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灰色の境界  作者: 宵時
第二章「君には、僕を殺す権利がある」「死はいつも貴方のすぐ隣に」
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2-22 〝Death〟bless you

 意識が戻る。体から生命の源を、血液を抜かれ続ける不快感。

 視界にまず飛び込んできたのは両手を広げ、勝ち誇ったように高笑いをあげるストラの姿。その背後には巨大なモニター。


「ふっ、くく……私を利用しようとしていたとはねェ。やはりハインリヒ殿は食えぬ男よ」

「ずっと私達を、見ていたのですか」

「ああ、また〝死んで〟くれませんでしたねぇ。本当に仕方のない娘だ」


 ぎちり、と奥歯を噛む。ずっと忘れていた怒りの感覚が蘇り、感情の器を紅一色に染め上げていく。

 エピタフとウルクが死力を尽くしてエグザスと戦った姿を、アリエルとイージェスがオルトニアと共にマルガレッタを打ち破った姿を、全て安全地帯で眺めていた。

 持ちうる全ての力を使い果たし、無残に殺害されるところまで、余さずに。

 ストラの口角が上がった。

 愉快痛快爽快、あらゆる負混じりの笑みを唇の端に乗せる。


「ええ。だから言ったでしょう。今度こそきちんと死んでください、と」

「貴方の、思い通りになるはずがないでしょう」

「いえいえ、結果的には私の望むものは全て得られましたよ。亜人種の中でも最強と(うた)われた〈渇血の魔女〉に対してアークチルドレンは上手く機能してくれました。人間でありながら異端なる力を宿し、刻限つきの命を燃やす少年少女……クラッドチルドレン」

「……何が、言いたいのですか」

「ふっ、くくく。まぁ、見てみなさい」


 笑みを浮かべたまま、ストラは一歩体を引く。

 未だに機械に拘束されたまま、私は強制的に大画面のモニターを見せられる。

 赤い燐光が浮かぶ大地。

 既に〝血染めの(ブラッディ・ムーン)〟は発動しているのだ。

 エピタフの、アリエルとイージェスの、そしてオルトニアの血が捧げられ繋がった。

 人間を駆逐するための術式はストラにとって最悪の結末であるはず。ならば、何故そんな光景を見せ付けるのか。

 モニターから意識を外して周囲に気を配るが、特に変わった様子はない。

 私の血液が使われている以上、僅かでも繋がりを感知できるはず、だがまだクローン達が目覚める兆候はない。何も感じられない。

 もう一度モニターに視線を移す。

 右腕だけの、隻腕の〈渇血の魔女〉ハインリヒが立っている。

 クレスは、たった一人だけ残った敵対者は両腕でオルトニアを抱き締めていた。

『……こんな、結末は望んじゃいない』

『望もうが望むまいが、変わらぬ。力を持たぬ願いは結果をもたらさない。何も生み出さず、何も得られず、ただ失っていくだけだ。貴様のように、な』

『望まない』

『くどいぞ。すぐに我が術式は結果をもたらす。貴様ら人類を駆逐するために動き出す』

『望まないから、覆す』

『どこにそんな力がある? もう貴様には使い捨てる駒もない。我の〈失われし血晶(ロスト・プリズム)〉を打ち消した魔力も打ち止めだろう。抜け殻のような貴様には何の価値もない。失せろ』

