3-13 敵者生存
「そうか。加賀見は逝ったか」
抑揚のない声で千影が断じる。まだ死んだ、と決まったわけじゃない。
幻のように、全ての痕跡は消えていた。最初から何も起きていなかったように。
大画面の液晶テレビで加賀見の記録した映像が流されている。
いつものように無駄に大きい樫製の机を囲むのは、俺とリオン、そして坂敷 千影の三名。
全員で画面を見られるよう、テレビの正面に机の角を置いて手前に千影が、角を挟んだところに俺が、その左隣にリオンが座っている。
人影の軍勢から逃げ出した翌日の朝、報告のため坂敷邸に訪れていた。
「学校はどうした」
「晴明さんは?」
「質問に質問で返すな虚け。当然、診療所の方だ」
「そう、ですよね」
千影の表情は変わらない。動揺した様子も、悲哀に暮れている様子もない。
リオンはじっ、と画面を見つめていた。
今更一般的な倫理観を説いても無駄だと察しているのだろう。
同じく言葉にするものはない。
加賀見がそう願い、そして俺は従った。四人が生き残るために、一人を見捨てた。
戦力として見ても〈死神〉二人と下部組織メンバー一人。
千影からすれば、これ以上ない最善の選択肢だった、というわけだ。
小さく息を吐いて遅れた返答を紡ぐ。
「この状況で、いけるわけないじゃないですか」
「日常から目を背けたわけだ。説明する義務を放棄して」
「今は……まだ、時期じゃないですから」
「先延ばしにしているだけだな。言い訳以外の何物でもない」
言われなくとも、分かっている。
分かっているからこそ、今は言葉にすることはできない。
「少なくとも、加賀見の消息が判明するまでは……」
「亮。死んだ人間が行くのは天国でも地獄でもない。人が介在できない虚無の世界だ」
「まだ、死んだと決まったわけじゃ――」
「死んでない、と。ならば攫われでもしたか?」
「ない、とは言い切れないでしょう」
「……何を日和っているんだ、貴様は」
言葉と共に溜息を吐き、千影があからさまな落胆を示す。
聞き分けのない子供を相手にしているように、眉根をひそめる。
手に再生機器の端末をとって操作し、映像を巻き戻していく。
和やかな空気に包まれて街中を散策する俺達の姿。
どこにでもある日常から、非日常へと切り替わっていく。
トラックが停車し、降り立つ異形の存在。
真正面から捉えた場面で映像を停止させる。
「身体能力を強化するスーツ、と捉えることもできるが、後の動きを見れば
何らかの薬物を投与しているか、或いは人外の存在であることは簡単に
予測が立つ。まぁ、現場に居合わせた貴様らに問うまでもないが……」
「言われた通り、突っ込まずに報告を優先、しました」
「そこの娘も動揺していたようだし、な。無理もないか。
両親の技術が転用されているかもしれない、何者かによって
造られた兵器。大見得を切っておきながら、その程度とはな」
「実戦経験も少ない。仕方ない、でしょう」
「ああ。それはいい。ならお前はなんだ? 同じ轍を踏まぬよう、退却した。この状況では、
他に選択肢はないだろう。娘は使えず、貴様は日常を守るために裏側を晒すわけにはいかなかった」
「そう、です。俺は、自分の世界を守るために加賀見を犠牲にしました」
「一を切り捨て、貴様を含む四を救った。十分すぎる成果だろう」
「あの場で戦っていれば、もしかしたら――」
「大虚けが。彼我の戦力差も分からぬほどに平和ボケしたか?」
一息に切り捨てられる。冷静になれ、と赤みがかった黒瞳が俺を睨む。
重ねる言葉に意味はない。戻れない場所で可能性の話をしても何も変えられない。
「トラックに積まれていた連中の数、加えて貴様が同じく積み込まれていたと――
結果的には違ったわけだが、あの全てが同仕様の兵団だった場合、勝てる見込みはあったのか」
「……〈紅の刻印〉を最終封印まで解けば」
「〝貴様は〟助かっただろうな。だが、守れたか。そして、その後の日常まで守れたのか」
「それ、は」
「加賀見の判断は正しい。貴様の判断も正しい。何も、悲しいことなどない」
「死者は、蘇らない」
「そう。他でもない、貴様自身が一番よく理解していることだろうが」
分かっている。それでも、見捨てた事実は胸に突き刺さっている。
これまで何度も同じような場面はあったはずなのに、酷く息苦しい。
頭では理解している。
嘆こうが悔やもうが意味はない。何も生み出さない。
