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灰色の境界  作者: 宵時
第二章「君には、僕を殺す権利がある」「死はいつも貴方のすぐ隣に」
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2-14 魔女の瞳を通した世界

 ストラに先導され帝国特薬機関の敷地内を進む。

 迷彩柄の洋装を着込んだ武装兵が整列し、作られた道を歩いていく。

 拒絶すれば即座に銃を構えて鉛弾を見舞うつもりなのだろうか。

 そんなもので御し切れると思っているのだろうか。

こんな兵士など、〈渇血の魔女(ワルクシード)〉の前では人形を置いているのと変わらない。


「勿論、膨大な魔力を持つあなた方を抑えられるとは思っていませんよ」

「…………そう、ですか」


 にこやかに微笑むストラに、私は無感動な返事を投げる。

 灰色の通路を進み、いくつもの門を潜って奥へ奥へと入っていく。

 立ち止まって振り返る。鉄門の外側にはハインリヒ、マルガレッタ、エグザスの三人。

 彼らが私を呼ぶことも、私が彼らに手招きすることもない。

 精神のパスを通してハインリヒの声が伝わる。


「先程申し上げた通り、彼らには外側の警戒をお任せします」

「ただ守るだけならば、あちらの方々だけでも十分では?」

「相手が〝普通の人間〟ならばね」


 笑みを崩さずストラは腕を掲げて人差し指を立てた。指し示された方向、施設を囲むフェンスの内側にある中壁の上に六本足で歩く機械。甲虫のような風貌で、黒光りする背には機銃が供えられ、複眼のようなカメラアイで忙しなく周囲を見回している。

