3-21 禄ノ星神
ハルの、機械の指が鍵盤を弾くように虚空で跳ねる。
施設によくあるインターフェイスであり、何らかの仕掛けを動かしたということ。二体のカスタムタイプだという〈知核人機〉を呼び出した時はスイッチを使うという、物理的な前時代の動きだった。
千影との会話からも、ハル自身はこのネクロハイゼンで鉢合わせになることは考えていなかった、と考えられる。
が、それすらも思い込ませるブラフかもしれない。
所詮、人間は自分自身で見聞きした情報しか認識することはできない。
俺は……俺達は直面した。リオンの両親から得た技術を使い、人間と機械の混ざりものを戦力だと呼ぶ、救国の英雄だったはずの国王と対峙している。
変わらず、表所の読めない甲鉄の奥で隻眼が赤黒い輝きを見せた。
肩に翼を模した銀と紅の紋章を刻んだ〈知核人機〉が一歩前に出る。
「なるほど、お前達は新型の実戦テストのために来たと偽ったわけか」
「理由は何でも構わなかったよ。
こいつらと共に、貴様と直接顔を突き合わせられれば」
「で、あれば言葉通りに動いてもらおう。
お前達が、その身をもって試されろ」
またハルが指を動かす。甲高い警告音が鳴り響き、次々と隔壁が降りる。
〈知核人機〉の中身が詰まった円筒形の装置が壁の向こう側に隠された。
さらに二枚、三枚と堅固に檻でも作るかのように壁が重ねられていく。
振り返れば入ってきた入り口も隔壁によって防がれていた。元より逃げる気はなかったが、これでこの場は完全に外部とは隔絶された空間となった。
「折角集めた材料や、作り上げた個体を傷つけられては
困るからな。まずは……色々と封じさせてもらった」
「どうせ貴様しか知らぬ逃げ道でもあるのだろう?」
「歯に布着せない物言いは変わらず、か。
千影、お前のその驕りは命取りになるぞ」
「ハッ……一体私がどれだけの死戦場を渡り歩いてきたと思ってるんだ」
「死の数でも、生かしてきた数でもお前には勝てぬだろうな。
だが、この場においては死ぬのは私ではなく、お前達だ。
何、下の連中には暴走による事故だと言っておいてやる」
「そんな戯言がまかり通るのか」
「通るさ。連中に、これ以上の重さは抱えられない。
疑問を抱かぬ以上は善性の奉仕者だよ。
このアルメリアの平和を守るため、私の意志で動き悪を滅殺する」
「いいな。まさに理想通りというわけだ」
「この一点においてだけはお前と私、一致しているということか。さて……」
ハルが俺とリオンを見る。
全く口を挟めなかった、ただ千影が引っ提げてきた二振りの刃を見た。
二体の〈知核人機〉も主に倣い、バイザーの奥で輝く双眸で俺達を捕捉する。
ハルは千影と会話を交わしていた。俺達のことなど、ほぼ気にかけていない。
即ち、脅威とは見ていない。体から発される気にも変化はなかった。
これまで相対してきた敵とは全く違う。
恐れを抱かず、揺るがぬ精神を持ち、意志の光を瞳に宿す。
造反する可能性も考慮していたのか。
それは配下として従えながら信用していないのか、それとも最初からただ一人でやり遂げるつもりだったのか。それほどまで、想い遂げる意志は強く固いのか。
「思慮に耽るとは、随分と余裕だな……〈紅の死神〉」
呆れたようなハルの声で現実に引き戻された。
眼前まで音もなく距離を詰めてきた〈知核人機〉が大剣を振り下ろす。
俺の体は反射的に動いて日本刀を引き抜き、鞘を投げ捨てて鍔迫り合う。ぎりぎりと鋼の刃が大剣と噛み合って軋れる。
「ぐっ……」
重い。体が沈み、床に自らの足を縫いつけるようにして踏ん張り耐える。
そう見せかけて重心をずらし、左側へ逃げた。プログラムされた行動をなぞるだけならば、そのまま重力に引かれて床に刃を叩き込むはず。