だけど、感情を口にしてしまう。自分自身を再び立ち上がらせるために、明確な目的をもって敵と立ち向かうために……そして、推論を暴き立てるために必要な行為。
人ならざる存在が移り込む画面を見つめたまま、リオンが口を開く。
「死者は、蘇らない。ただ、限りなく近いものは……あります」
「また仮定の話か? 妄想に付き合っている暇はないんだが」
「いえ、根拠は……あります」
リオンは真っ直ぐに千影と向き合っている。
敵意を持って相対しているのではなく、明確な意志を持って持論を展開していこうとしている。
俺にも、不可解に思った点があった。
「師匠。誘拐事件が多発している一方で、特に犯行声明とかはないですよね」
「目立った動きはないな。誘拐事件、というよりも失踪事件と言い換えるべきか」
「不自然、じゃないですか。普通は身代金の要求だとか、政治犯の
解放とか色々と目的があるはずです。なのに、何もないなんて……」
「規模が規模だ。それに、一応要求らしきものはあったぞ」
初耳だ。
直近の報道にも、アングラな掲示板にもニュースサイトにもそれらしい情報は載っていなかったはず。
だからこそ、不可思議であったのだが。
「武装解除、だな。もっといえば兵器を生み出すことを止めるように要求している」
千影が朝の挨拶をするくらいに、軽い調子で言いながらポケットを探る。
携帯端末を取り出し、画面を触ってポップアップされたのは簡素な要求文。
妙な煽りもなく長々とした組織の口上があるわけでもなく、太い文字でただ一文だけ。
――不当な理屈で振るわれる武力を、全て捨てさせる。
手段としての人質。威圧による交渉事が成功するとは思えない。
千影が情報を流さなかった意味も理解できる。
「こんな馬鹿げた話に乗る理由などない」
「そう、ですね」
「見方によっては〈灰絶機関〉も含まれると思いますけど」
不快そうに吐く千影に答える俺と、リオン。棘があるのは仕方ない。
相手は〈灰絶機関〉と同じ理念を持つ者なのだろうか。
だが、平和を望むのであれば方策として誰かに危害を加える行為に走るとは思えない。
自らを脅威として捉えぬ、矛盾した理論で動くことが正しいとは思えない。
「……で、なんだ。犯行声明はこんな稚拙なものだが、他に気付いたことでもあるか」
「え、ええ。映像動かしてもらっていいですか」
「全く、部下が長を使うとは……」
文句を言いながらも千影は再生機器の端末を操作し、早送りしていく。
降り立つ人影。囲むように歩み寄る軍勢。刃を取って、切り結ぶ。
単独で斬り込んで、背後の壁を抉り地面に真空の刃を叩き込む場面。
「そこですっ」
「ブレード、か。これだけ見ると肉体構成は機械寄り、か?」
「恐らくは。灰化薬に近しいドーピングによる力の可能性も残ってはいると……」
「ふむ。周りの連中が動いていないのは何故だ?」
「それは……」
状況を切り抜けることを第一に考えていたが、引っかかっていた部分ではあった。
あれだけの戦闘能力を持っていながら、数を揃えておきながら何故一斉に攻め立てなかったのか。
「倒すのが目的ではなく、情報収集が目的だった、とか」
ぽつりとリオンが呟いた。思考の湖面に一滴落ちたような感覚。
敵と相対し戦闘状態に入る。後は倒すか、倒されるか。
情報収集は主に事前に行っておくべきもので、対峙してからの取得は難しい。
相手の実力以上の能力を求められる。執行者として動いていたからこその、思考の穴。
「一理あるな。情報収集のための接近……ならば、目的は」
「推測ですけど、クラッドチルドレンの戦闘能力分析、もしくは
〈死神〉の能力を量るために……機能を、よりよく向上させるために」
「技術者の娘らしい意見だな」
「可能性の話です。あれが、私の両親が築き上げた技術を使って
いるとして、ならば誰が何のために武力を持とうとしているのか」
「あくまで、夢の話を語る気か」
「貴女に身内びいきなんて甘さがあるとは思えませんけど」
「……ふん。確かに、な」
師匠が、私情を持ち込んでくるはずがない。
真っ先に身内を捨て去り、己よりも世界の安定を目指すために動いてきた人間が。
だが、同じくらいにかの人物も心血を注いでいるはずだった。
千影の唇が言葉を紡ぐ。
「あくまで、露日事変やウルルグゥ、そして貴様の両親を殺害した
ことまで含めて政府が……我々の内部に犯人がいると言いたいわけか」
