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灰色の境界  作者: 宵時
第三章「争いを生むものを廃絶し、恒久和平を実現する」「貴様に世界は救えない」
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3-18 血戦殉美

 硬い床をつま先で叩き、地に着けて感度と一体感を確かめる。

 俺とリオン、そして千影は坂敷邸の玄関でハル・マリスク・アルメリアが潜む区画、創造機関ネクロハイゼンへ突入する準備を整えている。

 愛用の日本刀はいつもの革袋から取り出し、腰に()いていた。

 ジャケットに袖を通す。

 対刺突用の特別製だが、見た目は一般に〈灰絶機関(アッシュ・ゴースト)〉で使われているものと同じ。ジーンズには膝の表と裏、加えて大腿部に防刃のため鋼に等しい硬度を持つ繊維を編み込んでいる。

 精神は深く、暗く沈んでいく。

 首を振る。いつも通りだ。

 いつものように、当たり前に敵と見定めた存在を消しに行く。

 仕事の対象に尊卑はなく、行き着く場所もただ一つしかない。

「紅狼から連絡が入った。南部衛星都市では、特に動きは見られなかったらしい」

 声の方へ視線を移す。千影は黒の防刃防弾仕様のジャケットを着込み、同様の機構を持つズボンでがっちりと固めている。携帯をポケットに仕舞った手は自らの獲物である黒刀・鎖天桜花の柄を握り、暗い刃を晒していた。