予測通り、〈知核人機〉の振り下ろした大剣が吸い込まれるように床に叩き込まれる。流して刃を握った手を返し、左脇腹を狙って切り込む。
鋼の腕に阻まれる。〈知核人機〉は大剣から手を離していた。
全身を駆け抜ける嫌な感覚に従って後ろへ跳躍する。
風を切り大気が泣き叫ぶ。寸前までいた箇所に二つの軌跡が見えた。
宙返りするような動きで放たれた、脚部の隠し刃による斬撃。
降り立った鋼の足には、もうどこに仕込まれているのか判別できない。
すぐ近くでも剣戟が鳴り響く。
気にはなる、が眼前にいる紅の紋章持ちから目を離すことはできない。
刃と鋼が打ち合う硬く鋭い音が連続して響く。
次々と生み出した刃をぶつけるような乱雑さを感じた。
「くっ……このっ、このっ、このぉぉっ!」
怒気のこもったリオンの声が剣戟の合間に聞こえる。
平静さを失い、内側から爆発した感情に突き動かされただただ刃を振るう。
無我夢中、一生懸命……言葉面ではよく見えるかもしれない。
だが、この場においては平静さを欠くことは最も避けるべきこと。
即ち、ただの暴走でしかない。
救うか。敵に背を向けるのか。
腰を落とし、自らの得物を携えて駆ける。
〈知核人機〉は床に沈んだ大剣を持ち上げ、右肩で構えた。
迫る。振り抜かれ、叩き込まれる風圧を避けて右腕の間接部を狙う。
「ちっ……」
装甲板に阻まれた。想像以上に硬く、貫けそうにない。
次に切り込む箇所を選ぶ暇なく下方から蹴り上げてくる刃に襲われる。
大きく体を反らして回避、続く腕側に仕込まれた刃も靴裏の鉄板で受け止めた。
だが衝撃は受け流せない。勢いを利用して跳躍する。目標は隔たれた壁。
虫のように張り付く……が、すぐに壁を蹴って離れた。轟音が響き渡る。
「全く考慮しない、か」
プログラム通りなのか、それとも思考の末に弾き出した答えなのか。
大剣が槌のように振るわれ、壁に叩きつけられていた。
隕石が落下したように刃の接触面から放射状に亀裂が走っている。
崩れる。そう思ったが俺の両目が捉えた現実は予想を裏切った。
「馬鹿な……」
あれだけ鼓膜を震わし、触覚を刺激する勢いだ。
どんな対衝撃性能を持っていようが、一撃で粉砕し得る威力があったはず。
だが壁は健在だ。流れる動きで〈知核人機〉が刃を担ぎ直す。
綺麗に痕は消え去っていた。最初から打撃も衝撃も受けなかったかのように。
ハルのくぐもった声が聞こえてくる。
「困るな、〈紅刃〉。いくらなんでも耐久力を考慮してもらわねば」
「いったい、どういう……」
「ふっ、余所見している暇はないぞ。
任務に臨む〈紅の死神〉は甘くない」
頭が理解し切れず、思考の糸を絡ませても体に染み付いた技術が俺を動かす。
右手一本で握った日本刀を叩きつけ、放たれた大剣による斬撃を受け止める。
次いで下から放たれる足の刃を靴底の鉄板で受け流し、跳ぶ。
だが〈知核人機〉……〈紅刃〉と呼ばれた個体は攻勢を緩めない。
着地と同時に俺を追って床を蹴る。
みしり、と人間で言う骨が軋むような音が聞こえた。
〈紅刃〉が両腕で大剣の柄を握り込み、弾丸のように空を駆ける。
「攻撃あるのみ、か……くそっ!」
壁際で体を捻って回避。容赦なく大剣ごと突っ込んできた。
大穴が穿たれるほどの一撃は、ただただ刃の食い込んだ面を見せるだけ。
おかしい。絶対におかしい。
この空間を仕切る壁はどんな材質でできているのか。
考えたい。でも〈紅刃〉は時間を与えてくれない。
まるで、俺のように果敢に攻め立ててくる。
自らの命を燃焼し、皮膚が裂けても骨が折れても構わず敵を駆逐するまで動く。
罪を殺す。敵を倒す。意志の力が反映されている。
