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灰色の境界  作者: 宵時
第三章「争いを生むものを廃絶し、恒久和平を実現する」「貴様に世界は救えない」
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3-5 魂が依るべき場所

 クガ、サユリ。サユリ。

 一言一言をじっくりゆっくりと噛み砕いて、記憶の底に落とし込んでいく。

 映像が蘇ってくる。泣きじゃくる、幼い少年へと伸ばされた病的なまでに白い手。

 少年の茶褐色の瞳に移り込む少女の姿は、どこかで見た誰かに似ている。

 いや、似ているとしても同一人物ではない。

 三人はいるとかいう、他人の煮物だとか何とか。頭のどこかで声が響いている。

 もう止めろ、と。思考するのを、追いかけるのを、探るのを、見つけようとするのを止めて元いた場所へと帰れ、と。それでも探してしまう。思い返してしまう。

「クガ、サユリ?」

「……ああ。明るく、真っ直ぐで、俯いた奴を殴り飛ばして引きずり回すような」

「そんな、まるで」

「誰とは言わないけれど、な」

 亮が私を見ている。茶褐色の双眸が、私を真っ直ぐに。

 頭の片隅で拒絶する声が響き渡っているのに、私の支配が届かない回路が探し回っている。

 意志とは反比例して過去の映像が記憶部屋の引き出しから漏れて流れていく。

 最初に出会った時、亮は私を見て驚いたような顔をしていた。

 それは恐らく失われた久我 小百合と酷似した存在である私を、認めて驚いたから。

 ならば〈死神〉のみに与えられたクラッドチルドレンの呪いを回避する条件である、対極の死神を殺害することを拒絶したことは、頷ける。

 単純に久我 小百合の形をしたものを殺したくないからだ。

 失ったものを、二度も失いたくないからだ。私は、口を開いて言葉を吐く。

「……亮は、最初。本気でやっていなかったよね」

「説明しただろ? あれは、そもそもお前からの殺気をだな――」

「嘘よ。私が、サユリに似ていたから、でしょ」

 止まらない。何かが溢れ出している。

 私の中にある〝ワタシ〟という現象が叫ぶ。

 今が、その時なんだって。

「対極の死神として殺さない、なんて言って最初からそんな気なかったんでしょ」

「方策の一つとして伝えたまでだ。お前が、本当に解呪を願うのであれば……」

「おかしいでしょ? 真っ当に生きろ、って言っておいて殺せ、なんて異常じゃない」

「今更蒸し返すな。どちらにせよ万か一かならば安い相談じゃないか」

「どうして犠牲の数を比べるのよ! アンタだって、ただ一人一つきりの命でしょっ!」

 ああ、もう何をやっているんだろう。こんな感情任せに言葉で殴りつけるなんて。

 ワタシの記憶領域の一部を占めていたもの。誰なのか、何なのか分からないでいるもの。

 私が感化されているのではなく、ワタシが私の口から叫んでいる。

「前に、日常がどうとか非日常とか違いを偉そうに垂れてたけど、あれも勝手な

言い分じゃない! どの世界だって常識とか、一番大切なものは変わらないはずよっ」

「……どうせ一つなら、最高の形で使い潰すのが一番だ」

「それっ!」

 人差し指を立てて、真っ直ぐに亮へ向ける。

 指差しをしてはいけません、なんて今時小学生でも言われないかもしれないが、これもある意味では非常識。そんな常識かそうでないかが大多数の認識で違うのも理解している。

 ただ、言ってやる。この際だから、我慢なんかしてやらないんだ。

「亮! アンタ、デイブレイク・ワーカーの時もそうだった」

「な、何の話だよ」

「私に危ない場所に行かせないように、信条を尊重する、とか言ったよね。共闘関係を

結ぶって。そう言った割には、何もさせないで全部自分一人でやってたじゃない!」

「俺の〈紅の死神〉は元々多対一を得意とする力なんだよ。〈紅の刻印(セル・ヴェーゼ)〉での肉体強化と、元々の再生能力の速さ、〈灼煌の魔眼(ヴォルカル・フィアー)〉による広範囲焼却……単体戦闘向きだ」

