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灰色の境界  作者: 宵時
第二章「君には、僕を殺す権利がある」「死はいつも貴方のすぐ隣に」
33/141

2-16 落日

 森の奥へ、私のいる帝国特薬機関へ向かうオルトニア、アリエル、イージェスの三名を見送ってエグザスが溜息混じりに言葉を吐く。


「随分とナメられたモンだなァ」

「単純思考のマヌケには俺一人で十分なんだよ」

「……なんつった。よく聞こえなかったなァ」

「お前の顔に引っ付いている耳は飾りか? 何万回でも繰り返してやる。お前みたいな一直線の雑魚、たった一人で十分殺し尽くせるって言ってるんだよ、ド阿呆が」


 〈渇血の魔女(ワルクシード)〉の前に立ち、戦闘態勢を整えたエピタフ。

 〈人狼(ワーウルフ)〉の血脈に連なる亜人を前に、エグザスは奥歯を()(きし)ませる。

 正解だ。当の本人がどれだけ否定していようが、結局一対一の構図に持ち込まれているのだから初戦は敗北していると言っていい。

 ストラが声高に語った〝魔女再生計画〟は、私の血を利用し人間の〈渇血の魔女〉化を行う、というどうしようもなく欲望にまみれた狂気の副産物だ。

 何を同胞とするか、どこまでを同じ遺伝子に連なる存在だと認識するのか。

 ハインリヒはリヴェンナを始めとする種族至上主義者の思考を切り捨て、人間社会に擦り寄って生きていくことを選んだ。

 逃げても逃げても追いすがって追い詰めてくるのが運命なのならば、立ち向かい抗うのではなく共存の道を探すのが最良の選択だと決断した。

 それも恐らくは一般の社会に生きる人間の知らぬ、最低で最悪の形で。

 一部の権力者が追い求める永遠への切符を実現させるための道具。

 時間の橋を越えて存在し続けることなど、私達でさえ望んではいなかった。

 ただ意味を知りたかっただけなのに、探し続けた答えがどこかにないか歩き続けていただけなのに私達四人はこんなところまで来てしまい、()ちた。

 また煮え(たぎ)るマグマのような激情が魂の底から湧き上がる。

 多分、呪いのようなものなのだろう。

 変えることのできぬ、変わることのできぬ人格に刻み込まれた条件反射。

 エグザスにとって、自らや種族への冒涜が最も許せず憎まずにはおれぬもの。

 ストラに抱いていた不信感も、そもそも〈渇血の魔女〉が追い求めた〝完全な存在〟もハインリヒに言いつけられた侵入者の排除も全て記憶の屑籠(くずかご)へ叩き込む暴挙だ。


「ブチ殺す……跡形もなく消し去ってやる」

「やってみろ。できるものなら、な」

「慟哭のマテリアル、叫べ……」


 私は、もう半ば諦めかけていた。

 ハインリヒはストラという人間に迎合しても、クレスを始めとする侵入者に対しては真正面から話し合いに応じはしないだろう。

 既に契約は結ばれ、現在進行形で効力を発揮している。

 確かに私はオルトニアという〈渇血の魔女〉の血を半分持った人間と出会った。

 だが、だからといって全てを言葉通りに受け取れるほど暖かい心は持ち合わせていない。

 エグザスが叫んだように、人間社会において裏切りや挟撃は当たり前で、実際に真面目に謙虚に生きている人間は馬鹿を見ている。

 狩られても()られても悪辣(あくらつ)な権力者は後を絶たない。

 ストラを始めとする、世界に争いや混乱を生み出す存在は多分たくさん存在しているのだろう。

 私の冷徹な思考をよそに、エグザスは〈失われし血晶(ロスト・プリズム)〉を解放する。

 虚空に波紋が生まれ、噴き出した風が(ねじ)れて一直線に伸びていく。


穿(うが)てェ、ヴェイジング・ランサーッ!」


 短刀を投擲するように浅葱(あさぎ)色の輝きを宿す右腕が振られ、突風が無理矢理に道を作る。

 硬い鉄板すら貫通する魔槍を前に、エピタフは硬化させた黒い両腕を交差させて構えた。右巻きの回転で吸い込んだ風を撒き散らすも、黒の体毛に覆われた右腕が軌道をずらし、左腕が形を把握しているように掴んで投げ飛ばした。

