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灰色の境界  作者: 宵時
第三章「争いを生むものを廃絶し、恒久和平を実現する」「貴様に世界は救えない」
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3-22 偽りの救世

 頭痛に苛まれる。少しずつ万力で締め上げられるような激痛が断続的に続く。

 自らの得物である日本刀を握っている感覚はある。その認識は確かだ。

 地に足は着いている。視覚はそう認識している。

 実際に踏ん張って、〈知核人機(ニアリヒュー)〉の刃と切り結んでどちらも譲らず(きし)れさせている。音は、見えている景色はそう俺の脳に伝えているが、どこか浮いた感覚がこれ以上攻勢に出ることを禁じていた。

 頭の片隅で、直感的なものが動くなと全身に命じている。

 動けない以上は戦場を正しく知覚するしかない。

 既に千影は己の得物である黒刀、鎖天桜花(さてんおうか)を抜き放っている。

 ハルが武器を見せたのは、まさに今更ともいえる臨戦態勢。

 戦いに応じる気すらなかった、というべきか。

 それでもハルが抜き放ったのは武器とは呼べぬ代物だ。

 千影も不快感を覚えているのか、眉根をひそめて赤黒い瞳を鋭く細める。

「……貴様、ふざけてるのか」

「いいや? 元、最強の〈死神〉を前に遊ぶつもりはないよ」

「その割には随分な得物だな」

「何、〈死神〉の能力さえ封じていれば安心できるというものだ」

 ハルは確かに能力を封じる、と言った。

 やはり違和感は現実のもので、自らの肉体に現在進行形で起きている症状だ。

 心の中で渇を入れ、遠くの壁を睨む。

 クレーターができるほどの衝撃も、どうしてか跡形もなく帳消しになっていた不可思議な壁。斬撃や打撃が無効化されるのならば、熱ならばどうか。

「〈灼煌の(ヴォルカル)……ぐっ!」

 思い切り横から殴打されたかのように激しく辛い痛みが走り抜ける。

 目標としていた視点へと戻し、もう一度〈紅〉が持つ力を起動しようとして――

「がっ……」

 腕の力まで抜けるほどの痛烈な衝撃を食らう。

 集中していた、張り詰めた線をいきなり断ち切られるような不快感。

 危うく崩しかけた拮抗を取り戻し、〈白銀〉に向けた刃を軋らせていく。

「〈紅の死神〉……無駄だ。お前に刻み込まれた呪い、

〈灼煌の魔眼(ヴォルカル・フィアー)〉でも隔壁は破壊できぬ」

「やって、みないと……わからないだろう、がッ」

「やらずとも分かる。元より、できぬだろう?」

「ぐっ……」

 試す。が、能力を行使しようとした瞬間に痛みが走る。

 まるで狙ったかのように、集中しようと念じた隙を狙われていた。

 全く意識を統一することができない。

 普段はそれほど意識していないが、〈灼煌の魔眼〉を行使するには一定の条件がある。

 視覚で着火する点を認識し、念を込めて空気中の成分を変異させて炎を生み出す。

 目標を見定めることはできるが対象に強く念じることを阻害されている。

 まるで見えない何者かに妨害されているかのような。

「まさか……」

「どうやら、気付いたようだな」

 小さな笑みを含んで、ハルがくぐもった声で答える。

 千影も場に及ぶ変化に気付いたようだ。

「なるほど……まさに、対クラッドチルドレン用の仕掛けだな」

「けだるそうだな。もう何ら力もないお前にも作用しているのか?