「嘘。そうやって、死ぬために……ううん、死ぬ場所を探していたんじゃないの?」

「違う。俺は死ぬつもりなんて――」

「ならさ、どうしてアンタは嘲笑(わら)ったの」

 坂敷邸でデイブレイク・ワーカーの頭目、ピアスディを潰すよう命じられた時。

 千影にも注意されていたが、確かに亮は嘲笑を浮かべていた。

 死にに行くことを喜んでいるように、命を使い潰す機会を得られたことを幸福だと思っているように。

「俺は……狂い始めているだけ、さ。戦闘に、戦うことに」

「でまかせ言わないで。本当は気付いたんでしょ。私と、サユリを

重ねていて、どこかで違うって分かったから、どうでもよくなった」

「どうして、そうなる」

「私を戦闘から遠ざけていたのは、私に似たサユリに人殺しをさせないためなんでしょ?

 でも、サユリであってサユリでない私に耐えられなくなった、だから――」

「だから、なんでそうなるんだよっ!」

 がしっ、と物凄い勢いで肩を掴まれる。

 必然的に亮と私の距離が近くなる。荒い呼吸が、鼻息が肌にかかった。

 亮が、怒っている……と思ったが、勢い良くまくし立てていたのはワタシだ。

 また迷うように目を泳がせてから、最初に久我 小百合の名を告げたように瞳に意志の力を込めていく。

「確かに、お前を小百合だと見紛(みまが)えたよ。生きていたら、こんな感じかな、とかな」

「ほら、やっぱり! だから私に触れないようにして……」

「それとこれとは別だ。お前が何のために〈灰絶機関(アッシュ・ゴースト)〉に入ったのか分からなかったし、何より奴の後釜だ。警戒しない方がおかしい、っていうのはお前には関係ない話か」

「何よ、それ」

 亮の手を払いのけてやる。

 何だと言うのだろう。何度か出てくる〝奴〟という言葉。

 男なのか、女なのか。亮の性格と言葉に込められた怒気から察するに、恐らく男。

 そしてここからも推察になるが、多分〝聖呪大戦〟……〈灰絶機関〉と〈聖十二戒団(ホーリー・ツイスター)〉との全面戦争において対峙した人物、なのかもしれない。

 そんな深い憎悪を思わせるような重さを感じさせられた。

 が、今は関係ない。大事なのは、亮が私を死人と重ね合わせて見ていたという一点だけ。

「もし、私がクガ サユリだったら、どうするのよ」

「……どう、って」

「アンタは、慕ってくれてる遥姫や刃助も一定距離で遠ざけてる」

「一般人と、殺人者の境界線だ。当然だろ」

「私も、まだ誰も殺していないけど」

「だがお前はクラッドチルドレンで〈死神〉、境界線上の存在だ」

「……そう」

 真面目に答える気はない、というところか。

 少しだけ頭が冷えてきた。遥姫のことを思い出したからだろうか。

 私は何故、久我 小百合について知りたがっているのだろう。

 亮にとって家族よりも大事な存在。即ち、一番触れられたくないはずの場所。

 恐らく、私だけが近づけていて、今こうして触れている……いや、傷口を抉っている。

 何故、どうして。

 いいや、分かっている。

 原因は、理由は理解している。分かっていて、理解していて装っている。この感情は普通の人間なら誰もが持っているもので、クラッドチルドレンであっても半分の気持ちを持ち合って一つの型にはめ込む。