 ぎちり、とさらに強く歯噛みしてエグザスが次なる魔術を左手に落とし込む。

 深緑の(きらめ)きを手に、虚空を手刀で切り裂く。


「叩き切れ、ヴェイジング・エッジ!」


 風切音を響かせ、鋭い刃が空を駆け抜けてエピタフに襲いかかる。

 が、造作もなく飛ぶ虫を追い払うように()いだ右腕にかき消されてしまった。

 貫けず、切断することも叶わない鋼鉄以上の硬度を誇るエピタフの体毛。それも、俊敏さを奪うような重さも感じさせない。

 瞬間、風をまとって肥大化した黒い腕が迫る。


「がああああァァァッ」


 諸に顔面に受けてエグザスの体が転がっていく。

 地表の岩で肌に擦過傷(さっかしょう)を作り、勢いのまま樹木を薙ぎ倒し、石壁を破砕してようやく体が止まった。肺から一気に空気が逃げ出す。

 負わされた打撲が鈍い痛みを感知させる。だが、じわじわと再生していく。

 臓腑(ぞうふ)からこみ上げる気持ち悪さを抑えながらエグザスの細胞が酸素を求める。


「下等だと見下した奴から食らう一撃はどうだ?」

「……ハッ、こんなの屁でもないんだよォッ!」


 距離をとって様子を伺うエピタフへ、エグザスは肉体の痛みを忘れるように魔術を放つ。

 歪められた空間に黄緑色の波紋が生まれ、旋風が吹き(すさ)ぶ。


「打ち砕け、ヴェイジング・ハンマァーッ!」


 投擲された風の鉄槌がエグザスの顔面に迫る。

 激突する寸前、またも不可視の壁に阻まれた。見えない破片が飛び散り、魔力の残滓(ざんし)が空気に溶けて消え失せる。


「クソが……クソ、クソッ、ド畜生がァッ」


 エグザスが獣のように天に向かって咆哮をあげた。

 悲哀に青くまみれた記憶が蘇り、映像として脳内で再生されていく。

 感覚を共有している私にも拒否する権利などなく見せ付けられる。

 軍団をなす人間に追い立てられ、磔にされた〈渇血の魔女〉の表情が苦痛に歪む。儀礼済みの聖なる鎖に全身を縛られ指を動かすことすら叶わない。

 ある時は、そのまま太陽の光を浴びせられ焼き尽くされる。

 またある時は全方位から銀の槍で貫かれ、血液が蒸発しきるまで焼かれた。

 痛み、苦しみ、悲しみ、恨み……怒り。凝り固まった負の感情は溶けることなく、新たな悲劇で塗り固められて黒き混沌の闇に沈む。

 深く暗い場所で嘆きを叫び、魂まで鎖で縛られる。


「人間は、敵だ。滅ぼすべき存在だ」

「全部白か、全部黒か。両極端な正義談義は聞き飽きたんだよ」

「テメェだって、混ざりモンだろうがッ! 人間に虐げられ、尊厳を奪われゴミクズのように扱われて来たんじゃねェのかよォッ」


 漏れ出す。エグザスの魂から湧き出る感情の波が、体内に留まることなく言葉として放出される。恐らくは、現在の世界で共存する全ての亜人に対する問いかけ。

 エピタフが小さく息を吐く。

 何かと思えば、そんなくだらないことか。

 そう〈人狼〉の少年は表情で告げていた。