ならば誇っていいぞ。力を失ってもなお、かつての能力を失わぬ健全に

して頑強な己の肉体と魂をな。そうでなければ長など務まるはずもないか」

「べらべらとやかましい奴だ。そんなに嬉しいか?」

「学者たるもの、自らの研究が成果を得れば昂揚感を覚えて当然だろう」

「そういうのはこっそり心の中でやるものだ。

貴様のように大っぴらにやる馬鹿はいない」

「ふ、強がろうがお前の駒はあの通り、もう使い物になるまい」

 また俺の視界が歪む。

 ハルの握った剣、ないはずの刃が見えたような気がした。

 硬く重い音が響く。

 千影が鎖天桜花で受け止めたのは平べったい板のような刃。

 その長さは優にハル本人の身長を超えている。

 とても人間一人が支えられるサイズではない。

 それこそ、クラッドチルドレンのような常人を超える筋力がない限り。

 剣戟が鳴り渡る。

 ハルは長大な刃を軽々と振るい、千影は受ける一方だった。

 打ち鳴らし刃を返す。刃を受けて流そうとするも、ずらした傍から背中へ向けて斬撃が振るわれるため防御しなければならない。

 防刃仕様の衣服に守られていようと、何があるか分からない。

 おぼろげに千影とハルの攻防を眺める。

 俺の目の前にいる〈白銀〉は動かず、何故か絶妙な力加減で拮抗を続けていた。

 ぎりり、ぎりりりと刃は歯噛みを続ける。

 〈白銀〉は千影のデータを元に作られた固体。

 で、あれば大抵の動きは見切られている。

 そう、こうして対等の状態を保つという思考さえ、読まれている。

「……かはっ」

 気付いた時にはもう遅かった。

 神経を蝕む痛みよりも、なお現実味をもって襲い来る痛み。

 力みすぎていた肉体をずらされ、すれ違いざまに無数の斬撃を叩き込まれていた。

 防刃服など気休めにしかならないほどの剛力が無理やりに引き裂き、肉を刻む。

 が、それでも効果はあり浅く切られただけ。重要な血管は無事。

 倒れる。眼前に剣が突き立てられた。

「く、そっ」

 紛い物であっても俺は千影に勝てないのか。

 しかし、何故今なのか。

 やろうと思えば、すぐにでも押し切れたはずなのに。

 否、最初からハルに俺達を殺害する気がないのだとしたら。

 リオンと交戦していた時も、復讐という妄執に囚われた女の隙を突くのは容易いはず。

 俺やリオンの脳髄を確保することが目的だとすれば、なるべく生かす。

 身動きできない状態にし、捕縛するのが最良の形だ。

「そうだ。お前達は反逆の徒ではあるが大事な材料でもあるからな」

 横向きに寝転がった状態で視線をあげる。

 思考を読んだかのようにハルが告げた。

 千影が忌々しそうに舌打ちし、口を挟む。

「あくまで、無効化が目的か」

「ああ。私は弱いからな。お前達とまともに戦うには頭を使わねばなるまい」

「その割には予め想定していたような周到さだが、な」

「何を言うか。私はクラッドチルドレンではない。知識面では勝っている自信は

あるが、筋力から神経の伝達速度、各種感覚器官まで全てにおいて劣っているよ」

「よく言う……〈知核人機〉をもってすれば、差異など埋められるだろうに」

「いいや、嘘偽りはない。私の肉体はたった一つ限りなのだから」

 ハルと千影は斬り合いながら言葉でも剣戟を打ち鳴らす。

 最後の言葉だけは、妙にしんみりと心に響く音を持っていた。

 遠くどこか懐かしい場所を探って、慈しむような愛情の一端を強く見せていた。

「ぐっ……」

 耳の裏側辺りに激痛が生じ、思わず苦鳴を漏らしてしまう。

 立ち上がろうとする意識さえ奪われつつある。

 叩きつけられる不快感がより威力を増していた。

 傍では痛みを訴え連呼するか細い声。視認する余裕はないが、恐らくリオンのもの。

 何かに怯えているかのように、おぞましいものを見せつけられているように、苦痛に悶えながら謝罪の言葉を繰り返している。

 聞く者すら震え上がらせるような、強く重い慙愧(ざんき)の念がこもっていた。

「〈紅の死神〉……お前は、今しばらく待つがよい」

 道端に転がる石同然に一瞥(いちべつ)して、ハルが硬質のメロディを奏でる。

 ハルの持つ刃は変わらず重さを感じさせない動きで、右に左にと千影を襲う。

 対する千影は打ち鳴らす響きに応じるように鎖天桜花の黒い刃を合わせるだけ。

「全く……厄介なものを作ってくれたものだ、な。能力の発動そのものを邪魔するとは」

「常人よりも優れた能力を持つ存在。ならば、通常感知し得ないものも受け取って

しまうのは道理だ。ならば常人には影響しない程度にぶつけてやればいい」

「超低周波を断続的に発することで健康障害を引き起こす、か。

自らタネを晒すとは随分と愚かしい手品師もいたものだ」

「分かったところで、お前達にはどうすることもできぬだろうさっ」

 身の丈と同じ長大な剣を振るい、ハルは勢いを緩めることなく攻め立てる。

 千影の受け手は防戦一方であったが、同時に自ら攻め込まぬよう状況の把握に努めているようにも見えた。

 何気なく普段から行っている情報の収集。

 相手の真意を探るための攻防戦。

「既に小型化し屋外で使えるタイプも考案してある。もうお前達に頼る必要はない。

振り回される必要もない。私は、自らの意志で選定した悪を滅ぼす」

「〈知核人機〉とかいう玩具と、チンケな思想で世界を滅ぼすのか?」

「千影、お前も同じものを抱いたのではないか。

だから、共に戦ってきたのではないのかっ!」

 またハルが刃を振るう。

 斜め上から振り下ろされた段階で形状が変化した。

