2-21 the call
「我が体内で怨嗟の声が満ち溢れる。罪を認め、贖えと。その命を差し出せと!」
「ならば、どこまでですか」
「人類を鏖殺するまで」
迷いなく凛然とハインリヒが告げた。
それは、必ず聞く言葉で、最後に行き着くところで、恐らくは境界線。
人が繰り返してきた戦いの歴史で幾度も迎えられた結末。
敵対する者同士が、どこで戦を終えるのか。
単純だった。敵対するのならば、敵対する者がいなくなるまで屠ればいい。
家族を、親族を、友人を……僅かな繋がりだけでも探し出して駆逐する。
種族として、どちらが優れていてどちらが劣っているのか。
人間の遺伝子配列でさえ、優劣で振り分けられ弱く脆い情報は失われていく。
そうして、選別されたモノだけが生き残り、さらなる進化を遂げる。
ハインリヒの左腕がまとう魔力が膨れ上がり、全身を包み込んでいく。
体全体を覆い尽くす赤黒い炎は、際限ない憎悪と憤怒の入り混じった負の思念の集合体がハインリヒに憑依しているように思えた。
声まで、聞こえてきそうだ。
理不尽な形で殺されてきた〈渇血の魔女〉の怨念が、恐らくは戦う力すらなかった子供まで斬り屠られ、或いはストラのように狂気に魅了された研究者によって実験動物のように扱われ、打ち捨てられた。
殺し殺され、奪い奪われる悲哀と絶望の二重螺旋は途切れることなく逆巻く。
終わりのないモノの終わりを見つけ、区切るのは一つの戦乱の終結。だが、終わればまた始まってしまう。多分、人間を殺し尽くしたところで、他の亜人との諍いが起きればこの世界全てへ戦火が飛び散り、延焼していく。
あらゆるものを焼き尽くすまで。
「貴様に、我らが生き延びる他の選択肢が分かるのか? 争わず憎まず苦しまず、あらゆるものが手を取り合うような幻想世界を生み出せるというのかっ!」
「それ、は……」
「不可能だろう。ならば何故邪魔をする。貴様らは〈渇血の魔女〉に滅亡しろ、と言うのか。抗わず、犠牲になるものが多すぎるからと救える存在を切り捨てるのか」
人間を食い殺しても、〈渇血の魔女〉という種を保存する。
否定すれば多くの、クローンの細胞を破壊して生まれ変わる〈渇血の魔女〉の意志が人間の血を求め、世界へ散らばり数多の犠牲を生む。
オルトニアは、私は唇を噛んだ。
「……私は、そんな救済なんて、欲しくない」
ハインリヒがオルトニアを見る。いや、その中にいるセラを。
「貴様も、絶滅する道を選ぶのか。滅されるのならば、我らは一体、何故生まれてきた!」
「最初から、棲み分ければよかった。必要以上に関わらず、反発を生まない方法を――」
「時は戻らぬ。だが、進めることはできる。我らの意志で、我らが存続するために」
ああ、駄目だ。溜まりに溜まり、積もりに積もった復讐の思念。
全部がぜんぶ、負の感情だけではないのに暖かさや嬉しさ、楽しさ微笑ましさを塗り潰す黒く深い闇色の感情に支配されている。
オルトニアは、私は拒絶する。
私は、別に完全な存在になどなりたくはなかった。そんなもの、次元の果てまで探そうがありはしない。ヒトという形がなし、生み出す概念に終わりはないのだから。
生き続ける限り、存在し続ける限り〝次〟を求め続けるのだろう。
不死性など得ようものならば、飽くなき欲望を探し続ける満たされぬ器と成り果てる。
「私は、拒絶する。ハインリヒ、見果てぬ幻想を追い求める、生きる災厄を」
「……ならば、死ぬがよい。貴様が宿る体の命を使って扉を開き、貴様の鮮血を捧げて我らは見つけ出す。絶対に失われない、完全なる存在として世界を統べる」
「できはしない。あなたの、いや……未だ現世で惑う忘念は今ここで断ち切られる」
オルトニアは、私は心の中で念じた。強く、激しく想いの繋がる先へ届くように。
顔をあげたクレスが自らの霊剣アークスレイヴァーを両手で握り、構えて切っ先をハインリヒに向ける。
「貴方を、殺します。魂にまで根付き、侵蝕する復讐の思念を滅します」
殺害するのではなく、救い出すという宣言。
ハインリヒを突き動かす死者の怨念は、何としてでも血染めの月を、人類を脅かす新たな〈渇血の魔女〉を生み出そうとするだろう。
故に、最初から語り合うことなんて出来ずに、刃を打ち鳴らすことしかできない。
「開闢のマテリアル、切り開け……」
ハインリヒが虚空を叩き、〈失われし血晶〉が放つ輝きを見せる。
風が渦巻き、刃となって空を引き裂く。
「両断せよ、ヴェイジング・エッジ」
クレスが駆け出す。前へ、前へと走ってハインリヒの右側から回り込む。
オルトニアの体も磁力で引きつけられるように、クレスとは逆の左側へと向かう。
ハインリヒが放った風の刃に対し、クレスがアークスレイヴァーを空に走らせる。