「混ざりモン……まだそんな言葉を吐いているようじゃ、一生分からないだろうよ」

「あァ? なんだって?」

「種族を越えて、戦えるんだよ。あの人は、俺の人生に意味をくれた。ただ本能のままに戦い続けるだけの獣の、使い道を教えてくれた」

「いいように使われてるだけじゃねェかッ! 戦闘狂のイヌが何戯言を――」


 みしり、と骨が軋む。一瞬で距離を詰められ、打ち抜かれた。

 空を仰ぐ。冷えた空気を肌に感じる。

 風を切って、先程崩れ落ちた石壁から生まれ変わった破片の山に叩き付けられた。

 深く繋がり過ぎて激痛がダイレクトに伝わる。今ここでパスを断絶させるわけにはいかない。万力で締め付けられそうな感覚を振り切るように周囲の気配を探る。


――血を(めぐ)らせよ。金剛石よりも硬く、柳の穂よりもしなやかに。


 (うた)だ。言霊(ことだま)が響いていた。

 空気を振動させ、鼓膜を打ち伝える力の術式。先程聞こえた時は気のせいかと思ったが、確かに魂に届いていた。声なき言葉の、ヒトを精神構造から組み替える魔術が。

 〈人狼〉たるエピタフの身体能力は確かに脅威だし、恐らくは固有能力である肉体の筋力操作と皮膚や体毛の硬化も凄まじい。

 だが、オルトニアという半人の〈渇血の魔女〉に匹敵する魔力の相殺、即ち無効化能力を持ち得るほど魔術に長けた種族ではないはずだ。

 エグザスも感情を乱さねば気付けたはず。

 いや、今まで確信を持てなかった私にも責任はあるか。

 せめて気付きを、きっかけを与えれば……。

 がらがらと石ころが転げ落ちる瓦礫の山に手をつき、エグザスが自らの血を含んだタンを吐き出す。


「かッ、はァ……この程度じゃ、到底俺を殺すなんて無理だなァ!」

「お前は殺すとか息巻いていたが、俺は止めるだけ。死ぬかどうかはお前次第」

「チッ……クソが、まだ話し合えば分かり合えるなんてほざくのか!」


 積み重ねられる言葉は、エグザスの精神の底に沈む渇望なのか。

 もしかしたら、今度こそは、次はと繰り返してきた痛みは願いと反目する。

 エピタフがまた小さく溜息を吐いた。


「アレは幻想だ。誰も彼も分かり合えるはずがない」

「なら、立ち塞がるテメェの死因はくだらねぇ馴れ合いでいいんだな?」

「……ああ、いいよ。それで」


 挨拶を交わすような気軽さで告げてエピタフは笑った。

 生命を軽んじているわけではない。ただ、大切なものが何かを知っているだけ。


「守りたいものは同じだろうが。ただ、うちの隊長はもっと広い範囲で守ろうとしているだけだ。力を持つ者が義務を果たし、力のない者を守る。武力による突破以外の、対話で」

「ハッ! 現に力づくで突破してるじゃねェかよッ!」

「ああ、そうだ。その通りだ。だから、幻想なんだよ。それでも、最終的に施設をブッ潰せればどうでもいい。過程に関する情報は失われ、新たなる悲劇を未然に防いだ結果だけが残る」

