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灰色の境界  作者: 宵時
第二章「君には、僕を殺す権利がある」「死はいつも貴方のすぐ隣に」
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2-12 生まれついた絶対者

 静寂な室内で、かちゃりと音が響く。喉に流し込んだコーヒーは存外に苦かった。

 僕はソーサーに置いたカップから手を離して、セラの顔色を伺う。

 語り始めてから、区切るまで一切の変化なく(まぶた)を伏せたまま。

 まるで眠っているか、そこだけ時間の檻に閉じ込められているかのように。


「アークチルドレン、か」


 何か含みのある、低い声で亮が呟く。

 リオン嬢は眉間に皺を寄せ、難しい表情をしている。

 ゆっくりと顔をあげて、右に進むか左に進むか迷うように視線を彷徨わせていた。

 告げるべき言葉が見つからず、かといって結末の分からぬ状態。

 だけど、言いたいことはおおよそ伝わっていると思う。


「随分と数奇なめぐり合わせだな。〈人狼〉に〈渇血の魔女(ワルクシード)〉のハーフ」

「うん。今思えば、本当に国籍も種族も選ばない混成部隊だったね」

「必要な素養があれば関係ないからな。痛みや悲しみが伴って力を生み出している」

「まるで、皆が不幸……みたいな言い方じゃない」

「限られた命しか生きられない呪いを受けて、お前は幸福だと言えるのか?」

「それはっ……言えない、けど。決め付けなくてもいいじゃない。だって、そのアーク小隊、の皆は今もどこかで活動しているんでしょ?」


 リオン嬢が願望を込めて問う。

 本当に、それは願望だ。叶わず、(かな)えられるはずもないものだった。

 当事者である僕とセラ。ほぼ最古参の亮。

 知っているからこそ、理解しているからこそ誰もが口を(つぐ)む。


「どう、したの? 元気にやっている、んじゃ」


 張り詰めた空気が、無言の圧力が伝えるものを振り払うようにリオン嬢は繰り返す。

 僕が、告げなければならない。僕がもたらした結果なのだから。


「それは――」

(わたくし)から、伝えるとしましょうか」


 セラが割り込んできた。その結末を、〈渇血の魔女〉の生き様を人間などに語らせまいと主張するかのように。瞼が開かれ、温度の無い宝石のような碧眼が姿を現す。


「十分に理解しました。貴方が救いようのない、愚かで無様な狂信者であると」

「……残念ながら、否定できないね。僕は未熟だった。いや、違ったんだ」


 ただ、純粋に。疑うことなく正しいものが、悪いものを全て駆逐するのだと。

 それが絶対的に正しく、正しく生きるためには自らも不可能を可能にする、誰一人見捨てることなく救い出すことが至上であり、避けては通れぬ茨の道だと信じ切っていた。

 正義の意味も知らず、また人の命が失われることも、奪うことも総じて二色では割り切れないと知らなかったがために。


「イズガルトの魔術は、自然との調和から導き出される奇跡だった」

「人間の隠された力を引き出す……それが、どう扱われるかも知らずに」

「残念ながら到達した者達を、魔術の使い道を律する法則はない。けれど、それは〈渇血の魔女〉達も同じなんじゃないのかな。人の弱い部分に、触れてしまった」

「その弱さが、異種族を狩り立てた。自らの種を打ち破るものを、数の暴力で押さえ込む」


 平行線で、人間(ぼく)と〈渇血の魔女(セラ)〉は睨み合う。

 歩み寄れたはずの可能性を持っていながら、結局は砕けてしまった希望。

 セラの瞳が語っている。これ以上、ヒトの口から聞きたくはないと。

 僕は息を()んで、続く言葉まで飲み込んでしまった。


「エリス連合国。亜人の楽園と信じられている世界……そのような世界は、幻想(ユメ)です」


 抑揚のない声でセラは宣言する。誰もが幸せでいられる世界など、存在しないと。

 僕は既に知っていた。エリス連合国の中でさえもエピタフは戦うための道具として、見世物として扱われていたことを。


「強大すぎる力は恐怖を生む。その境界線に、種族の区別などなかったのです」


 セラが、〈黒の死神〉が、〈渇血の魔女〉が語る。

 人間達の知らない、亜人側が持つ闇を。




――何故、〈渇血の魔女(わたくしたち)〉は生まれてきたのか。


 一発で脳味噌を覚醒させる轟音が鼓膜を打ち鳴らす。

 続いて連声に響く怒号と剣戟の音。死を量産する乱舞のメロディ。

 いつも目覚めるのは、この騒々しい戦いの雄叫(おたけ)びだった。


「おかあ、さん?」


 呼ぶ。本来ならば手を引いてくれる存在。共にいて、心の平穏を保ってくれる存在。

 今の私は揺れている。揺らされている。

 ようやく開けた視界に飛び込んできたのは手に赤い剣を携えた男達。


「おおおおぉぉぉぉっ」


 私の隣を男達が駆けて行く。

 どこに向かっているかは分からず、確かめることもできない。


