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灰色の境界  作者: 宵時
第三章「争いを生むものを廃絶し、恒久和平を実現する」「貴様に世界は救えない」
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3-3 剥がれ落ちた無垢

 目覚める。いや、断続的に続く音に目覚めさせられた。

 薄っすらと就寝灯に照らされた部屋。

 音が聞こえる方向は机、椅子に座っている白衣姿の人間の姿が寝ぼけてぼんやりした視界に入る。

「ママ……?」

 私が小さく漏らすと同時に、鳴り続いていた音が止んだ。

 椅子のスプリングを軋ませて立ち上がった人間が近づいてくる。

 ゆっくりと私に寄せられた顔は無精髭の男。

 色褪せた金髪を右手でかき混ぜ、銀縁眼鏡の奥、鳶色の瞳を細めると申し訳なさそうな笑みを浮かべた。

「煩かったかな」

「あっ……ベリアル、おじちゃん」

「ごめんね、お母さんじゃなくて。お母さんにはずっと篭りっきりだから」

「うん」

 私は答えて、右手の甲で右目をこする。

 まだ眠い。色々とぼんやりとしている。

 靴音が響いて男、ベリアルの顔が上がった。

「ベリアルさん、まずは顔を洗わせないと」

「ああ、そうだね。でも」

「……私が連れていきます」

「ごめんね」

「いつものことですから」

 淡々と、事務的な口調で告げた者の手に引かれる。

 母親のような暖かく柔らかい感触ではなく、血の通っていない冷たく硬いモノ。

 条件反射で驚いてしまい、びくんと肩を跳ね上げて立ち止まってしまう。

 ベリアルと同じような白衣を着込んだ……声色からして、女性と思われる人物が口を開く。

「まだ、慣れませんか」

 問われて、慌てて首を振る。私と視線を合わせるべく屈んだ者の顔は包帯が巻かれ、素顔は分からない。

 包帯は右目があるべき部分まで完全に覆い隠していて、左目だけが赤みがかった黒瞳を晒している。

 また条件反射的に顔を背けてしまった。

 ふぅ、と隙間から漏れ出た息からは残念だ、という言葉が続きそうだ。

 急な浮遊感。地に足が着かない感覚と共に、体は上にあげられていく。

 膝の裏側に硬い感触と、暖かい感触が同時に当てられた。抱きかかえられている。

「幼い子に慣れろ、というのも酷な話でしょうね」

「ううん。だいじょうぶ、だ、よ?」

「強がらなくてもいいですから」

「……うぅ」

 やっぱり怖い。慣れる、慣れないの問題ではなく単純に接し方が冷たい。

 だが、パパとママよりは優しい。二人とも、ここにはいないから。

 抱きかかえられてまま、私は運ばれていく。

「ハルおばちゃん、じぶんであるくからっ!」

「…………」

 ひょい、と片手で抱えられてから、ぐににと頬をつねられる。

 いや、つままれる程度か。痛くはないが、冷たい感触がむずがゆい。

「ほ、ほめんなはい」

「私は、おばさんなんて言われる年齢じゃないと言ったでしょう」

「なんさい、でひたっけ」

 軽々と私を抱えている者、ハルが手を離してくれた。

 癒すように、ハルの冷たい手が頬を撫でていく。

 段々とはっきりしてきた視界に移った右手は、鋼でできていた。

「十六、よ」

「じゅうろくさい?」

「ええ。こんな風貌じゃ、そうは見えないでしょうけど」

 ハルは小さく唇だけで笑った。その意味は、私には分からない。

 改めて抱え直されて、そのまま洗面所へと連れて行かれる。

 間に通ってきた通路は狭く、大人が一人通れるかどうか。壁側には茶色のダンボール箱が積み上げられている。これから下敷きになるであろう、箱には細かい文字の並んだ紙束が押し込められていた。

