3-10 衛星散策
放課後、脚本を詰めていくクラスメイトを残して、俺は阿藤学園を出た。
肩に鞄を担ぎ直し、歩く。真っ直ぐに自宅へと向かうのではない。
目の前には高く高くそびえる壁。首都と東西南北に位置する衛星都市を隔てるもの。
「……では、観光と言うことで許可証を出します。
代表者が携帯し、必ず固まって行動するようにしてください」
「分かりました。ご苦労様ですっ!」
はっきりとした口調で元気よく答えた女子生徒が、壁際の窓口で許可証を受け取る。
黒いボブカットが揺れる。赤黒い瞳が俺を捉えた。
「許可取れたよー」
「ああ、有難う。加賀見」
嬉しそうに笑って女子生徒、加賀見 鏡華が俺に許可証を差し出して来る。
反射的に受け取ってしまった。離さないよう、加賀見が許可証を乗せた俺の手を自らの手で挟み込む。
「はい。主役さんが持っていた方がいいでしょ?」
「いや、俺より刃助の方がいいんじゃないか。あいつが主導だし」
「えー……でも計継君、落としちゃいそうだし」
「いくらなんでもそれは」
妙に距離の近い加賀見から目を離して真横に視線を移す。
「いやはははは、両手に花とはこのことですかな!」
「計継君、ちょっと……」
「確かに男女比は女性が多いけれどねぇ」
「女性をエスコートするのは紳士の役目ですからな! ささ、どうぞどうぞ」
「あっ……来々木君も」
「いいのよ、姫。放っておいても勝手についてくるから」
右手でリオンを、左手で遥姫の手をとってずんずんと東部衛星都市に繋がるゲートへ向かう刃助。
表情は嬉しいを通り越して不純な精神丸出しに緩みきっている。
軽く頭痛がした。にんまりと微笑む加賀見が俺を見る。
「あれに任せちゃって、本当にいいのかな」
「いや……分かったよ。分かったから」
「やけに気にしますねぇ。もしかして来々木君にはソッチの気があるんですか?」
「断じてないっ!」
即答した。振り払うように鍵を取って手を引っ込める。
あははは、と笑って加賀見が言葉を繋ぐ。
「密かに人気ですよねぇ。来々木君、女子生徒内でも結構な人気ですよ」
「そうか。それは、余り好ましくないな」
「おやおや、嬉しくないんですか。中にはクレスさんとのカップリングとか――」
「どう考えても嬉しくないだろう。加賀見は百合ネタされて嬉しいのか?」
「あたしはー、まぁ構わないですかねぇ」
「……中々にポジティブだな」
「後ろ向きに考えても仕方ないし、皆をまとめるには柔軟さがないとね」
言葉の通り、加賀見が脚本グループをまとめている。
文化祭で扱う題材を決め、舞台を想定し流れを掴んで主導する役割。
今回、衛星都市に出てきたのもその一環で、主役達が駆け回る場所のイメージを確かにしたい、とのこと。
もう一つ、別の目的があるわけだが。
「俺も見習った方がいいかもしれないな」
「見習うというよりも、もう少し普通に接してみては?」
「普通、なんて主観的意見の集合体だ。どこにも正解がない」
「小難しく考えなくていいんですよぉ。もっと肩の力を抜いてっ」
「力を抜けと言われてもな……」
荷物を落とすことになってしまう。
加賀見の意図するところとは違う、とは分かってはいるのだが真っ直ぐ答えられない。
少し屈んだ姿勢で、至近距離から加賀見が俺を見る。
「かく言うあたしも、来々木君に憧れている女の子の一人なんですよ?」
「なっ……」
「って、言ったらどうします?」
「加賀見、お前……」
してやったり、と笑った顔で茶化されたことに気付く。どうにも苦手だ。
真っ直ぐに突っ込んでくるのは剣であれば簡単にいなせるが、話術ではそうはいかない。
こうしてあれこれ考えているのが普通ではない証かもしれないが。
言葉に迷う。が、タイムアップとばかりに加賀見が首をすくめた。
「ふふん。とりあえず、行きましょうか」
加賀見が駆け足で進み、刃助達を追い抜いていく。
ちらりと窓口の警備員を見ると困ったような、仕方ないなといった具合に苦笑していた。
俺も苦笑いを浮かべて返しておく。
ゲートを管理しているのも〈灰絶機関〉のメンバーだ。
俺やクレスが一人で出入りする分には構わないが、普通の生徒が混じった状態では素通りとはいかない。
形式的にでも許可を取る必要がある。
「ほら、来々木君も早くー」
「はいはい」
「返事は一回だけでいいけれど?」
「……はい」
言い直して、俺はまた鞄を担ぎ直す。
加賀見を先頭にしてゲートをくぐっていく。
まず目の前に現れたのは、立派な口髭を蓄えた壮年の男性……の彫像だった。
大通りの左右、互いが向き合うように男性と女性の彫像が鎮座している。
台座に存命していた年代と共に名前と略歴が刻まれていた。
男性の方は生物を元に数々のアーティスティックな像を作っていたらしい。
