1-2 ファースト・インパクト
レザージャケットの内側に白いシャツ、青いジーンズとカジュアルながら綺麗に着こなしている。
〝彼女〟が生きていればこんな容姿だったかもしれない。
腰に巻いたベルトにいくつか、ボトル缶が見えた。薬品なのか、はたまた水なのか。
爆薬という可能性も考えられる。警戒すべきか。
「来々木君……?」
不安げな表情を浮かべた遥姫の声で、凍りついた時間が動き出した。左胸が疼く。
二種類の痛みがせめぎ合う中でまた取り繕うような笑みを浮かべる自分がたまらなく嫌だった。
だが、境界は分けなければいけない。だから、
「大丈夫、だ」
「亮、本当に平気なのか?」
刃助まで表情を曇らせて、思わず笑ってしまった。
ゆっくりとたまった泥を吐き出すように鼻で息をして薄く笑ってやる。
「仕事仲間だ。突然だったもので、な」
「仕事か。なら、仕方ない……のか?」
「刃助君よ、君に月城を無事家まで送り届ける役目を預けようではないか」
「ほうほう、そうかそうか。なら仕方ない」
刃助と二人、コントのような調子で会話を交わして頷き合う。
〝彼女〟に酷似した少女は静観しながらも、口元には笑みを浮かべたまま。
遥姫だけが状況を上手く飲み込めずにあたふたと目を左右にやっていた。
「少し話すだけだから。安心してくれ、月城」
「本当に……? 危ないことはしない?」
「ああ。あくまで一般人にできる範囲のことしかやらない」
はっきりと言い切る。虚構でも、その場を誤魔化すためでも言葉に嘘偽りはない。
隔たりを作るには必要なことで、そしられようと蔑まれようとこうあるべきだと思っている。
彼女達はこちら側へ踏み込んではいけない。
予想外の客はこちら側の、より深い場所にいる人間なのだから。
「来々木君、余り無茶はしないでね?」
「大丈夫だって」
「でも、この前怪我で休んでいたし」
「信じて欲しい」
真っ直ぐに大きな黒い瞳を見る。頷いて、遥姫は小さく息を吐いた。
「また明日。ね?」
「ああ」
「ささ、参りましょうぞ遥姫様」
「もうっ! その呼び方辞めて欲しいんだけど……」
「いえいえ、遥姫様は遥姫様であらせられますから」
刃助が遥姫の背に手を添えながら歩くよう促す。
促されるままに歩き出し、何度か不安そうに振り返るものの、ゆっくりと二人は日常の雑踏へと消えていった。
俺は改めて〝彼女〟の面影を残す少女と向き合う。
「……〈死神〉、か」
「お察しの通りよ。もっとも、この痛みが教えてくれたでしょうけど」
少女がちらりとジャケットの裾をたくし上げて左の下腹部を見せる。
淡い燐光を帯びて、青い六芒星 が浮かび上がっていた。
すぐに隠される。色々、聞きたいことはあるがまず確かめるべきことがある。
「前任は死んだと聞いていた。お前は、誰だ?」
「二代目、と言えばいいかしら? 私はリオン・ハーネット・ブルク。ウランジェシカ帝国出身よ。
山間部にいたから、技術的なものはからっきしだけど。他に聞きたいことは?」
「何のためにアルメリアに来た? 俺達は各国に一人ずつ配置されているはずだが」
「首魁様の招集よ。聞いてないの?」
馬鹿じゃないの、とでも言いたげな口調でリオンと名乗った少女は問われるまま、己の情報を吐き出していく。
顔は〝彼女〟でも精神性は違うらしい。やはり他人の空似、単純に似通っているだけのこと。
世の中には同じ顔の人間が三人いると聞く。きっと二人目なのだ。
そう必死に自分の脳味噌に叩き込みながら、軽く咳をして誤魔化す。
各地に配置された〈死神〉がアルメリアに集められるという話は初めて聞いた。
伝える機会ならば昨日の連絡でも、定例報告会でもいくらでもあるはずだが、何故なのか。
「ま、いいんだけどね。〈白〉と〈黒〉も来るって話。大きな仕事があるかもねー」
「そうか、クレスが……」
「なんだ、知り合いなの? 私は楽しみだね。どんな顔ぶれが揃うのか」
ぐっ、と顔を寄せてくる。間近で見ればやはり、似ている。
理性で本人ではないと言い聞かせても、本能的に求めたがる衝動は熱を帯びたように鼓動を早めていく。
透き通るような白い肌、柔らかそうな青い髪。
鋭い目元も薄い唇も何もかもが似通っている。リオンが目を細めた。
「どうしたの? 私の顔に何かついてる?」
「い、いや……」
「挙動不審気味だけど、恐れってわけじゃないんでしょ」
「まさか」
取り繕っても見透かされているような気がする。どうにも踏み込まれるのは慣れない。
後退りするも、さらに迫って来る。
「なら、どうして逃げるの」
「それは……お前が、蒼だから」
「自分を殺しに来た、とでも思っているの?」
耳元で囁くように告げられ、反射的に体を引く。
何事かと生徒が集まってきたところでようやく、まだ学校だったことを思い出す。
