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灰色の境界  作者: 宵時
第三章「争いを生むものを廃絶し、恒久和平を実現する」「貴様に世界は救えない」
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3-23 紅き覚醒の中で

 アルメリア王国が世界に誇る技術を生み出す中枢、創造機関ネクロハイゼン。

 そのさらに地下深く、ハルが密かに製造していたのはヒトが人を殲滅するシステム。

 〈知核人機(ニアリヒュー)〉という人間の脳髄を思考機関とする人造兵器。

 行動理念のベースは〈灰絶機関(アッシュ・ゴースト)〉、罪を殺し尽くす執行者と平和を維持することを目的とする殲滅機関の歴代メンバーから獲得した情報を基にしている。

 体術、能力の擬似再現だけでなく新たに得た情報を集め、フィードバックすることで常に学習し続ける。それでいて、ハルの命令通りに動く絶対遵守のプログラムを刻まれた兵隊。一個人が持つには、余りに大きすぎる武力。

 超速度の再生機構を持つ隔壁に囲まれた空間に俺達は囚われている。

 防刃服を紙のように切り裂き、俺の肉体に与えられた傷はすぐに命に関わるものではないが、刻一刻と着実に生命を流出させていた。

 体が重い。神経を侵し這い回る音波は止むことなく全身に広がったまま。

 目の前が霞む。相当の血を流してしまった。

 それでも、俺は頭蓋の内側で響くノイズを意識の外にどけながら聞く。

 千影とハルが打ち鳴らす言葉による剣戟の音色を。

「誰が、世界を救えない……と?」

 ハルが生身の左手で剣を振るう。

 大剣にも大槌にも自在に変異する刀身を持つ不可思議な剣。

 あえて千影に合わせてか、鍔口から伸びる鋼は噴出する精神の毒を映すように黒い。

「半分機械の割には低性能だな。体のメンテナンスはしているのか」

「いつまでも軽口を叩くな。問いに答えよ」

「なんだ、本当に聞こえていないのか。集音機能が狂っているぞ」

「……もう一度尋ねよう。誰が、世界を救えないと言うのだ」

 千影は変わらず刃を向けている。

 好戦的な笑みを湛えた精悍な顔からは全く疲労が見えない。

 坂敷(さかしき) 晴明(はるあき)と〝契り〟を交わして〈死神〉の力を失いながらもなお、強大な力を持つ。

 その力とこれまで築いた人脈で〈灰絶機関〉を纏め上げる長。

 禄ノ星神(ろくのほしがみ)による影響がないわけではないはず。

 揺るがぬ千影の前でハルが空いた右手を動かす。

 遠くから瓦礫の崩れるような音。すぐ後に烈風が駆け抜け、増幅された感覚を犯す。

 戦場に舞い戻ったのは〈紅刃(コウハ)〉……俺の、来々(くるるぎ) 亮の戦闘技術を持つ〈知核人機〉のカスタムタイプ。が、携えていた大剣はない。

 代わりに両足から隠し刃を露出させ、床を浅く裂いていた。

 千影が小さく鼻で笑う。

「玩具と少女の夢想では世界を壊すだけだ。何者も救えやしない」

「何故断言できる。何が可笑(おか)しいッ!」

「可笑しいさ。この期に及んで貴様は亮やリオンの脳髄を玩具に使おうとしている。

自分が作った道具にすら自信を持てぬ愚者に何ができるというんだ」

「使えるものは使う。利用できるものは使い潰す。資源の無駄にはできないだろう」

「言い訳にすぎんな。僻地から人間を(さら)い、材料にはできても

いざ人を殺すのが恐ろしいか? 殺せと命じることに躊躇しているのか。

本当に邪魔ならば排除して然るべきだろうが」

「…………分かった。望み通りにしてやろう」

 〈紅刃〉が動く。ハルが千影に言葉をぶつけている間も、少しずつリオンは床を這って進んでいた。その瞳に復讐の炎と悲哀の塊である涙を宿し、神経が焼き切れても能力を行使して殺害せしめる刃を生み出すであろう鬼気迫る信念と波動を放って。

 空中から飛来してくる刃。寸前でリオンは横に転がって回避。

「うぐっ……ああっ、あああぁぁぁぁっ」

 激痛に耐え切れず絶叫する。

 条件反射で命令を送り飛ばす脳の動き、応じて機能する肉体。

 一つ一つの動作がまた神経を犯す音波に触れ、内側から捩じられるような痛みを脳へ流す。次なる命令を送るため臨戦態勢を取る脳髄は超反応で即座に全てを受け入れる。

 増幅された伝達信号は内部から脳を揺らすアッパーカットに匹敵していた。

 俺よりも苦しみ方が激しく、酷い。

 この場では敏感すぎる感覚は巨大すぎる弱点となっている。

 着地し、脚部の刃を付き立てた〈紅刃〉がまた跳躍のために足をたわめる。

「やめ、ろ」

 俺は制止の声を絞り出す。が、止まるはずがない。

 空中から鷹が獲物を掴むかのように飛来し、刃を床に突き立てる。

 リオンは回避しては神経を犯される痛みに喘ぎ、それでも次々と迫る刃を避け続けていく。執拗に何度も、何度も打ち付けられる刃は浅くも少しずつリオンの体を切り裂き、血の花弁を散らせる。