『……ここに、ある』

 ゆっくりと、クレスはオルトニアの体を地面に横たえた。

 後一歩で勝てたはず……そんな無念さを感じさせぬ柔らかい表情。まるで、ただ眠っているだけのように見えた。唇からこぼれた血と、心臓に穿(うが)たれた穴さえ無ければ。

 そっと、オルトニアの頬を撫でてクレスが立ち上がる。

 右の脹脛(ふくらはぎ)にくっきりと刻印が浮かび上がった。

 透き通るように白い、六芒星(ろくぼうせい)が。

 ハインリヒの蒼い瞳が揺れる。

『なんだ、それは』

『答える必要はない。黄泉への手向けでも、教えてやりたくはない』

『何故だ。先程の風の刃で蓄積した魔力を放出しきったのではないのか』

『もう喋るな。僕の願いはたった一つだけ。理屈に合わぬものを覆し、不条理を滅ぼす』

 クレスの声には俗的な怒りや悲しみはない。凜としていながら冷徹で、深い絶望を感じさせる。事実、クレスを突き動かすものは、どうしようもないやるせなさだった。

 自らが信じていたものが全て崩壊し、代わりに与えられた〝何か〟


――その力が呼ぶ。死を招き、死を与え、死の淵へ叩き込む死の使い手……〈死神〉


 私の頭の中で声が響いた。首を振って、意識の外へ飛ばす。

 が、振り払おうとしても脳内で響き続ける。目の前のどうしようもない存在であるストラという狂気の演出者に対しての、静かな殺意が(うな)り声をあげていた。

『ああ、差し出そう。お前を殺せるのならば、今までの全てを切り捨てよう』

『……どこから、そんな力が』

『僕は、殺さねばならなかった。最初から、迷うべきではなかった』

 クレスとハインリヒの間には、もう会話はない。会話として成立していない。

 何かに怯えるようにハインリヒは確認を続け、クレスは全く取り合う素振りを見せないでいる。何をもって、クレスはここまで変化したのか。

 大切なものを失いすぎて壊れたのか、それとも度重なる喪失から来る憎悪が善性信仰までを上回ったのか。

 それ以外の、例えば脳髄の奥底で鳴り止まぬ声による支配か。

 ハインリヒが一歩下がって隻腕で虚空を叩き、波紋に様々な輝きを乗せながら告げる。

『敵意をもって牙を()くならば、最後まで敵として認めよう』

 〈失われし血晶〉によって引き出された力が形を持つ。

 クレスは答えずに、ただアークスレイヴァーを両手持ちで握り、構えるだけだった。

 よく見ると埃のような細かい粒子が浮かんでいる。いや、吸い寄せられている。

 まるで世界に散在する(わず)かな魔力まで余さず力を吸い取っているかのように。

『どんな絡繰(からくり)か知らぬが、確実に息の根を止めてやろう』

 告げてハインリヒが右手で風の刃を放つ。

 クレスは、ただ斬った。かき消える。続く風の槍も同じように斬り潰した。

 打ち消す、のではなくクレスがハインリヒの〈失われし血晶〉を防ぐたびにアークスレイヴァーの刀身が広くなっている。

『我の魔力を吸い取っている、だと』

『魔と霊の本質は同じ。それに僕以上の絶望を与えるには格好の状況だろう?』

『戯れるな。貴様こそ掠め取った力で何をしようというのだっ!』

『言ったはずだ。お前を殺す』

 何度も、何度も斬り落とされ無効化される現実を前に、ハインリヒはせめて反撃する暇がないよう間髪いれずに魔術を放ち続ける。その表情には焦りが見えた。

 対するクレスは無表情で魔に連なる術式を無効化しては、自らの霊剣を肥大化させていく。少しずつ、少しずつ蓄積されて刀身は板のように薄く広くなっていた。

 何度目かの風刃を斬り飛ばし、クレスはさらに右上から斜めに斬り落として、返す刃で右下から左上へ斬り上げた。

 怪訝(けげん)そうな表情でハインリヒが問う。

『何の、つもりだ?』

『なんでもありません。もう、終わりましたから』

『……かっ、』

 ハインリヒの短い苦鳴と、クレスが剣を鞘に戻して鍔鳴りを響かせたのは同時。

『リジェクト・ブラッドデス』

 クレスの宣告。モニター越しに見ていた私にも痛覚を通して、喪失を感じさせる。

 縦に一条、横に二条目。ハインリヒの体に走った紅の軌跡と同じ痛みが私に刻み込まれていく。私の脳裏に銀の十字架が移り込んだ。

 切り裂かれたハインリヒの肉体が膨張し、傷口から肉片と内臓が飛び出す。

 皮膚がめくれ上がり、血管が千切れて勢いよく鮮血が噴き出した。クレスの顔を鮮やかに、(あで)やかに染め上げていく。

 クレスはただ呆然と、血に濡れたまま立ちすくんでいた。

 陣形を描いていた紅の燐光が明滅する。

「ほら、ね」

 静かに、私にモニターの映像を見せるだけだったストラが小さく告げて唇を歪めた。

 最初から結果を、ハインリヒが殺害されることを知っていたように。

 大地が揺れる。

 細かい振動が伝わってきたが、私を拘束する機械はびくともしていない。

 ストラも特に驚いた様子はなかった。


――〝白〟は二つ目を喰らい、三つ目となった。さて〝黒〟はどうする?