 まるで、これから奪う命の重さでも量るかのように。

「その、迷惑かけてすみません。本当は俺達〈死神〉四人で回すはずだったのに」

「過ぎたことを悔やんでも仕方がない。それに別の収穫もあった」

「収穫とは?」

 少し後ろめたさがあった俺の代わりにリオンが問いを投げた。

 千影と同じく特殊仕様のジャケットにズボン、そして自らの能力に使うであろう金属筒を腰のベルトに何本も差している。

 千影が黒刀を鞘へ収めてから、俺とリオンを見る。

「ウランジェシカ帝国からの客人だ。こっちの技術を探る目的だったようだ」

「既にアルメリアの技術は様々な物資や資源と引き換えに輸出しているのに?」

「いや、表面的なものではない。分かりやすく言えば、戦力分析だな」

「……つまり、〈灰絶機関(おれたち)〉を調べていた、と」

「偽りでなければ。偽ったところで、何の得もないがな」

「ええ、別段探るだけなら。利用して争いを引き起こすのであれば、変わりますが」

「違う。もう動いているんだよ」

 不快そうに千影が目を細めた。

 記憶を探る。宣告されていたという声明文。


――不当な理屈で振るわれる武力を、全て捨てさせる。


 即ち、世界から戦乱を引き起こす根源を消し去るということ。

 真っ先に反応するのは工業製品だけでなく軍需産業を主戦力とするウランジェシカか。

 製造された兵器は、目的を持ち対象へと向けられる。

「ですが、俺は武器そのものが悪だとは思いません。

力がなければ、理不尽な現実に立ち向かうことすらできない」

「それは相応の力を持っているからこそ言える話じゃないの? 悪用する意志が

あってもなくても、モノは必要とされる目的に従って生み出されるのだから」

「娘の方がよく理解しているな。携わっていただけ造詣が深くなるものか」

「……一般人からすれば、クラッドチルドレンも同じカテゴリーですよ」

「違いない。だからこそ忠国もロスシアも力を求めた。己の利権を守るためにな」

 実にくだらない、と千影は言葉と共に感情を吐き出した。

 恐らく、アルメリア……もとい旧日本に対しても同じ印象を抱いているのだろう。

 どこまでも小さく閉じた円環の中で、延々と繰り広げられる宴。

 供されるのは知らず知らされない者達が搾り出した生命のスープ。

 命を吸って、魂を食らって生き長らえるのがピアスディを始めとする、世界に戦乱をもたらし、戦火を撒き散らして痛みと悲しみと恨みをぶちまける悪逆たるモノ。

 千影が金属を仕込んだ戦闘用軍靴で床を叩く。

「実のところ、武器のあるなしなど余り関係ない。ミサイルがなければガトリングをぶっ放し、ガトリングがなければナイフで切りつけ、ナイフがないなら素手で殴るだけだ」

「……より効率よく殺傷できるかどうか、だけですからね」

「ふん、娘……いい顔になってきたな」

「そんな人殺しのシステムに使われている、なんて考えるだけで、もう」

「ふくく…………いいな。いいよ、貴様は」

千影はリオンがハル王の心情を推察した時よりも陰湿な笑みを浮かべていた。

心底、闇に落ちていくのを楽しんでいるかのように。

 違う。彼女は知っているはずだ。そのどうしようもなく、救うものなく、動けず這い蹲って耐えて堪えて絶えた先にある力が果てしない力を生み出すことを。

 かつて、俺を絶望の淵から引き上げた時のように。

「仮に貴様の推論通りだとすれば、間違いなく最初の標的はウランジェシカだろう。

そして、恐らくは薄々向こうも察知して手を打ってきた。そう考えるのが自然か」

「……分かりません。ただ、あの国が分かりやすいだけです」

「貴様には母国に対する感情はないのか」

「それは、私の願いに少しでも役に立つのでしょうか」

 リオンの声は冷たく、低く耳から入り込んで内側から肉体を凍結させる勢いを持っていた。底知れない闇と殺意。リオンの両親に対する情熱や、研究が人々にプラス方面で役立てられることを焦がれ願った末に膨れ上がった感情の渦なんだと悟る。

 俺も、かつて同じような問いを千影に投げていた。

 だから今度もきっと同じように答える。不敵な笑みを湛えながら、きっと。

「いや? 貴様は執行者たる条件を既に獲得している。一番重く、一番強いものを、な」

「だから、私は壊すんです。両親の技術は決してヒトを殺すためのものじゃない」

「ああ、分かっているよ」

 同じだった。俺が殺すと宣言した相手に、聞き知った情報を踏まえて堂々と言い放ったのと、寸分違わず。やはり俺は、千影こそが世界に蔓延る灰色を消し潰せる、根絶させる刃なのだと。そう再認識した。

 赤みがかった黒瞳を少し動かして、千影が俺を見る。

「人は変われるものと、変われぬものがいる。だから、世界には剪定者と執行者が要る」

「抑止力だけに留まるべきです。それ以上踏み込めば、快楽殺人者と変わらない」

「ふん、だが痛みを知らなければ何も分からず変わらないのは否定できぬ事実だよ」

「……俺は、剣です。悪を、斬り潰すためだけの」

「いずれ、その先も考えなければならない時期が来る。が、今はいいだろう」

 今は関わらなくてもいい。

 だが、生き延びれば俺も政治に携わることになるのだろうか。

 想像もつかない。第一、俺に呪いの壁を越えることはできない。

「師匠、俺には一万もの命を刈り取る機会はありません」

「選択肢は一つだけじゃない。それに、これから起こり得るかもしれない」

「あんな、酷い戦いはもう御免ですよ」

「お前がどう感じようと、思おうと災厄は迫り来る。害悪も吐いて捨てるほど生まれる」

「その末に殺し斬るならば、到達した時にまた考えることにします」

「ふ……まぁ、それほど難しい話でもないがな」

 リオンは沈黙を貫いていた。

 俺よりもなお遠い場所にいるのだろう。

 〈灰絶機関〉に入った理由自体が、既に存在意義を危ぶめている。

 見つけたところで、到達したところで恐らくリオンは変われない。

 変わるのであれば自分の中にある世界という殻を破壊し、外界へ飛び出なければならない。俺が幼さと無知故の純朴さを粉砕したように、殺人による刑罰の執行を認めて受け入れなければならない。