「テメェら人間の論理じゃねェか。その勝手で俺達の希望を奪うのかよ!」

「なんだ、同情して欲しいのか? 最上位気取るなら自分で考えろよ、生き抜く手段を」

「……その、親父が選んだ手段を、テメェらが潰そうとしてンじゃねェかよォォォッ!」


 吼えたエグザスの両手に新たな光が生まれ、空間を捻じ曲げていく。

 それぞれに事情があり、各々の守りたいものがある。全てを救い出すことなどできず、何かを犠牲にしなければいけない。

 生命の数だけ正義が存在し、同じ数だけ悪だと認識する感情がある。

 それらは同一ではなく、重ならず常にすれ違って寄り添いあうことはない。

 平行線上で決して交わることのない主張。

 分かっているはずなのに、理解を拒んでヒトも異種族も戦禍を撒き散らしてきた。


「慟哭のマテリアル、ブチ壊せ……最大限を解き放って、リライト・パワーコネクトォッ」


 浮かび続ける〝何故〟という言葉を破砕するように、エグザスは手近な瓦礫を手にして、ぶん投げた。

 まるで砲台から射出したように、音速の壁を破って爆音を轟かせ、着弾する。

 何を思ったのか、エピタフが目を見開き瓦礫が落下した森林へと駆けて行く。

 人間のように走るのではなく、黒い毛に覆われた腕を使って獣のように一目散に。


「あァ?」


 エグザスが短く疑問を口にした。

 私は強く念じる。私と繋がるエグザスへ、一方的に感受するだけのパスを双方向性に変換していく。

 燃え上がった感情の炎が落ち着いた、今だけしか多分叶わない。

 一つの可能性。流石にエグザス自身も気付いているはずの、もう一人の存在。

 先程から聞こえる詩を紡ぐ者、即ちエグザスの前に姿を見せなかった、クレスに付き従う五人目の少年もしくは少女。


「おい、待てよ……そんな」


 口にして、ハッとハインリヒに(とが)められるのを恐れるように両手で自らの手を塞ぐ。

 意味はない。だが、言葉にして確認したことには意味があった。

 喉の奥に引っかかり、魂を汚染する裏切りの味を噛み締めて激昂していた自分自身を戒める。常々ハインリヒから言い含められていた、周到で冷徹な情動を持ち出す。

 味方になれなければ、敵でしかなく、敵は殺し尽くさなければならない。

 〈渇血の魔女〉の絶対論理が持ち上がる。生きるために、殺される前に殺す。

 誰がどう言おうが、それが私達にとっての正義。


「ああ、そうだな。そうだった、すまねェな……セラ」


 感傷に浸っている暇はない。私を救うにはストラを排除しなければならず、その障害になるか手助けになるか不確定要素であるクレス一行をどうするか判断せねばならない。

 そして人間と手を取り合う選択肢を廃するならば、障害にしかなり得ない。


 故に。


「殺す。今、ここで確実に」


 もう、どちらが正しいかなんて分からない。

 ただ、エグザスが拒絶したことで対話の道は途絶えた。マルガレッタはそもそも話し合いになど応じないだろうし、ハインリヒも対話での解決を望むとは思えない。

 話し合いで解決できると考えているならば人間の黒い欲望のために私を差し出し、人間に〈渇血の魔女〉の血を巡らせて同胞とする、などという結論には至らないはずだ。

 私達にはもう安心して交われる場所も、生まれいづる命を待つ時間もない。

 あらゆる一般的な認識の壁を破壊して種族の存続を望むならば、手段は選べないのだ。


「分かってる。やってやる……今度こそ、大丈夫だからな!」


 エグザスが息巻いて、両腕に魔力の輝きを宿す。

 瓦礫を拾い上げ、腕を振りかぶり投擲姿勢。狙うのはエピタフではなく、先程撃ち込んだ地点。木々が重なり合い、昼間でも常闇を生み出す空間へ叩き込む。

 かつては太陽に弱い同胞の憩いの場であった場所。

 今はもう誰も使うものがいない。既に私達は完全に、太陽光を克服したのだから。


「さぁて、どこにいるの、かなぁっと!」


 砲弾を撃ち出す。爆発はしないが、人間の肉体など一撃で破砕する威力を持つ。

 いかに強靭な肉体を持っていようと負傷は避けられないはず。

 凄まじいスピードで地面を疾走していたエピタフが急ブレーキをかけ、跳ぶ。

