3-2 フラッシュバック
熱い流水を浴びる。いつものようにシャワールームで思考に没頭していく。
爽やかな気持ちで一日を過ごすための行為が、まとまらない考えを凝り固めるための逃避になっている。
与えられ植えつけられた言葉を全部洗い流してしまいたいと願ってしまう。
だが、深い場所まで根付いた言ノ葉は抜けることなく、じくじくと断続的に痛みを生み出す。
私の気持ちなどお構いなしに、世界は当たり前のように日をめくっていく。
〈灰絶機関〉のメンバーは、誰もがこんな言いようのない気持ちを抱えて日々を送っているのだろうか。
私には、未だに人を殺しておきながら生活できる気持ちが理解できない。
そう言ってしまえば亮も十分に理解できない存在なのだが、何故だか憎み切れずにいる。
理由は分からない。だが、私の中の何かが叫んでいる。
恐らく、〈死神〉の称号が関係しているのだ。
内側から響く声も、私の知らない映像も、理解できない行動原理も全部それから湧き出してきたものだ。
そもそも千影は何のために私に称号を渡したのか。
今となっては〝両親が殺害された真実を探るために〟〈灰絶機関〉へ加入したことさえ後付の理由に思えた。
亮は言った。私と似ている人物を知っている、と。
多分、それは亮が〈灰絶機関〉にいる理由ではじまりのきっかけを生み出したものなのだろう。
セラがクレスを憎み、クレスが断罪のために命を投げ出す悲しき物語のように絶望の淵に落ちた因子。
だからといって、他者の命を奪っていいとは、私にはどうしても思えない。
生き方を決めるのは当人の権利であって、死に方もまた当人が選ぶべき結末を全うするべきだ。
とはいえ、自ら殺されるような生き方を許容する気もないが。
いや……違う。違うのだ。〝以前はこんな思考回路をしていなかった〟はずだ。
意思と意志が重ならず、どこからか紛れ込んだものが混線している。
不純物、とは言わないが言葉に形容し辛い違和感が常に付きまとっていた。
それもまた、私の知りたいもので、だからこそ最初に亮とコンタクトを取った。
「何が、したいんだろ」
暖かい流水が薄い胸を伝い、腹へ流れ落ちていく。
下腹部に刻まれた忌まわしき印。クレスやセラが必要だと断言した呪いの証。
一人の魔滅者とたった一人の〈渇血の魔女〉が選んだ道は、世界の裏側の黒い部分を歩くことを余儀なくされた決して明るくない未来へと繋がっている。
「死にたくないなら……」
そう、死にたくないならば死なないための力を求めるしかなかった。
それは分かる。クレスは〈白の死神〉を得なければハインリヒに殺されていただろう。
セラも〈黒の死神〉の力がなければ死ぬまで実験動物として扱われていただろう。
だが私はどうだ?
私は望んで力を得たのか?
本当に自分の意志で来たのか?
私は何がしたいのか?
「ああ、もうっ!」
タイル張りの壁を殴る。
骨が軋み、痛覚がざわついて脳髄に信号を送るだけで何の意味もない自暴自棄な行為。
絶対的な、生死に関する忌避感がある。
何故こんなにも嫌っているのか自分自身でも分からない。
ただ、普通に世の中で生きている人間からすれば、当たり前の思考だと思う。
どんなに憎い相手だろうが、傷つければ、殺せば順々に罪は重くなる。
――罪を殺す。
「違う」
首を振る。もう、私は当たり前の日常には帰れないのかもしれない。
どれだけ装っても、聞いた情報は染み込んだ世界の裏側は拭い去れるものではない。
だから、〈灰絶機関〉の面々は世界の裏側で、名前も知らない誰かのために調整された環境を生み出すのか。
それは本当の意味で幸せだと言えるのか。
――根源から、殺す。
「違う」
また首を振る。正しいとか、正しくないとか言っている場合ではない。
どれだけ繰り返しても答えなんて出やしない。
平行線の上に立っているから私と千影は、セラはクレスは交わることなく互いの言葉の刃を打ち鳴らすだけ。
〈死神〉の力を必要だと捉えるのか、不要だと捉えるのか。
〈灰絶機関〉が掲げる理念。法律で裁かれぬ罪を滅し、根源たる人間が持つ衝動を恐怖によって押さえ込むという名目で繰り返される殺人は誰に裁かれることもない。正当化され、推奨され恒常的に行われる。
だが、実際に執行者の中には少しずつ蓄積されていく。
そしていつか……弾け飛ぶ。
「でも、受け継がれる」
ああ、体が熱い。知らず水流の温度調節バルブを捻り過ぎていた。
咄嗟に逆に回して、急激に冷えた水が私の体を打ちのめす。
「ひゃっ」
思わず漏れ出た声。誰も聞いていないのに、妙に恥ずかしくなる。
精神は乱れているが、反射神経は冷静に働いて水量の調節バルブを閉めていく。
さらに大きく首を振って雫を飛ばし、浴室から出てかけていたバスタオルを頭から被る。