 強い風が吹き荒れ、巻き上げられた木の葉が壁を越えようと舞い踊る。

 瞬間、機銃が火を噴いて葉を微塵に粉砕した。

 監視と侵入者を撃滅する役目を兼任する血の通わぬ見張りといったところか。

 確かにただの人間からすれば脅威だろう。が、ストラの口ぶりから迫り来る脅威はただの人間ではなく、恐らくリヴェンナを始めとする同胞を狩って来た者。


「お察しの通り、ハインリヒ殿がお二人を連れてここに向かってくる者を迎え撃ちます」

「あれや、兵士の方々では不十分だと?」

「ええ。ただの人間には脅威でも、あなた方を滅ぼそうとする魔滅者(マギバスター)相手には時間稼ぎにもならないでしょう。ですから、急がねばならないのです」


 ストラが腕を下ろしてまた歩き始める。

 私は、この男の目が嫌だ。精神のパスを繋いでもいないのに、全てを覗き込んで知って楽しんでいるような瞳が。

 思わず眉根に力が入ってしまう。


「警戒しなくともいいでしょう。別段襲って子種を植えつけようなど考えていませんし」

「冗談にしても、面白くありません」

「やれやれ、お堅いですねェ……」

「馴れ合うつもりは毛頭ありません。あくまで、ただの取引相手なのですから」

「結果を、引きずり出せるかはお嬢様の協力次第ですかね」


 ぐぐ、とストラの顔が迫る。努めて、私は動じず感情を揺らがせることなく瞼を閉じて視線を合わせることを拒絶した。

 ふわりと生暖かい風が頬を撫でて気配が遠ざかる。


「さて、こちらです。まだまだ地下へ潜りますので」

「…………分かりました」


 手の甲で吐息をかけられた頬を拭う。

 純白の雪原へ容赦なく足を踏み入れるような、一切の遠慮がない素振り。

 気持ち悪い。酸素を奪われ肉体を荒縄で締め上げられる息苦しさを常に感じる。

 ストラが執事のように恭しく頭を垂れ、右手で示す。荷物の運搬にも十分耐えられるような大容量の収容スペースを持つ昇降機。

 口を開けて待ち構える怪物、もしくは奈落の底へ引き込む亡者の腕に見えた。

 首を振る。どちらにせよ従うしかない。

 〈渇血の魔女〉は〝完全〟を目指す欲望と、純潔を保ちたがる気高さ、そして数の上での圧倒的な敗北によって絶滅の危機に瀕している。

 いかに無知でも読める可能性を前にしても、(すが)るしかない。

 そうまでして生きて、まだ目指すのだろうか。

 先の見えない、見通すことのできない出口を探すために暗闇の中を手探りで進み続けるのだろうか。いつまで、どこまで、繰り返せば手にできるのか。


「ありますよ」


 瞼を開く。相変わらず、気味の悪いくらい爽やかな笑顔のストラ。


「あなた方の悲願である〝完全な存在〟になれますよ」

「どういう、ことです」

「少しは興味を持って頂けましたか?」


 沈黙で答える。主導権を握られるのは気に入らない。

 正直なところ、私は〝完全な存在〟などどうでもいい。

 散々嫌悪しておきながら人間と同じ形でしか次代を引き継げない生殖システム、結局は人間から学んで構築した戦闘技術と積み上げられた魔法の源。

 人間という存在がなければ私達は成り立たないといっても過言ではない。

 とはいっても、含めて上手く利用すれば勝ったことになる、とエグザスは得意げに話していたが。勝つ、なんて何と戦っているのだろうか。

 あの、名前も思い出せない男に守られていた頃からずっと考えていた。

 〈渇血の魔女〉という種が何故世界に産み落とされたのか。


「あなた方はずっと考え続けた。〝どうして私達は生み出され、存在しているのか〟」

「……勝手に語り始めないでください」

「いいからいいから。これから案内する施設にも関わりますし」


 さあさあ、と促されて昇降機へ乗り込まされる。

 ストラが微笑んだままパネルを操作していく。がくん、と昇降機が動くと同時に下方向の重力が肉体に科せられる。まさに引きずり下ろされるような感覚。

 パネル上部の数字が目まぐるしく変化し、B13と表示された。

 沈み込み反動が一気に体に返ってくる。頭を振って不快さを払い、閉塞感から抜け出すべく開かれた扉から一歩外へ踏み出す。


「これは……」


 薄暗い室内、僅かな光源は緑色の目に悪そうな非常口へ導くための照明だけ。

 軽い電子音が響き、一気に上部の明かりが目覚める。光量の変化に驚くも、すぐに眼が慣れてようやく全貌を拝むことができた。


「……何の、つもりですか」


 精神の底から湧き出た不快感を隠せず、声に乗せて吐き出す。

 室内の壁面は黒色の小さなブロックを積み上げたレンガ造りを思わせる構造、床には無数の黒いコードが這い回っている。

 それらが繋がっているのは円筒形の装置。内部は緑色の液体で満たされている。

 浮力に持ち上げられ虚ろな表情を見せているのは様々な亜人達。それも、完全に人間の体をなしていない不完全な状態。腕がないもの、あってもネジやらボルトやら機械的なものが混じっているもの。頭部がなく、代わりにガラス玉に眼球やら脳やらが詰められた個体すらあった。

