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灰色の境界  作者: 宵時
第三章「争いを生むものを廃絶し、恒久和平を実現する」「貴様に世界は救えない」
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3-1 魂を喰らう憑き神

 来々木 亮の家。内装は華美でもなく、かといって質素すぎるわけでもない。

 必要最低限の物品が、特別気を配る風でもなく配置されているような感じ。

 もっといえばモデルルーム的な、おおよそ人間が生活しているようには見えない綺麗さがあった。

 母親を事故で喪い、父親までも殺害され奪われてしまった同い年の少年。

 私の、リオン・ハーネット・ブルクの心を揺さぶり、知らないどこかから呼びかけている声が欲している存在。

 分からない。

 私が何故、こうなってしまったのか。

 こんなにも〝潔癖すぎる〟善性の妄信者になってしまったのか。

 鼻腔をくすぐり、抜けて臓腑まで染み込むコーヒーの香りがやけに苦く感じた。

 私でさえも、クレスの思想は幼すぎると思う。

 それこそ、まだ何も知らぬ童心のまま、絶対的な正義が悪を完全に討ち滅ぼすことを信じ切っている。

 あどけなく、幼稚で真っ直ぐすぎる正義観。

 自分がそうなれると、なろうとして結局ぜんぶを失ってしまった。

「……おかしいよ」

 頭を下げて、私の目線は一口も飲んでいないコーヒーカップへ。

 前を、皆の顔を見ることができない。視界が歪み、像はゆらゆらと揺れ動いて安定しない。

 何故こんなにも息苦しく、辛く、悲しいのか分からない。

 多分、三人の視線が私に向いている。

「何が、だ?」

 静かに亮が私に問いかけた。

 色々な意味合いを含みながらも、私を案じているような声色。

 いや、本当に心配しているのは私ではなく〝彼女〟なのだろう。

 映像の中でしか知らない、だけど知っている亮の幼き泣き顔を。

 ぐちゃぐちゃにし涙を溜め込んだ瞳に移り込む鮮やか過ぎる紅の花を、咲かせた少女を見ている。

 ふっ、と息を吐いて私は思うままを言葉にしていく。

「私は、そんな呼びかけなんて、されてない」

「〈死神〉の引継ぎについてか? それとも〈死神〉が存在ごと称号保持者を食うことか」

「両方、よ」

 亮は淡々と繋ぐ。私の知らぬ〈死神〉の称号がもたらす災厄をさらりと口にした。

 もう、驚きはしない。

 セラが語った〈黒の死神〉と〈白の死神〉を引き継いだ瞬間に交わされた言葉は、私が受けた文言とは別物だ。

 突き刺されるような感覚に涙をこぼし、視線をあげる。

 じっと、セラの冷たい碧眼が私を捉えていた。

女の私から見ても脳髄を痺れさせる、神造の唇が動く。

「何故、貴女が涙を流すのです? (わたくし)はあったままの事実を語っただけです。

いずれ訪れる廃滅の運命を、卑しくも逃れるために魂を売り飛ばした愚かで滑稽な

顛末を、嘲笑うことすれ嘆き悲しむ思考回路は理解し難い」

「貴女も、彼も、当たり前の幸せを見つけられるはずだった、のに」

「何を聞いてきたのですか。〈渇血の魔女(わたしたち)〉には〝普通〟など(ゆる)されません」

「〈渇血の魔女〉の力を恐れた人達が勝手に言ってるだけでしょ?」

「人の意志など、多数に塗り潰されるものです。そこに正邪の方向性は含まれない」

「おかしいよ、絶対」

「信じようと、信じまいと貴女の自由です。ですが、勘違いしないで欲しい。私は〈死神〉に

見初められたことも、クラッドチルドレンであったことも不幸だとは思いません。千影様が

私を、この生存することすら諦めた、生き蠢く(むくろ)を刃へと変えてくださった」

「だから使い潰されて構わない、と? 貴女も亮みたいに、自分を道具扱いするの?」

「貴女は普通に過ぎる。私達とは、圧倒的に棲む世界が違う。

貴女の行動原理も、思考論理も、情動整理も何もかもが矛盾し破綻している」

 一言一言が鋭く激しく私の皮膚を食い破り、臓物に突き刺さり血を流す。

 単純な戦闘能力では勝てない。言葉での殴り合いでも敵わない。

 平時であれば、平穏な世界であれば是とされる言葉も届くことはない。

 当たり前だ。彼ら彼女らは長きに渡り、誰にも知られぬ理解されぬ空間で生きてきた。

 亮は、十年前から戦い続けていると言っていた。

 セラは物心ついた頃には人間に追われていた。

 それも、あるかどうかも分からない永遠への切符、未来永劫を生き長らえる不老不死を求められて。

 クレスは自らの甘く幼い信念を貫き通そうとした結果、信じてくれた仲間達を全て喪うことになった。

 それも、最後は〈死神〉の力に縋って。

 私は、どうなのだろうか。

 セラの視線が、亮へと向けられる。

「貴方も理解したでしょう。同じ〈死神〉を受け継いだものならば」

 瞼を閉じたまま、亮が小さく息を吐く。

「……俺とも、ケースが違う。てっきり、称号は認証があって受け継がれる

ものとばかり思っていたからな。まさか、そういう仕組みだったとは」

 亮にとっては、遠距離で称号を引き継ぐ行為そのものが初耳らしい。

 両親を失い、後ろ盾を失った私は庇護を買って出た千影に付き従い、これ幸いと真相に近づくために〈死神〉の称号も受け取り刻まれた。直接受け渡しを行ったとはいえ、微妙な差異が生まれている。

