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灰色の境界  作者: 宵時
第一章「だから、俺は殺す」「それでも、私は殺さない」
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1-1 邂逅

灰絶機関(アッシュ・ゴースト)〉としての仕事を終えた亮。

日常は、気付くことなく巡り回っていく。

 十八歳の春というのは、大よその人間からすれば転換期となるのだろう。

 どこの大学にいくのか、それとも働くのか。

 夢を追い求めるのか、堅実に現実と向き合い安定した職業に就くために専門分野を学ぶのか。

 何かを始めるのに遅すぎることはないとは思う。ただ、俺達にはそんな機会すら与えられない。

 始まる前から終わっている、という奴だ。

「……っと」

 うつらうつらとする脳味噌を揺り起こすように、頭を振って椅子から立つ。

 点けっ放しのテレビを消し、姿見で一応の身なりをチェック。

 黒い制服の上着を一旦脱いでネクタイを緩め、締め直す。

 前髪を適当に散らしてから、もう一度上着を羽織り直して校章の刺繍が入ったカバンを肩に担いだ。

 机の上の鍵を手に玄関へと向かう。多少埃っぽい廊下を歩いて靴を履き、外へ出る。

「おはよう、月城」

「く、来々(くるるぎ)君……お、おはよっ!」

 丁度インターホンを鳴らそうと前屈み気味になっていた少女へと声をかけた。

 静電気でも食らったように飛びのいて姿勢を正す。亜麻色の長い髪が揺れた。

 両手でカバンを持つ少女の制服の胸元を内側から二つの果実が押し上げる。

 俺ははっとして視線を外し、辺りを見回す。

「刃助は……早朝配達か」

「うん。だから今日はどうやって起こそうか考えていたんだけど」

「思い浮かばなかった、と」

 気恥ずかしそうに少女が頷く。何というか、どう反応すればいいのか困る。

 とりあえず苦笑しつつ、カバンを担ぎ直す。

「とりあえず行こうか」

「そ、そうだね。遅れちゃうもんね」

「まだ時間はあるけどな」

 左腕の時計を見ると、まだ七時半。余裕はあるが、いつまでも家の前で立ち話というわけにもいかない。

 朝のごみ出しに出た奥様方が集まって何事かを囁き合っている。内容については考えないことにしよう。

「待った待ったああぁぁぁっ」

 背後からの声に俺は一応振り向いてやる。

 地震でも引き起こさんという勢いで駆けつけてきたのは逆立てた茶髪の青年。

 息を切らしながら浅く荒い呼吸を繰り返し、一息つくと俺よりも先に唖然とする少女を見る。

遥姫(はるかひめ)様っ、この計継(はかつぎ)やはり心配で心配ですぐに仕事を終わらせてきました次第で!」

「あ、あのっ……計継君。ちょっと」

「何も動じることはありません。全てこの私めにお任せを……あいだっ」

 恭しく頭を垂れた馬鹿の頭に手刀を叩き込んでおく。

 そこでようやく気付いたように大仰なエセ執事、計継(はかつぎ) 刃助(はすけ)が俺を見る。

「なんだ、亮。いたのか」

「いたのか、じゃないんだよ。もう一発いるか?」

「要らん要らんっ! 痛いのは一度で十分だ!」

「なら朝っぱらから恥ずかしい真似するなよ」

 全く懲りない様子で照れ笑いを浮かべる刃助。勿論褒めているはずがない。

 少女、遥姫(ようき)も困ったように笑った。

 全く、似つかわしくない日常風景に俺は入り込んで溶け込む。

 一応はこの二人、月城(つきしろ) 遥姫(ようき)と計継 刃助とは〝友達〟ということになっている。

 少なくとも周囲の大人や通っている阿藤学園の生徒間ではそういう認識で平和な生活を送っているのだ。

 曖昧な笑顔を浮かべながら、心はいつもそんな自分に冷めている。

 本来ならば交じり合うことのない人種であり、そもそもこうして学校に通っている意味も世間体を除けば殆どないと言っていい。

 と、後ろ暗くなりつつある思考を振り払って刃助を指差す。

「なぁ、刃助さんよ」

「何だい抜け駆け先駆けの亮さんよ」

「はいはい好きなように言いたまえ、忘れ物大魔王」

「あっ」

 ようやく手ぶらなことに気付いたらしい。俺は息を吐く。

 疲れた、というよりは余りにも馬鹿らしすぎてむしろ楽しくなるような、僅かな呆れと微笑ましさを込めたもので。

 遥姫も困ったように笑っていた。

「す、すぐに取って来ますゆえっ」

