転用に非協力的なベリアルさんを
排除しようとした。ブリズは、ついでに私をも葬ろうとした!
奴も、ベリアルさんのことを――」
「ええ、好意を抱いていたはずです。彼女の手が心情を伝えてくれました。
恐怖による震えと、情報の行き違いによる不信感がもたらす静かな怒りを」
「馬鹿な……」
はっきりと言い切ったリオンに対し、ハルの声は驚愕と逆を願う感情に揺れていた。
そうであるはずがない。ブリズは軍部と結託し、私達を排除しようとした。
事実は違っていた。
今となっては確かめる術はない。だが、誰もが被害者だった。
黒い旋風が吹き荒れる。
ハルが動きを止めている隙を突いて、千影が駆けていた。
目標地点は最初にネクロハイゼンへ降りた時にハルが立っていた場所。
最初に隔壁によって封じた空間。即ち、一番隠したかった場所。
「待て、千影! やめろおぉぉぉぉぉぉっ」
「真実を晒せ、鎖天桜花」
悲痛に震えるハルの声にも止まらず、千影が黒刀を振るった。
黒き旋風があらゆる衝撃を吸収し尽くす隔壁を打ち破る。
右上から左下へ、続いて左上から右下へ閃光のように斬撃の軌跡が走っていく。
べりぼりと噛み砕かれ、音を立てて崩れ去った先には再び開けた空間。
電子の光と円筒形の、大量の脳髄や〈知核人機〉を要する装置の群れ。
最奥に大事に大事に、宝石を守るように強固な檻によって隔たれた円筒形の装置。
橙色の液体に浮かぶ脳髄。ただ一つだけ装置に名前が刻まれていた。
ベリアル・ロスクロフト。生涯ただ一人愛したひと。
「……貴様の目的は、戦争の根絶でもブリズへの復讐でもない。
ただ一つだけ胸に抱いた願いは……ハッ、死者の蘇生か」
空に輝く星のように願いが瞬く。
理解など必要とせずとも、大切に仕舞い込んだ真実。
晒した上で千影は、実にくだらないものを見たとでも言いたげに吐き捨てた。




