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灰色の境界  作者: 宵時
第二章「君には、僕を殺す権利がある」「死はいつも貴方のすぐ隣に」
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2-13 血の祭殿

 人は死ぬ。あっけなく、簡単に、造作もなく壊すことができる。

 〈渇血の魔女(ワルクシード)〉とは違い、再生力も筋力も平凡平坦。個々人によって身体能力の差はあれど特異な力が使えない以上、私達(わたくしたち)の敵ではない。

 第一に生きられる年数が圧倒的に違う。

 医療技術が発達し、再生治療も進んでヒトは殆どの病気を克服した。

 それでも、せいぜいが百五十年ほどで限界を迎える。脳が耐え切れないのだ。

 投薬や基幹細胞の成長増進はできても脳の情報を補うことができない。

 期待されていたクローニングは倫理的・軍事的・政治的な問題を多く抱えていたが、止められない欲望を原動力に推し進められ医療方面だけが表出し役立てられた。

 ただ、精神の構造は変わらず読み解かれていない。

 故に同じ人間は作れず、どれだけ引き伸ばしても人間が人間たる核、脳髄を作り出すことができずに時間の檻から抜け出せないという。


「なのに、なんでこうなっちゃってるのかねぇ」

「単純なことだ。優位性だけでなく、劣等性まで引き受けてしまう吸血能力が仇となったのだ。無節操に収集しすぎた結果の、自業自得と言えるだろう。どう思う、セラ」


 沈黙を保つつもりだったのに、話を振られてしまった。

 鬱蒼と生い茂る森林の、明らかに人が通る道ではない舗装も整備もされていない獣道を歩いている。

 日光すら届かぬ薄闇の世界、先頭を歩く二人の男のうち、蒼い瞳の男が立ち止まった。


「どうした? 気分でも悪いのか」

「……少し」


 短く答える。かつて、私を太陽から守ってくれた男性と同じ目。

 でも、彼はもういない。私の目の前で、私を守って銀槍で胸を穿たれ、弾け飛んだ。

 びちゃり、びちゃちゃと今でも耳の奥で死の音が鳴り響く。反響して、精神に落ち込んでずっと鳴り続けている。消えない、失わせることのできない痛み。


「死を見つめるな。我らの同胞は、ここにいる」

「ハインリヒの言う通りよ、セラ……」


 優しく、背後から抱きすくめられた。


「マルガレッタ、さん」

「あらあら、そんな他人行儀な物言いはやめて頂戴。貴女は私の娘なのよ、セラ」

「……はい、お義母(かあ)様」


 なされるがまま、いや望まれるままの答えを返してみる。

 それでも「まだまだねぇ」とマルガレッタは不満そうだった。


「我とエグザス、マルガレッタ。そして、セラ。もう〈渇血の魔女〉はたった四人だ」


 もう四人だけ。私は改めてハインリヒの顔を正面から見つめる。

 ほのかに発光しているエメラルドグリーンの髪に、深い海を映す蒼の瞳。

 ゆったりと体を覆うコートで体の線は見えないが、筋骨たくましい肉体を持つ。

 隣で口元に手を当てあくびをかみ殺しているのはエグザス。深い緑色の長い髪を首の後ろで一まとめにし、ハインリヒとは対照的にジャケットとズボン、一般的な人間の洋装で大胆に肌を露出させている。