 エグザスの狙った森林の近く、空を切る弾を体で受けた。


「ぐあああぁぁぁっ」


 絶叫が響く。悲哀の声をエグザスは愉しそうに噛み締めた。


「ビンゴだ」


 あの森林のどこかに〝五人目〟がいる。

 三つ目、四つ目と次々に瓦礫の弾を投げつけていく。

 エピタフが小さく呻きながらも立ち上がり、射線上に立つ。

 これまで回避や硬化した腕で弾き飛ばすことを織り交ぜて来たが、今は受け止めることだけに徹していた。

 黒い毛に覆われた両腕を掲げ、肥大化させて盾のように構えて立ちはだかる。

 受けて、受け止めて苦悶の声をあげるが、歯を食いしばり耐え続けていた。


「チッ……しぶといッ」


 舌打ちし、エグザスは石の破片を一つ、二つと拾って駆け出す。

 滑るようにエピタフとの距離を縮めながら手に持つ破片に魔力を送る。


「単発なら防げただろうが、これならどぉだぁっ!」


 魔力を通した左手の破片を軽く投げ、右手に持った破片を投げてぶつけて砕く。

 さらに微細な欠片となった弾は針のように鋭く尖ってエピタフだけでなく、周囲の森林まで攻撃範囲を広げた。


――地に伏せる。あらゆるものが、圧され這いつくばる。


 詩が響く。瞬間、飛来していた破片は全て吸い寄せられるように地面に落ちた。

 砕けた欠片はさらに細かくなって砂になり、混じっていく。


「またかよ、クソがっ」


 またエグザスの感情が塗り替えられ、冷静さが掻き消えて激情が沸き立つ。

 ダメなのだ。それは相手の思う壺……だが、私の予想を超えてエグザスは動いた。

 接近するのではなく、かつてまだ呪文の詠唱という不便で無防備な方式で戦場に立っていた同胞がそうしたように何も持っていない手を前に突き出す。

 呪文は感覚として世界に散在する微量の魔力をかき集め、集めた力を声帯が作り出した術式の回路に乗せる変換方法として流通していた。

 いかに早く、邪魔されず、確実に外敵を殲滅するか。

 その方向性を持って昇華された〈失われし血晶(ロスト・プリズム)〉は体内に動力源である魔力塊を宿し、魔術を練り出す瞬間だけ手のひらから放出し紡ぐ。

 だが、私達最後の四人にはさらに固有の能力がある。

 私の感覚共有能力、マルガレッタの破壊を呼ぶ魔力波動、そして。


「なら、コイツはどうだ」


 エグザスが深く息を吐いて、吸う。

 はらはらと樹木の枝に生い茂る葉が散っていく。

 散った葉が風に巻き上げられると、少しずつ崩れて粉々になった。

 色合いも青々とした緑から色素が抜けるように抹茶、(うぐいす)色に変わって朽ちる。まるで一気に水分を吸い取られたように枯れ落ちていく。

 葉だけではなく、樹木の幹も表皮が剥がれ、支える力を失ってゆっくりと倒れる。


「クッ、ハハ、ハハハハハッ! 朽ちろ朽ちろ、砕けて吸われて俺の血肉となれっ」


 エグザスの哄笑が鳴り響く。

 樹木だけでなく、地面も干上がったようにひび割れ、並び咲く花も枯れて砕かれる。


「ハハッ! 隠れている奴も今頃朽ちてるかもなァ?」

「くっ……」


 エピタフが地面を蹴った。一気にエグザスとの距離を詰める。

 世界を駆逐し、絞り上げられた生命エネルギーがエグザスを潤していくのが分かる。

 マルガレッタが外向きだけの魔力波動を持つように、エグザスの固有能力も破壊を呼ぶ。

 ただし、奪い去ったものを自らのものとする生命力の吸収として機能している。

 エピタフが消滅する森林から離れるのを見逃すはずもない。


「慟哭のマテリアル、吹き荒べ……ヴェイジング・ストームッ!」


 緑色に輝く波紋から風が吹き出す。

 旋風は空気を取り込み、空間を蹂躙し刃の嵐となって朽ちかけた森林を襲う。


――収束せよ。飲み込み喰らえ、歪めて暗い場所へ吐き出せ。


 また詩が響いた。

 崩れゆく森林の周辺、虚空が歪んでぐるんと回転、突然黒い球体が浮かんだ。

 透明な白を裏返したような漆黒が真横に割れて、紅の眼球が現れた。

ぎょろりと私を、エグザスを見つめる。


「ヤバいっ」


 直感に任せてエグザスが横に跳ぶ。

 だが、何も飛来して来ない。気付けば接近していたはずのエピタフが引いていた。

