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灰色の境界  作者: 宵時
第一章「だから、俺は殺す」「それでも、私は殺さない」
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プロローグ

某サイト(とはいっても以前持っていた個人ブログですが)に掲載していた作品を現代の世情に合わせてリファインしたものです。

こちらに初めて投稿するので至らぬところは多々あるとは思いますが、よろしくお願いします。


 はらり、はらりと雪が花弁のように舞い落ちていく。

 落ちて、ゆっくりと紅に染まって溶け消える。

 吐く息は白く、うるさいくらいに鳴り響く心臓と、駆け上がる血の脈動が疼痛(とうつう)を覚えさせる。

 嫌になるほどの現実で、夢であって欲しいと願っていた。

 銀世界の中で一際目立つ真紅の花。そのめしべに触れている。

 俺の体はこんなにも熱いのに触れる手は悲しいくらいに、冷たい。

 白い大地を自らの鮮血で染め上げながら、俺に抱きかかえられた少女が微笑む。

「生きて。きっと、いいことがあるから」

 鼓膜を打つ声はかすれて弱々しい。それでも聞こえていた。俺には、聞こえていた。

 けたたましく鳴り渡るサイレンも、雪原を照らす赤い光も、集まってきた野次馬共の声も全部がぜんぶ、遠い。聞こえなくていい。

「……無理だよ。俺には、できない」

「だいじょうぶ」

 はっきりと、そう耳に脳髄に届いていた。染み込むように浸透していく。

 違う。そんな言葉なんて聴きたくない。意思を伝えるように、繋いだ手に力を込める。

 苦しそうに咳き込んだ少女の唇から、こぽりと血がこぼれた。

 新たな赤い軌跡を作りながら、言葉は(つむ)がれていく。

「いたい、よ」

「痛いだろうさ! だって、生きているんだからっ」

「……ね。お願いだから、やくそく、して」

「嫌だっ! そんな、別れの言葉みたいなこと」

 緩やかに温度を失っていく手を握り締める。

 強く、生命の鼓動を確かめるように、繋がり合っている絆を確かめるように。

 少女が握り返してきた力は余りに弱い。

 聞こえないはずの旋律を刻み、忍び寄るものを意識から遠ざけておく。

 だが、どれだけ振り払っても〝それ〟は一歩ずつ少女に近づいていた。

 血に濡れるのも構わず、抱えた体を胸に引き寄せて覆いかぶさる。

 降り注ぐ雪から、世界から全て隔てて閉じ込めていく。

 起こりもしない奇跡を祈り、ありもしない幻想風景を見る。

 現実は俺にどこまでも残酷で無慈悲な感覚を与え続ける。

 流出する命は止まらず、冷えていく体は重さを増して、それでも微笑む顔は白磁よりもなお白い。

「――ず、――こと、あるから」

 聞こえない。より強く発する音が遮っていく。

 視界まで歪み、最期の言葉は聞き取れずに。




 (まぶた)を開く。何度か目をしばたたかせていると、床を叩く硬い音が響いた。

 視線を移すと、鉄製の椅子に男が後ろ手で縛りつけられている。

 足をばたつかせても椅子そのものは床に溶接されているため動かない。

 タオルを噛まされ言葉を封じられた口で何事かを(うめ)いている。

 まだ残る鈍痛と残像を振り払うように頭を振る。ようやく意識が鮮明になってきた。

 左ポケットでバイブレーション機能が働き、振動を骨伝導で感じる。

 ほぼ条件反射で取り出し、発信元すら確認せず通話ボタンを押す。

『亮、どうした。何か問題でもあったか』

「いや、何も……」

『何度もかけたが、全く応答がなくてな。首尾は?』

「えっと……」

 曖昧な言葉で引き伸ばしながら現状確認。薄暗い空間、月明かりだけが頼り。

 辺りを見回せば木箱が大量に詰まれており、いくつか中身が覗いている。

 暗順応してきた両目で確認すると、どうやら缶詰らしい。倉庫か貯蔵庫か。

『薬でも盛られたか。しゃんとしろ』

「は、はい。すみません、師匠」

『全く。報告をあげろ。バイヤーから情報は引き出せたか?』

「あ、ああ……じゃない、はい」

 思い出した。

 視線をあげると、男のちょうど額に当たる位置に濡れ雑巾が吊るされており、一定の間隔で水滴が落ちている。

 じたばたしているのは、何とか雫から逃れようとしているからだろう。

 かなり古典的な拷問を施していたらしい。

 どうにもはっきりしないが、現状がそう説明しているのだからそうなのだろう。

 思考を止めて、携帯をオープンスピーカーに切り替えて床に置く。

 男へと近づき、固結びにしたタオルを外してやる。

「ざけんじゃねぇぞ、この糞餓鬼っ!」

「あー、うん。悪い」

「悪い、じゃねぇんだよクソッタレ。放置して居眠りこきやがってっ」

 解放した途端に飛び出してきた罵声に辟易しながらも、背筋に冷たいものが流れた。

 ついつい癖でモードを変えてしまった以上、通話先にも会話が聞こえている。

『……寝ていた、だと?』

「その、ちょっと疲れてまして」