 クローニング技術、即ち人の手によって生命体を作り出す技巧。そう聞いた時からある程度のものは覚悟していたが、想定以上の醜悪さだ。


「何って、これが求められるものだよ。〈渇血の魔女〉……そして人類に、ね」

「ヒトの体を造るならまだしも、あれはどういうことですか」


 私は指差す。人の形を保っているものはまだいい。

 だが、少し離れた位置に並ぶ薄紫の溶液に満たされた円筒形の装置には常軌を逸したモノが入っていた。

 右腕だけが肥大化した者、額に眼球を植えつけられた者、皮膚がなく筋肉繊維や骨が()き出しになっている者、違う色の肌がツギハギされたように縫い合わされた者。

 さらには先程、外側で見た警備用の機械があった。

 ただし、カメラアイがあった部分には人間の眼球が、コードで繋がれた先には電極の刺さった脳髄が気泡にまみれている。


「ですから、求められるものですよ」

「こんなもの、求めていない……っ!」

「あなた方が求める技術は、人間の純粋な欲望から生まれたものなんです。資産があり、権力がある。それでも有限なものがある。どれだけ願っても、望んでも変わらぬ運命が」

「……寿命、ですか」


 仮面のように変わらぬ表情でストラは頷き、歩き出す。

 吐き気を催すような、おぞましい物体が詰まった装置の間を縦に通る道を進む。

 一瞬だけ躊躇するも私も後を追う。これらは、私には関係ない。〈渇血の魔女〉には関係ない。もう既に犠牲者となり果て、救われる術などありはしない。

 歩く、歩く、歩く。

 延々と同じように肉体を損壊され、生物としての尊厳すら奪われたモノが並ぶ。

 最奥の部屋には真新しい円筒形の装置があった。

 中身はなく、周囲には様々な計器が並んでいる。

 ストラが私に視線を向けた瞬間、悪寒が走った。ハインリヒの言葉を思い出し、見せ付けられた者達の姿を思い返す。


「私を検体にする、というのは……」

「文字通りですよ。これまであなた方の情報は中々得られませんでしたからね。死体を入手するのですら難しかったわけですし」

「寿命を越える、ことが人間の願望だと?」


 さらりとこぼれた言葉に空恐ろしさを覚えながらも、私は精一杯語気を強めて問う。

 人間は同族同士ですら殺し合う。果てのない闘争を繰り返し、それでも増える数の方が多く結果的に世界で最も繁栄している。

 対して亜人は肉体が成熟するまでに要する時間、人間と似ていても条件が異なる生殖能力、必要とされる環境の難しさ。

 諸々含めて、増えずとも(いさか)いが起きてしまい、損害を(かぶ)る。


「そう。人は互いに殺し合い、それでも誰もがより長く生きたいと願う。誰しも、等しく死ぬと定められていても最後の瞬間はできるだけ先へ引き伸ばしたい。死に対する恐怖が凝縮され形となったのが延命治療、そして新たな生命の誕生なのですよ」

「……クローニング技術、とやらは〝同じ人間〟はできないと聞きます」

「ええ。思考パターンを正確にトレースし、同じ環境を用意しても刺激を受ける当人が同じように受け取る保障はどこにもありませんから。まぁ、それはあなた方には関係のない話です。こちらの目的は、どんな研究にも耐えうる最強の因子を手に入れることですから」

 〈渇血の魔女〉の能力。

 銃弾で眉間を撃ち抜かれようが、腹や胸に刃を叩き込まれようが生命活動を続け、傷口を修復する驚異的な回復力。素手で人体を引き裂く圧倒的な筋力。人間にも一部操れるものがいるものの、生まれつき保有する魔力。