「口を閉じろ、舌を噛むぞ!」


 背中から鋭い声が響いた。ようやく、自らが背負われていることに気付く。

 空は鉛色の雲に隙間なく隠され昼か夜かも分からない。

 私はどこにいるのか。何故、こんなにも不安な気持ちになっているのか。

 揺れる。揺らされている。体ではなく、私の心が揺さぶられていた。


「火薬臭い野蛮人め、よくもっ!」


 男の声が響く。と、同時に揺れが大きくなった。

 他の男達のように、きっとこの男も手に剣を持って切り込んでいる。

 野太い断末魔が耳に届き、視界の端に映る赤い飛沫が痛みを連想させた。

 それでも感じない。

 命を失うかもしれない恐怖も、こんな状況を生み出した元凶に対する怒りも。

 違う。何も感じていない、ではなく〝既に感じている〟からこそ、精神が揺らがないのだ。様々な感情が、感覚が私の心を揺らし続けている。


「はぁ、はぁ……」


 私を背負っている男が苦しそうに短く呼吸を繰り返していた。

 静寂。辺りに転がっている無数の亡骸(なきがら)が私の網膜に映りこむ。

 多くは醜く潰れた顔の、短い胴に短い脚とこじんまりした亜人。


「まずいっ」


 急に男が叫んで駆け出した。薄暗い空に光が戻る。

 雲の切れ間から差し込んだ光、だが私の心に届いたのは絶望と激痛の怨嗟。


「うぅ……」


 私は短く呻く、が男は気付くことなく大地を駆け抜けて崩れかけた壁の陰に飛び込んだ。

 感情の波が押し寄せてくる。目に見える痛みは、すぐに理解できた。

 地面に転がっている亡骸、亜人ではない眉目秀麗たる遺体が光を、太陽を浴びる。

 降り注いだ光は、まるで氷を溶かすように遺体達をかき消していく。


「消える、消える……体が、感覚がっ」


 常にゆっくりと、ゆるりと体の表面を撫でられ続けるような気持ち悪さ。

 音が遠ざかるように撫でられ舐められる感覚が失われていく。表面に(うず)くものが洗い流され無くなるようにあらゆる痛みが取り除かれた。

 それは、体の感覚を奪う薬物を投与されたように。


「そうか、お前はまだ制御する方法を身につけていないのだな……」


 優しく力強い声。するり、と私の体が地面に下ろされる。

 暗がりの中で私を見下ろすのは蒼い瞳。空、雲の隙間から見える青空のような。

 先程まで剣を振るい、戦っていた者と同一人物とは思えない慈愛に満ちた瞳。真に心配してくれていることは再び沸きあがった感情が教えてくれている。

 暖かく、柔らかく包み込んでくれるような優しさ。


「ひっ……」


 だが、心地よい温度を一気に引き下げ体を凍えさせる光景が広がっていた。

 遺体のあった場所にあるのは白い砂……いや、灰。

 一迅の風が吹く。堆く積もった灰が風に持ち上げられ、運ばれる。

 運ばれて視界から消え、後には短胴短足の死骸だけが残った。


「いいか、セラ。俺達は夜の民だ。太陽の下に現れることを許されない種族だ」

「どういう、こと、なの?」


 壁の陰で私は男に肩を掴まれている。

 私の倍以上生き、数々の修羅場を潜り抜けてきたのだろう。

 また伝わってきている。彼の焦燥が、その必死さが直接精神にぶつけられた。

 見てもいない映像が頭の中で再生していく。


 夜空。満天の星が浮かぶ綺麗な姿から変貌する。

 眠りを呼ぶ暗闇の夜から、目覚めを与える朝へと移り変わっていく。

 ビルとビルの間に男がいた。目の前の、今必死に私に語りかけている男が。

 同じように肩を(つか)んで呼びかけている。多分、私と同じくらいの幼い少年に。

『いいから言うことを聞け! 試そうなんて思うんじゃないっ』

『でも、見たことないもん! 光を浴びたら灰になっちゃうなんて、絶対に嘘だっ』

『おい、待て……やめろっ』

 叫ぶ男を無視して、少年が路地裏から飛び出す。

 昇る朝日、差し込む光を前に両手を広げる。

『ほら、何も起きな――』

 勝ち誇った笑顔で告げた少年の顔が白色に侵蝕されていく。

 降り注ぐ光の量が増えていくのに比例して領域が広がり、染まった部分が輪郭を失う。

 崩れて、砕けて細かく小さな粒子へと変換されていく。

『く、そっ……』


 映像が止まった。深く息を吐き、吸う。

 何度も何度も、喘ぐように繰り返し呼吸する。

 まるで長い間水中に潜っていたかのように息苦しい。

 胸が締め付けられるように、本当に物理的に内臓が押し潰される苦痛に(さいな)まれる。


「分かったか。俺達は太陽の下では生きられないんだ」

「痛いよ、苦しいよ……」

「制御するんだ。俺達が持つ、感覚を共有する力を。でなければ、絶え間なく続く戦いの連鎖の中で生き残ることはできないぞっ」

「どう、して、戦っている、の?」


 激しく言葉をぶつけられるも、理解が追いついていない。

 ぼんやりとした意識の中で、連続して繰り返される痛みと悲しみだけが心の中に渦巻いていた。

 消えていく声、断末魔、呪いを叫ぶ大声。

 切って切られて、奪って奪われて鳴り止まぬ戦音(いくさおと)