「さあ、顔を洗ってしゃきっとしなさい」

「はぁい」

「返事は短く、明確に」

「……はい」

 やっぱり怖い。洗面台の前に立ち、台に乗って蛇口の近くにある赤色のレバーを手前に引く。

 勢い良く水が出て、すぐに暖かいお湯へと変わった。

 ばしゃばしゃと音を立てて洗う。すっ、と差し出されたタオルを手にとって顔を拭く。

 水道のレバーを元に戻してから、優しくハルの生身の左手がタオルの上から私の顔を拭いてくれる。

「ほら、綺麗になった」

「うん」

 答えて顔をあげた。ハルの左目が細められる。しゅるり、と包帯がほどけた。

 隠そうと咄嗟に手で掴むも、見えない意志に引っ張られるように次々と解けて素顔が露になる。

「きゃ……」

 悲鳴を口にしかけて、口を塞ぐ。自分でも何故そうしたのかは分からない。

 何の意味があるのか、どんな感情が作用したのか。ただ、いけない気がした。

 私の心情を察したように、素顔のハルが微笑んだ。とても、悲しそうに。

「……偉いな」

 取り繕うわけでもなく、取り乱すわけでもなく。

 私という存在を尊いと感じ、慈しむように接してくれる。

 いけないこと、ではなく受け入れるべき現実なのかもしれない。

 決して触れてはいけないのではなく、いつか触れても仕方のない事実。

 この世界に乱雑に散らばる現実。

 黙々とハルが包帯を拾って自らの顔に巻いていく。焼け爛れた皮膚が、右目があるはずの空洞が、赤銅でできた鼻梁が、ジェルのようにぶよぶよした補強材が盛られた頬が隠される。

「だいじょうぶ、なの?」

「貴女が気にする必要はありません」

「でも……」

「そう。だから、貴女には見せたくなかった」

 きつく包帯を巻き終えたハルの声は哀情を滲ませていた。

 触れてはならない部分なのだろう。何故か、こんなに幼い私でも察せられた。

「あらあら、間抜け女がついにやっちゃったのかしら?」

「……貴女には関係ありませんから」

「つれないねぇ。私と貴女の仲じゃない」

「道徳心も倫理観もない貴女と分かり合おうとは思いませんから」

「ひっどぉい! 酷いよねぇ、リオンちゃん」

 私に振られても、ようやく言葉を理解し日常会話を支障なく話せるようになった私にどんな答えを期待しているのだろう。口を挟んで来たのは、桃色のロングヘアに白シャツだけ、というあられもない姿の女性。