 だが、一番必要とされているのは不死性と不老性。

 主に青年期で外見的成長は完了し、ずっと若い姿を保ち続ける。

 私達からすれば普遍的なものでも、人間からすれば魅力的な恒常的な若さ。


「亜人の中で最も秀でた〈渇血の魔女〉から不死の力を引き出そう、と?」

「時間の檻を越えて、永遠を獲得する……素晴らしいじゃァないですかァ」


 無理だ。確かに〈渇血の魔女〉は人間より遥かに高い能力を持つ。

 だが、移植されたとはいえ人間の技術で思考機関の永続性が保てるとは思えない。

 ストラは、本気で実現可能だと思っているのだろうか。


「お疑いですか? 多少ならば論拠をお見せできますがね」


 鈍く低い音が聞こえた。部屋に備えられた数々の機器のうち、キーボードと繋がったものを前にストラは爛々と金色の瞳を輝かせている。

 淀みない動きでキーボードを叩き、背後の巨大モニターに映像が浮かぶ。

 映し出されたのは兵団が行軍する姿。兵士達は肉体の大部分を機械化され、重々しい足取りで前へ進む。

 相対するのは一見すると普通の人間だが、有り得ないほど高く跳躍し、迫る機械の兵士へ刃を叩き込み驚異的な膂力で真っ二つに叩き割った。


「これはウランジェシカが開発した技術です。まぁ、今となっては古臭いのですが、ご覧の通り機械の体を持ち、人間の思考回路を持つ完全な存在を目指したわけですが――」

「見事に、倒されていますね」

「ええ、ええ。甚大な被害を受けたもので、プランは凍結されちゃいました」

「そういえば、この国は軍需産業が盛んでしたね」


 ウランジェシカ帝国は機械技術に秀で、特に人間が人間を殺す戦争の道具……兵器を作ることに特化していると聞く。

 が、兵士も食事をしなければ死ぬし、治療を受けなければ怪我も治らない。

 そうして総合的に各種の生活インフラから延命技術まで発展してある意味ではどの国よりも人を生かし、どの国よりも人を殺す国へ成長したとされる。

 それが、今は生体研究……いや、延命の先にある永遠を獲得しようとしているのだ。

 〝完全な存在〟とは永遠を得ることなのだろうか。

 映し出される、戦争映像をバックにストラは笑う。

 底抜けの邪悪さで、泥よりも汚くこびりつく悪意を含んで。


「〝完全〟など有り得ない。そう、思いますか?」

「目指してきて、こんなところに来たくらいですから」

「ええ、そうでしょうね。でも、あなた方には別の可能性がある」


 少しだけ真剣味を帯びた顔を見せたストラが、別の機器を操作する。

 安置されていた円筒形の装置が左右に両断されるように開き、内部から機械の腕が飛び出た。

 反射的に避けようとした瞬間、目の前に霧状の物体が噴出。

 驚きよりも先に本能的な恐怖感に(さいな)まれて腕を振るが、幾分か吸い込んでしまった。


「ぐっ……」


 とくん、と心臓が強く脈動を告げる。同時に、意識が切り離されたように高く遠いところへ取り上げられてしまった。体が覚える、不可解な浮遊感。

 数瞬だけぼんやりと、ふわふわとした場所にいたが頭を振って自身に覚醒を促す。


「おやおや、もう気付いてしまいましたか」


 至極残念そうな声をあげるストラの顔が、少し歪んでいる。

 おぼろげだった視界を確かにすると、吐いた息で目の前が白く曇った。


「なっ……」


 ようやく、自分があの異形の検体達と同じように円筒形の装置に詰められたことを理解する。既に両手と両足は拘束され、身動きが取れない。


「断っておきますが、きちんと許可は得ていますよ。ハインリヒ殿から、ね」

「貴方、は、こんなことが本当にヒトのためになると考えているのですかっ!」

「勿論。欲望を叶え続けることが、人間という種を存続させ続ける一番の薬ですから」

「ふざけ――」


 最大限まで増幅された嫌悪感が理性を吹き飛ばし、内側から燃え立つ激情のままに魔力を解き放とうと……するが、波動は生まれず世界に変化は見えない。

 両目を見開く。虫が肌に吸い付くように、黒いコードと繋がった針が至る所に刺さっている。突き刺されているだけでなく、血液を吸い取っていた。

 頭に鈍痛が走る。また制御下から離れかかった意識を、必死に掴み直す。


「あなた方の魔術、いわゆる〈失われし血晶(ロスト・プリズム)〉は血を媒介にしていると聞いています。これで魔力を練り術式を行使することはできないでしょう。話し合いに力は邪魔ですから」

「騙まし討ちで、屈服させて、おきながら……」

「まだ手段は残っているはずですよ」


 ストラの言葉にはっ、とする。

 感覚の共有化。〈渇血の魔女〉が持つ、もう一つの特異性。


「あなた方は、ただ平穏な時間を過ごしたいだけなのかもしれません。ですが、ヒトは求めるのです。より強く、より素晴らしいモノを。それは他者を屈服させる兵器であり、自らの欲望を満たし続けるために必要な時間であり、さらなる高みへと昇るための能力」


 また、ストラは笑った。引き裂くように、満面の邪悪な笑みを浮かべる。


「〈渇血の魔女〉が持つ感覚の共有化、そして不老不死の肉体……ふふふふ、それは人類に何をもたらすのでしょうかねェ。深く暗い絶望か、はたまた未知へ繋がる希望か」


 これは悪だ。まごうことなき、混沌の奥底だ。

 どうしてハインリヒは、エグザスは、マルガレッタはこんな男に私を預けたのか。

 分からない。分からないが、伝えねばならない。

 人間は底知れぬ欲望を持っていて、得ても得ても次を次を求め続ける。

 それこそ世界を食らい続けて自らの尾に噛み付き、完全なる闇を呼んだ大蛇のように。

 全部飲み込まれてしまう前に、ストラは滅してしまわなければならない。


「さァさァ、解析させてもらいましょう! あなた方が持つ秘密をっ!」


 叫んでストラが哄笑(こうしょう)をあげる。

 精神のパスを繋がねば……一刻も早く、知らせなければ。


――完全な存在など、なかった。


 全部が全部、利用されるだけだった。

 そもそも絶対的な存在で、完全ならば何故不完全な肉体だったのか。

 様々な欠陥を持つ弱者だったのか。説明がつかない。道理が通らない。


「『貴様っ! 動くな!』」


 声が響く。

 エグザスに繋げたパスが伝えるのは野太い人間の声。映像も繋がる。

 たった一人を囲むように配置された警官隊の姿。

 まただ。また、こうして戦っている。

 分かり合えず、歩み寄ることさえせず最初から最後まで敵対者であり続けた。敵対者としかみられていなかった。

 エグザスと意識を重ねる。

 今この瞬間、自らの生命を守るために他の生命が失われた。

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