「やめろ……ッ」

 俺の眼前に突き刺さった刃が引き抜かれた。

 ずん、と重い衝撃が響いて全身を震わせる。

 揺れる視界の片隅で、自らの右手に突き刺さる白刃を見ていた。

「かっ……くぅ」

「予定変更だ。お前達を殺す。

まずはうるさい〈蒼〉から。

次はお前だ……〈紅の死神〉」

「ハッ…………息巻く、割に随分陰湿で……ッ」

「黙れ」

 ハルの冷淡な声に従うかのように〈白銀(シロガネ)〉が動く。

 もう一本の日本刀が床に降り立つ。視界には映らないが、左手に激痛が走った。

 真っ直ぐ貫かれ、傷口から染み出す血が手のひらを濡らしていく。仔細に自らが置かれた状況を確かめながらも、目は鮮血の花を咲かせるリオンから離せなかった。

 血液が流れる命が流出する。少しずつ少しずつ、だけど確実に。

 俺なんかどうでもいい。だけど目の前に小百合が、いやリオンが荒く息を吐いている。

「かっ……ぐっ、く、そぉぉぉっ」

「醜く這い(つくば)れ。大人しくしていれば、すぐ首を()っ切ってやる」

「誰が、言うとおりに、など」

 なってやるものか。痛い。全身のあらゆる神経が悲鳴をあげている。

 自らの血流すらやかましく鼓膜に張り付き、心臓は無意味に鼓動を繰り返してただただ生命持続時間を削って循環するべき血を外に排出してしまっていた。

「見てみろ、お前の部下共の無様な姿をッ」

「勝ち誇るのは実際に殺してから存分にほざけ、意気地なしが」

「……強がるなよっ!」

 鋼と鋼を打ち鳴らす音。また千影とハルが切り結んでいる。

 また変幻自在の剣に翻弄され、千影はただただ回避することに専念しているのだろう。

 何かを待っているのか。何を待っているのか。

 どうでもいい。

「いたい……イタイ、痛いよぉ」

 リオンが子供のように泣きじゃくっている。

 底知れぬ怒りや憎しみよりも、なお深く神経に多種多様に増幅された刺激が入り込む。

 まだ〈死神〉として日の浅いリオンに耐えられるレベルではない。

 〈紅刃〉は同じ動きで跳躍し、脚部の刃を振り下ろして刻む。

 また数条の線が走り、リオンの防護服が破かれて柔肌を晒した。

 あれは本当に俺を元に造られた存在なのか。

 俺はそんなことはしない。まして、小百合に似た女を傷つけられるはずがない。

 いたぶる趣味なんてない。やるならば一思いに、殺す方も殺される方も一瞬で決着をつけた方が楽だ。この場で時間をかけて(なぶ)る必要はどこにもない。

「はッ……ぐぅぅぅぅっ」

 体は独りでに束縛から抜け出そうとする。

 深く突き刺さった日本刀は全く動かず、自ら傷口を抉るだけ。

 さらに血が溢れ、流れて体中から生気まで吸い取られるようだ。

 見上げる。無機質に、無感情に〈白銀〉が俺を見下ろしている。

 声はない。表情もない。

 だが、バイザーの奥で輝く瞳の光は嘲笑に揺れているように見えた。

 情報は集積し、フィードバックされる。情けなく床に這い蹲る〈死神〉の姿が情報として永遠に刻まれ、中枢機関を経て全ての個体へ同じ情報が記憶として刻み込まれる。

 俺はどう映っているのか。羽をもがれた無力な蛾か。

 それ以下の、路上に打ち棄てられたゴミクズか。

 違う。いや、違わない。別にどう思われようと問題ない。

 また鼓膜を苦鳴が叩きつけている。リオンの悲しみ、苦しみ、痛み。

 何もできないのか。このまま、されるまま切り刻まれて無様に死ぬのか。

「違う」

 物言わぬ〈知核人機〉を、〈白銀〉のバイザー越しに煌く紅を睨みつける。

 視線をずらす。床に広がって咲き誇る鮮やかな紅の華。

 俺は、救えなかった。どうすることもできなかった。

 冷たく薄暗い場所で、ただただ手のひらに伝う暖かさが失せるのを待つだけだった。

 泣かぬように涙を堪えて歪む視界で愛した人が生を失うのを見届けるだけだった。

「違うんだ」

 そう、違う。眼前で傷つき嗚咽(おえつ)を漏らすのは〝彼女〟ではない。

 かつて少女を看取った少年は何の力もなかった。