 腕を掲げて伸びをしながらのあくびで、シャツの裾が持ち上がり紫色のショーツが見えた。

 ハルがわざとらしく咳をする。

「服を着てください、ブリズ」

「やぁよ。なんでハルちゃんの言うこと聞かなきゃいけないのよぉ」

「幼い子供の前で恥ずかしいと思わないのですか」

「やだやだ、お堅い上にうるさいしぃ」

「……殴りますよ」

「怖い怖いー、すぐ手が出ちゃうんだからぁ」

 ブリズが鋭い碧眼を細めて首を振る。

 ハルに言われた通り、服を着るのかと思いきや、手はシャツの前部分へ伸びていく。

 上から一つずつボタンを外していき、一切の躊躇なく脱ぎ去ると、ばるるんと二つの宝玉が飛び出た。

 私がまじまじと現れたモノと、頭痛を堪えるように額に手を当てているハルを見比べる。

「おっきーね、ブリズおねえちゃん」

「でしょー。下着とかつけてると窮屈なのよね。絶壁女には分からないだろーけど」

「……なんの、つもりですか」

「ほら、怒らない怒らない。シャワー浴びるだけよぉ」

 どいたどいた、と手を振ってブリズは裏返しになったシャツを床に投げ、最後の一枚も乱雑に脱ぎ捨てると、そのまま浴室へ入ってしまった。ブリズの抜け殻を見てハルが叫ぶ。

「せめて下着くらい片付けなさいっ!」

「あー、とー、でー」

 間延びした返事が返ってくるだけだった。水音が響く。

 いつも通りの、私にとっての日常的な〝家族風景〟だった。

 ベリアルが父親で、母親はハル。さながらブリズは姉といったところか。

 思わず、小さく鼻で笑ってしまう。

 ぬぅ、と目の前にハルの顔が現れた。

「何が、おかしいのでしょうか」

「べ、べつに」

「いえ。絶対に思ったはずです。小さい、と」

「別に大きさなんて気にしないよ?」

 私とハルの視線が上がる。浴室に繋がる廊下にベリアルが立っていた。

 堂々と両手で女性物のブラとショーツを抱えて。

「ベリアル、さん……」

「や、余りに遅いから、さ。後ね、どうせブリズは用意してないだろうから――」

 風切音が響き、放たれたハルの鋼の拳がベリアルの顔面に向かう。

 私は両手で顔を覆い隠すが、鈍い音も痛みを叫ぶ声も聞こえなかった。

 恐る恐る目を開けると、ハルが寸前で拳を押さえている。

 自らの左手で、右手の拳を止めていた。ベリアルが小さく息を吐く。

「ふー、危ない危ない」

「…………ごめん、なさい」

「あんまりカッカしてちゃ駄目だよ。ブリズよりも一つお姉さんなんだから」

「……はい。できるだけ、気をつけます」

「うんうん」

 よしよし、と痛みに泣く子供をあやすように、ベリアルはハルの頭にぽん、ぽんと手を置いた。

 私はされるがままのハルをじっ、と見つめてベリアルを見上げる。

「ん? リオンちゃんも〝いいこいいこ〟かな?」

「ううん。その、ハルおねえちゃんのからだ……」

「ああ。うーん……でも、ね。君には早すぎる」

 見てしまったことを、記憶を消すことは簡単だ。より強い刺激で塗り潰してしまえばいい。

 今まで通り、ハルの包帯の下に隠されたものは、見なかったことにすればいい。

「と、とりあえずリビングの方に行こうか」

 ベリアルに促され、私とハルは狭い廊下を歩いていく。

 焼け爛れた異形の顔に対して、恐怖よりも純粋な好奇心の方が勝っていた。

 分け隔てない知的欲求は、研究者である両親の影響なのかもしれない。

 リビングに着く。廊下と同じように、そこらに資料の詰まった箱や、よくわからない機械が詰まった鉄製のケースが押し込まれるように収納スペースに並んでいる。

 ハルにリビングにある、壁際に設置された食卓用の机に備えられた椅子に座らせてもらう。

 幼児用の高椅子が一脚、大人でも青年少女でも座れる汎用の椅子が三脚ある。

 私の隣にハルが座り、対面の壁側にベリアルが座った。

「ベリアルおじちゃん、おとうさんとおかあさんは、なにをしらべているの?」

「何を、か。とても、大事なことだよ。人間が、人間らしく生きるために」

「にんげんらしく?」

「ああ。ハルの体を、元通りにする方法を探しているんだ」

「ふーん……」

 よくわからない。言葉の意味するところが。

 包帯で覆われているし、眼球を一つ失っているが、ハルの肉体に問題はない。

 確かに異常といえば、鋼の右腕や肉以外のモノで補われた部分はおぞましいが。

「ベリアルさん」

「分かってる。この子には話せないからね」

「ですがコッペリア氏とフランツ氏は当分……」

「だいぶ熱心、だね。多分、試行実験の結果が出ないことには戻らないだろうな」

 言葉だけが流れ込んで来る。私が意味を解するかどうかは関係なく。

 なんとなく、まだ両親とは離れ離れのままなんだな、と思った。

 私がどうして預けられているのか。それも、こんな研究室の一角で。

 思ったままの疑問を私は口にする。

「ねぇ、ベリアルおじちゃん。わたし、いらないの?」

「そ、そんなことはないよ。ただ、お父さんもお母さんも研究が忙しくてね」

「どうすれば、むかえにきてくれるの?」

「それは……」

 ベリアルが沈黙する。ハルの顔を見ても、小さく首を振るだけ。

 そんなに時間のかかるものなのか。

 それとも、子供のことなど気に留めなくなるくらいに魅力的なものなのだろうか。

 両親は、ここにいない。私を預けて、何かの研究に没頭している。

 ばたばたと慌しい足音が聞こえてきた。濡れた髪を馬の尻尾みたいに黒いバンドで一まとめにした少女。

 爛々(らんらん)と碧眼を輝かせたブリズは、紫の下着のままベリアルの隣に座る。

 私の背筋に冷たいものが走った。

「ブリズ」

「あ、ベリアルさん。ブラとか用意してくれて、ありがと」

「どう致しまして……って服を着なさいっ」

 ベリアルが慌てて視線を逸らし、頭を壁面にぶつけて苦悶の声をあげる。

 私は恐る恐る隣に座るハルを見た。何かを抑えているように、肩を震わせている。

「いい加減に……」

「いいでしょー、減るもんじゃないしぃ」

「お、女の子が言う台詞じゃないから」

「へー、そのカラダで〝女の子〟のつもりなんだ」

「……どういう、意味ですか」

 空気が冷えていく。ただの言い合いではない。

 ブリズの顔から笑みが消えて、碧眼がハルの隻眼を捉える。

 ベリアルが痛みを飛ばすように頭を振って、睨み合う二人の顔を見比べた。

「やめるんだ」

「ベリアルさん、この女は……」

「やめろ、二人とも」

 いつもと違う、強い口調でベリアルが制止する。

 ブリズが舌打ちして立ち上がり、廊下へと歩いていく。

 ハルは吐き出したい言葉を抑えるように唇を噛んでいた。

「ごめんね、リオンちゃん」

「ベリアルおじちゃんは、わるくないよ」

「いやいや、服まで用意しなかったからね。抜けてたよ」

 あはは、と渇いた笑いをもらす。

 分からなかった。何故ベリアルが謝罪しているのか。

 何故ブリズは自ら望んでハルと衝突しているのか。

 ハルが何故機械混じりの体をしているのか。

 いかなる方法でベリアルはハルの肉体を修復しようとしているのか……。

 私は、どこだか分からない場所から湧き出る〝知りたい〟欲求に支配されていた。

 同時に両親は取り()かれてしまったのだ。

 人間が、人間らしく生きられるように生み出された方策に。

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