3-11 凶像崇拝
車の行き交う大通りを抜け、多種多様な鳥が掘り込まれた柱を使ったアーチをくぐる。
著名な芸術家の資料館が立ち並ぶ。各々が興味を持ったアーティストの絵画や彫刻を見て回る。
本来の目的とは大分ズレているが、咎める理由もない。
小指ほどの石から削り出された精緻な女性像を様々な角度から眺めていると、また脇腹を突かれた。
加賀見の赤黒い瞳が下から俺を覗き込む。
「来々木君は絵よりも彫刻が好みなのかな」
「いや、特別好きなわけでもないよ。よく作り込まれてるな、と思っただけだ」
「純粋な賞賛、ってやつかな」
「まぁ、そうなるな」
広義では〈灰絶機関〉に所属する仲間、ということになるのだろう。
今は普通に、当たり前にただのクラスメイトとして他愛のない言葉を交し合う間柄。
特に何かが起きるわけでもなく、何かが起きて欲しいわけでもない。
期待するとか、心待ちにするとか邪まな気持ちが持ち上がるわけでもない。
「やけに、気にかけてくれるんだな」
「言ったでしょ? 憧れているって」
「あれって冗談なんだろ」
「ううん。半分は本当。異性としてじゃなくて〈灰絶機関〉の執行人として、だけど」
「むしろ安心したよ」
朗らかに微笑む加賀見に、思わず口元が緩む。
思えばこうやってゆっくりする余裕もなかった。
戦い続ける日々が当たり前で、常に死と血の香りが鼻の奥に残る。
洗っても洗っても落ちず、残った手には赤黒い汚れが目に着く。
いくら表面だけ覆い隠しても、心のどこかで戦地に身を置きたい気持ちがあった。
クレスに指摘されたこともある。余りにぬるま湯に浸かりすぎて、判断を誤りかけた。
「デイブレイク・ワーカーについては、正しい判断だったとあたしは思います」
「……失策だよ。無様に突っ込んだら、たまたま目標に突き当たっただけだ」
「でも、クレスさんが来られたのも含めて先に頭を潰せたのは大きいですよ」
「結果論さ。もしピアスディに同種の仲間がいればややこしくなっていた」
「そんなに後ろ向きに考えなくてもいいと思いますけどねぇ」
溜息を吐く。こんなにも気を遣わせているのが申し訳ない。
情けなさでいっぱいだった。俺は最低限の機能すら果たせていないのかもしれない。
沈み、冷え切った心を暖めるように加賀見が俺の右手を取る。
か細い指が絡みつく。柔らかく、熱い血潮の通う人間の手。
雪が舞う空の下で、小百合に触れられているような儚さを感じる。
あの時、俺の体は嫌になるくらいに熱くて、小百合の体は絶望的なまでに冷たかった。
「長は……表立ってほめないですけど、きちんと働きは見ててくれていますよ」
「別に、褒められたいから殺しているわけじゃない」
「いえ、でも言わせてください。来々木君やクレスさん、リオンさん、それにセラさん
……〈死神〉の方々が前に立っているからこそ、平和な世界が作られているんです」
「引き換えに、多数の代償を支払っているとしても、か」
加賀見の手から伝わる熱さは命の音色。
俺が失わせ、代わりに守ってきたもの。
リオンに傲慢だと揶揄される正義のあり方であり、〈灰絶機関〉の存在理由でもある。
恐らく、理解した上で加賀見は俺を、〈死神〉を担ぎ上げる。
「誰にも見えず、知られない。それでも、見ている人はいるんです」
「感謝も慰めも要らない。俺は、要らないものを排除しているだけに過ぎない」
「機械のように、命じられるままに……ですか?」
加賀見の言葉通り、俺は人間の命ごと罪を刈り取っていく。
最初から評価など求めてはいない。
世界に散らばる数多の情報は人間の脳に入りきることなく漏れ出て散漫と空気に溶け込む。
見えるもの、感じる匂い、触れる感触。
知りえる物を知る地位にいる人間しか知らず、ほとんどが闇に消される。
日常を生きる者は、誰が何時何分にどんな罪で殺害されたのか知らずとも生きられる。
生きなければいけない。目標に向けて、自らが望む未来を手にし現実に映し出すために。
クラッドチルドレンには、〈灰絶機関〉には最初から選択肢が存在しない。