大虚(うつ)けめ。さっさと終わらせろ、不快だ』

 怒気のこもった低い声で告げられ、沈黙。そう、目的を果たさねばならない。

 椅子の傍には全面開放中のアタッシュケースがあった。

 中には褐色の錠剤が詰まった袋が所狭しと並べられている。

 視線をあげて男を睨む。

 苛立つように土に汚れた靴で床を叩いているのは、別の理由もあるからだ。

 闇に沈み込むように思考が黒く染められていく。

 罵詈雑言を並べ立てる男を無視して歩き、床に放逐していた黒塗りの鞘を左手で拾う。

 右手で柄を握って、刀身を引き出す。

 喚いていた男も、これから何をされるかくらいは分かったらしい。

「お、おい小僧。そんなもん取り出して何する気だよオイ」

 鏡のように刀身に映し出された俺の顔は、酷く歪んでいた。

 悲しみではなく、哀れみでもなく、ただただ純然たる憤怒の色合いを見せている。

 左手に鞘をぶら下げたまま、男へと近づいていく。

「何を? お前はまだ自分の立場を理解してないのか?」

「あぁ? てめぇこそ何様のつもりなんだよ。然るべきところに出たら覚悟し、」

「〈灰絶機関(アッシュ・ゴースト)〉だ。〈紅の死神〉とでも言えば伝わるか?」

「ま、さか……なん、で俺、が」

 口上を述べると、一転して男は青褪めた顔で怯え始めた。

 唾を吐き捨てたい気持ちを抑えて、舌打ちだけで留める。

 連中は決まって同じ反応を返し、名乗ると同じように震え上がる。

 次にやることも、恐らく同じ。口角から泡を飛ばしながら男が叫ぶ。

「何で、俺なんだよ! 他にもヤク売ってる奴なんていっぱいいるだろうがっ」

「それを吐け、って言ったよな?」

「は、話す……アタッシュケースの中に手帳が入っててさ、そこに書いてるよ」

「無用心なことだな」

 低い声で答えてから俺は一旦、刀を鞘に納めて腰帯に差した。

 (かかと)を鳴らしてケースに近づき、(かが)んで新型ドラッグを無造作に放り投げながら探す。

 底辺りに革張りの手帳を見つけて、流し見で中を確認していく。

 裏用語で書かれているが、これまで幾度となく見たものだ。後で照合すれば読める。

「確かに。師匠」

『上々だ。落としてくるなよ』

「そんな間抜けな真似はしませんよ」

 強がってもバレバレで『どうだかな』と言い残して通話は切れた。

 俺は大きく息を吐く。

 男も安堵したかのように鼻から息を噴き出した。

「何を安心しているんだ?」

 手帳はポケットに仕舞ってから、俺は左手を鞘に添えて鍔を押し上げる。

 柄を握り、引き出した刀身が青白く光った。

 男の顔が恐怖に歪む。同じだ。空を切り、鋭い音を響かせてまた男へと近づいていく。

「まさか、捕まって警察に引き渡されるとでも思っているのか?」

「そ、そうだよ。捕まっちまったのは仕方ねぇ……だから」

「だから?」

 鸚鵡(おうむ)返しに問うと、男は驚いたように言葉を詰まらせた。代わりに続けてやる。

「物的証拠は揃っているし、指紋も取れるだろうから実刑は確実だろう。刑務所に入り、

服役して恐らく五年程度で出られるだろうな。刑罰が重くなったとはいえ、まだまだ甘い」

「そうさ、都市伝説みたいなお前らのお世話になることはないんだよっ!」

「……まだ、そんなことを言っているのか」

 ああ、やっぱり同じだった。歩みを止めず、男の前に立つ。

「お前が警察の世話になることはない。ここで死ぬからな」

「なん、だと? おま……今、なん――」

 逆手に持った刀を沈める。

 革靴など何の防御にもならず、鋼の刃に貫かれた男のつま先から鮮血が溢れ出す。

「ぎゃああああぁぁぁぁぁっ」

「やかましい」

 引き抜き、軽く振ってから刃を男の首筋にあてがう。

「お前の罪は確定された。そして、更正はしない」

「て、めぇ……立派な障害、罪だぞ!」

「〈灰絶機関〉だと、名乗ったはずだよな? この国の法律ではお前は生きているうちに再び世界に舞い戻る。

そして、同じようにばら撒く。お前がそうなっているように、禁断症状に喘ぐ連中にドラッグを渡し、

さらに多くの被害者を生み続ける。その連鎖だ」

 刃を押し当てたまま、眼前で宣告する。裁かれたところで、また同じ罪を繰り返す。

 ならば、新たな被害者が出る前に根源を滅ぼす。

「そんな、ことが」

(ゆる)されるとは思っていない。だが、お前は殺す」

 刃を引く。短い断末魔をあげた男の首筋から鮮血が噴き出す。

 飛沫が頬にまで飛ぶ。左手の甲で拭い、俺は刀を振ってから手近な布で血を拭き取った。

 鞘に収める。たった今、一つの命を奪った凶器を。

「俺達は、刈り取る。その罪を……根源から」

 何にもならない言葉を吐き出す。もう一度ドラッグの詰まったアタッシュケースを見る。

 憎悪をぶつけるように睨みつけると、油でもかけたようにまとめて発火し燃え上がった。

 紅く染まる世界に背を向ける。新たな、罪を探すために夜の世界へと一歩を踏み出す。

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