 仮に千影に問いかけたとしても以前の話しぶりから、真実を語ることはないだろう。

 あの性格からすれば知りたいものは自分で掴み取れといいかねない。

 現に私は、誰にも内側に秘めたものを打ち明けることなく、ここまで来た。

 ひとりでに私の唇が言葉を生み出す。

「私も、直接千影さんから渡された。私に相応しい、必要な力だって」

「……なら、奴の魂は肉体を失った後で迷っていたんだな」

「えっ?」

 思わず問い返す。亮の呟きは、私の前の称号保持者を知っているような口ぶりだった。

 だが、繰り返すことなく亮が言葉を連ねる。

「クレスがセラと……〈渇血の魔女〉と戦っている間、

俺達は〈聖十二戒団(ホーリー・ツイスター)〉と戦っていた。

師匠もあの場所にいて、晴明さんと戦っていた」

「嘘……あの二人って」

「ああ。敵同士だったんだよ。まぁ、今の関係に至る過程を聞くのは野暮ってものだ」

 どうせ話してくれないだろうしな、と愚痴みたくこぼして、さらに亮が続ける。

「〈灰絶機関〉と〈聖十二戒団〉はそれぞれアルメリアとイージェスの王族に連なる

実行部隊だ。活動内容も似通っていたし、汚れ仕事も似たものを担当していた。

ただ一つ違いをあげるとすれば、連中が全てを滅するのに比べ師匠は有用なものは

敵であっても取り込む点、か」

「どうして、平然としていられるの?」

「お前はあたふたしている俺を見るのが好きなのか?」

「いや、茶化しているわけじゃ……」

 亮の茶褐色の瞳が冷たく暗い色合いを見せている。

 深淵の底を見ているような、吸い込まれてそのまま堕ちて這い上がれない感覚を得た。

 ぞくり、と背中を冷たいものが流れ落ちる。

「人間が獲得する情報は、その全てが少しずつ磨り減っていく。どんなに美味しい

食べ物でも繰り返し同じものを食べ続ければ飽きる。最初は悲しみ嘆いていても、

いつしか何も感じなくなる。人を殺す感覚も、罪悪感も喪われていく。それでも」


――奪い、喪う瞬間は慣れない。


 そう亮の唇は発音しているように見えた。だが、声としては伝わっていない。

「お前に話しても分からないだろうが、な。俺は八千姉……いや、神坂 八千翔(やちか)から直接、託された。

俺は迷わず受け取った。〈聖十二戒団〉を倒すために、奴を殺すためには力が必要だった」

 淡々と告げて、亮がクレスの顔を見た。

「なぁ、クレス。二代目の〈白の死神〉にはどう言われた?」

「……最初は、男の声だったんだ。軽い感じで、でも強い意志があって」

「はっ、青璃さんらしいな」

「あの人が……そう、か。僕は……」

 クレスが驚いたように目を見開く。蒼い瞳には悲哀の色が濃く浮かんでいた。

 恐らく、ハインリヒとの闘争に意識を持っていかれていた影響だろう。

 知っているはずの声が、知らない。知らないはずの声を知っている。

 そんなこともある。

 記憶は磨耗する。あらゆる感覚も、繰り返し刺激されれば反応が薄くなる。

 分かる。頭では理解できる。

 それでも、ヒトの死を軽んじることなど、私にはできない。

 いや、クレスもセラも亮も、決して軽んじているわけではないはず。

 ただ、犠牲にしてでも掴むべきものがあって、優先順位が違うだけ。

 連綿と続く戦場という非日常で、一般人が持ちうる常識は失われてしまった。

 違う。その常識ですらセラの言葉を借りれば大衆が持ちうる善性の集大成でしかない。

 絶対的に正しいものなど、この世界のどこにもありはしないのだろう。

 私は首を振る。

 思考を止めて、喉奥からこみ上げてくる負の螺旋感情を口元で押し留めて飲み込む。

 別の言葉を吐き出す。

「……結局、ぶつかった壁をぶち破るためだったら、死んだ仲間も利用するのね」

「また、不毛で幼稚な議論を展開するのですか」

「分かってる」

「分かっていません。貴女がどういう事情をもって千影様から称号を賜ったかは

存じませんが、貴女のあり方は保持者として相応しくない。適合する気があるのですか」

「変わる気はないから。私は、誰も殺さないし殺させもしない」

「既に何度か、超越されているようですが」

 くすり、とセラは唇を歪めて嘲笑(わら)った。

 そう、私は止められなかった。

 ピアスディによって薬漬けにされた人間を躊躇なく殺害する亮を止められなかった。

 人を殺さない、それ以外の方法を選ぶと言っておきながら私は何もできていない。

 情報に踊らされ、振り回されて今も混乱しているだけ。

 妖艶に笑ったままのセラと視線をぶつけ、火花を散らす。

 が、意味はない。ここで戦う気はないし、戦ったところで得るものはない。

「何なのよ。〈死神〉って、称号保持者って……」

 全員への問いかけ。