周囲に苦笑交じりの愛想笑いを浮かべながら俺はリオンの手を引く。
「ああん、どうしようって言うのよ」
「黙れ」
「ちょっとぉ、いきなりなんてぇ」
まるで襲われるか攫われるか、乱暴されるかのように声をあげるのを無視して、そのまま走り出す。
恐らくよからぬ噂が流れるだろうが、このままこの場でやり取りをするよりは百倍マシだ。
学校生活など、今の俺にとっては余剰分でしかない。
問題になっているのは何故、俺に〈死神〉の招集が伝えられていないのか、加えてリオンの目的が何なのか。
走る。手を引かれたまま、繋いだまま器用にリオンは併走していた。
「ふふ、話に、聞いていた、通りね」
「何の、話だ?」
「偽りの日常を、仮面を被って過ごしている、って話」
立ち止まる。自分では分かっていても、他人の口から言われると堪えるものだろうか。
真っ直ぐリオンを見る。心なしか、その表情は真剣味を帯びているように思えた。
「……あれが、白い側の世界だと理解してるさ」
「そう。私達がいるのは黒い側の世界。踏み入るには相応の覚悟がいる、ね」
「さっきのも演技のうちか?」
「さぁねぇ。身の危険を感じたのは事実だし」
リオンが掴まれた手を見る。知らず、手に力が入っていたらしい。振り払われて、手を引っ込める。
特に咎めることも、気にすることもなくリオンは薄く笑う。
「さっき、聞いたよね。私があなたを殺しに来たって」
「ああ。そう取れるくらいには濃密な殺気を感じたんだが?」
「あー……うん。そう、ね。すぐ隠したつもりだったんだけど」
「刺客かと思ったな。仕事柄、俺達は常に狙われることは意識しなきゃいけない」
「その割には普通の高校生をやっている。矛盾してない?」
明確な答えを持てなかった。確かに、その通りだ。
暗がりにいる人間ならば、汚れを背負う人間ならばらしく世界の裏側に潜むべきなのだ。
それでも師匠は、坂敷 千影は言った。
「〝日常を享受すること〟が強さだと言われた。境界を渡り歩いてこそ、だと」
「それも首魁様のお言葉なのー?」
「……あの人は、恩人だ」
だから何でも言いなりになる、とまでは言わないが少なくとも人生において多大な影響を受けている。
リオンの軽い口調は、ともすれば侮辱とも受け取れた。
「ふふん、いい顔してきたじゃない。それでこそ先に来た甲斐があるってものよ」
「何が目的だ? やはり、俺の命か?」
「そうね。私達は、その存在そのものが呪われている。普通の人間が、当たり前のように
繋げる命。たった二十年だけに制限された時間を、戦うことを強いられている」
「それがクラッドチルドレンの宿命だ。泣こうが喚こうが、現実は変わらない」
「そう。だから、変えてやるためにあなたの前に来た」
構える、がまだ市街だ。やり合うには場所が悪い。
リオンも街中で始める気はないらしい。ふっ、と笑って先に歩き出す。
「……最低限の矜持は持ち合わせているみたいだな」
「当たり前でしょ。別に私は快楽殺人者でもないし、義務に駆られてもいない」
「どこへ行くつもりだ?」
後を追って俺も歩き出す。大通りを挟んだ通学路から商店街を抜け、さらに郊外へと向かう。
アーケードを越えて、人通りも少なくなってきた頃にリオンが立ち止まった。
無言で見上げたのは廃棄区画にそびえ立つビル。
綺麗な表側の世界には必ず裏側があり、人々が普段暮らす居住区と廃棄区画がその関係に当たる。
かつて一大産業を気付いたものの、時代の流れに沿って取り残された場所。
忘れ去られた空間は覆い隠されることも再生されることもなく、世界から切り離されている。
「さ、人目につかなければ問題なく全力を出せるでしょ?」
「本気でやり合う気があれば、な」
「まさか、ここまで付いてきて別のことでもヤる気なの?」
「生憎、そういう趣味は持ち合わせていない」
言葉を交わしながらも、まだ心の中では迷っている。
否、認識することを深層心理で拒絶しているのだと思う。
「なら……」
ぐっ、と顔を寄せてくる。
分かっていてやっているのか、それとも単純にオパーソナルスペースが極端に狭いだけなのか。
無理やり言い聞かせようとしても、心のどこかで可能性を考えてしまう。
「まだ、迷っているの?」
「何、に……」
「戦うことに戸惑うなら、本当に大切な時に守りたいものを守れないよ」
言葉を吐くと同時に、勢い良く息を吸ってリオンが掌底を放つ。
腹に鈍痛、吹き飛ばされる無重力感の後に背中へ衝撃。
ひりつくような痛みが現実であることを知らしめる。
廃ビルの壁面に叩きつけられ、揺れる脳味噌でも思考することは止めない。
リオンの言葉の意味と、戦闘行為の理由を。カバンを下ろして、底に忍ばせた小太刀を取り出す。