 そうだ。まだ一つの懸念が残っていた。

 三人だけ、という状況はかなりまずい。

 もしリオンに受け継がれた精神性が蒼慈 光騎であるならば。

 確かめるため、口を開き言葉で切り込む。

「師匠、今回の任務は俺達三人だけで?」

「ああ。色々と不測の事態があってな。動かせるのは貴様らだけだ」

「他のメンバーやクラッドチルドレンは連れていかない、と?」

「貴様らの推論が全て正しいのであれば、半端な戦力は

足手まといどころか向こう側に吸収されてしまう。もっとも、

スイッチ一つで量産できるような体制が整っているならば、の話だが」

 危険だ。だが、特に不安要素を抱えているようには見えない。

 千影もあの〈聖呪大戦〉の当事者だし、蒼慈の危険性は重々承知しているはず。

 いや、そもそも危険はないと判断したからこそ〈蒼の死神〉を受け継がせたのか。

 それとも余りに手駒が少なすぎて投入せざるを得ない、といったところなのか。

 誘拐事件、もとい機械人形の兵団がリオンの言葉通りに人間を材料とする兵器であるならば恐らく最も重要な機密は当事者であるハル王が持っているのだろう。

 万全の準備をもって行うべきだ。

 半端な戦力が逆効果になるというのならば、〈死神〉を全て投入すればいい。

「その、〈白の死神〉と〈黒の死神〉は……」

「西部衛星都市の捜索は完了し、特に目立った異常はないと報告にあがっている。

だが、北部は駄目だな。関係者と遭遇し、大規模な戦闘になったらしい。

セラは戦闘不能、クレスは陣頭指揮を執って後処理をしているようだ。

ちょっと動かすのは厳しいな。代わりをやるにも時間がかかってしまう」

「……ならば、本当に三人で?」

「やるしかないな。クレス本人から連絡があった。北部は酷いものらしい。

多くの人命が失われ、景色が一変した。セラが越世の(サード・ドア)

開いた影響だろう。しばらくは隠すが、いずれ公表せねばならんだろう」

「越世……? 一体、何が――」

「セラのことは、奴自身の問題だ。貴様らは今の、この状況だけに集中しろ」

「分かって、いますよ」

 救援は望めないようだ。どちらにせよ、判断はしなければならない。

 さらなる災厄を生み出す前に殺害するか否か。

 俺は、俺が最も守りたかった存在を、小百合の面影を残すリオンを殺せるのか。

 沈黙した俺を前に、目を細め苦悩をはらんだ表情で千影が続ける。

「紅狼には引き続きウランジェシカ関係者が潜んでいないか探らせる。

晴明を出して家を空にするわけにもいかない。警戒して損はないからな」

 戦争を引き起こすことだけは避けなければならない。

 まだ確定事項でないにしろ、何らかの不穏な動きがあるとすれば(から)め手から付け入る隙を与えてしまうことになる。

 創造機関ネクロハイゼンがどの領域まで技術を昇華させているのか分からずとも、いたずらに流出させることは避けなければならない。

 あの兵器は、決して侵略に利用していいシステムではない。

 間違いなく奪い合い、利用され交渉の材料にされてしまう。

 千影の判断は正しい。

「そして、疑念を抱いている者の方がまだ少ない現状だ。見る人間は少ない方がいい」

「それは……でも、それじゃやっていることは汚い政府と同じじゃないですかっ!」

「娘。貴様は信じていたものが裏返る瞬間に直面して、耐え切れるか」

「私が、信じているものは……」

 リオンが言葉に詰まる。

 裏返る真実、自らの信じてきた世界や価値観が全て崩壊していく。

 日常という現実が失われ、境界を越えて非日常へと侵入するように。

 ただ普通に当たり前のように生きていれば触れることすらなかった世界。

 リオンにとっては今でさえ、まだ乗り越えて受け入れている最中だ。

 俺やクレス、恐らくセラも同じものを抱いて、受け入れてきた。

「貴様は両親の死に納得しなかった。隠された真実を暴きに来た。もし、あれが貴様の推論通りの人物であれば、仇はすぐ傍にいることになる。知りたかったものを、見てしまったことを知らぬ存ぜぬと貫き通すことは難しい。が、貴様は堪えうるだけの精神性を持っているだろう。万物が持ちえぬ稀有で強靭な魂を持つ、〈死神〉の器であるならば、な」

「もう、いいです。今更そんな覚悟を試すような真似なんて」

「そも覚悟がなければ印すら受けられなかっただろうからな」

 覚悟して向き合うのと何の準備もなく対面するのとでは別物だ。

 リオンは覚悟を決めたからこそ、自らの境遇と感情をぶちまけた。

 その果てに何があるのか、知っている。

 後は当人次第。受け入れられるか、押し潰されてしまうかは器の強度による。

 どこまでいっても、千影のあり方は手段を選ばない。

 仮にここで〝潰れてしまって〟も次を探せばいい、くらいしか考えていない。

 呪いは連鎖し、受け継がれ新たな宿主を探して彷徨う。

 永遠に殺し続けるために。どこまでも罪を罰する死刑を執行するために。

 小さく笑う。二人に悟られぬよう、声に出さずに嘲笑(あざわら)った。

 多分、いやほぼ確実に暴かれる真実はリオンの精神を砕くだろう。

 それでも今は戦力がいる。一人の人間を戦闘力としか見ていない。

 千影が、意志を問うように俺を見ていた。

「さて、行くぞ」

「…………はい」

 首肯し、返す。殺し合うのならば、それはまたその時に。

 誰を信じればいいのか、何を拠り所にすればいいのか。

 今の俺は、人間からただ使われるだけの〝兵器〟に成り下がっていた。

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