 回転から勢いを殺さず、起き上がったエグザスの視界が黒髪の少女を捉える。

 ショートボブに切り揃えているが、前髪に隠れて瞳は見えない。恐怖を押し込めるためか下唇を噛んでいる。

 緑系統のチュニックとスカートという、おおよそ戦闘向きとは言えない服装だが、なおさら異彩を放つのは手に持つ音叉のような、先端が二つに分かれた奇妙な剣。


「解き放って!」


 黒髪の少女が悲鳴をあげるように、甲高い声で叫んだ。

 瞬間、開かれたままだった紅の眼球から緑色の弾丸が飛び出す。

 避ける暇すら与えられず、激痛が走った。

 ぼとり、と音のした方へ目線を下げると自らの、肩口から千切れたエグザスの左腕が落ちていた。抉り切れた断面からぐしゅり、と鮮血が溢れ出す。


「て、メェッ! コソコソ隠れてたクソガキがァァァァッ!」


 叫んで、内側から沸き出す激情の赴くまま駆けるが、黒髪の少女を狙った手刀はエピタフの硬化した黒い腕に阻まれた。

 歯軋りし、別方面から打ち下ろすも受けられ弾かれ、拮抗する。


「ウルクは、殺させない。絶対に俺が守る。守り抜く」


 左腕を失った激痛からもまだ立ち直っていない最中に、腹部を鈍痛が貫く。

 そのまま凄まじい膂力(りょりょく)で蹴り上げられ、また体が宙を舞う。左腕に続き、腹に穴が空いたかと思うほどの一撃。

 地面に落ち、草をむしり引き抜き、草汁で体を汚して転がっていく。

 私は唇を噛む。いや、感覚の同調で肉体的苦痛を与えても意味はない。

 左腕にある〝何もない〟錯覚を振り払う。失われたのは私の腕ではなく、エグザスのもの。もしかしたら、囚われた体も――


「かッ……ハッ」


 ぐらぐら、ゆらゆらと世界が揺れてはっきりと状況を把握できない。

 面は割れた。あの黒髪の少女、ウルクが詩を生み出していたのだ。

 エピタフの反応を見る限り、恐らく身体能力はそれほど高くないと見える。守る、と言ったことからも裏付けられる。

 詩が効力を発揮するのに、どれくらいの時間を必要とするのか。

 音叉のような奇妙な剣が力を増幅させて魔術に匹敵する効果を生み出しているのか。


――巡れ(めぐ)れ鮮血よ。鼠のように駆け回って臨界を越えて。


――()じ切り貫け。地中深く(うず)めてマントルまで届け。


 叩きつけられるように、詩が空間に鳴り響いている。

 重ねられた音階が肌を震わし、総身を悪寒が走っていく。

 まずい。非常にまずい。

 〈渇血の魔女〉のほぼ永久機関ともいえる生命輪廻は、亜人や人間の特性を取り込んで数々の弱点を無効化する過程で失われてしまった。

 腕の一本や二本千切れたところで死ぬことはないが、当然激痛に耐え得る精神力は必要だし、核を破壊されれば絶命に至る。

 私が肉体に動くよう命令したところで、エグザスの体は動かない。


――増殖せよ。(つた)のようにしなやかで、雑草のように強靭なレギオンを刻め。


 三節目。詩が重ねられるごとに魔力波動のように、神経が伝える圧迫感が増す。

 祈りを捧げるようにウルクは瞼を伏せ、眼前で手を組んで詩を紡ぎ続ける。

 かくも脆弱な肉体、突風が吹けばかき消されてしまいそうな弱々しい声。なのに、何故これほどの力を生み出すことができるのか。

 増幅していく力を感じる。さらに詩は響き渡っていく。

歪む視界が、ようやくまともな輪郭を取り戻す。

 聴覚や触覚で周囲の状況を把握することはできても、視覚によって獲得できる情報を補い切ることはエグザスの肉体では叶わない。


「や、らせるかよっ」


 絡み付く虚脱感を振り切り、意識をくっきりと持ち直す。

 ウルクを(かば)い、立ち塞がるエピタフの体に三重の詩が染み込み、力を与える。

 獣の体毛がざわめき、触手のように蠢く。縄をより合わせるかのように、伸びた体毛がよじれて絡み合って肥大化する。

 丸太よりも太い、黒い体毛でできた物体がうねり出す。

 エピタフの容貌は最早人間とは呼べぬ異形と化していた。肩口から伸びる二本、両腕は再び毛に覆われ黒く染まり、両脇腹からも二本の物体が飛び出ている。

 めきょ、と鈍い音が響き背中からも二本伸びていく。