 当たり前に持つべきの、普遍的な幸福の形。

 亮が、ずっと疑問符を抱いていて、私が跳ね除けたはずの言葉。

 直視できない。私は、失って今日までずっと原因を探るためだけに動いてきた。

 巻き込まれたのだと、あくまで私は普通の、日常生活を享受するべき存在なのだと。

 だが、クレスもセラも亮も人並み以上の痛みと苦しみと悲しみを背負いながらも、目的のために自らを犠牲にしている。使われている。使い潰されようとしている。

 きちり、と奥歯を噛む。何かに耐えられず、堪えるように強く強く。

「リオン」

「……何よ」

「お前には、謝らなければならないことがある」

 神妙な顔。おおよそ、内容を聞かなくても中身は分かる。

 私を置き換えてきた。久我 小百合として扱ってきた。だから大事に大事に、守ってきた。

 心が壊れないように、見たくないものはなるべく見せないようにした。

 精神が折れないように意志と信念を尊重してきた。

 予測が形となって、亮の口から出たとして私の中の何が溶け出すのだろう。

 何が解決するのだろう。何が進むのだろう。どこへ歩みだせるのだろう。

 何も、なにも解決しないのではないか。

 それどころか悟らされてしまう。いかに、パパとママの死を追うことに意味がないか。

「待っ……」

「お前の言葉は正しい。確かに、俺はお前と小百合を重ねていた」

「え……そ、そうよ。だから私を戦闘から遠ざけて、挙句自分から死にに行ったんでしょ」

「別に、死ぬつもりはなかったんだがな。死んでも構わない、とは常に思っているだけで」

「同じでしょ! 帰る覚悟がない奴が、戦いに出るなんて――」

「俺の帰るべき場所なんて、どこにもないさ。死ねば魂が食われて、新たな〈紅〉が

呼ばれる。〈死神〉に見初められ、憑かれた時点で俺達は生まれ変わりすら許されない」

 半分正しく、残りは予想外の言葉。

 重ね合わせたのは事実。だが、数多の魂が輪廻する世界で私達は囚われている。

 〈死神〉という受け継がれ逝く戦闘するための力が、短い円環の中で巡っていく。

 より強く、より凶悪な刃となって世界に散在する悪意を打ち砕く。

 亮の言葉に一切の虚飾はなく、揺らぎもない。全てがありのままの真実。

「俺は、日常に帰りたいとは思わない。小百合は願ったが、もう俺はこんな世界で

生きれない。だが、お前は戻れるんだ。まだ、全てを忘れて生きていけるはずなんだ」

「それ、だって……私が、サユリに似ているから、でしょ」

「違う、といえば嘘になるかもしれないが、もう一つ理由を挙げるならば、浅いからだ」

「日が浅いってこと? もう、そんなの覆すくらいに……知っちゃったのに」

「ああ。お前は知った。セラがクレスを殺害するに足る理由を、クレスが正義のあり方に

苦悩した挙句、理想を追い求めて全てを失ったのも、俺が奪われた一番大切なものも、

そしてそんな俺が私怨のためだけに、小百合を轢き殺した男を斬殺した過去も」


――殺したよ。憎まずにはいられなかったし、殺して芽を摘んでおく害悪だと思った……


 確かに、口にしていた。憎まずにはおれず、殺さずにはおれず、赦せざるもの。

 法律も倫理観も全てをかなぐり捨てて、それでも越えなければならなかった境界線。

 私は、私の場合はパパとママを殺した相手になるのだろうか。

 私は全部を捨てて、殺して……それから?

 それから、私は何のために生きればいいのだろう。

「あっ……」

 だから、亮は刃となった。使われる側に、なってしまった。

 セラは全部を失い、千影のために望まれるまま動く懐刀となった。

 クレスは、ただ量だけを天秤に乗せて観測する執行者になった。

 行動理由を、存在理由を失ってしまったから、そうせざるを得なかったのだとしたら。

 失ってここに来た私は、まだそれ以上の大きな何かを失っていない私は糾弾し得る立場にあったのか。

 いや、ないと感じたからこそ私は追及しようとしているのではないか。

 疼く。私の中のワタシが叫ぶ。全部を口にしてしまえば済む、と。

 吐き切ってしまえば全てが終わってくれると、元通りの日常に帰れると。

 元通りの日常はどこなのだろう。

 もう、私にとっての日常は〈灰絶機関〉の中に、阿藤学園に通うことに切り替わりつつある。

 今更、実態を知ってウランジェシカの山奥で兵装の実験に明け暮れることなんてできない。

 誰かの役に立てられるはずのものが、巡って捻じ曲がって誰かを殺すための兵器に転用されていることなんて考えたくもない。そんなふざけた結末は、絶対に認めてやらない。たとえ目を逸らしようがないほど現実でも。

