3-7 空想狂界
ただの偶然か、それとも予想される最悪の出来事が現実となって襲いかかっているのか。
リオンが体を起こし、ベッドから足を投げ出す。
「……亮、私の鞄を」
「あ、ああ」
言われるままに教室から持ってきた鞄を渡した。
受け取ると、リオンは鞄から携帯を取り出して手際よく操作していく。
「体調は、もういいのか」
「全部吹っ飛んじゃった」
「寝ている場合じゃない、か」
「……ほら、これ」
真剣な眼差しで向けられた携帯の画面を見る。
アンダーグランドな情報が集まる掲示板の一覧表示。根も葉もない噂から、〈灰絶機関〉に近い組織の構造分析を行うスレッドまで真偽入り混じりの混沌とした空間。
拡大されたスレッドには今回の誘拐事件に関する考察が連ねられていた。
「最近まで報道規制がかけられていたみたい。誰が、何の目的かはわからないけど」
「棘のある言い方だな。素直にアルメリア王の仕業だと言えばいい」
「……断定は、できないでしょ。私の記憶が全部本当かどうかも分からないし」
「まぁ、な。造られた、植えつけられたデータを記憶と勘違いしているかもしれない」
「機械みたいに言わないでよっ!」
怒鳴られた。半分冗談で、半分本当のようなものだ。
〈灰絶機関〉の人間も誰もが生来殺人嗜好の持ち主ではないし、観測者だと達観するような者もいない。
リオンのように、普通に普通を満喫している中で少しずつ違和感に、周囲との違いに、異常性に気付いて踏み込んできたような者達だ。普通でありながら、普通でない部分に触れてそのままではいられなくなった。
「そう怒るなよ。思い込みって言葉があるだろ」
「私の口にしたことが夢物語の、荒唐無稽なものだって言いたいの?」
「だから喧嘩腰になるなっての。病は気から、とかアルメリアには色々な言葉がある」
「信じれば救われる、っていうやつでしょ」
「微妙にズレてるけどな」
「アンタ達が、思い込みで殺人行為を正当化している、ってこと?」
「正しいかどうかと、必要かどうかは全くの別問題だよ」
「正当化しようとしている点は同じじゃない」
また堂々巡りになる。どうにも、小百合の話を持ち出してからリオンの様子がおかしい。
が、私事に構っている場合ではない。
リオンの携帯から情報を読み取り、自分の携帯に表示させてスレッドを流し読む。
「例えば、心霊現象とかもよくある見間違いとか勘違いとか、視覚的効果が関係している」
「今はオカルトの話は関係ないんじゃない?」
「オカルトと言い切ると、イズガルトから文句が出そうだけどな」
「私達も〝呪い〟とか〈死神〉とか言っているうちは馬鹿にできないけれど」
見解の違い、あるいは理解の仕方の違い。
それでも、かつて片方を神聖視し、もう片方を邪教だと言い切った組織がいた。
過去に引きずりこまれそうな自分を振り払うように、大きく頭を振る。
改めて、掲示板の過去ページを漁っていく。
「一応、アルメリア王国の成立に関しても考察とかやっていたみたいだな」
「考察、っていうより妄想に近いんじゃないの?」
「あー……まぁ、中には笑えないのもあるけどな」
「正義の味方、って論調が強いよね。そんなに旧ニホンの政府って酷かったの?」
「俺も資料でしか知らないから、本当かどうか分からないけどな」
過去に戻れるのならば。そんなことは、考えたくもない。
リオンも同じ部分を見ているだろうが、新たに開いたページをスライドさせ、転送させる。
軽やかな音を立てて携帯同士のデータ送受信が終わった。
「私達と同じことを考えている人もいるのね……」
「与太話だと馬鹿にされてはいるけどな」
「余り、そうだと決め付けて書き連ねるのも問題がある、かな」
俺が表示させたページには、同一人物と思われる書き込みがまとめられていた。
当初は十人ほど交えて議論の体をなしていたが、途中から一人が持論を並べ立てる形になっている。
持論、とすら言えないかもしれない。妄想だ、空想だと罵倒されるような記述が乱雑に綴られている。
異世界からの侵略者。自分の都合のいい環境を作り上げるための箱庭。
一般人から見れば妄想かもしれないが、〈灰絶機関〉にとっては一概に切り捨てられない。
デイブレイク・ワーカーを率いていたピアスディという男は、自らを外界からの侵略者だと語り、断末魔をあげる中〝イーナド星人〟だとも告げていた。余りにも荒唐無稽な、戯言と呼ぶに相応しい末路。
クレスの〈静寂たる十字架〉によって断裁され、次元の歪に消え去った今ピアスディの言葉を証明することはできない。が、その存在が嘘とは、妄想だとは言い切れない。
いつだって自分の見えているもの、知っているものだけが全てではないと知っている。
「でも、私達の現実は思い込みなんかじゃないよ」
「……ああ。ピアスディの存在も、あの悪意も本物だった」
「人間でも、ストラみたいな変人もいるけど、ね」
「永遠を求める存在、か。確かに人々の夢ではあるが……」
願望と呼ぶよりは、妄想と呼ぶ方がしっくりくるかもしれない。
確かに〈渇血の魔女〉は限りなく不死に近い存在ではあった。
しかし人間と混ざらず純血の異形であった頃の話で、現代を生きる最期の一人は最強だった三人の魂を核として受け継いでいるだけに過ぎない。そんな不死性は〈死神〉が名を連ねる者の力を吸収するのと同じだ。