 瀕死の体を生き長らえさせる技術も、判断力も、度胸さえもなかった。

 今は違う。力がある。

 いや、力はない。禄ノ星神によって封じられた。

 否。あるじゃないか。手のひらが自らの流した大量の血でぬめっている。

 ふざけているくらいに血を流しすぎた。

「ひうぅ……うぐっ、あぁ……あがががっ」

 獣のような咆哮。リオンが精神を崩しかけている。

 〈紅刃〉がまた跳躍の姿勢を見せた。恐らくは、次が止めの一撃になる。

 体に響く痛みは神経を通して脳を攻撃し、反射的に回避行動に移させる命令は神経を伝う過程で毒素を含み全身に激痛を伝える。狂わされた感覚は全てを増幅させていく。

 壊れてしまう前に、殺されてしまう前に救わなければならない。

 クラッドチルドレンとしての力も感覚も狂わされ、〈死神〉の力も封じられたまま。

 それでも、俺には力があった。

 千影とハルが刃を打ち鳴らし、言葉で切り合う。

「……よく姿形を変える奇怪な武器だな」

「不快か? お前の部下もそんな力を持っているではないか」

「〈蒼〉のアレか……セラも似たような機構を見たらしい、がなっ」

「量産タイプと同一視されるとは心外だな。あれもお前が提供してきたデータの産物だ」

「で、あるならばオリジナルが〝それ〟か」

 リオンの〈水神の聖具(オルロ・マテリアル)〉を指しているのだろう。

 ふざけるな。オリジナルはリオンのもので、リオンが振るう権利を持つ。

 提供されたデータだろうが、それらは全て基盤となる要素があってこそ成り立つ。

 まるで、もうすぐ失われると言っているような。

「ふざけるな」

 意を決する。いつも、俺がやっていることを俺自身に科すだけだ。

 左腕を引く。床に垂直に突き立った日本刀の刀身は動かない。

 皮膚が裂かれる。肉が断たれていく。神経が引き千切れる。血管も千切れて破裂する。

 骨も引き砕いて、血を肉を管をあらゆる全部を撒き散らして左手を強制脱出させた。

 とうに痛覚の臨界点を超えて、何も感じない。

 人差し指と中指の間で割り裂かれた左手のひらの下部に力を込める。

 まだ日本刀で床に縫いつけられた右手の肘に力を入れて軸にする。

 足を引き寄せて立ち、負傷のレベルを飛び越えた左手で右手に刺さった日本刀を抜く。

 全身と全ての神経が悲鳴をあげる激痛を置き去りにし、俺は右手だけで握った日本刀を振るう。待ち構えていたかのように〈白銀〉は刃を受けた。

 また拮抗する。同じ手は二度食わない。

 ずらすと見せかけて日本刀を捨てる。元々俺の得物ではない。

 俺が〈紅の死神〉として扱う武器は後にも先にもこの一振りだけ。

 右足で蹴り上げ、空で掴んで振る。

 ここまで一瞬のうちを切り取った一刹那。

「……血吸い走り抜けろ、朧月(おぼろづき)

 普段は気にかけぬ、自らの得物の名を呼んだ。

 紅い軌跡が宣言通り走り抜けていく。

 振り切った反動で左手から鮮血が散った。

 〈白銀〉の体が傾く。斜めに一閃、駆け抜けた傷跡から重力に引かれていく。

 最新鋭の鋼で作り上げられたはずの〈知核人機〉、その肉体がずれ落ちる。

 左肩から右下腹部まで切り裂かれ、上半身が床に落ちて騒がしく硬質の音を立てた。

「馬鹿な……」

 甲鉄の奥で反響し震える声が驚愕を(あらわ)にした。

 一刀で〈白銀〉を切り捨てた俺の体は、また肉体への負担を無視して床を蹴る。

 颶風(ぐふう)となって駆け抜け、宙から急速に落下してくる〈紅刃〉を迎撃した。

 脚部の刃が真っ直ぐに俺の肩口から下へと切り裂いていく。

 だが、浅い。勢いついた〈紅刃〉の肉体は縦半分に両断された。

 二つ同時に鋼の塊が落ちて、またやかましく音を鳴らせる。

「一瞬、だと……そんな、〈死神〉の力も、霊剣も使えないはずが――」

「認識を違えたな。だから貴様には世界を救えるはずがないんだよ」

 隠し切れず精神の揺らぎを晒すハルに、再び千影は冷酷な言葉の刃を叩き込んだ。

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