 もう誰に対して言っているのは聞かないことにしておこう。

 言うや否や猛スピードで突っ走っていくのを見送る。

「その原動力を別のことに活かせばいいのにな」

「力仕事で発散しているから問題ないんじゃないかな」

「犯罪方面に使われていないだけマシ、ってね」

 軽く笑い合う。言ってから、俺は自分自身の行いを見返す。

 いや、決めたはずだ。背負うのだと、やりきるのだと。

 そのための道具であると自認したはずだ。

 だからこそ今この時は単純に〝演じている〟だけでしかない。

「来々木君?」

「いや、行こうか」

 心配そうに問いかける遥姫に、俺は苦し紛れの笑顔を振りまきながら先導するように前を歩く。

 遅れてとてとてと、やや駆け足気味に追いかける足音。

 住宅の並び立つ区画に面した大通りには多数の車両が行き交う。

 反対側の道路にはちらほらとスーツ姿の会社員やスカートを翻して走る少女の姿が見える。

 遠くサイレンの音が鳴り響いた。

「また、出たらしいね」

「うん? 何がだ」

「〈灰絶機関〉」

 どきり、とする。内心の驚愕とは裏腹に不思議そうに首を傾げてから遥姫が続ける。

「あれ、珍しいね。来々木君がそんな顔するなんて」

「いや……悪い」

「別に怒ってもいないし、問題になってもいないのに謝らないでよ」

「すまない」

「だー、かー、らー……」

 やや怒気のこもった口調で説教モードに入った遥姫を前に、俺はやはり苦笑を浮かべるしかなく、やんわりと並べ立てられる言葉に頷いていく。

 やれ暗いだとか、すぐに謝るのは悪い癖だとか、まるでお姉さんに諭されているようだ。

 そんなことではいい大人にはなれませんよ、的な。

「もう、来々木君のそういうとこって本当に変わらないね」

「変わった方が、いいか?」

「それは……その、もっと他の人とも付き合うために、ね?」

「そう、だな」

 何やら俯きがちに、もごもごと口の中で呟いているのは気にしない方向で置いておく。

 学生という時期を終えて、殻を破って社会に出て行くには様々な障害があるだろう。

 趣味が合い、話の合う好きこのんだ相手とばかり付き合えるとは限らない。

 時には主義主張が違って対立し、意見をぶつけ合った果てに収拾のつかない事態になることもあるだろう。

 ややすれば仲の良い者同士でも置きうることだ。

 だが、これからは折り合いのつけられない相手とでも上手くやるように頭を回さないといけない。

 いつまでも自分本位ではいられない。

 そのために選択を行い、道を進む決断をする。

 いわゆる普通の、人生における過渡期という奴だ。

「月城は、どうするんだ?」

「私? えっと、医科大学に行こうと思ってるんだけど」

「おぉ、勉強できるもんな」

「もっと頑張らないといけないけどね」

 照れ臭そうに笑う遥姫は微笑ましく、輝いて見えた。同時に後ろ暗い感情に支配される。

 誰もが将来を夢見て、道を決める時期に俺は何も決め切れずに漠然と日々をすごしている。

 それは、決して先が決まりきっているから選ばないという意味ではない。

 正確には、選べないのだ。言い換えれば選ぶ資格がない、とでも言うべきか。

 殺人者に選べる自由などあるはずもない。

 それでも。

「来々木君は?」

「俺は……」

 返答に窮する。適当に受け答えするべきか、正直に告白するべきか。

 考えようが、選ぶ必要性など無い。不必要に怯えさせることも、心配させることもない。

 最初から答えるべき言葉は決まっている。

「進学、かな」

「お父さんの跡を引き継ぐの?」

「親父は関係ないよ。俺が、決めた道だ」

「そ、そうだよね」

 遥姫の語気が弱まる。少し驚いたような、怖がっているような感覚が伝わってくる。

 失敗だ。無意識に嘘であると悟られないように語気を強めていた。

 怒っているようにも聞こえただろう。

「事故で亡くなられたから、てっきり」

「……月城は親父さんが医者だったか」

「うん。だから、私もたくさんの人を診てあげたいの」

「そうか」

 立派だな、と思った。俺には到底できない思考だ。

 かつて訳も分からないまま死んだ数多くの犠牲から、様々な技術躍進や医療発達があった。

 その担い手が医者であり、彼女の父親もまた高名な外科医だ。

 それでも人の死は避けられない運命線上にある。