 刃と刃が(きし)れ合い、怒号と轟音が互いの存在を打ち消しあう修羅の戦地。

 只中にいて、揺さぶられて頭に浮かぶのは〝何故〟という問いかけ。


「俺達は力を持つ。生まれながらに備わった、条理を越えた魔力。魔力を変換し、様々な現象を引き起こす魔法。魔法を自在に操るべく発達した素晴らしき頭脳に、卓越した筋力。それらを持たざる者達は、持ちえる俺達を畏怖し、殺そうとする」

「何故、ころそうとするの?」

「自分達が根絶やしにされる前に、というのが連中の建前だ。殺される前に殺せ、害される前に害し存在全てを否定する。それぞれが持つ、唯一秀でたものを武器にして、すべての事柄に秀でた俺達を滅ぼそうと襲いかかってくる」


 殆ど鸚鵡(おうむ)返しの質問にも、男は丁寧に答えてくれた。

 それでも実感はできない。自分達にある力、優秀とされる数々の能力を。

 はっきりと認識できるのは底知れない憎悪と憤怒をぶつけられていること。

 即ち、種族を根絶させるという強烈凶悪な思念の波動。


「感覚の共有も俺達の持つ力の一つだ。さらに、俺達には他の種族から血液を吸い取り、体内に取り込むことで能力を奪い取れる。この力で積み重ねた結果が、俺達なんだ」

「奪い取った、なら、かえさ、なきゃ」

「何を言うんだ。俺達は数々のリスクを背負っている。まず十字の形をした物体は駄目だ。見れば眼球は破裂し、十字型の道具で殴られれば甚大なダメージを受ける。長々とした文言を聞かされるのも駄目だし、塩気を含んだ水も体が干からびる。それから――」


 朗々と予め記された文章を呼び上げるように男の説明が続く。

 この畳み掛けるように連続した説明は〝 長々とした文言〟には含まれないのだろうか。

 知識、いや羅列される情報の波が音声として聴覚から、文字化して共有される感覚から視覚を通して私にぶつけられていく。

 恐らく、普通の感性ならば頭が痛くなって拒絶する程の情報量なのだろう。

 が、確かに私の脳髄は真綿が水を吸い込むように与えられている情報を分析し理解していく。こうして、同胞同士で伝達されていくのだろうか。


「――そして、最大の禁忌は太陽の下に出られないこと。もう、分かるな?」


 男の言葉から激痛が蘇る。全身を焼かれるような凄絶な痛み。

 あんな、すべての存在が無駄になるような終わり方だけはしたくない。


「そう、その通りだ。だから、絶対に太陽が出ているうちは外に出るな」

「だったら、どう、やって出れば……」

「こうする」


 男が何事かを呟き、何もない空間に手を伸ばす。

 引き出されたのは大きな布。体を上から下まですっぽりと覆い隠すようなサイズ。

 男は器用に布を体に巻きつけ、全く肌を露出させない姿となった。同じように、布を引き出して私の体に巻きつけていく。

 目の部分だけは露出させ、頭には多めに布を残した。

 まるで、情報の中にあった洋装……そう、帽子のようだ。


「さあ、同胞の下へ行こう。また別の連中にかぎつけられては困るからな」

「殺される、滅ぼそうとされる理由は分かった。けれど、私達は〝なに〟を目指すの?」

「何、とはどういう意味だ」

「だって、殺されそうになって、辛い目にあって、でも生き続けるのって分からないよ」


 素直な気持ちだった。

 いわば、優れたものを妬むすべての存在が敵ということではないか。

 ならば気の休まる瞬間など数えるほどしかないだろう。

 そんな世界で生きて存在し続ける理由は、一体何なのか。


「試練、だろうさ。俺達は、この力を持って生み出された。最初はただ能力を奪い取る吸血の力を持つだけだったのが、代を重ねて様々な優位性を得た。俺達が存在し、生き続けるのは〝完全な存在〟になるためだ。この世界にある、存在する全ての生物の頂点に立つ」

「……頂点?」

「そう。この世界で唯一無二の絶対者になる。それが〈渇血の魔女〉の宿命だ」

「私達の、宿命」


 〈渇血の魔女〉、それが私達種族を示す言葉。

 生まれながらにして、絶対的な力を持つ存在。

 だから、命を狙われ存在を否定され怯えさせられる。

 戦うしかないのか。自らの種を守るために、敵対する存在を全て滅するしか。


――最初から、和解という道はないのか。


 私は、物心ついた時から死戦場の真っ只中に、いた。

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