 私の視線を感じてか、エグザスが右腕のシャツの袖をまくって力瘤(こぶ)を見せた。


「心配するなって、セラ。お前はお兄ちゃんが絶対に守ってやるから」

「我らに血縁はないがな」

「いやー、でもよ。もうたった四人なんだし、家族みたいだろ」

「貴様が兄ならば、マルガレッタは母親というところか?」

「だったら、ハインリヒ様の妻、になるのかしら」


 恥らうように両手を頬に当ててマルガレッタが大仰に首を振る。

 思わず、口元が緩んだ。多分、自然に。自然に動いたのだと思う。もしかしたら、反射的に〝他人が安心するような笑顔〟を浮かべていたのかもしれない。

 エグザスが嬉しそうに笑った。が、すぐに表情を硬くする。


「でもよ、親父。なんで今回の依頼を受けたんだよ」

「何故も何も、連中が我らに必要な場所を与えてくれるからだ」

「本当に信じているのかよ……施設警備なんて、くだらねぇ」

「ただの人間相手ならば、な。しかし、専門機関相手となると辛いのだろう」

「そりゃそうだろうけどさ……」


 不満げに突っかかるエグザスに対し、ハインリヒは淡々と語るだけ。

 こんな森の中で言い争っても私達以外に声はなく、木々を揺らす鳥の羽音が聞こえただけ。ヒトに追いやられた私達はこんなところまで来てしまった。


「我らに選択肢はない。仇だろうが、嫌悪していようが圧倒的な数の力に敗北したのだ」

「まだ、負けたわけじゃねぇぞ! 今なら、皆の力を吸った俺達ならよ――」


 乾いた音が響く。エグザスは驚愕に目を見開き、己の左頬に手を当てる。


「その驕りが、慢心が滅亡の危機をもたらした。何度言わせるんだ、愚か者が」

「す、すまねぇ……親父」


 雨に降られた子犬のように、エグザスは(まぶた)を伏せて項垂(うなだ)れる。


「一年前、リヴェンナが討伐された時もそうだった。今や触媒も長き詠唱も不要になった我らの固有術式〈失われし血晶(ロスト・プリズム)〉を持ち、多数の人間を操作し肉体を作り変える能力を抱えながら、名もない小隊に倒された。所詮は人間、我々に勝てるはずがない……無様だ」

「同族殺しなんてしてるから、そんな結末に――」


 はっ、としてエグザスが慌てて口を押さえた。

 静かに、ハインリヒはエグザスの顔を見てから続ける。


「悲しいことだ。我々は人間を(さげす)み、(あなど)りながら実際は同じ過ちを繰り返していた。睦み合い、子を成し育てて同じものを消費する。ただ我々はその上に行けるだけなのに」