絶望の淵にしゃがみ込んで限られた短い命を無様に生きるか、死の運命を受け入れてなお日常を捨て去って誰かのための何かになり続けるべく世界の裏側で蠢くか。色々な言葉が浮かぶ。
が、全部を飲み込んでただ一つだけ声に出す。
「〈紅の死神〉となった時点で、俺は日常を捨てたんだ」
「それでも、日常を生きているじゃないですか。一人の生徒として」
「師匠が……坂敷 千影がそう言ったからだ。それ以上でも、それ以下でもない」
「刃助君や、月城さんにも特別な感情がないと言い切れますか」
軋む。否定し続けても欲しているものが見透かされている。
加賀見も、リオンと同じように殺人者への祝福を願う側の人間か。
「来々木君は、背負いすぎなんです。悪は許さない。でも、罪を背負えば自分自身も悪になる。
だから善に触れられない、触れてはいけない……誰の賞賛も得られない人生なんて悲しすぎます」
「俺の人生は俺のものだ。俺が選ぶ道も、俺の意思で――」
「だったら、長が〝幸せになれ〟と言ったら?」
息を呑む。
真っ先に頭に浮かんだのは、千影がそんなことを言うはずがない、という否定。
一個の幸福に気を回すような人間ではない。そう思える根拠はある。
九龍院が身寄りのない子供を集め、暗殺者として鍛え上げたことを悪だと断じた女が、各地を転戦して数々の戦乱を鎮めてきた最凶の〈死神〉からそんな言葉が飛び出てくるはずがないのだ。
「言う、はずがない。師匠が一人の幸福を願うなんて――」
「長が願わなくても、あたしは願います。リオンさんも、多分他の皆は望んでいます。
来々木君は、罪ごと人間を殺してもなお殺人の快楽に染まることなく、己を律して
生きていられる。誰にも負けない、強靭な精神を持っている人は生き残るべきなんです」
「俺には人生を選べる権利なんて、ない」
「選べるんです。知らないだけで、意識していないだけで人間はどこかで
誰かを踏み台にしている。犠牲を強いて、葬って生き長らえている。
来々木君一人が全ての悪じゃない。気に病む必要なんて……ないです」
背筋に冷たいものが走る。リオンと同じ、という言葉は撤回しよう。
加賀見には別種の危うさがある。選民思想というか、犠牲を厭わないというか。
どちらかといえば千影の思想に近い。
いかなる犠牲を払ってでも、救うべきものを救う。必要である存在を生かす。
俺を見つめる加賀見。瞳に移り込む顔はさぞかし困惑していることだろう。
うわずった声で加賀見がまくし立てる。
「来々木君は最高の〈死神〉です。長に次ぐ実力者なんです!」
「殺人者は殺人者だ。誇れるようなことじゃない」
「あっ……そのっ……」
低い声で返す。
二人きりではなく、街中の、誰に聞かれるとも知れない場所で話すような話題でもない。
〈灰絶機関〉のメンバーらしからぬ振る舞いだ。
加賀見の言葉も反応も、狂信者のそれに似ている。
瞳を左右に揺らし、あわあわと言葉を探すさまに目を伏せる。
「いい、分かった。気持ちだけ受け取っておく」
「その……頑張っていることを認めて、褒めてくれる人もいるって、いいたかったので」
「……有難う」
気恥ずかしそうに笑う加賀見。俺の言葉に気持ちはこもっていない。
そう、口にすることしかできなかった。
「鏡華嬢、こっちの絵も使えそうではないか?」
「あ、うん。今行くからー」
「また後で」と言い残して加賀見が刃助が手招きする方へ駆けていく。
入れ違いに仏頂面のリオンがこちらへ来た。
「何か、仲良さそうだったけど」
「そう見えたか?」
「随分と褒めちぎられてたみたいで、ね」
「ああ。有能な執行者としてお褒めの言葉を頂いたよ」
「えっと……そういうこと?」
「少なくともお前が変に勘ぐる必要はない」
「……そう」
安堵したように、ほぅと一息吐くリオン。
相変わらず本心か虚偽の仮面か判断し辛い。
切り替えるようにリオンが端末を手にメモをポップアップさせる。
「これ、台本だって。転送するから端末出して」
「ああ。って……もうできたのか」
「鏡華……いえ、加賀見さんがある程度は作っていたんだって」
「余計に、何のために来たのか分からなくなるな。撮影もするのか?」