 頭の中で声が響く。意味は、分からずとも理解できた。

 クレスも同じように呼びかけられ、そして選んだ。自ら抱えていたもの、その全てを捨て去ってでも目の前に立ち塞がる〝結果〟を覆す道を。


――最初から分かっていたはず。分かり合えぬものは、分かり合えぬと。


 ぼんやりと、眼前に霞がかった像が浮かぶ。

 ゆっくりと形を成したのは黒装束を身にまとった人物。覆面で口元を覆い隠しているため、男性か女性かは分からない。

 くぐもった声が響く。


――貴女は私を喰らう。輪廻の鎖から解き放たれ、別の永劫輪転に加わるために。


 それが力を得る代償だ、と。次々と輪唱されていく。

 幼い少女、傷だらけの女、蚊も殺せぬような線の細い淑女、褐色肌の少女。

 さらには鋼鉄の右腕を持つ少年、盲目の男……そして、黒装束の人物。

 七人の幻影が次々と現出し、私を取り囲む。


――その魂が求めるものに従うがいい。拒むのであれば、別の依り代を探すだけ。


 選ぶのも、拒むのも自由だと彼らは言っている。

 答えなど尋ねられなくとも最初から決まっていた。

 私には、もう何も失うものがない。

「ふ、ふふ……」

 小さく笑う。選ばなければ、ストラの思う通りに事が進むだけ。〈渇血の魔女〉の血を使った革新的な技術とやらを奪い合うために新たな戦乱が引き起こされる。

「分かりました。受け入れましょう、その〝呪い〟を」


――ならば魂を開け。私達を飲み込み、喰らってなすべきことを成し遂げよ。


 流れ込んでくる。膨大な量の臭いや味や音や感触にまつわる知識、そしてゼロから積み上げられ乗せられ担ぎ上げられた経験というステイタスの山が押し込まれていく。

 攻撃に対する回避方法、複雑な機器の使い方、刀剣の扱い方……これまで欠片も知り得なかったことが最初から自分のものであったかのように感じる。

 左手がじくり、と痛んだ。闇よりも暗く濃密な黒い刻印が左手の甲に浮かんでいる。

「先程からぶつぶつと、どうしました? 自分への念仏ですか」

 眉根をひそめて、ストラが私に問う。

 勿論違う。もうわざわざ相手にしてやる必要もない。

 一秒一刻、こんな狂気の産物と付き合っている時間が惜しい。

 ストラは完全に私を拘束しているつもりなのだろうが、私の中に流れ込んできた情報は容易く脱出する術をも教えてくれていた。

 そして、その方法はすぐに使える。

「貴方には、説法など通じそうにないですね」

「ええ。もっとも、〈渇血の魔女〉の皆さんも、祈りなどしないでしょう。こんな結末になってしまって、私も残念だとは思いますがねェ」

 嘘を吐け。もう嫌だ。飽き飽きした。

 モニターの光が強く、上手い具合に影が生まれている。

 私を拘束する機械の腕と、体の関節部分にはめられた鉄の輪。意識を朦朧とさせていた薬品の影響下からはとうに抜け出している。

 血が足りない今、物理的に抜け出すことは難しいが、新たに得た能力ならば可能だ。

 私は瞼を閉じた。眠りに落ちるように、深い場所へ向かっていくイメージ。

 するり、と抜けた先で私は五指を握って感触を確かめてから瞼を開く。

「な……っ」

 ストラからすれば、煙のように私が消えたように見えただろう。

 実際には影を通して、すり抜けただけだ。光に照らされて、私を拘束していた装置に落ちていた影と、外に並ぶクローン体が詰められた円筒形の装置が並ぶ床にある影とを空間で繋いで潜っただけ。