 重力を感じさせない、しなやかな動きで空中に留まると全ての黒毛が真横に割れた。

 まるで、ヒトの書物にあった御伽噺の怪物だ。


――開け。八つの目を、山に棲む悪魔の瞳を。


 四つ目の詩が響く。わさわさと動く八本の異形が、割れた箇所に牙を見せる。

 続いて開かれた口の上部が縦に割れ、紅の瞳が現れた。先程、緑色の弾丸を放ったアレとよく似ている。


「チッ……」


 舌打ちしてエグザスが身構えた。

 またむざむざと喰らうわけにはいかない。弾丸が飛んでくると分かれば、相応の対処はできる。だが、私はそれ以上のよからぬものを抱いていた。

 エピタフは唯一人間らしい、幼い顔立ちで告げる。


異貌擬態(いぼうぎたい)、八式〝ヤマタノオロチ〟解刀……っ!」


 地面を蹴って距離を詰めていくエピタフ。

 同時に肩口と背中から生える異形……否、オロチが有り得ないほど大きく口を開き、牙を閃かせて迫る。


「がッ……ぐ、」


 がぶり、ぞぶりと抉れた左の肩口に、左の脇腹に、右足に、残った右腕が噛まれた。

 連鎖的に激痛が走り、脳髄が痺れる。いけない、いけない。対策を、方策を考える。考えたいが、痛い……苦しい、辛い。

 まだ半分。眼前に迫った足の二匹が襲いかかってくる。


「ぎッ」


 一匹が左足の太股にかぶりつき、肉汁でも啜るように血液を吸引していく。

 黒い体毛の体ですら赤く染め上げるほどに次々と生命の雫が抜き取られていく。

 足を上げて振り払おうとするが、もう一匹に阻止された。

 頭を槍のように鋭く旋回させ、地面へ縫い付ける。

 ぐりぐり、がりがりと地面に沈んで動かせない。


「ぃ、がっ……ああァァァッ」


 苦しみ悶えながら、残る右腕に真紅の輝きを宿す。

 だが、生まれた波紋はすぐに消えてしまった。

 残りの、エピタフの腕から伸びる二匹のうち一匹がエグザスの右手に噛み付いている。

 もう一匹は顔面に噛み付いて発声すら封じ込めてしまった。

 冷淡な口ぶりでエピタフが告げる。


「いかに詠唱が不要でも、名すら告げられなければ発動できないだろう?」


 殺すかどうかはエグザスの動き次第、とは言っていたが、成る程。

 確かに逃せば自らの仲間が失われてしまうかもしれない。その可能性を排除するためには結局殺し合うしかなかった。

 痛みが一週回って感覚が麻痺している。

 どくり、どくりと血液が流れ出し吸われていく。

 砂時計が落ちていくように、エグザスの全身から命が失われていくのを感じられた。


 死ぬ。また、奪われてしまう。

 しばらく抵抗できずに吸血され続けた。


「うっ……ぐっ」


 苦悶の声。唐突に放り投げるように解放された。

 また視界がぼんやりとしている。正常に肉体を機能させるための、血液が足りない。

 生命が流れ出した喪失感は左腕を千切られた時よりも重く、いがいがとしたものを頭に残している。体は冷え切り、言葉を搾り出す気力も熱量もない。

 自らが流した鮮血の跡を眺める。


「大丈夫か、ウルク」

「……うん。守って、くれたから」

「ああ」


 短いやり取り、続く激しい咳の音。散る飛沫。全てが鮮明に聞こえる。

 触覚が麻痺し、視覚はまともに働かず嗅覚は死に迫っていく香りだけを感知させた。口内には血の味しかない。やけに、聴覚だけがクリアだった。


「エピタフっ」

「だい、じょうぶ、だ」

「でも、でもっ……血が、こんなに」


 互いに互いを心配しあい、補い合って強敵を(ほふ)ることができたのだ。

 大事なものを守り、勝利できたことへの安堵と充足感に支配されて気が緩んだのだろう。

 これまで受けてきたダメージがぶり返し、表に出てきた。

 微笑ましい、感動的な、情動をかき立てる場面だというべきなのだろうか。

 (うずくま)り、激しく咳き込むエピタフの肩を掴み、泣きそうな表情でウルクが唇を動かす。恐らくは回復系統の詩を紡いでいるのだろう。

 今の戦いが終わっても、次の戦いが待っている。

 全ての〈渇血の魔女〉を屠るのであれば、まだ立ち上がらなければならない。

 立ち止まってはいられない。すぐに態勢を立て直し、追わなければならない。

 