刀身は抜かず、左手で鞘を握って立つ。
埃を払い、打ち放ったままの姿勢で構えるリオンと対峙する。
「ちょっとはやる気でたかな」
「お前の攻勢次第だ」
「刀、抜かないの?」
「抜くかどうかは、俺が決める」
答えた瞬間、リオンが跳んだ。一気に距離を詰めて、再び掌底を放つ。
右手の甲で受けて流し、回転の勢いを載せて裏拳を放った。
が、予測していたように左手で受けられ、投げられる。
「……っと」
「予想してた、って顔ね」
「武器を持たない。が、〈死神〉ならばおおよそ白打に富んだ使い手と見るべきだろう」
「ご名答、と言いたいところだけど」
リオンが腰からボトル缶を引き抜く。
やはり科学薬品なのか。そうした薬物を戦闘に組み込んだ担い手なのか。
先手を打って中身をぶちまけさせるべきか。
だが、発火性の強いものだった場合にはこちらへの損害が大きい。
一瞬で様々な中身に関する考察を繰り広げるも、リオンの行動はその全てから外れていた。
ボトルのキャップを外し、空へと放り投げる。
当然、回転から重力と遠心力の作用を受けて中身は出口を求めて世界へ飛び出す。
薄く笑ってリオンは何かを握るように、掲げた拳を緩やかに握った。
「〈水神の聖具〉っ」
宣言と同時に、ぶちまけられた水が形を変えていく。
リオンの手に握られたのは棒、ではなく身長の半分はあろうかという両刃の大剣だった。
大振りで叩きつけられる一撃を回避、が重さを感じさせない動きで追随する刃を足で蹴って防ぐ。
「へぇ、よく防げたね」
「最先端技術の、特殊ゴム製だ」
「普段通りでも靴は特別ってことね。でも、流石に制服には仕込めないでしょ?」
華奢な体の割に、軽々と獲物を振り回す。攻撃に遠慮はなく、殺す気で来ている。
いや、正確には〝死んでも別に構わない〟と思っている、と言うべきか。
ただ術式は追いついていないようだ。踏み込みが甘く、気迫も足りない。
線で来る刃の動きは、縦にしろ横にしろ斜めにしろ軌道が読みやすい。
加えてどういう理屈か重量を感じていないにせよ、僅かならがでも重力に引かれれば途中で軌道をずらすのは難しいのだ。仮にできたとしても体重が乗らないため、とても攻撃とは呼べない。
再三放たれる刃を、俺は読み切って避けていく。
武器に動かされているわけではないが、まだまだ拙いように思えた。
「……浅いな」
小さく呟く。リオンの横薙ぎの一撃を小太刀の鞘で受けて後ろに飛ぶ。
荒く短い呼吸を繰り返す合間にリオンが問う。
「どうして、攻撃して来ないの?」
「理由がない」
「あなたの命を、刈り取りに来たのよ」
「それはお前がクラッドチルドレンの呪いから解き放たれるためか?」
リオンが押し黙る。
同じ〈灰絶機関〉に所属する以上、友達や家族とは言わなくとも敵対するものではないと認識している。特に〈死神〉と呼ばれる、固有能力を持ち一人で万軍とも向き合える資質を持つ者同士は、強大な戦力として〈灰絶機関〉の理念を実現するべく各地に配置されているからだ。
ただ、同じ〈死神〉が殺し殺される理由は、ある。
「そう、だと言ったら?」
「嘘だな。本気ならばもっと効率のいい方法を取る。例えば月城を人質に取ったり、な」
「…………」
リオンは無言を貫く。が、沈黙は了解ととっていいだろう。
俺達は時間の鎖に縛られている。必ず、二十歳を迎える日に死ぬ運命なのだと。
その呪縛から解き放たれる条件の中で、もっとも効率がいいのが〈死神〉を殺すこと。
「何例か聞いている。俺自身が四代目の〈紅の死神〉だ。〈白〉は三代目、
〈黒〉に至っては八代目だと聞く。だから、それ自体には何も驚かない」
「……それで?」
「殺す気ならば、いつでも来い。いつでも殺されてやるから」
リオンが驚いたように目を見開いた。が、すぐに瞼を伏せ俯いて隠す。
次の瞬間、大剣が元の水に戻って地面にぶちまけられた。一粒、雫が落ちていく。
「そっか。何もかも、お見通しってことなのね」
「十年、今の立場にいるからな」
「……そう」
小さく、消え入りそうな声でリオンは答えた。憐れむような、悲しむような色合いを含んで。
一瞬だけ表情が曇ったものの、またすぐに笑顔が戻る。
「そんなわけで、私からの挨拶みたいなもの。気に入ってくれた?」
「各地の〈死神〉が招集される、という情報を提供してくれたことには礼を言っておくよ」
「どう致しまして」
先程まで一歩間違えば怪我か死か、といった調子で戦っていたものの、やんわりとした調子で話し合う。
勿論、俺はハッタリや謙遜や慈悲深さで言ったわけではないのだが、果たしてリオンがどう受け取ったものか。
刈り取られる立場でも、刈り取る立場でも俺の心は恐ろしく冷えている。
まるで感情を持たず、目的を果たすために作られた機械のように。