 〝影抜け〟の術は、つい今しがた喰らった先代、七代目の〈黒の死神〉が持っていた力。


「貴方は、私が殺さねばならない。虹彩異色症(ヘテロクロミア)の少女のためにも」

「貴女が、私を殺す? そんな貧血状態で何ができるというのです」

「貴方の知らない、私の力で」


 短く、端的に。

 これから命を失う存在に、わざわざ奪われる術を教えてやる必要はない。


「確かに、私にはもう魔法を操る力はない。ですが、遺されたものはあります」

「なんでしょうねェ……死者の無念ですか。それとも同胞を殺された怒りですか」

「死は全てに訪れる必然。私が思うことは、何もありません」

「おかしいですねェ……〈失われし血晶〉も、貴女達同胞の命を使うわけでしょう。慟哭、忘念、それに開闢(かいびゃく)と立場は違えど力を使っているわけじゃないですか。貴女には何もないのですか? 怒りも悲しみも、恨みも何もないと?」

「何かを感じたところで、意味はないでしょう?」

「随分と冷めているのですねェ」


 酷くつまらなさそうにストラが言葉をこぼす。

 ストラの腕が、指が私の背後にある円筒形の装置、クローン培養器を指した。


「さあ、お喋りはここまでです。ハインリヒ殿の〝血染めの月〟が昇らぬ以上、私の理想とする存在が生まれる。人間がこれまで金と時間をかけても手に入らなかった永遠への切符を持つ、果てしない時を歩き続ける先駆者が生まれるのですっ!」