擬似的な不死身ではあるかもしれないが、セラの体にも限りがあると考えていい。
生命のストックが人よりも多いだけだ。そんなことを考えられる俺も、十分に人とは違う何かであるが。
さらに過去ページを漁る。無意識に舌打ちをしてしまった。
「……不死身、か」
「こんなの、パパもママも望んじゃいないよ」
「分かっている」
別の考察スレッド。いかにして、人間はヒトとしての永続性を保てるか。
これもまた一人が延々と持論を語る……否、妄想を書き殴った日記帳と化していた。
時折挟まれるレスも否定意見が大多数だったが、スレッドを立てた当人は否定意見に触れることなく淡々と考察を積み重ねていた。雑多に書かれている文章を読み上げていく。
「魂を乗り換える。時間の檻に縛られた肉塊から解き放たれ、永続する冷たき体を得る」
「脳髄を電脳に置き換える。記憶など所詮情報の集合体ではない……」
「老いることなく、損傷しても交換すれば若返る。機械を前に肉体など不要」
「ただ情報の集合体が思考できるかどうか、それだけが不安要素だ……何これ」
交互に読み進めていたが、馬鹿馬鹿しいとばかりにリオンが吐き捨てた。
俺も同様の感想を抱いている。ふざけている、としか言いようがない。
「まぁ、限りなく機械は人間に近くはなっているが、情報があってこそ、だからな」
「でも学習型の機械人形ならとっくに実用レベルじゃないの?」
「複雑な行動になると巨大化する。情報の送受信を別口にしても、端末を繋ぐ回路部分が
やられれば機能しなくなるんだから、完全に独立した人間型には程遠いだろうな」
「忠国は、もう造っていたんだよね」
「ハーフハードギアは違う。お前の方がよく分かっているはずだよな」
「うん……でも、あれがパパとママの研究に使われていたらな、って」
「戦争幇助と看做されたかどうか、か」
「結局、想いなんて伝わらなくて、結果だけ見られちゃうんだね」
悲しそうな声でリオンが呟く。
他人の思念を見通すことはできない。できるのは、予測することだけ。
積み上げられたデータから導き出される結果で判断する。
ヒトを作り出そうとする思惑の裏側に、人権を無視された兵器利用の側面があるのは自認しなければならない事実。避けられない現実。情報を突きつけたところでリオンが納得することはない。
真実と直面したとしても、どちらかを選ばないといけないだろう。
普通の世界を生きてきた当たり前の心を死なせるか、それとも根源から壊れてしまうか。
俺の携帯が重い音を鳴らす。連続するバイブレーションが着信を伝えていた。
ちらりと発信者を確かめてから、咳払いを一つして応答する。
「……はい」
「亮、すぐに家に来い」
「誘拐事件の件ですか?」
「それもある。傍で聞き耳立てている娘も連れて来い」
用件だけ言うと「ではな」と言い残して電話は切られた。
お見通しだ。俺を注視していたリオンの赤褐色の瞳を見ると、視線を外してわざとらしく口笛を吹き始めた。
しかも音がかすれて鳴っていない。
「別に、俺の前では演技しなくてもいいんだぞ」
「アンタに全部を許したつもりはないけど?」
「一部は許されてるんだな」
「そういう聞き方、嫌われるよ」
鼻息荒く言い捨てると、リオンが靴を履いて立ち上がる。
復調したのは本当らしい。鞄を持ってそそくさと出て行こうとするのを手で制する。
「せめてお前が寝ていたベッドくらい片していけ」
「そういうのも含めて付き人なんじゃないの?」
「俺はお前の従者でも召使でもないぞ」
「なら下僕でいいから」
「俺はよくねぇよ」
溜息を吐く。つまらないことで時間を浪費している場合じゃない。
手早くシーツの皺を直し、ベッドに備え付けられた端末を操作して簡易報告を提出する。
メールでの教師への伝達も終えて一息吐く。
「流石、慣れてるのね」
「嫌でも身に着くさ。お前も日常に身を置き続けるなら覚えとけよ」
「アンタには言われたくない」
「……ああ、そうかよ」
いちいち取り合ってられない。
クレスとセラほど致命的ではないにせよ、俺達の間にも溝がある。
埋めようのない認識の差異、そして〈死神〉同士で縛られた因果の鎖からは逃れられないらしい。
鼻で笑ってやる。
「何がおかしいのよ」
「別に。何でもないことだ」
「気になるでしょ!」
「忘れろ。行くぞ」
自分の鞄を肩に担いで、保健室から出る。足早に正門へと向かう。
もう気遣う必要もない。気後れする理由もない。
彼女は、久我小百合は死んだ。リオンは、久我小百合ではない。
何度も何度も言い聞かせるように頭で呟く。
「ちょ……待ちなさいよっ!」
制止する声を無視して歩く。歩幅を大きく、速度を速めて。
それでもリオンが気になるのは、意識してしまうのは〈死神〉だからだ。
奴の思念を引き継いだからこそ交わり合うことのない思考回路を展開する。
いつかは、敵対することになる。きっと、多分、恐らく。
来るべき日のためには捨てなければならない。
戦うためには、切り結ぶためには、殺し合うためには情愛を抱いてはいけない。
「俺は……」
ただの、一振りの刃でありたかった。