「映像の通り、あれだけの兵団を量産できる規模です。どこかに、必ず加担している工場が
あるはずなんです。国内で大掛かりな施設を使い、兵器の生産なんてやろうものならば、
即座に見つかり潰されてしまう。で、あれば内部事情に深く関わっていると考えるのが
自然です。もしくは、人目につかない場所……例えば地下に施設を持っているとか」
「まぁ、あるにはあるな。アルメリア王国において、生み出される技術の根源となる場が」
思い当たる節はある。
何かが生み出され、実験されて実用化される。
世の中に生み出されたものが、最初からその形であったはずがない。
どこかで実験的に運用され、データが取られて、情報を解析した上で一番効率のいい形を見つけ出し現場で使用されている。全ての技術が試され、生み出される特殊空間。
「創造機関ネクロハイゼン……か。あっちは、私も含めて基本ノータッチだからな」
「随分と、ぬるいんですね」
「あれも間抜けではない。下手な真似をすれば即座に潰されることは理解しているはずだ」
「ロスシアのように、ですか」
絶大な力を持つからこそ、使い方を誤ってはいけない。
戦のための道具ではなく、より多くのより尊きものを守らなければならない。
一旦、頭の隅に追いやってから口を挟む。
「街中の清掃を担当する機器も、使い方によっては兵器に変わる」
「だからといって、何もしていない証明にはならないでしょう?」
「それは、そうだが……」
見えない、知らないところで起きていることを知りえる手段はない。
国民も街中で動いているものが何によって生み出され、運用されているのか考える者よりも考えないものの方が圧倒的に多いだろう。知らぬものは知らない。だが、俺達は知りえる立場にある。
リオンの言葉は幼稚なあてつけではなく、一応の筋は通っている。
加賀見から言われていたことを思い出す。
「加賀見から、物資搬入が増えているとの報告も聞いていました」
「こっちにも来ている。祭りの季節だからな、それなりならば許容できるが確かに……」
千影が携帯端末を弄っていく。
白い壁面をスクリーンに見立てて、画面が映し出される。各年度の搬入量と搬出量を照らし合わせると、同時期に増加してはいるものの今年に限っては例年に比べて十倍近くの異常な数値を叩き出していた。
「ふむ。どうにも、履歴が改竄されている節があるな」
「まさか……〝また〟裏切り者が?」
「それは、ないだろう。強いて言えば――」
途切れる。何かを考えるように千影の瞳が左右に揺れる。
リオンの記憶にあったという、ハルとブリズの間にあった問題。
ベリアル・ロスクロフトという人物の下で技術を学び、生かす方向性を模索した仲。
あくまで軍事的な目的で利用されることを避けて、平和的活用を模索した人間。
クローニング技術。ロスシアで実用化されたクラッドチルドレンと同等の力を引き出す灰化薬。
動力が発する熱量を無視し、人間としての尊厳すら投げ捨てられた欠陥品であったハーフハードギア。
射抜くような視線で、千影がリオンを見つめる。
「娘……ハル・マリスク・アルメリアが、誘拐事件の首謀者だというのか」
「〝不当な理屈で振るわれる武力を全て捨てさせる〟という意思表明は、
そのまま世界に散在する灰色を絶滅させる〈灰絶機関〉の理念に合致するのでは?」
「分かっているのか。クローニング技術すら兵器転用を許さず、人権問題をクリアさせて実用化させた。
世のため人のため、完璧なる平和の奉仕者となった者が、何故そのような愚行を犯す必要がある」
「あります。明確で、分かりやすい理由が」
「ほぅ……」
点と点を結んで線にする。さらに点を繋げて線を伸ばし、立体化していく。
リオンからハルとブリズ、そしてベリアルにまつわる話は聞いた。
共に生活をしていたことも。途切れたのは決別のきっかけとなったベリアルの――
「人間の記憶は、結局のところ蓄積された情報の組み合わせなんです。
だから、データさえ書き込んで組み替えてやれば乗り物の自動制御を
はじめとする、各種代理行動が機械の手で運用できるんです」
「コッペリア・マタオート・ブルク、それにフランツ・ブラッドレイ・ブルクの提唱した言葉があったな。
機械でできることは機械に、人間は人間らしく自由な時間を生み出して縛られずに生きようと」
「ええ。だから、できるんです。人間を造ることは、できるんです」