 亮が口を開く。

「帰れ。お前はお前のあるべき場所へ。俺の命を、最善最短の道を歩け」

 拒絶を許さない、重さと強さを併せ持った声色で私の胸を射抜く言葉を吐く。

 答えなんて、最初から決まっている。

 そして私の目的も……決まった。今、決めた。

「嫌よ。もう、戻れるわけないじゃない。こんな世界の裏側を見たら」

「ならば、慣れろ。殺すことに、犠牲を生み出すことに」

「それも嫌。私は、私の信念を貫く。絶対に、人は殺さない」

「……お前、クレスの結末を見ても、まだそんなことを」

「殺さなければならない、犠牲にしなければならない存在は、いるかもしれない。

 亮に、代わりにやらせて……殺させてしまうかもしれない。だから」

 誰かに罪を代行させる、その罪を背負う。

 私に人が殺せるとは、思えない。迷えば、迷惑をかけてしまうかもしれない。

 認めたくはないが、更生の余地のない人間は、確実に存在する。

 死ななければならない存在を放逐して、未来に犠牲者が生まれてしまう……。

 利己的な理由だといわれても、被害妄想だと捉えられても、失ってしまってからでは遅い。

 奪われてしまっては、もう戻ることはないのだから。

 罪を見逃す罪を負って、その上で……帰れる場所を探す。

「だから、私が一緒に罪を背負う。これからの、全部を見つめるよ」

「……お前は、〈灰絶機関〉を、両親を殺した存在を許さないんじゃないのか」

「許す、なんて一言も言ってない」

「ああ、そうだったな。それと」

 綺麗な所作で、亮が頭を下げた。姿勢を正し、背筋を伸ばした状態で。

 断じてお辞儀などではなく、意味するところは理解できている。

「ちょ、っと! 何のつもりよ」

「すまなかった。お前の両親を、侮辱したわけじゃないんだ」

「わ、分かっているから! ほ、本気じゃないというか、悪意があって、なんて」

「それでも、けじめはつけないと、な」

「な、何も要らないから」

 謝罪だけでよかった。それ以上望むべくもない。

 が、どこかで残念がっている自分がいるような気がした。

 亮が顔をあげる。

 朗らかな、見たことがないはずなのに、どこかで目に焼き付けたような笑顔だった。

 ずぐん、と胸が締め付けられるように痛む。

 堪える。鳴り渡る鼓動を、叫ぶ激情に答えるのは今ではない。

「なら、受け入れてくれるか。俺を」

「えっ……」

「信じて、受け入れてくれるか。共に、疑問を共有する者として」

「ああ…………うん」

 何だか、拍子抜けしてしまった。よくよく考えれば、〈灰絶機関〉とアルメリア王国の成り立ちに対して抱いている疑問を共有するのが目的だった。ベッドの上で大きくため息を吐いて、どさりと寝転がる。

「お、おい」

「寝かせて。色々、疲れちゃったから」

「そう、か」

「もう少し、だけ」

「なら、待つさ。落ち着くまで」

「いいから、別に。もう一人で帰れるし」

 本当は、ただの時間稼ぎ。煩いくらいに鳴り響く心臓を鎮めるための。

 どうして、こんな気持ちになったのかは今でも分からないし、あんな恥ずかしい言葉を口走ったのかも分からない。それでも、向き合わずとも心を突き動かす感情だけは自覚しなければならなかった。

 多分、私から意味を奪って新しい目的をくれた人を想う心を。

「あー……寝たままでも別に会話できるよな?」

「だから、別に待たなくてもいいって」

「こういうのは、あれだ。勢いも大事なんだよ」

「ふーん」

 一気に冷めてしまった。

 私はこんな男を見つめ続けていかねばならないのだろうか。

 いや。きっと、これも罪で罰なのだ。

 意志はなくとも生み出されてしまった技術には、奪われ得る理由があった。

 ならば娘である私が追いかけて見届けるべきなのだろう。一番近くで、一番に触れられる場所で、根源の経緯を知る者として選ばなければならない。

 ベリアル・ロスクロフトが造り上げられたモノの末路、その扱い方を。

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