 揺れ動く。

 遠かった二人の姿が眼前に迫る。

 幼き少女と少年の抱擁。互いの無事を喜び、分かち合う美しい光景。

 何年か経てば彼らは永遠の愛を誓うかもしれない。

 そんな白き清純さを私は、いや……エグザスは真紅に染め上げる。


「馬鹿、な」


 信じられない、とエピタフの瞳は告げていた。

 こぽりと吐き出されたウルクの血を浴び、驚愕の表情に紅の化粧が施される。

 エピタフ自身も血を吐いた。赤黒い命の飛沫を撒き散らす。

 二人の肉体を貫通した右腕が、弱々しく脈動する臓器を握っていた。

 多分、エグザスは笑っているだろう。この上なく邪悪で、どうしようもなく愉しそうな笑みでヒトを見下している。


「馬鹿はテメェらだよ、下等種族が」


 ぐしゃり、とエグザスは自らの五指を力いっぱい内側に閉じて握り潰した。

 肉片を投げ捨てて乱暴に右腕を引き抜く。勢いのままエピタフは引き倒され、つい今しがた事切れたウルクの体に折り重なった。

 仰向けに横たわる少女の瞳に、光は宿っていない。

 エグザスは準備体操でもするように、右腕と左腕を手前にやり、後方に伸ばす。

 右手の鮮血を服の裾で拭い、目の前にかざすと手のひらに真紅の紋章が浮かんだ。


「アウェイク・パワーコネクト……寸前で仕込めて助かったよ」


 得意げな顔をしているのだろう、エグザスは鼻で笑ってから続ける。


「狙うなら核、テメェら人間でいう心臓を狙うべきだったな。もっとも、どこにあるかは魔力の薄いイヌッコロなんぞには分からなかっただろうがなァ」


 左腕も元通りに修復されていた。無数の噛み跡も消え失せ、血の気も戻ってまさに全快状態。私はようやく一息吐くことができた。

 無論、痛みは本物だったし臨死の間際も貴重な経験になっただろうが。

 エグザスの言う通り、狙うならば首元で頭を引き千切ってしまうか、胸部付近に集中させるべきだった。とはいえ、もう余裕は見せられない。

 死刑宣告とばかりに、エグザスはエピタフに人差し指を向ける。


「いや、まぁでも中々だったよ。少しは楽しめたかなァ」


 エピタフは答えない。ああ、じれったい。

 勿体つけずにさっさと〈失われし血晶〉を紡げばいいのに。

 エグザスの目がウルクの亡骸に向けられる。


「あっけねェモンだなァ……ただの人間に毛が生えた程度で粋がり、俺達最上種に立ち向かおうとするから無様に死ぬんだよ。マヌケな話だ。最っ高にくだらねぇ」


 (あざけ)り、言葉で(なぶ)っていく。

 そんなことに何の意味があるのか。

 かつてリヴェンナはそう高い位置で物事を見て、殺された。

 何故教訓として生かさない。まだ、何かあるかもしれない。念入りに、慎重に倒せる時に確実に倒しておくべきなのに、この男は悪癖を晒している。


「……許せねぇ」

「あァ? 何にだよ?」


 ぞくり、と悪寒が走ったのは私だけだろうか。

 胸部を貫通され、既に虫の息だったはずのエピタフが幽鬼のように立ち上がる。

 ゆっくりと右腕で左腕の、肩口の少し下を掴む。

 ぶぢりと強引にエピタフは自らの左腕を引き千切った。

 鮮血が噴き出し、ウルクの顔に赤黒い化粧をのせていく。


「なっ……」


 絶句する。エグザスも、感覚を繋げている私も。

 だが、目を逸らすことはできなかった。千切った自らの肉片を喰らい、愛しい者の血に自らの血を塗り重ねていく〈人狼〉の姿を。

 肉片を、骨を、血を散らして(むさぼ)り、()(たけ)る。

 狼が仕留めた獲物を喰らって勝ち(どき)をあげるように雄々しく、悲しく。

 意図不明の行動、だが一部の民族で行われる魂葬の儀式に似ていた。死した人の血肉を喰らうことで、自らの肉体に吸収させ留めて忘れず新たな力とすること。

 ただ自分自身を喰らって得られるものなどないのではないか。


「チッ」


 本能的に危うさを感じ取ったのか、エグザスが体内に宿る〈失われし血晶〉を探す。

 単発の魔術はもう通用しないかもしれない。二つを重ねた上位でも傷つけられるかどうか、不安にさせる凄まじい威圧感があった。


「う、る、くっ…………ウオオオオオォォォォッ」


 膨れ上がる。

 エピタフの体のあちこちに肉腫が生まれ、弾けては血と共に蠢く生々しい肉と美しい鮮血を見せる。そうして生まれては弾けて、と繰り返して丸々と大きくなっていく。

 それは、人間の姿が押し込めたハコのようなものだったのだろう。

 巨大な肉の塊が組み上げたのは黒く(たくま)しい毛並みを持つ巨狼。

 体長は五メートルを超えている。

 樹齢数百年の大樹と見紛う巨大な腕がゆっくりと掲げられた。


「あ……」


 回避も、防御も許さない勢いで、迫り来る。

 直撃の瞬間、精神のパスは断ち切れた。

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