「可能だろうな。集積回路の小型化も実用に入り、介護用の機械人形も視野に入っていたはずだ。
雇用が奪われる、だとか抗議している連中がいるとは聞くが……何の関係がある?」
「もし、人間が造れるとして、大切な人が蘇らせられるとしたら」
「…………ふっ、くく……まさか、な」
胸の奥から搾り出すように告げられたリオンの言葉に、千影は鼻で笑った。
俺は笑えなかった。感情よりも先に、信じられない気持ちが脳内を占領していく。
平和な世界を構築し、維持し誰よりも何よりも人々の幸せを考える人間が。
「そんな、私的な理由で――」
吐き出した言葉は最後まで音にならず、千影の笑い声にかき消された。
高く遠く周囲の民家にまで聞こえそうなほどの大音声で、腹を抱えて笑い転げる。
リオンが不快感をあらわにして言葉を紡ぐ。
「何が、おかしいんですか」
「ふっ……くふっ……はぁ、はぁ、はぁ……はっ、おかしいさ。これが笑わずにいられるか」
「私は、至って真面目ですけど」
「ふん。顔を見れば分かる。ふぅ……そうか、そうなのか」
まだ含み笑いを漏らしているものの、千影の目はどこか納得した色合いだった。
千影が腕を掲げて、ぱんっと一つ大きく手を打つ。
「ならば、確かめるしかないな。直接、本人に会って」
「まさ、か……一人で乗り込むんですか」
「なんだ亮。貴様はこの師が負けるとでも?」
「いや、流石にいくら師匠とはいえ、ただ一人で斬り込むのは……」
リスクが高すぎる。仮に全てが真実だとして、首都内でかの機械人形が造られているとすれば、一個小隊どころか一個師団……もとい軍団を相手取らねばならない。
全盛期の、〈銀燭の死神〉であった頃ならば師団相手でも倒し尽くせるかもしれないが。
千影の瞳が俺を捉える。
「ならば、貴様も来るか? ついでに、そこの娘も」
「……いい加減、その〝娘〟っていうの、やめて欲しいんですけど」
「役立てればちゃんと呼んでやる。それに、知りたいのだろう? 何故殺されたのか」
「ええ。それが私が〈蒼の死神〉を受け継いだ条件ですから」
「はン……威勢のいいことだ。恐れを抱かぬ精神力だけは一人前だな」
リオンと千影が睨み合う。
それも数秒だけ。内側でいがみ合っていても意味がない。
いや、これからまた内輪だけで争い合うことになるかもしれない。
過去に刻まれた傷跡を引きずるように、小声で問う。
「師匠……もし、全てが事実であればハル・マリスク・アルメリアを、討ちますか」
「当然だ。今回に限っては貴様のように本元を潰した方が早いかもしれんからな」
「王に、反逆すると」
「無用な戦乱を生み出すのであれば、それが何者であろうと斬り捨てるべき悪だ」
立場は関係なく、想いを汲み出すこともなく。坂敷 千影は九龍院を名乗っていた頃から変わらず、天秤の傾きを観測し、躊躇することなく少ない方をこぼし捨てる。
誰かがやらねば何も変わらない。
自分勝手と言われようが、傲慢だと詰られようが、現実に救われた存在がある。
真っ直ぐに千影と向き合う。
珍しく、凜とした表情を崩して笑っていた。
かつて俺に手を差し伸べた時のような、優しく柔らかな表情で。
だから、俺は――
「悪を、斬り潰します。たとえ、対象が救世主だと呼ばれていても」
「……その言葉、忘れるなよ」
「変わりません。俺は、最初からずっと」
悪を憎み、罪を滅ぼして世界の安定を願う。
胸の奥で〝何か〟が疼く。リオンを蒼慈と重ねた時のような、僅かな引っかかり。
気にしなければ何でもないが、気付けば深い溝となっている。
リオンの推論は、ほとんど当事者以外が介在しない記憶の領域で造り上げられている。
一度は一蹴したものを、何故今は……。
「娘。貴様も、その気ならば今度こそ壊してもらおう」
「大丈夫、です。人を救うための技術が、人の命を巻き込み殺すなんて許せませんから」
「意気込みだけで空回りしないようにな」
「生み出したことが罪だというのならば、せめて私が片付けるのが道理でしょう」
「ふん……確かに、な」
リオンの言葉からは己を律する意志と、妄執を砕く決意が見える。
頭を振る。今、考えることはただ一つだけ。
力なきものが脅威に晒される。悪意の根源を駆逐する。
千影が瞼を閉じて、開く。その一瞬で笑みは消えて、いつもの束ねる者の顔へと戻った。
「本日の午後、ネクロハイゼンへと向かう。各自準備を整えておけ」
「「了解っ」」
自然に俺とリオンの応答が重なった。