一つ、二つとくしゃみをし、身震いした。
「うぅ……」
漏れ出たものを水気と一緒にバスタオルで拭い去る。
そのままバスタオルを洗濯機に放り込んで、下着に手を伸ばす。
はいて、ホックを止めて制服を身に着ける。
「〈死神〉の力」
私と亮を引きつけたもの。
二十歳の誕生日に必ず死を迎える、クラッドチルドレンの呪いから解き放たれる最短の道。
たった一人だけの犠牲で成り立つ方策。
幾度となく繰り返してきたことだが、そんな道は選ばない。
ただ、もっと大事なものがあるのではないか。見落としていることがあるのではないか。
「確かめないと」
二度目の決意。多分、そう願われているはず。
――疑問を抱えているのは、お前だけじゃない。
あれは、亮自身も疑念を持っていることを示唆しているのか。
私一人で抱え込むには大きすぎる。そして、重すぎる。
ある意味では、セラは千影を神聖視することで、クレスは自らの信義を貫き通すために必要不可欠なものだとすることで目を逸らしているのかもしれない。代々の〈死神〉を憑き殺し、技術や能力を吸い取って新たな宿主を探す正真正銘の呪いを。
そんな思考回路も、本当に知りたい情報から遠ざかっている気がする。
「いっそ、亮に話してしまえば……」
いや。それは、できない。
吐いてしまえば、一緒に千影に対する憎悪も漏れ出てしまう。
両親を殺した理由を問いただす。
だが、仮に真実に辿り着けたとして、私は。
「どう、なるんだろ」
これこれこういう理由で殺害しました。
そう言われて納得できるのか。いや、知ったところでどうするのか。
頭の中で、何かが弾けた。
大きく首を振って、ばちんと両手で頬を叩く。
忘れよう。今は疑問を解き明かす方が先だ。共有する方が先だ。
「何か、何かが繋がるはず」
絶望の淵に立って、底のない闇を見下ろしている。
見えないところに何があるのかなど、誰も知るはずがない。
平静を装い、笑顔の仮面を被って阿藤学園の門を潜り、歩く。
私の名前も容姿ももう全生徒に知れ渡っているようで、すれ違いざまに握手やらサインやら求められた。
相変わらずアルメリアの風習には慣れない。
途中でクレスを見かけたが、向こうは見事に溶け込んでいるようで笑顔で応対し黄色い悲鳴に包まれていた。
私も見習うべきなのだろうか。
違う。私は日常側に戻りたい。
世界の命運など知らない。平和を守る調停者になれる、なんて傲慢さもない。
ただただ理不尽に押し付けられたものを、不条理の辻褄を合わせたいだけ。
強要されなくても、当たり前の日常を受け入れる。
「やあやあリオン嬢、今日も凛々しいですな」
背中からの声に応じて立ち止まり、振り返った。
明るい笑顔を振りまく刃助と、柔和な笑みを見せてお辞儀した遥姫。
そして亮が私と目を合わせた瞬間に顔を背けた。癇に障る、が努めて笑顔を保つ。
「お早う、刃助」
「お早う御座います。おや、具合でも悪いのですかな」
「えっ……ううん、大丈夫、だけど?」
「ならば、よいのですが」
ちらりと刃助が亮を見て、肘で小突く。何かあったのか、とでも問いかけているように。
亮は小さく頭を振ってから無理矢理作り上げたような笑顔を貼り付けて顔をあげる。
「お、お早う」
「お早う。今日も姫と仲よさそうで何よりね」
「ちがっ……」
取り繕うように手を振る亮を見て、遥姫が表情を曇らせる。
亮も気付いたようであたふたとしながら言葉を探す。
こうしていると本当に〝普通〟なのだが、亮から言わせれば間に合わせの仮面に過ぎないのだろう。
だが、クレスとセラとの間にあるものを聞いた今では何も言えない。
綺麗事で、自らの手を血に染めたことのない人間だけが吐ける戯言だと気付いてしまったから。
それでも言いようのない不快感が湧き上がってくる。
セラがクレスに対して抱いた激情と同じものかもしれない。
選べた結果を選ばず、霧を食べるような夢物語を囁き、実現できる力もなかった。
そんな半端者のせいで失われてしまった命。失ってしまったモノ。
自分が許せず、最悪の結果をもたらした他人をも許せなかった。
だから、二度と間違えないために、力の方向性を誤らないように見張る。
私は、何のために亮に近づきたがっているのか。
「本当に、大丈夫ですかな?」
「ひゃっ」
また柄にもなく変な声をあげてしまった。
目前に迫っていた刃助から逃げるように跳ぶ。
刃助は私の反応に小首を傾げ、目を丸くすると何かを察したように、にんまりと笑う。
心の奥底を、抱えているものを見透かされているような。
「ふむふむ、なるほど。そうですか」
「ど、どうしたのかしら?」
「いえいえ、動揺せず普段通りにして頂いて構いませんのですよ、リオン嬢」
「べ、別に動揺してなんて……」
何故、こんなにも必死になって拒絶しているのだろう。