女性はその妻で、都市設計に携わったようだ。
案内図で見ると東部衛星都市が図形を組み合わせたパズルのように、道路を区画整理したり建造物の高さを統一したり、同じ形状の家屋を建てたりと技巧を凝らしている様子が見て取れる。
隣に設置されたモニターは簡易ナビゲーションシステムのようだ。
「おお、すげぇ……道路にふにゃふにゃした模様が刻まれてるぞよっ」
「ぞよって計継君は……それは古代文明の文字らしいよ」
「全然まったくのちんぷんかんぷんだなっ」
「で、しょうね」
逐一感嘆の声をあげる刃助に付き合って辺りを見回しながら、リオンも目を丸くして辺りを見ている。
遥姫も道路の模様をなぞったり、歩道に敷き詰められたタイルに描かれた絵を目にして微笑んでいた。
等間隔に立つ街灯にはスピーカーが設置されており、軽やかなポップスが流れている。
音楽が雑踏のざわめきに混ざり合っていく。道路を走る車は多く、また人通りもかなりのもので確かに単独で行動してると人間の波に押し流されてしまいそうだった。つんつん、と脇腹を突かれる。
「熱心に見つめておられますが、どちらが好みなんです?」
「……別に、そういう変な妄想をしていたわけじゃない」
「おやおやぁ、妄想していたんですかぁ?」
底意地の悪い笑みを浮かべる加賀見。俺は嫌そうに眉間に皺を寄せてやる。
目線と能力使用反応で〈死神〉の刻印を疼かせ、リオンを呼ぶ。
「何なのよ……こんな街中で能力なんか使っちゃって」
「一応紹介しておこうと思って、な」
手のひらを上にして、俺は加賀見を示す。
「加賀見だ。俺達のクラスメイトで、同類だ」
「貴女って、確か……」
「ええ、転入時にご挨拶させて頂きましたね〝ハーネット様〟」
「……なるほど」
ばつが悪そうにリオンが苦笑する。二人の間に何があったのだろうか。
そういえば、転入してきた後に集まる女子連中の中にいた気がする。
加賀見が右手をあげ、胸辺りに掲げて恭しくお辞儀をする。
「改めまして、加賀見 鏡華と申します。長の命で同行させて頂くことになりました」
「そんなに、俺達は信用されてないのか?」
「勝手に含めないでよ」
「ほらほら、お二人でヒートアップしてますと……」
はっ、として刃助と遥姫の方を見る。
歩道に四肢で這い蹲り、文字を追っていく刃助を止めようとあたふたしながら追いかける遥姫。
通行人の視線が痛い。まるで小学生のようなはしゃぎっぷりだ。
小さく息を吐く。加賀見は笑みを消して、真剣な表情を浮かべていた。
「ここ数日、大型トラックのゲート通過申請が増加しているそうです」
「文化祭が近いから様々な物資を運び込んでいるんじゃないのか」
「各分野に特化しているとはいえ、余りに量が多いとは思いませんか?
それも、東部だけでなく西部や北部ゲートまで増えているそうで……」
「〝何か〟が大量に運び込まれている、と」
「ひとまず、頭の隅には置いて欲しいと思いまして」
俺と加賀見が言葉を交わす間、リオンはちらちらと刃助達の様子を見ていた。
そこまで気にする……もとい会話に加わらないのであれば合流して意識を逸らすように仕向けて欲しいものだが、言葉にはしないでおく。加賀見が明るい笑顔を浮かべる。
「さぁさぁ、あんまりじっと見てると都会人なのに田舎者だと思われちゃいますよぉ」
「いや、でもすごいぜ鏡華嬢よ! 相変わらずなんて書いてるか分からないけどな!」
「ほらほら、見るべきところはたくさんありますから! 立って立ってー」
刃助の手を引いて加賀見が立たせる。
遥姫が安堵したように豊かな胸に手を当てて息を吐く。
そんな風景を見ていると寒気がしてきた。
「そんなに、おっきい方がいいのかな?」
「いや、別に見てたわけじゃ……むしろ、何を怒ってるんだ」
「知らないっ!」
なだめようとしたが、そっぽ向いてそそくさと加賀見達に合流する。
リオンの行動は相変わらずよく分からない。だが、考えても仕方ない。
引き継いだ魂が魂だけに、逐一構って考えていたらキリがない。
加賀見の言葉が気になる。下部のメンバーが知っているのだから、当然千影の耳にも入っているはず。
もっといえば加賀見の同行も当日知らされたわけだが……。
普段意識していないし、会話も余り交わさなかった影響でどうにもやり辛い。
「……ひとまず、当面の目的を果たさないとな」
学生の身分、観光目的で入っている以上はそれらしく振るわねばならないだろう。
加賀見が端末から展開しているマップを遠目で見る限り、ぐるりと一周する形で見ていくようだ。
全体をざらっと見て怪しいところを洗い出す方針なのだろう。
「ほらほらっ、来々木君もいきますよー」
「ああ」
努めて明るく、普通の学生を演じている加賀見の声に従って、また歩き始める。