「今日はあくまで下見、というより映像の確保が目的みたい」
「まさか衛星都市丸ごと借り切るわけにもいかないからな」
言われるがまま、台本を受け取っておく。
入り組んだ路地でのアクションを想定している場面作りと話運び。
確かに綺麗に区画で整理された芸術的な町並みは映えるだろう。
「でも映像だけ取ってどうやって撮影するの?」
「阿藤学園にデータからジオラマを自動生成する機器がある。あれを使えば
瞬時にセットが作れるからな。急に脚本を変更したのも、映像資料さえあれば
舞台が作れるから、手早くリカバリーできると思って踏み切ったんだろうな」
「成る程ね……技術が、全部いい方向に使われていればいいのに」
願望、なのだ。誰だって、そう願いたい。
人の役に立つことに利用されて、豊かに健やかに過ごせればいい。
ウランジェシカでも常にそうやって考えながら日々を送ってきたのだろうか。
台本を読み込む横顔は楽しげで、本当に純粋に学園祭というイベントを楽しんでいるように見える。
「リオンは、学園祭やるのも始めてなのか?」
「まぁ、ね。ほら……パパとママのこともあって、中々自由ってなかったから」
「ずっと技術研究と試験運用実験を?」
「うん。学校でも施設でも、よりよい技術をさらに効率的に生産していくライン作りが
重要視されていたから。本当に、ただ機械的に同じように製品を作っていくだけ」
「試験機器なら、まだ色々なものに触れられたんじゃないか」
「武器が多かったけれど、ね。今考えると、あそこで作られていたのも、どこかで
誰かを殺すために作られていたんだね……。ううん、気付きたくなかっただけかな」
しんみりと言葉をこぼしていく。
諦観と自嘲が絶妙にミックスされた、無理に貼り付けた笑顔。
俺は鼻で笑って、リオンの背中を叩く。
「いたっ……何するのよっ!」
「武器は、力なき人々の味方にもなる。勿論、敵にも渡るがそうやって戦争を
長引かせたり、双方に供給して戦火を広げるような連中が、俺達の敵だろう?」
「デイブレイク・ワーカーとか……ね」
「ああ。誘拐事件に関与する何かを、見つけ出さなければならない」
リオンが首肯して同意する。衛星都市をぐるりと回っていくのは関係性を探るため。
意図して整理されているのならば、機に乗じて隠れた空間を作ることもできる。
この一週間、特に目立った動きもなく報道にも新しい情報は出なかった。
黙考していると、お返しとばかりにリオンに背中を叩かれる。
「ほら、難しい顔で考え込まないの。あくまで、今はお楽しみ、なんでしょ?」
「……調査のカモフラージュで、な」
「仕事一辺倒なんだから……」
「一人の高校生である前に、クラッドチルドレンであり〈死神〉だからな」
「結局、そこは変わらないのね」
変わらない、のではなく変わることはない。
譲る必要もない。互いの思考が重なり合わないと理解しているのだから。
それでも、リオンは罪を背負うと言った。その上で、共に幸せになれる方法を探すと宣言した。
可能か不可能かは分からないが、ひたむきさは……本当に、そのまま。
久我 小百合という俺の導き手のまま。
「おーい、亮っ! 次行くぞ次っ」
「ああ、分かった。すぐに行く」
刃助に呼ばれ、端末をポケットに仕舞って外へと出る。
通りを抜けて再び大通りへ戻った。大分都市の深くまで回ってきた。
くぐってきたゲートが遠く小さく見える。
「こっちこっち」
歩道を歩く加賀見に手招きされるまま、後を着いていく。
興奮さめやらぬ様子で楽しそうに映画監督の話をする加賀見。
相槌を打ちながら、自分の好きな色物B級映画を紹介して苦笑される刃助。
聞き上手というか二人の間を取り持つ遥姫。
雑踏に紛れてしまう前に追いつかねばならない。
歩幅大きく、速度を増して歩いていく……ところで気付く。
太陽が傾きかけ、薄雲に隠れて空を茜色に染め上げる時間帯。
まだ学校帰りの学生や、買い物帰りの主婦、会社帰りのサラリーマン……色々な人間がいていいはずだ。
辺りを見回すが通行人の姿はない。広い通りに俺達四人だけだ。
広範囲を意識し、耳を澄ませる。あちこちから車輪が地面を踏みつけて押し通る音が響く。