〈紅刃〉が大剣を振るう。右からの横薙ぎを受け止め、返す刃を腹に斬り込む。
大剣を受け流されながらも、足に仕込まれた刃が迎撃し弾かれる。
同じ応酬。回転をつけて日本刀を叩き込んでも同じように大剣で受けられる。
刺突を放てば体の軸をずらして回避され、横からの斬撃を放つ。
受け止める。切り払って下方からの斬り上げると、同程度の力で振り下ろされる腕の仕込み剣で防がれ拮抗まで持っていかれた。
小さく舌打ちをして、感情を吐き出す。
「こいつは、やはり――」
「そう。〈紅刃〉はお前のデータを元にカスタマイズされた〈知核人機〉だ」
「……そう、か」
「おや、余り驚かないのだな」
驚愕という情動よりも、渦巻いていた様々な疑念が氷解していった。
クラッドチルドレンが集められ、超法規的な形で執行者として死罰を与えること。戦い終えた者達が世界の平和のために働くこと。
あらゆる軍事転用が利く技術を収集してきたこと。
同時に転用された技術を潰してきたこと。
そして大量の失踪事件。ストラという死を撒き散らす亡霊の存在。
〈知核人機〉はただの人造兵器ではない。
与えられた情報をただ動かすだけの人形ではなく、集積した情報を噛み砕いて理解し、効果的に状況に合わせて適応していく〝思考能力〟を持つ生体兵器。
「つまり、各所で誘拐してきた目的はパーツ集めに過ぎなかった。
情報を解析し結果を弾き出すために必要不可欠な機関が脳だということだ」
千影が俺の結論を代弁した。
ハルと千影の様子を伺っている余裕などない。
〈紅刃〉は大剣で、四肢の剣で絶え間なく剣戟の雨を降らせる。
人間と違い機械と人工筋肉で構成されている以上、痛みや肉体にかかる負担はある程度無視できるのだろう。かなり無理な戦い方をしている。
迫る刃を、軋れる鋼の音色を聞きながら打開策を考える。
斬撃の軌道も反応のパターンも変形を交えたとしても大体想像がつく。
俺が俺の放つ技を見切れないはずがない。
薙ぎ払いには横の動きで、真っ直ぐ振り下ろされる唐竹割りは僅かに体を反らして回避。突き刺す動きは支柱としている体の軸を動かすことで軌道をずらし、斜めは切り下げるか切り上げていく。
同じ力を持つが故に拮抗しあい、同時に決め手に走ることができない。
まさに埒が明かない攻防……否。
「手助けしなくていいのか、千影。私の〈紅刃〉と、お前のデータを
流用したカスタムタイプ、〈白銀〉が本当に殺してしまうぞ」
「死んだらそれまでだな」
「代わりはいくらでもいる、と。残酷だな」
「後ろから刺されたくないだけだ。奴らは簡単に死ぬようにはできていないし、
易々と殺されるほど弱くもないよ。余りなめていると足元を掬われるぞ」
「ほざけ。〈紅の死神〉はまだしも、〈蒼〉は大分参っているじゃないか」
「それでも、貴様から目を離すわけにはいかん。
まだ得体の知れぬものを隠し持っている大うつけからは……な」
ハルと千影は変わらぬ勢力を保ち、言ノ葉の嵐の中で睨み合う。
そう、〈知核人機〉以外にあるはずだ。
衝撃が最初からなかったように失われる壁が何でできているのか。
そして〈死神〉を失ってもなお現役の千影を前に語る余裕がどこから来るのか。
〈紅刃〉と打ち合いながらも、俺は僅かな合間に大きく息を吐き、告げる。
埒を明けるための覚悟を。
「〈紅の刻印〉第一周封印、第二周封印……解放っ!」
舌を出して外気に晒す。刻まれた封印式が崩れ、解けていく。
濃く赤々と燐光が瞬き散っていった。
一気に二段階身体能力を引き上げ、〈紅刃〉が対応する前に瞬間火力を叩き込む。筋力と共に反応速度も上がり、放たれる乱舞を見切って隙間を通す。