「解放……風雅月刃っ」
声と共に振り切った刀身が、鏡写しのように風の刃と放った。
ぶつかり合い、弾けて涼やかな風が抜けていく。
ハインリヒが次の波紋を生むのと同時に、クレスが足を踏ん張って停止し、前のめりになる勢いを利用して鋭い突きを放った。
「貫き穿て、ヴェイジング・ランサーっ」
「風雷螺旋っ」
二つの声が重なった。
片方は魔力、もう一方は霊力から生み出された槍がしのぎを削る。
根源の力は同じ。次の一撃を放つ態勢もまた、同じ右から左へと回転する円運動。
「粉砕せよ、ヴェイジング・ハンマーっ!」
「風絶滅砕!」
轟音が響く。見えない、風の大槌を打ち鳴らして、互いに反応で体を仰け反らせる。
次の一撃は避けられまい。恐らく、互いにそう思っている。
だからこそオルトニアの体を使って疾風のように駆け抜ける私は双剣を閃かせた。
「かっ……」
一瞬の攻防だった。一対一ではなく、一対二であったからこその切り口。
鮮血の軌跡を引く蒼と紅の刃、ヴァルキリウルに斬り飛ばされた左腕が宙を舞う。
間隙を突かれたハインリヒの瞳に映りこむ焦り、手傷を負わされるはずがないと信じ込んでいた僅かな慢心から来る激情が揺らめく。
「断ち切ります。過去を、連綿と続くマイナスの螺旋を」
アークスレイヴァーによる魔力吸収。マルガレッタの持つ破壊の魔力波動を刈り取った時のように、右上段に構えて振り下ろす。
瞬間、ハインリヒの残った右手から迸る閃光をオルトニアが見逃さなかった。
手を伸ばして剣尖を届かせ、放たれる神速の毒牙を自らの体で受け止める。
「ぐっ……ぅぅ」
短く苦鳴をあげた。オルトニアの中の私も、相応の痛みを受ける。
全身を駆け抜けていく毒素たる電流はもう足元から抜けて地面に散った血を弾けさせた。
嫌な臭いが鼻の粘膜を貫く。気だるさと痺れで、反応が遅れた。
「しくじった、か……だがっ」
ぐおん、と空間が歪む。私以上に、クレスの知覚が遅れて追いつかなかった。
見えない何かに押さえつけられるような圧迫感。重力に引かれる、だけでなく挟み込まれるように体全体が重く苦しい。
視界が赤黒くなっていくのを見て、気付くことはできた。
想像以上に〝彼ら〟の思念は強かった。
根源を同じくする力であるはずの、ヴァルキリウルによる魔力無効化の共振すら撥ね退ける屈強な精神。言うなれば、想像を絶するほどの悪意の流出に押し負けた。
「邪魔だ」
動けない私の、オルトニアの手から指を無理矢理に開いて双剣ヴァルキリウルを取り上げ、放り投げる。
小さく〈失われし血晶〉の名を告げ、ハインリヒは自らの右手で左腕の断面に触れ、今も流れ続ける鮮血を五指に浴びた。
紅に染め上げられた五本の指が光沢を放ち、鋭い一振りの血刀へと変わる。
「多少、てこずったが目的は果たせる。これで……」
「オルトニアっ!」
ああ、これで。諦観を含んだクレスの声が、やけに遠くに聞こえる。
赤黒い視界の中で、やけに鮮やかな紅が見えた。
噴き出す。噴き出して、地面に点々と模様を描いていく。
不思議と痛みはなかった。怒りも、憎しみも感じない。ただ、流れ込んでくる深い絶望の痛みがオルトニアの、私の胸を内側から突き刺していた。
「はは、ははははは、ははははははははっ!」
ハインリヒが狂ったように叫ぶ。
私の、オルトニアの血に濡れた右腕を振りまき、クレスへ死を魅せびらかすように。
ああ、これまでなのか。〈渇血の魔女〉と混じっている分、なまじ常人以上の生命力を持つオルトニアはゆっくりと、確実に死を迎える。
或いは、吸血能力があれば他者の生命を吸って生き長らえるかもしれない。
だが当人が許さぬだろう。また、ハインリヒがそんな猶予を許すとも思えない。
――負けていいのか。このまま、終わっていいのか。
何だ。一体、どこから聞こえてくるのか。
腹の底から湧き出すように、低い声が響いてくる。
――運命に惑わされる者よ。この結末を受け入れるのか。
誰に語りかけているのか分からない。
が、もし私に語りかけているのならば、答えてやろう。
「「受け入れられるか、こんな結果は望んじゃいないっ!」」
重なった。誰かの声と。いや……誰かの意識とリンクしている。
浮かぶ情景は、気恥ずかしくも暖かいもの。
ヒトと、ヒトでありながら異形の力を半分受け継ぐ虹彩異色症の少女。
柔らかく濡れる。気持ちと気持ちが重なり、心の奥深くで触れ合う。
でも。
――ならば死を背負え。魂を差し出し、永久の煉獄を受け入れろ。代わりに……
全てを覆す力を与えよう。
遠く、遠い。届きそうで、届かない。
私の……セラが感じられた、オルトニアとの繋がりはここまでだった。