 人は生きて、必ず死ぬというのは誰の言葉だっただろうか。

「来々木君も結構、怪我しているよね。大丈夫?」

「ああ。俺は治りが早い方だから」

 信号待ちの合間に腕を掲げてみせる。目立った傷跡は見えないはずだ。

 そもそも〝仕事〟をしている時に傷を負うこと自体がほとんどないのだが。

「無理しちゃダメだよ?」

「ああ、分かってる」

 そう、分かっている。

 自分が常人とは決定的に違う道を歩いていることも、もう元通り何も知らない日々には戻れないということも。

 ただ今この手にある僅かな平穏たる繋がりだけは残しておきたい。

 きっと我侭(わがまま)なのだろう。でなければ、過ぎた願いというものだ。

 軽く顔をあげる。視線の先には阿藤学園の校門と、登校する生徒達が見えた。




 教師がモニターに映し出した画像を指示棒で指す。周りでは小刻みにタイプ音が鳴り響いている。

 俺も自分の端末から操作して画像を拡大表示にしておく。

「えー、このアルメリア王国はかつては〝日本〟と呼ばれていました。十年前、

いわゆる露日事変によってロスシア、忠国……そして日本は世界地図から消えたのです」

 比較するように、既に表示された画像の隣に昔の世界地図が出てきた。

 教師はまだ端末操作になれていないのか、おぼつかない手つきでキーを叩く。

「旧日本政府においては民衆党が掲げたマニフェストを反故にするどころか、国民の意思に

反する政策を多数強行してきました。民衆の名を騙りながら何事か、ということですね」

 かつての日本は自ら奮い立つ精神なく、ただされるがままで日和った弱々しい民族性だったなどと持論を展開し始める。

 タカ派のきらいがある教師は放置され、いつも通り端末ではプライベートチャットやメールが飛び交っていた。

 俺は一つ、大きく溜息を吐く。

 全部が全部賛同できるわけではないが、ある程度は教師の言っていることは正しい。

 為政者は自分の懐を守ることだけを考え、一方で支配される側にいた民衆はなるようにしかならないと思考を放棄してただ日々を無駄に送っていた。

 いや、それぞれに生活はあるだろう。

 ただ自分では何もできない、やったところで意味が無い、変えられるはずがない。

 そうして自ら動かなかったことは罪だと言える。

「――そこで現れたのがハル・マリスク・アルメリア、現在の王だったのです!」

 ぐっ、と何に対して示しているか分からないガッツポーズで強調する教師。

 感動しているのかもしれない。その感情については僅かばかり同調しないでもない。

 まさに衆愚政治と呼ぶべきかつての日本だったが、同時に自分という存在を殺してでも全てのために生きていくという気概を持った人間が現れなかったからこそ、変化のしようがなかったのだ。

 民衆のために為政を行い、見返りとして自分達だけの利権という名の甘い蜜を吸う環境を作り出す。

 実に自分本位であり、かつ欲求に忠実である。

 それが間違っているとは言わない。

 ただ、アルメリア王が埒外(らちがい)の存在であったという事実があり、理想が服を着て歩くというあり方が日本を作り変えた。

「そのやり口には色々と問題があると……うぉっほん、ですが――」

 そう。確かに褒められたやり方ではないだろう。

 実際に〝携わっている側〟だからこそ分かる。アルメリア王がまず始めに行ったことは旧時代の遺物を排除することであり、排除とは言葉通りの意味合いを示す。

 即ち、既存勢力の殲滅という余りにも分かりやすく暴力的な手段によって制圧された。

 つまり、露日事変とは純然たる戦争行為だったのだ。

 非難されこそすれ、賞賛されるというのは時代の移り変わりだというべきなのかもしれない。

 そんな口ぶりを十八歳程度の俺がかましているのが最も問題なのかもしれないが。

「国家のトップは首相ではなく王へと移り変わったものの、天皇家は存続し、さらに

二院制も継続されるなど生活する皆さんにとって、この国は変わらず〝日本〟なのです」

 いきなり全てが変わっては誰もついて来ない。

 既存勢力で問題だったのは〝己の利権を優先し、他者を(ないがし)ろにする〟連中だけであり、それらを殲滅し浄化することが第一義だった。

 同時に長年諸外国と比べて分不相応だと言われていた議員報酬も大幅に削減され、余剰分が福祉と時代を育成する学業施設へと振り分けられ、赤ん坊からゆりかごまで安心して生活できるよう配慮されている。