やけに顔が熱い。私自身の心臓が脈打つ鼓動がうるさく頭に響いている。
騒ぎを聞きつけて、続々と生徒達が集まってきた。気を持ち直して笑みを浮かべる。
「大丈夫だいじょーぶ! ちょっと寝坊しちゃって朝ご飯食べられなかったから」
「だったらほら、丁度ここにおにぎりが!」
「いやいや、俺がさっき買……いや、ご用意したサンドイッチでもっ」
「飲み物はここにありますから!」
生徒達が波のように押し寄せてくる。
流される形で、押し合いへし合いされながら次々と差し出される食べ物に苦笑いを浮かべつつ、いくつか受け取った。好意に甘えて、というよりは無理矢理会話を断ち切るために利用した後ろめたさが強く出てしまう。
余り、亮を糾弾できるような立場ではなかった。
誰にでも見せたくないものがあって、仮面で覆い隠す。
たまたま亮と私は共有できる立場にあるだけで、ほとんどの場合は一緒の場所にはいられない。
私は、色々なものを知らないでいた。今も知らないことの方が多い。
何の対価もなしに情報だけを掠め取るのもまた卑怯に思えた。
クレスとセラが、包み隠さず互いの恥部を、感情のあるがままを曝け出したように。
それでも私は引けない。今更止められるはずもない。
引きつった笑顔で心を覆い隠しながら、私は万力で締め付けられるような頭痛に耐えた。
教室。私の席。午前中の授業はほとんど頭に入って来なかった。
昼休みの間に亮を捕まえて、去り際にこぼした言葉の真意を問いただそうと思ったが、生徒達に囲まれて朝の一件を根掘り葉掘り聞かれる始末。自分が撒いたモノとはいえ、少しだけ亮に同情した。
だが、こんな日常を煩わしいと思ってしまえば、私も同化してしまう。
表側の人間ではなく、裏側の人間になってしまう。
奈落よりも深い闇へ堕ちてしまわぬように、平和というものを確かめて噛み締めて実感しなければならない。
それが千影による条件付けだとしても。
どうにも頭にもやがかかったように、色々と無為なことを考えてしまう。
瞬く間に昼食の時間も過ぎて、生徒達が散り散りになる。
「はい! じゃ、文化祭メインの演劇について。進捗状況を確認するぞぉ」
刃助が声を張り上げて取り仕切っていく。
彼は見かけによらず、だいぶ賢い。賢い、というよりは勘が働く、というべきか。
人間が持つ様々な情動を、まるで匂いでかぎ分けているように的確に調べ上げる。
面白い、と評価していたが今は怖い。
私の中の、隠しておきたいものを引きずり出されそうで。
ぼぅ、と私は議会の様子を眺める。
「その、とりあえず脚本書いてきたんだけど」
「早いな! どれどれ……って、ヲイ。なんでクレス殿が出てるんだよっ」
「いや、それは、その、ね?」
「小首傾げても可愛くないわ!」
「ひどいっ!」
青ざめた刃助が遠慮のなく、口角から泡を飛ばしながら叫び、女子生徒から一斉にブーイングを浴びる。
どうやらアルメリアで言う〝淑女の嗜み〟である絡みが描かれているらしい。
相変わらずよく分からないが、教壇で仕切っている刃助に向けて色々なモノをぶん投げている。
彼女達の気持ちはよく分からない。
まだ頭が、脳髄が縄で緩やかに締め上げられているように痛む。
熱でも出ているのか、視界が歪んできた。
刃助がプロジェクターを通して映し出した文字列が独りでに歩き出している。
行軍するように軍勢をなし、軍靴の足音が聞こえてきたところで肩を叩かれる。
「……う、うぅ」
「大丈夫か?」
ぼんやりとした、輪郭のはっきりしない顔。だが分かる。
声ではなく、もっと根幹に存在する〝何か〟が囁きかけている。
左の脇腹が痛む。刻印が疼いている。
別段、特別な感情を抱いていないのに呼び合っている。
分からない。法則がわからない。
肩を掴まれたまま揺り動かされるが、対した反応を示せずにいた。
「刃助」
「おー、なんだ。珍しいじゃないか、来々木卿」
「爵位持ちでもないし、アルメリア人は東洋系だろうがっ!」
「ありゃ、リオン嬢は大丈夫?」
「分かってるなら茶化すな。保健室へ連れて行く」
ゆっくりと、手が私の頬を撫でていく。
優しく、労わるように触れた手が素早く引っ込められた。周囲の声がうるさい。
浮遊感。ああ、担がれている。
首の後ろと、膝の裏側に無骨な男の手が触れて持ち上げられた。
一歩ずつ動く。さらに温度を増していく謎の熱にうなされるように、自然と唇が言葉を紡ぐ。
「あり、がと」
「黙れ。舌を噛むぞ」
酷かった。それは心配の裏返し。
脳味噌を揺さぶる気持ち悪さは遠のいて、私の意識が沈んでいく。
高く厚い雲を突き抜けて、成層圏から闇の世界へ。そして海溝の狭間へ。
流転して、より後ろ側へとはまっていく。
私が、まだ〝普通の人間〟だった頃の記憶が蘇る。