「親父ほど達観しているのなんていねぇよ。俺はリヴェ姐ら主義者の言い分ももっともだと思うぜ? 人間と俺達は違う。俺達は絶対者で、頂点に立つべき捕食者なんだよ!」


 じとり、とハインリヒがマルガレッタを睨む。

 この義兄気取りの青年には学習能力というものがないのだろうか。


「結果論かもしれないが、我々は人間の歴史を学ぶことでさらなる力を得ることができた。同胞の死を弔うために亡骸を食らう……我々の場合は、結晶化した魂を取り込む」

「……ああ。マルガレッタさんも――」


 びしり、とまたエグザスの頬が張られる。

 本当に、学ぶことを知らない。過ちを繰り返すことこそ、まさに人間だ。

 だが、忌み嫌う人間のように種族主義を唱える強硬派と、人間が持つ様々な技能を獲得して生かそうとする穏健派との対立は必然だったのかもしれない。

 何かを生み出す人間達とは違って、私達は壊すことしかできないのだから。


「あ、ああ……あな、た。貴方…………ああぁぁぁぁぁぁっ」


 穏やかだった雰囲気は消し飛び、血走った眼を見開いてマルガレッタは叫んだ。

 大気が震撼し、放たれる波動は悪意を持って周囲の樹木をなぎ倒していく。

 マルガレッタを中心として開けた大地が生み出された。空を灰が舞っている。風に吹かれてゆらゆらと、一瞬で消し炭になった樹木やら小動物やらが命の散華を見せつけた。


「マルガレッタ。過去を捨てろ。どうにもならぬものは全て棄てろ」

「いや、駄目、でも、だから私はっ!」

「だから、我々は我々を守るのだ。何を犠牲にしても、過去に嘲笑われようとも」


 狂乱するマルガレッタを押さえつけるように、ハインリヒが魔力波動をぶつける。

 蒼い炎と黒く赤い炎が剣を打ち鳴らすようにせめぎあい、辺りを焼いて()いて潰していく。エグザスは私を守るように仁王立ちになって受け止めていた。

 青や赤、黒や緑の輝きに視界が塗り潰されていく。

 輝ける世界で燃え逝くモノを眺めながら、それでも私は冷め切っていた。

 逃げ場などなく、選択肢などなく、追われて逃れてここまでやってきたのは事実。

 エグザスは考えなしだが、だからこそ率直に現実を述べている。

 かつて私が投げた問いの答えは、未だに得られていない。

 〝完全な存在〟になれたとして、その先には何があるのだろうか。


「セラ! お前は俺が、守るから」


 エグザスの言葉もどこか遠い。

 必ず守る、必ず帰る。そういった者から命を散らし、二度と前に現れなかった。

 私は求めたくない。完全な存在なんて、欲しくない。


「やめて」


 短く、私は言葉を紡ぐ。

 水を打ったようにマルガレッタの絶叫が止み、(うつ)ろな瞳が私を捉える。


「セラ、セラっ! ああ、私の、私の可愛い娘……」


 駆け寄ってきて、また抱擁を求めてくる。私はされるがまま、抱きしめられてマルガレッタの背中に手を回す。

 今は、こうするしかない。こうして、落ち着けてあげるしかない。

 そんな私達を見るハインリヒの目に父性はなく、ただただ冷たかった。

 視線を移す。焼き払われた森林からこぼれる光に、私達が動じることはない。


「もう、我らが太陽に怯えることはない」


 手をかざし、眩しそうに目を細めながらハインリヒが告げた。

 人間の知識を吸収し、そして人間と交わって獲得した力。一番大きかったのは、太古から連綿と受け継がれてきた〝吸血鬼に対する方策〟が変化したこと。

 流石に、三度目は懲りたのかエグザスは真顔で口を開く。


「太陽は、もう俺の敵じゃない。不死性は薄くなっちまったけどな……」

「それでも、人間は求める。どこまでも、果てしない欲望の中で我々を」

「変わらないんだろ? 向かってくるなら潰す。でも、こっちからは仕掛けない」

「その通りだ。我々は平穏を取り戻す。そのために、今回の仕事も請けた」


 森林に囲まれた空間にそびえるのは、機械的な城。

 金網のフェンスに囲まれ、上部には隙間なく有刺鉄線が走っている。

 延々と囲まれた建物が何かを示す表札があった。帝国特薬機関、とある。

 確か文字は……ウランジェシカのものだ。

 いかにも重く硬そうな黒い鉄門から数人の男達が出てきた。全員が統一された迷彩柄の洋装で、手には(にぶ)く光る銃器を抱えている。


「なんだぁ……?」


 毒気づくエグザスをハインリヒが手で制した。

 駆けつけてきた人間の男達が手に銃を構える。


「やめてもらいたい。我らは敵対者ではない」

「その通りです」


 ハインリヒの言葉に応じたのは、鉄門からゆっくりと歩いてくる影。

 武装した男達とは違い、スーツを着こなした優男だが彫りの深い顔立ちからは腹に何か大きなものを抱えていると取れた。野心家、とでも言うべきか。

 燃え盛る炎のように逆立った紅髪に見つめられるだけで、重要器官を潰されそうな悪意に満ちた金の瞳。口角は上がり、薄く微笑んでいた。勿論、悪い方向の。


「やァやァ、お初にお目にかかります。ハインリヒ殿」

「悪いが、人間の作法に合わせる気はないのでな。普通にさせてもらうぞ、ストラ氏」

「ええ、ええ。構いませんとも。傭兵の任と、研究の手伝いさえして頂ければ」

「守りは我ら三人で、研究の方にはこのセラを出す」


 最初から決まっているかのように、すらすらと障害なくヒトと〈渇血の魔女〉が会話を交わしている。

 悪意の塊のような男、ストラが私を見た。


「なるほど……ふむ」


 全身をなめ回すように見てくる。おぞましさが、凄絶な寒気が走り抜けていく。

 ハインリヒは何と言ったか。


「ふふ、では早速取りかかりましょうか。〝魔女再生計画〟を」

「魔女、再生……?」

「おや、聞いていないのですか。おかしいですねぇ」


 にたり、と笑いながらストラはハインリヒを見る。

 私もハインリヒの顔を真正面から捉えるが、蒼い瞳は諦観を込めて伏せられた。


「セラ。お前には礎になってもらう。クローニング技術を応用した我ら〈渇血の魔女〉を生み出す……その検体になってもらう」


――ああ、やっぱり。


 何故か、私はそう思ってしまった。

 利用し、利用される関係。でも最後に笑うのは……。

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