 だが全てが良いわけではない。

「皆さんも良く知っているように、学業においては高校教育までが無償に、

養護施設や老人ホームの費用もかからず安心安全な生活を約束されているのです」

 違う。俺は飛んでくるプライベートチャットへの招待を拒否しつつ、属する私設武装組織のことを頭に浮かべる。

 最高権力者は首相から王へ移り変わり、その選出方法は国民による選挙による。

 司法体制も表向きの事件対応は変わらないものの、決定的に違うことがあった。

「ただ一点。自殺者と行方不明者数の増加については改善の必要があるでしょう」

 厳かに告げて教師が別の資料ファイルを引き出し、モニターに表示していく。

 旧体制と同じく人々が法律の枠組みを踏み外せば、警察に捕縛され裁判にかけられる。

 そこまでは同じだが後に行き着く場所が違う。

 裁判において〝更生する可能性がない〟と判断された者が行く場所は一つだけ。

 その役割を負うのが〈灰絶機関(アッシュ・ゴースト)〉という例外の存在。

 だが教師は触れることなく、歴史から鑑みるこれからのアルメリア王国について語り始めた。

 名前の通り、表の世界とは繋がらない幽霊の如き存在。そこにいて、どこにもいない。

 しかし法によって裁けぬものを処置し、処理する存在。

 旧体制の政治家や利権関係に連なる者は全て殺害され、資格を持ちうる者へと成り代わっている。

 その誰もが〝己の幸福は人民の幸福〟と信じて疑わない殉教者達だ。

 正しいとは言わない。だが、俺には間違っているとは思わない。

 不要な存在は、更生できない存在は削除されるべきだ。

 そう思い、願い実現させるためにこの体は境界線を踏み越えたのだから。




 授業が終わり、帰り道を急ぐ生徒達の間を縫うように歩いて刃助と合流する。

 刃助は一応授業には間に合っていたが、結局授業に使う端末を忘れるという失態を重ねてさらに自宅と往復することと相成ったらしい。

「まったく、今日は厄日だ……遥姫様を心配させてしまうとはっ」

「いや、別にいつものことだろう」

「失敬な! 今日はたまたま忘れただけだっ!」

「はいはい、明日はきちんと持って来いよ」

 どこに向けているか分からない憤慨を適当に流しつつ、遥姫とも合流する。

「まことに、申し訳ない次第でありますっ」

「は、計継君、その……」

「いえっ! 皆まで言わずとも分かります」

「違うの」

 周囲の視線が痛い。奇異や呆れだけでなく、刃助に声援を送っている連中もいる。

 廊下でこの調子だと校門へ向かう道中には出待ちの連中がいるかもしれない。

 どの学校でも一人や二人は人をひきつける気質を持つ人間がいるものだが、刃助に限ってはベクトルが大きくマイナス方面へ突き進んでいるのだろう。

 その仰々しさは度を越えて酷いものがある。

 付き合っていられるのは、そんな風景でも楽しいと思える心構えがあってこそなのか。

 いや、果たして俺に人間らしい正常な精神性が備わっているかどうかすら怪しい。

 なだめるように、やんわりと刃助の申し出を断る遥姫を促して外へと向かう。

 刃助が間に入り込み、遥姫に話を振っているのを苦笑しながら見て流す。

 校門に近づくにつれて、じわりと染み出すように左胸が痛んだ。

 皮膚側ではなく、内側から等間隔に針で突かれているような苦痛に襲われる。

「来々木君?」

「いや……大丈夫だ」

 また笑顔で誤魔化した。そのまま刃助を間に挟んで外に出る。

 瞬間、心臓を撃ち抜かれるような激痛が走り抜けていった。

 どうしてか、視線が右に動く。視界に入ったものに、俺はめいいっぱい瞳孔を開いた。

「嘘だ」

 小さく、誰にも聞こえないほどか細い声で呟く。

 そうだ。違う。〝彼女〟はこんなにも青い髪ではない。こんな成長した姿であるはずもない。

 ただ、猫のようにしっかりと俺を捉える瞳だけは変わらない。

 知っている。俺は、その確かな意志の輝きを知っている。

「あなたが、クルルギね」

 青く長い髪をさらりと背中に流した少女は、微妙にイントネーションの違う発音で俺の名を呼んだ。

 その顔に、かつて〝彼女〟が死の間際に浮かべたような綺麗な笑顔を乗せて。

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