車は通っているようだ。隣を歩くリオンの横顔を見る。
異変には気付いているようで、神妙な表情を浮かべていた。
「リオン、気付いているか」
「ええ。この辺り……私達しかいないみたい、ね」
「ああ。おかしい。あれだけいた市民が一斉に消えてしまうなんて……」
端末を操作し、警報や注意報、その他各種の環境情報をチェックするが、特に異常はない。
加賀見達の後を追いかける。遥姫に語り聞かせることに集中し切って周りが見えない刃助と、話を聞きながら前方と足元を確かめながら進む遥姫を背中に隠すように、加賀見が俺の前に立つ。
「脚本の大筋はできている、って話だがまさか人払いでもさせたのか?」
「まさか。当初の予定通り、学園のシステムを使って模型を作るつもりで……」
「なら、この状況はどういうことだ?」
「あたしにはさっぱり――」
続く加賀見の言葉は背後から鳴り響いてきた轟音がかき消された。
法定速度を無視して大型トラックが爆走していく。
人がいれば悲鳴や罵声が飛びそうなものだが、耳に入ってくるのは走り抜けたトラックが空気の層を打ち破って置き去りにした音の残滓だけ。続々と、先のトラックを追いかけるように同車種のトラックが道路を走っていく。一台、二台、三台、四台……次から次へと、法定速度ギリギリで。
本来ならば暴走を阻止するための自動停止システムが働くはず。
首都外とはいえゲートに近い以上、事故や不測の事態に応じて警報がなり、警察や救急などの各種専門機関が動くよう取り決められているが、際立った動きも音も感知できない。
爆走していったトラックは首都へ繋がる東部ゲートへ向かい、後に続く同車種のものも雪崩れ込むようにゲートへと向かって走る。我先にと競い合うように。
頭の隅に追いやっていたものが、急速に鎌首を持ち上げた。
可能性の一つとして考えていたこと。リオンの記憶から引っ張ったこと。
できれば、現実であって欲しくなったこと。
後ろから控えめに肩を叩かれ、振り向く。不安げな表情を浮かべるリオン。
「ねぇ、亮。最近、誘拐事件についての続報って、なかったよね」
「ああ。普通なら〝何か〟を要求する。金だとか、政治犯の釈放だとか」
「何もない、っていうのは本当に動きがないか……」
「国民には知らされずに、極秘裏に動いているか」
また一台のトラックが俺達を追い抜いていく。
と、思いきや減速して俺達が歩く通りから表の大通りに合流する地点で停まった。
特に信号があるわけでもなく、一時停止などの交通指示も出ていない。
続いて二台目、三台目と同じ色合いのトラックが停車する。
運転席のドアが開き、最初に停まったトラックから人影が地面に降り立つ。
そう、人影だ。断じて人間ではない。
「なんだ、こりゃあ……」
反射的に漏れてしまったのだろう。刃助の声に人影の頭が動く。
騎士甲冑のようなフォルム。だが、無骨な鎧ではなく兜の前部分は半透明の黒いバイザーで覆われており、奥から真紅の双眸が光る。全身はほぼ紺一色で、関節部だけ銀の装甲が当てられていた。
固まる刃助と、声を押し殺した遥姫をかばうように加賀見が前に立つ。
がしゃりと人影が一歩前に踏み出す。ハーフハードギアのように、アンバランスな出で立ちではなく、かといって灰化薬を投与した人間のように闘争心をむき出しにしているわけでもない。
物言わず、危害を加えるわけでもなく直立したまま刃助を見つめ続ける。
無感情に、無感動にバイザーの奥から人間という生物を観察しているように見える。
「噂通り……なのか?」
「あれが、機械化された兵団、ってこと?」
思考が止まる。動きも止まる。
体に信号が走らない。いや、理解しようとしていない。
貨物扉が荒々しく蹴り破られる。先に見えたのは足。
黒いつま先に、関節部は波打った銀色の装甲に覆われており、路面に硬い音を立てて降り立つ。
最初に運転席から降りたものと、全く同じ姿をしている。
かしゃり、かしゃりと次々に同じフォルムの人影がトラックから飛び降りていく。
俺達は同じフォルムを持つ、物言わぬ機械の兵団と対面していた。