 亮は小さく息を吐いてから首を振った。クレスは瞼を閉じるだけ。

 セラがあからさまに大きなため息を吐いて、最初に回答を出す。

「多少、受諾する際に条件の変動はあるようですが、ただの通り名ではありません。

明確に意志を持ち、精神に感応し得る何らかの固有術式……そう推察できるでしょう」

「聞いた情報をまとめると、称号を持っている人間全部の

能力を、それも身体能力まで受け継いでいるようだけど」

「一番効用を実感しているのは貴女では? それこそ、素人から〈死神〉と

対等に戦えるレベルまで身体能力、戦略共に向上しているのですから」

「べ、別に私だって何もしていなかったわけじゃ……」

「ウランジェシカで武器の試験テストをしていた、と。ならば知識だけは

豊富だったはず。使いこなす術は先代の保持者から受け継いで、使いこなしている。

余程相性が良かったのでしょうね」

「利用しているわけじゃないから」

「言葉遊びはたくさんです、人間。貴女が感じている通りです。〈死神〉の称号は伝える。

それまで知りもしなかった情報、得たことのない経験。だからこそ単体で万を滅ぼしうる

戦力となる。武による統制、殺害される恐怖による犯罪の抑止という千影様の理念を叶える刃」

「私は、使われる気も力を振りかざして従える気もないよ」

「人の心は変わる。抱いていたものを打ち砕かれ、真逆の神を信奉する」

 静かな攻防を繰り広げる。やはり、人と亜人は相容れない存在なのかもしれない。

 何度言葉を交えても互いの主張が重なることはなく、平行線を延々と突き進んでいくだけ。

 私と、他の〈死神〉三人とは死生観が違う。

 主目的が呪いを解くことではなく、あくまで〝灰色を絶滅させる〟こと。

 犯罪に対する抑止力となり続けることを目指し続ける。多少大事に抱えているものの違いはあれど、終わりのない戦いを繰り広げることを、他人の幸福のために一生を使い潰すことを是としている。

 そんな生き方でいいのか、と問いただしても頷きが返って来るだけだろう。

 切り口を変えることにする。

「……つまり、犯罪の抑止力となるためならばあらゆるものを利用する、と」

「それが千影様の望みならば」

「選びうる最適解だから」

「世界の調和に必要な力だ」

 セラ、クレス、亮と対岸にいる三人の言葉が並ぶ。

 セラはストラを殺害し、生命をもてあそぶ特薬機関を破壊するために〈黒の死神〉の称号を獲得した。

 クレスはストラの計画を利用し、〈渇血の魔女〉という種の保存を目指したハインリヒの抱く野望を打ち砕くために〈白の死神〉の力を行使した。

 亮は〈聖十二戒団〉との抗争に勝利するために力を欲した。

 そう、散々言い聞かされてきたことだ。力自体に正邪の方向性は存在しない。

 誰かを助けるために使うか、それとも己の欲望のためだけに使うか。

 たとえ、操る力が人間の命を犠牲にしているのだとしても。

 ふと顔をあげると、亮と視線が合った。じぃ、と私を見つめる。

「〈死神〉の力は想いの残滓だ。だからこそ、使う方向性は

見定めなければならない。無秩序な暴力であってはならない」

「方向性だけは、認める……」

「無念を残して滅するくらいならば、誰かのためになれた方が悔いなく逝ける」

 いちいち、私の弱いところを突いてくるから。

 亮の言葉は正しい。だが、源流ははっきりさせないといけない。

 〝何に使うか〟はこの際もう問題にするべきではないのだろう。

 それぞれが抱く信念のまま、正しく使われるのであれば何も文句はない。

 問題なのは〝誰が何のために〟〈死神〉の力を生み出したのか。どこから生まれ、始まったのか。恐らく、全てを知りえるのは千影……もしくは、〈灰絶機関〉を手駒として旧日本政権を滅ぼしたハル・マリスク・アルメリア。

 乾いた音が鳴り響く。手を叩いた亮が、ゆっくりと口を開く。

「この辺りで、切り上げないか」

 セラが瞑目し、夜の闇に溶け込むように静かに姿を消した。

 クレスが見送るようにセラのいた場所を見てから苦笑する。

「リオン嬢には辛い話だったかもしれないね」

「……構わない、から」

「あんまり、考え過ぎない方がいいよ?」

 最後まで私の身を案じて、クレスは立ち上がった。

 コーヒーカップを片付けようとする手を亮に制される。

 柔らかい笑みを残して「ご馳走様」とだけ言うと、そのまま振り返ることなく扉へと向かっていった。

 私も立ち上がって小走りに後を追う。

「疑問を抱えているのは、お前だけじゃない」

 無言で見送られ、扉を閉める瞬間、そんな亮の声が聞こえた気がした。

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