硬い金属音が響き、欠けた肩の装甲が弾け跳ぶと同時に〈紅刃〉の体が吹き飛ぶ。勢いのまま隔壁に叩きつけられ、カエルのように四肢を投げ出し、びくんびくんと体を震わす。
奴が元通り動けるようになる前に〈白銀〉を損壊させねばならない。
「あああああぁぁぁぁぁっ!」
リオンが叫んでいる。
言葉にならぬ慟哭がひしひしと伝わっていた。
目の前に仇がいる。両親の命を奪い、技術を獲得した者が悠然と立っている。
もう既に持ち込んでいたボトルはなくなっていて、リオンは生み出した武具を生成した状態から一旦能力解除し、水に戻して再び武器化する戦術を見せていた。
だが、人達もカスタムタイプの〈知核人機〉……〈白銀〉には届いていない。
リオンが〈水神の聖具〉によって生成した短刀を投擲する。
〈白銀〉は抜き身の日本刀で難なく払いのけ、突きを見舞う。
新たに生成した手甲で防ぎ、距離をとって大鎌を振るうが二振りの日本刀で受け止められてしまった。
拮抗する間もなく、武器化を維持できずに水へと還っていく。
「どう、して……」
声を震わせながら、リオンは何も持っていない両腕を振り回す。
恐らくは、水の武器化を試みているのだろう。だが、世界は反応を示さない。
支配能力を逃れたように、水は床に飛び散っている。
呆然と立ち尽くすリオン。構わず、無感情と無感動をはらんだ刃が迫る。
考えるより早く俺の体は動いていた。
常人よりも高い身体能力を持つクラッドチルドレン、さらに内なる力を引き出すのが〈紅の刻印〉……〈紅の死神〉が刻む固有能力。
一跳びで割って入り、力任せに両手持ちで日本刀を叩きつける。
バッターボックスで向かい来る球を打ち返すような激しい一撃を〈白銀〉にぶつけた。
そう、ぶつけたはずだった。硬く重い音が響く。
俺の殴打に近い斬撃は〈白銀〉の日本刀によって止められていた。
「なっ……」
銀閃輝く。何故、と問う暇もなく体を痛みが襲う。
脳を揺さぶるような痛み。日本刀を握る手が痺れ、取り落とす。
床を転がる音は、どこか遠くで鳴りながらも聴覚を通じて頭の中で反響する。
「痛い、いたい、イタイ……」
リオンのうめき声が聞こえた。
すぐそばで、雷を怖がるかのように頭を抱えて蹲っている。
違う。視界が歪む。耳鳴りが酷い。
飛ばす。意識の外側へ追いやる。全身を気持ち悪い〝何か〟が這い回っていた。
多足生物が走り回るような、軟体生物がべたべたとくっ付きながら移動するような。気持ち悪い。ただ、ひたすらに不快感を覚えていた。
自分のものであるはずの感覚が、遠くへ離れていってしまったような奇妙さ。
視界の端で鋼が閃く。腕を振って迫ったものを跳ね飛ばした。
痛みはないが、赤い飛沫が見える。
違う。痛みがないのではなく、情報として脳が捉えていないのだ。
ぞくぞくと全身を震えさせられる。寒気ではなく、畏怖から来るものでもなく、一定にして均一に叩きつけられるもの。それが、全方位から襲いかかって来る。
「――う、亮っ! 気をしっかり持て!」
真剣味を帯びた千影の声が耳に届いた。
〈白銀〉がいる。俺へ向けて日本刀を振り下ろす。
視覚が戻っている。自らの得物を拾い上げて受け止めた。
拮抗する。俺の手は俺の日本刀を握り、〈白銀〉の刃を押し返す。
足も踏ん張れている。地面の感覚もある。
あらゆる感覚が戻っているが、どことなくふわふわとした感触がある。
夢の中で意識があるというべきか、全身麻酔をかけられているというべきか。
感覚があることは分かっているが、どこか遠い。
置き忘れてきたような違和感。
「禄ノ星神の威力はどうかね、
人の身にして人にあらざるクラッドチルドレン諸君よ」
誇らしげに告げて、ハルは背中から引き出した刃のない剣を生身の手で構えた。