「くだらない」


 吐き捨てる。ストラのこめかみが、ぴくりと動いた。


「今、なんと?」

「くだらない、と言ったのです。永遠も、ヒトの飽くなき欲望も、その全てが児戯に等しい。最初から存在しないものを何時までも探し続ける……滑稽に過ぎます」

「同じでしょう。亜人が、ヒトと異なる存在が永遠に幸せな楽園を見つけるのも――」

「ええ、夢想です。ですから壊して差し上げましょう」


 私もストラと同じように右腕を掲げる。だが、魔力を練るわけでも言ノ葉を紡ぎ出すわけでもない。己の体内にある血の流れを確かめ、周囲の気配を感知する。

 私の血を注入され、覚醒を待つだけのクローン体が立ち並ぶ。

 エグザスがしたことを、ハインリヒが実現しようとしたことを別の形で世界に現出させる。中途半端な目覚めに揺らされる、私の血を呼び起こす。


「我が血を呼び覚ます。紅は枯れ落ち、鋼を打ち腐らせ……()ぜる」


 揺れた。遠くで激しい爆音が鳴り響く。

 ストラの表情から笑みが消えた。

 室内に設置された音声装置が、けたたましく騒ぎ出し回転灯は警告の意味合いを示す赤い光を放ちながら、ぐるぐると回る。


「何を、したのです」

「貴方が準備したものを利用させて頂いただけです。貴方ならご存知でしょう?」

「まさ、か……」

「ブラッド・バースト。私の血によって朽ちるのです。本望でしょう?」


 さらに揺れる。連続して鳴り渡る地響きは、他の区画にまで爆発が及んでいることを示していた。最初に通ってきた人間もどきの装置も破壊されているのだろう。

 この力も私の中に連なる〈黒の死神〉が持つ能力の一つ。

 また瞼を閉じる。

 裏側に、光の届かない網膜に映り込んだのは自らの血を武器に戦い続ける、傷だらけの少女。能力の使い過ぎで事切れ、冷たくなっていく最期まで見届けた。

 瞼を開く。視界は気が動転し、醜く慌てふためくストラを捉えた。


「こんな、ことをして貴女に何の利益があるのですっ!」

「壊す、と宣言したはずですが」

「こんな、こんな……ああっ」


 天井に亀裂が走りっていく。

 爆発の衝撃と寄りかかる重圧に耐えられず、砕けて欠片となって降り注ぐ。

 私は深く、大きく息を吸った。

 喚き散らすストラを眺めながら、無造作に腕を振る。

 影が生きているかのように私の周りに質量を持って集まっていく。

 落下する破片を避けながらストラが私に向かって叫ぶ。


「よくも、よくも私の、人類の悲願をっ!」

「貴方が望むのは戦乱でしょう? ならば、火付け役は潰さねばならない」

「何のために……っ」


 溜息を吐く。もう言葉を交わす必要もなかった。

 私は影達をまとっていく。体全体を覆い隠すように影をドーム状にして、性質を変化させ表面を硬化させていった。即席のシェルターだ。

 かつての私は、全てを諦めていた。

 だが、今はなさねばならないことがある。

 かの夢想を抱きながら全部を打ち砕かれた少年の末路を、見届けられなかった心優しき〈渇血の魔女〉と人間のハーフの代わりに、最期まで。

「貴方は、そこで潰れなさい。未来永劫、叶うはずのない幻想を抱いて」

 野太い断末魔が、大量の瓦礫の落下音に混じる。

 が、最早興味はなかった。

 足元がふらつく。やはり、血を失いすぎた。

 意識が遠ざかり、膝を崩して冷たい床に寝転がる。

 温度すら感じなくなり、硬い質感を得る触覚すら無くなって、深淵に落ちた。




 ほぅ、と息を吐く。語り部の役目を終えて、回想世界から現実へと戻ってきた。

 リビングルームにて四人で囲むには大きすぎる机を前に座す。

 淹れた当初は湯気を立てていたコーヒーカップ。中身はすっかり冷めていた。それでも一口飲んで胃の中へ流し込み、渇きを癒す。 

 こんなにも多く言葉を生み出し、語り続けたのは久しぶりだ。

 〈蒼の死神〉リオン・ハーネット・ブルクは両目に一杯の涙を溜め込みながら、流すまいこぼすまいと堪えている。

 〈紅の死神〉来々(くるるぎ) 亮は瞼を閉じ、唇を引き結んで小さく頷いた。

 最後。〈白の死神〉クレッシェンド・アーク・レジェンド……クレスは空色の瞳を見開き、こちらも何かに耐えるように唇を噛んでいた。少しだけ、血が滲んでいる。


「貴方は、多くの判断を誤った。中途半端な甘い思想で、理想だけで動きすぎた」

「だから、僕は今度こそ間違えないように、刃を振るう。迷わず、恐れずに」

「……本当に、やり遂げられるのでしょうか」

「できる、できないではなく、やる。今の僕にはそれ以上言えない」


 沈黙する。

 す、と瞼を開いて亮が(わたくし)を見た。

 茶褐色の瞳は、恐らく私やクレスと同じものを見てきている。

 彼もまた、選んで〈紅の死神〉に連なる意志を受け入れたはずなのだから。

 左手の甲が痛む。明滅する漆黒の輝きはあの時と変わらず囁いている。

 私は、許せなかった。目の前に、掴めたはずの明るい未来があるのに、むざむざと取り逃したクレスが。同時に、最初から全てを諦めていた私自身が(ゆる)せなかった。

 ともすれば、私とクレスの関係性は単なる怨恨関係に見えたのかもしれない。

 だが、そんな領域からはとうにはみ出ている。

 一番近くで、抱き続けてきた幻想の果てを見届ける……そんな自らが否定したものを確かめるために私は〈死神〉であり続ける。

 憎まずにはおれず、殺さずにはおれず、赦されざるもの。

 それは互いの存在ではなく、私達が私達であるべくして呪われた因果の(くさび)にあるのかもしれない。


「だから、私は貴方を殺します」

「僕は、役目を終えるまでは殺されるわけにはいかない」


 私とクレスが言葉を交わし、意志をぶつけ合う。

 満たされていた器が決壊した少年と、満たされぬ器を空虚に開けたままだった少女。

「それでも、師匠の言葉が最優先だ」

 はっきりと、亮が言葉に表した。

 人は知りえる情報の中だけしか世界を図るしかない。

 知ってしまった以上、亮もリオンも反論できないはず。

 そう思っていたが、容易く一蹴されてしまった。

 私は小さく息を吐いて、外に向けていたあらゆる意志を自らの内側に潜めた。

 クレスも同じ。ここでやりあうことには、意味はない。

 どちらも守りたかったものを守れず、欲しがった未来を得られなかった者。

 だから、先へ進む。

 結論は変わらず、だが一つの戦いは語り継がれた。

 〈渇血の魔女〉と、アークチルドレンが最後の一人同士になる物語が。

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