 長大な刃が変異し、波打った鞭のようにしなって空気を引き裂く。

「ちっ……」

 上着の左肘部分を弾けさせながら千影が後退し、距離を取った。

 休む暇なく鞭となった刃が振るわれる。

 床に波状の傷跡が次々と刻まれていく。

 まるで畑を耕すように床が抉られ削られ破片を撒き散らす。

 避ける千影も、追うハルも全く周囲への影響を考慮していない。

「亮やリオンは生かすんじゃなかったのか」

「案ずるな。必要なものは残す。だがお前は、確実に殺しておかないとな」

「ふん、私には恨み辛みでもあると?」

「……話す気があるならば答えろ。お前は何を隠しているんだ、坂敷 千影っ!」

 またハルの振るう刃の形状が変化していく。

 鞭のような状態からしなる刃が風船のように膨らんで肥大化する。

 テニスに用いるラケットを一回りもふた周りも大きくした形状へと変化。

 そのまま膨張して巨大な鉄球のような形へと成った。

 勢いよく叩きつけられる。

 鼓膜を震わす轟音。いつも異常に体に響き、全身に浅く刻まれた裂傷に衝撃を伝える。

 飛来してくる破片はご丁寧に〈白銀〉が盾になってくれた。

 やはり、俺は生かさず殺さずの方針らしい。

 床を粉砕した衝撃で微細な埃が舞い上げられ、土煙のように灰色のもやが立ち込める。

 今の増幅されすぎた感覚にとっては、与えられる全ての情報が痛く苦しく辛く(わずら)わしかった。

 ゆっくりと視界が開けていく。

 めこり、と地面に巨大なクレーターが生まれていた。

「人形だけじゃなく、操る本人も容赦しない、とはな……」

「避けたか。流石、と言っておくべきか?」

「要らん。これまでの情報をまとめれば想定の範囲内だ」

「……不快だな。その、全てを見透かしているような瞳が」

 五体満足で千影は鎖天桜花を手に立っていた。

 巻き上げられた埃をかぶってはいるが、どこも負傷した様子はない。

 ハルの表情は読めない。だが感情の動きは声が持つ大きさと揺らぎの幅で分かる。

「国内の情報は監視カメラと巡回する警備ロボ、そしてお前達の目と足で集められる。

余さず全てを網羅しているはずが、どうしても一区画だけ欠けている」

「はて、何のことかな」

「とぼけるな。お前の義弟……坂敷 紅狼が妨害に動いているのは分かっている。

各種カメラを操作し、警備ロボのルートを変えて緑化地区へ立ち入れぬように、な。

そうまでして隠し、何を企んでいる? 〈死神〉と共謀した反逆だけではあるまい」

「全てを貴様に話す必要などない」

「馬鹿を言うな。お前達〈灰絶機関(アッシュ・ゴースト)〉は私の持ち物だ。

私には余さず全てを知る権利があるっ!」

()れるなよ。〈灰絶機関(わたしたち)〉は私達のものだ。

貴様とは同志、即ち対等の関係だ」

「……対等であるならば、何故隠す」

「そっくりそのまま返してやろう」

 ハルと千影の繰り出す言葉は刃のように鋭く、硬く、重い。

 言葉での殴り合いは、そのまま鍔迫(つばぜ)り合いへと変わる。

 一発一発が起こす大気振動が体に響く。

「〈紅の死神〉……お前は、本当に千影を信頼しているのか。お前の敵は誰だ?」

 敵は誰だ。俺の敵はどこにいるのか。

「ただ与えられるまま、定められた敵を殺し、悪を駆逐する。

言われるまま、使われるままの意思なき道具なのか」

 ハルの問いは命を引き合いに出されるものなのか。

 賭けなければならないのか。

 俺を守った〈白銀〉は動かない。

 考える。が、神経を蝕み犯す波長が邪魔だ。

 そもそも考える必要がない。答えはとうに出ている。

「殺す。私は、絶対に殺す……パパと、ママの仇をっ!」

 割って入り、リオンが己の抱えた感情の全てを真っ直ぐに叩きつけた。

 ずず、ずずずと這いずっている。

 憎まずにはおれず、殺さずにはおれず、(ゆる)せざるもの。

 何をおいても果たさねばならぬ復讐という行動原理に突き動かされる。

 かつての俺がそうだったように。そうして、操られるまま殺害して。

 正義の意味など考えず、命じられるままに殺戮を繰り返してきた過去を顧みる。

 どれだけ過ぎ去ったものを見返しても不変だった。

「無駄だ。アルメリア王……いや、ハル・マリスク・アルメリア。

俺は、俺の意思で殺害する相手を選ぶ。

背負うべき命を刈り取り、芽になる前に悪を根絶する」

「ならば理解できるはずだ。私の考えが、全ての武力を奪うことが――」

「貴方自身が俺達を闘争の道具だと認識している。だから、

命令通りに動く駒を欲しがる。数多の命を犠牲にし、聞こえの

いい建前を用意して〈知核人機〉という武力を振りかざす」

「必要な、犠牲だ。お前達も散々、繰り返してきた」

 言い訳だ。言葉の置き換えに過ぎない。

 どんな綺麗事を並べても殺人は殺人だ。

 どれだけ駆逐しても後から後から法の境界を越えるものは出てくる。

 抑制しようとも、犠牲が出ても生贄を晒しても変わらない。

 だが俺にはどうしてもハルの言う〝不当な理屈で振るわれる武力〟の定義が見えない。

 罪を殺すこととも、犯罪を抑制することとも違う。

 頭が回らない。言葉が見つからない。

「不可能だよ。戦争を根絶することなど、できはしない」

 凛と響く声は千影のものだった。

「貴様じゃ到底世界は救えないよ」

 黒刀・鎖天桜花の切っ先をハルへと向けながら冷徹に言い放った。

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